第三章 王都グラントヴィア
リーナの案内で、王都グラントヴィアの実態が少しずつ明らかになった。
この王国は、百年以上にわたって北方の魔王軍と戦争を続けている。戦局は膠着状態で、どちらも決定的な勝利を収められていない。理由は——補給の問題だ。
「最前線の砦『ノルドヴァント』まで、王都から三百キロ以上あります」
リーナは地図を広げながら説明した。
「通常の馬車で二週間以上かかります。しかも、道路状態が悪いため、輸送中に物資の三割近くが損傷します。武器は錆び、食糧は腐り、馬は足を痛めます」
「三割か……」
誠一は眉をひそめた。それだけ損耗すれば、補給効率は壊滅的だ。
「ええ。そして冬になると、道路は凍結と融解を繰り返し、さらに状態が悪化します。春の雪解けの時期は、事実上、補給が不可能になります」
「春に攻められたら終わりだな」
「はい。魔王軍もそれを知っています。春先に大攻勢をかけてくることが多いのですが——人間側も冬の間に備蓄を進めることで、辛うじて持ちこたえている状態です」
百年間、その繰り返しというわけだ。
「道路さえ良くなれば——」
「はい。補給効率は劇的に向上します。私はそれを訴えてきましたが……」
「誰も聞かなかった」
「ええ」
リーナの顔に、苦い表情が浮かんだ。
「王家は城壁と城にしか興味がありません。貴族たちは自分の領地のことしか考えていません。商人たちは——道路が良くなれば利益になることは分かっていますが、先行投資をする余裕がありません」
「典型的な公共事業の問題だな」
誰もが道路が良くなれば便利だと分かっている。しかし、誰も金を出そうとしない。なぜなら、道路は「みんなのもの」であり、投資した人だけが利益を得るわけではないからだ。これを経済学では「フリーライダー問題」と呼ぶ。
解決策は一つしかない。
「公権力の介入だ」
「公権力?」
「王家に、道路整備を国家事業として行わせる。税金で道路を作り、維持管理する。日本では——俺のいた世界では、それが当たり前だった」
リーナは目を丸くした。
「あなたの世界では、国が道路を作るのですか?」
「ああ。道路法という法律があってな。国道、県道、市町村道——すべて公共事業として整備されている」
「素晴らしい……」
リーナの目が輝いた。
「しかし、この国の王家を動かすのは容易ではありません。特に今は——」
「今は?」
「王位継承争いが激化しているのです」
リーナは声を潜めた。
「現国王は高齢で、後継者を決めかねています。第一王子ゲオルク殿下と第二王子アルヴィン殿下が対立しており、宮廷は二つに分かれています」
「どちらが有利なんだ」
「現時点では第一王子殿下です。軍の支持を得ており、魔法至上主義の貴族たちも味方についています。『魔王軍を倒すには、より強力な魔法と軍事力が必要だ』というのが彼の主張です」
「第二王子は?」
「実務派と呼ばれています。『戦争に勝つには補給と兵站が重要だ』と訴えていますが、支持者は少数です。地味な主張ですから」
「……なるほど」
誠一は腕を組んだ。
第二王子。補給と兵站の重要性を理解している人物。もし彼が道路整備の重要性を認識すれば——協力を得られるかもしれない。
「第二王子に会えるか」
「え?」
リーナは驚いた顔をした。
「私は没落貴族ですし、あなたは——失礼ですが、どこの誰とも分からない人物です。王子殿下に謁見などできるはずがありません」
「そうか」
確かにそうだ。いきなり王子に会いに行っても門前払いを食らうだろう。
ならば——別の方法を考える必要がある。
「まずは実績を作る」
「実績?」
「ああ。小さくていい。この世界で舗装道路を作り、その効果を見せつける。それを見た人間が噂を広げる。やがて王子の耳に届く——そういう流れだ」
「しかし、道路を作るにはまず土地が必要です。王都の道路は王家の管理下にありますし、民有地を舗装するにも許可と資金が——」
「許可と資金は後から考える。まずは場所だ。誰にも文句を言われない、自由に使える土地はないか」
リーナは考え込んだ。
「……スラム街なら」
「スラム街?」
「王都の外れに、貧民街があります。そこは事実上、王家の管理が及んでいません。土地の権利も曖昧で——誰が何をしても気にされない場所です」
「誰も気にしない——つまり、誰も文句を言わないということか」
「はい。ただし、治安は最悪です」
「構わない。案内してくれ」
スラム街は、王都の東端にあった。
城壁の外に広がる一帯で、粗末な小屋が無秩序に並んでいる。道路などというものは存在せず、建物の間を細い路地がうねうねと走っているだけだ。路地は当然ながら泥だらけで、ところどころにゴミの山が積み上がっている。
「ここです」
リーナが指し示したのは、スラム街の中央にある小さな広場だった。広場というより、建物のない空き地と呼んだ方が正確だろう。地面は凸凹で、水たまりがいくつもできている。
「ここを舗装する」
誠一は宣言した。
「まずはここを実験場にする。成功すれば、次の段階に進める」
「本当に——できるのですか?」
リーナの声には、不安と期待が入り混じっていた。
「ああ。材料は見つかった。魔石の残滓だ。加熱すると軟化し、冷えると固まる。アスファルトと同じ性質を持っている」
「魔石の残滓……あれは廃棄物ではありませんか」
「廃棄物だからこそ安く手に入る。大量に集めれば、この広場を舗装するには十分だ」
誠一は地面を踏みしめながら歩いた。土石鑑定が発動する。
【粘土質土壌 排水性:不良 支持力:低い 改良の必要性:高い】
