第11話 夢の終わりと、凡人の決意

夜、実家の二階にある自室。  

階下からは、両親が見ているテレビの音と、時折響く笑い声が微かに聞こえてくる。  


俺はデスクの前に座り、PCのモニタを見つめていた。  

シャワーを浴びても、昼間の食堂での会話が頭から離れない。  

友人たちの、未来を見据えた輝いた目。  

それに比べて、妥協で進路を決めた自分の、なんと空虚なことか。


「……はは、何やってんだろ、俺」


乾いた笑いを漏らし、俺はいつもの黒いアイコンをクリックした。  

誰かに聞いてほしいわけじゃない。  

ただ、このモヤモヤした感情を、言葉にして空中に放り投げたかっただけだ。  

墓標を立てるように、区切りをつけるために。


――ON AIR。


インジケーターが緑に変わる。


「こんばんは、No.aです」


マイクを通した自分の声は、思っていたよりも掠れていた。  

俺は咳払いを一つして、努めて普段通りのトーンを装う。


「今日は……ちょっと、個人的な話をさせてください。いや、いつも個人的な話しかしてないか」


自嘲気味に笑い、俺はぽつりぽつりと話し始めた。


「今日、大学で友達と進路の話をしてたんです。周りの連中はみんな、就活とか、公務員試験とか、ちゃんと未来を見て動いてて。……凄かったな、あいつら」


画面には、デフォルトの設定に戻した黒い背景と、俺の声に合わせて揺れる波形だけが映っている。


「俺だけが、いつまでも夢を見ていました。自分で何かを成し遂げたいとか、誰かに認められたいとか……そんな、ガキみたいな夢を」


喉の奥が、熱くなるのを感じた。  

昼間、友人たちの前では平気な顔をして言えたはずなのに。  

一人きりの部屋で、マイクに向かって独白すると、急にブレーキが利かなくなる。


「だから、決めました」

俺は息を吸い込み、言葉を紡ぐ。


「俺、夢を追うのはもう辞めます」


言葉にした瞬間、視界が歪んだ。  

鼻の奥がツンと痛み、堪えようとしても、生理的な反応が追いつかない。


「大学を出たら……実家の、この雑貨屋を継いで……ただの店番として、生きていくことに決めました」


声が震えた。  

マイクが、俺の情けない嗚咽を拾ってしまう。


「っ……ごめん。なんか、変だな」


俺は慌てて手で目元を拭った。  

でも、拭っても拭っても、後から後から水分が溢れてくる。  

悔しいのか、悲しいのか、それとも安堵したのか、自分でも分からない。  

ただ、「ああ、終わったんだな」という喪失感だけが胸を埋め尽くしていた。


「才能なんて、なかった。……それが分かっただけでも、収穫です」


ズビッ、と鼻をすする音が響く。  

格好悪い。最悪だ。  

でも、もう取り繕う気力もなかった。


「これからは、普通に働いて、普通に生きていきます。……まあ、この配信は趣味として、細々と続けますけど。店番の暇つぶしに」


俺は震える指でマウスを操作し、プレイリストを開いた。  

今日のために選んだ曲じゃない。  

でも、今の気分には、これしかあり得なかった。


「今日は、そんな俺の……『新しい日常』への門出の曲です」


再生ボタンをクリックする。


アコースティックギターの、優しくも寂しげなイントロが流れ出した。  

夢破れ、都会から故郷へ帰る若者の心情を歌った、古いフォークソングだ。  

『何も掴めなかった手で、帰りの切符を握りしめた』  

『ただいまと言えば、変わらない夕飯の匂いがした』


俺はマイクをミュートにし、椅子に深く沈み込んだ。  

天井を見上げる。  

蛍光灯の明かりが、涙で滲んで星のように見えた。


歌詞の一言一句が、今の俺の心境と重なりすぎて、痛い。  

でも、その痛みが心地よかった。  

こうして音楽に浸っている間だけは、自分を肯定できる気がした。


曲が進み、アウトロのギター音が静かにフェードアウトしていく。  

俺は大きく深呼吸をし、赤くなった目をこすってから、ミュートを解除した。


「……お届けしたのは、俺の再出発の曲でした」


まだ少し鼻声だが、胸のつかえは取れていた。  

全部吐き出して、スッキリした気分だ。


「聞いてくれてありがとう。愚痴っぽくなってごめん。……それじゃ、また」


配信終了。  

『DISCONNECTED』の文字。  


部屋に、元の静寂が戻ってくる。  


「……言っちゃったな」


俺はPCを閉じた。  

もう後戻りはできない。宣言してしまったのだから。  

不思議と、今の俺に後悔はなかった。  

あるのは、明日から始まる「人生」への、静かな覚悟だけだった。


「寝よ」


俺は電気を消し、布団に潜り込んだ。  

 

俺は知らない。  

俺が流した涙が、画面の向こう側でどれほどの衝撃を与えたかを。  


『才能ある彼が、経済的困窮によって夢を摘み取られようとしている』

『涙ながらのSOS』  

そんな巨大な誤解が、異世界のリスナーの心を、悲しみから「義憤」へと変えさせていたことなど、知る由もなかった。

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