第3話 教会の声は、祈りよりも静かだった
街に入った瞬間、ミレアは違和感を覚えた。
音が、整いすぎている。
人の往来は多い。荷車の軋む音、呼び込みの声、子どもの笑い声。
どれもありふれた街の音だが、不自然なほど一定の間隔で並んでいた。
「……ここ、変」
ミレアがそう呟くと、カインは足を止めた。
「何がだ」
「音が、祈ってるみたい」
街全体が、同じ拍子で呼吸している。
自由に鳴っているはずの生活音が、どこかで揃えられている感覚だった。
カインは周囲を見回す。
彼の目には、整った街並みと穏やかな人々しか映らない。
「教会の街だ」
短く、それだけ言った。
ミレアは無意識にリュートを抱き寄せる。
教会という言葉が、胸の奥で重く鳴った。
市場を抜け、石畳の道を進む。
そのとき、遠くで鐘の音が鳴った。
――ゴォン。
低く、深く、街の底まで染み込むような音。
その瞬間、ミレアの背筋を冷たいものが走った。
(……聞かれてる)
誰かが、彼女の“耳”の存在に触れた。
カインが、わずかに前に出る。
庇うような位置取りは、無意識の動きだった。
「失礼」
穏やかで、よく通る声がした。
怒気も威圧もないが、その声は澄みすぎている。
足音が、二人の前で止まる。
「旅の方ですね」
黒衣の男だった。
修道服に身を包み、年齢のわからない整った佇まいをしている。
「少し、お話を」
問いではない。
拒否を想定していない声だった。
カインが低く答える。
「急いでいる」
「承知しています」
男は即座に頷いた。
「ですが、“音”が気になりまして」
ミレアの指が、わずかに強張る。
「……聞こえる」
審問官は、確かにそう言った。
ミレアではない。
彼女の音でもない。
――彼は、“聖譜”を指していた。
「世界の裏側で鳴る歌です」
淡々とした声。
説明するようでいて、すでに理解している者の口調だった。
「あなたは、それを聴いている」
問いではなかった。
確認でもない。
断定だった。
カインの背筋に、冷たいものが走る。
剣を構えずとも、危険だとわかる音だった。
「安心してください」
審問官は、柔らかく微笑んだ。
「今すぐ拘束はしません」
その言葉が、かえって不気味だった。
「ですが、王都に入れば話は別です」
再び、鐘が鳴る。
――ゴォン。
「“歌を聴く者”は、例外なく裁かれる」
その瞬間、カインの胸の奥で過去が軋んだ。
血の匂い、祈りの言葉、助けを求める声。
――守れなかった、あの日。
審問官は踵を返す。
「次に会う時は」
一歩。
「あなたはもう、“楽師”ではいられない」
足音が、静かに遠ざかる。
その背中からは、一切の敵意が漏れていなかった。
それが、何より恐ろしかった。
沈黙。
街の音が、何事もなかったかのように流れ始める。
ミレアは、しばらく動けずにいた。
「……カイン」
「ここを出る」
即答だった。
「王都へ行く」
ミレアの胸が強く鳴る。
「逃げないの?」
「逃げ続ける音じゃない」
彼の声は、低く、硬い。
「次は、俺が選ぶ」
ミレアは小さく息を吸い、静かに頷いた。
リュートの弦が、わずかに震える。
世界の裏側で鳴る歌も、
それを聴く彼女も。
そして――
それを守ろうとする剣も。
まだ、消えてはいなかった。
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盲目の楽師は、片腕の傭兵に世界の歌を聴かせたい 春野 菜摘 @Varu
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