路盤の整備が必要だ。このままでは、いくら表面を舗装しても沈下してしまう。
「土魔法使いは知らないか。地盤を固める魔法が使える者だ」
「土魔法使い……」
リーナは考え込んだ。
「一人、心当たりがあります。元城壁建設の技術者で、今は引退して——」
「紹介してくれ」
「分かりました。あと——」
リーナは少し躊躇った。
「あと?」
「ゴーレム職人のグラム殿のことですが……彼とはお会いになりましたか?」
「ああ。偏屈なドワーフだった。協力を断られた」
「そうですか……」
リーナはため息をついた。
「グラム殿は、優秀な職人です。しかし、人間に対して強い不信感を持っています」
「何かあったのか」
「……昔、人間の貴族に騙されたことがあるそうです。依頼を受けてゴーレムを作ったのですが、代金を踏み倒されて——」
「なるほど」
だから人間不信なのか。
「俺が信頼を勝ち取るしかないな」
「どうやって?」
「実績を見せる。言葉ではなく、結果で」
誠一は広場の中央に立った。
「まずは、この広場を舗装する。魔法なしで。人力だけで。それを見せれば——」
「見せれば?」
「あのドワーフも、少しは興味を持つだろう」
リーナは微笑んだ。
「あなたは——本気なのですね」
「ああ。本気だ」
誠一は空を見上げた。二つの月が昇り始めている。
「俺は二十五年間、道路を作ってきた。死んで異世界に来ても——やることは同じだ」
翌日から、誠一は動き始めた。
まずは材料の確保だ。魔石の残滓は、王都の各所で廃棄物として扱われている。魔法具店、錬金術師の工房、魔導士ギルド——それぞれの施設を回り、残滓を譲ってもらった。処分に困っていた者たちは、喜んで提供してくれた。
次に骨材だ。土石鑑定を使いながら、王都近郊の採石場を調査した。砕石として使える石を見つけ、交渉の末に格安で購入することができた。
「これだけあれば——」
宿屋の納屋を借りて、材料を保管する。魔石の残滓が黒い山になり、砕石が灰色の山になる。
「異様な光景ですね」
リーナが呆れた顔で言った。
「これが——道路になるのですか?」
「ああ。見ていろ」
リーナが紹介してくれた土魔法使いは、ベルンという名の老人だった。七十歳を超えているが、背筋はしゃんと伸びており、目には若々しい光が宿っている。
「お前さんが、道路を作るという若者か」
しわがれた声で言いながら、ベルンは誠一を値踏みするように見た。
「はい。舗装工事のプロです」
「舗装とは何だ」
「道路の表面を固めることです。雨が降っても泥にならない、轍ができない道路を作ります」
ベルンは鼻を鳴らした。
「そんなことができるわけがない。道路は泥になるものだ。それが自然だ」
「自然ではありません。技術です」
「技術だと?」
「はい。俺の世界では——」
誠一は言葉を選んだ。
「俺の故郷では、道路は石や特殊な材料で舗装されています。雨が降っても泥になりませんし、馬車——いや、車両は壊れません」
「信じられんな」
「見せます。だから——手伝ってください」
ベルンは長い間、誠一を見つめた。
「……何をすればいい」
「路盤の整備です。地面を固め、排水性を確保します。土魔法で——」
「待て」
ベルンが手を上げた。
「わしの魔法は、城壁を作るためのものだ。道路を固めるなど、やったことがない」
「原理は同じはずです。地盤を圧密し、支持力を高める。それだけです」
ベルンは考え込んだ。
「……面白い」
やがて、老人は笑った。
「いいだろう。やってみよう。どうせ暇なのだ」
作業は、リーナとベルン、そして誠一の三人で始まった。
まず、広場の地面を掘り返す。土石鑑定で確認しながら、軟弱な粘土層を取り除き、安定した地盤を露出させる。
「ここの粘土は、魔力を含んでいます」
土を手に取りながら、リーナが言った。
「雨を吸うと膨張し、乾くと収縮する。それが轍の原因です」
「日本の土とは違うな……」
誠一は考え込んだ。この世界の土壌は、魔力という未知の要素を含んでいる。日本の技術をそのまま適用することはできない。
「魔力を中和する方法はないか」
「中和……」
リーナは首を傾げた。
「聞いたことがありません。魔力は——あるものですから」
「ベルン殿はどう思う」
老人は腕を組んでいた。
「魔力を消すことはできん。しかし——封じ込めることはできるかもしれん」
「封じ込める?」
「わしの土魔法は、圧力をかけて土を固める。極限まで圧密すれば、土の粒子が密着し、水が入り込む隙間がなくなる。魔力を含んだ水が入らなければ——」
「膨張しない」
誠一の目が輝いた。
「やってみてくれ」
ベルンは頷き、両手を地面に向けた。低い詠唱が響き、魔法陣が浮かび上がる。
「土よ、汝の形を固め、汝の本質を封じよ——『大地の圧密』」
地面が振動した。
目に見えて、土の表面が硬くなっていく。ひび割れがなくなり、滑らかな面が現れる。
土石鑑定を発動する。
【圧密処理済み土壌 排水性:不良→良好 支持力:低い→高い 魔力封入率:98%】
「——成功だ」
誠一は膝をついて地面を触った。固い。しっかりとした手応えがある。
「信じられん……」
ベルンも驚いた顔をしていた。
「これほど効果があるとは。道路に使うなど、考えたこともなかった」
「土魔法の新しい応用だな。ベルン殿、あんたは天才だ」
「いや——お前さんの発想がなければ、思いつかなかった」
二人は顔を見合わせ、笑った。
路盤の基礎ができた。次は——表層だ。
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