City of Cyberpunk

暗号云

第1話 雨に溶けるネオン

 雨は、この都市の記憶装置だと、イオリは思っている。

 酸性雨が降るたび、ネオンは滲み、ホログラム広告は輪郭を失い、人々は足早に地下へと潜る。だが、雨はただ流すだけではない。時々、忘れられたものを呼び戻す。

 都市・カスケードの下層区画。

 彼女は、路地裏の工房で、古い聴覚インプラントを分解していた。依頼主はもう帰った。支払いは、電子クレジットと、半分壊れた記憶ログ。

 イオリの耳には、違法改造されたインプラントが、埋め込まれている。仕様外。未登録。メーカー不明。そのせいで彼女には、が聞こえる。広告回線の残響。遮断された、通話の残り香。

 そして――、笑い声。

「……またか」

 イオリは工具を置き、天井を見上げた。今の笑い声は、外からではない。インプラントの内側、もっと言えば、都市そのものから、響いてきた気がした。

 ログを確認する。ノイズレベル正常。異常なし。だが、確かに聞こえた。

 ――キミはもう、選ばれている。

 声は、ひどく楽しそうだった。

 外では、雨が強くなっている。ネオン看板が一つ、火花を散らして消えた。その瞬間、イオリの耳に、高周波の悲鳴が走り、彼女は歯を食いしばる。

「……くそ」

 この都市は、壊れかけている。あるいは、最初から狂っていたのかもしれない。

 工房のシャッターを閉める直前、路地の奥に、一瞬だけ人影が見えた。いや、人ではない。都市の監視ドローンでも、広告ホログラムでもない。

 ――ノイズの塊。

 それは、確かに、こちらを見て笑った。

 イオリは、シャッターを閉めた。胸の奥に、説明できない予感が、沈殿していく。

 この雨は、ただの始まりだ。

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