第4話 その声は、電子の海から突然に(主人公外視点)
午前二時。
都市の喧騒が眠りにつき、静寂が支配する時間帯。
アパートの一室で、私――セラは、パソコンのブルーライトに顔を照らされながら、大きな欠伸を噛み殺した。
「……やっと課題終わったぁ」
社会学のレポートを提出用フォルダに放り込み、伸びをする。
背骨がパキパキと鳴った。
脳が糖分と娯楽を欲している。
私は半分無意識のまま、手元のスマートフォンを手に取り、いつもの動画共有アプリを立ち上げた。
タイムラインには、流行りの動画が並んでいる。
人気女性バンドの新曲MV、女性お笑い芸人のコント、女性政治家の討論番組。
それが当たり前で、何の疑問も抱かない日常の光景だ。
この世界――男性が人口の1%しか存在しない社会において、メディアに出るのは99%が女性である。
男性は「守られるべき希少な花」であり、表舞台に出てくることなんてまずない。
彼らは厳重な警護の中で暮らしているか、あるいはフィクションの中の存在だ。
「なんか面白いものないかなー」
私は親指で画面を弾く。
新着動画の欄を適当にスクロールしていく。
深夜帯特有の、有象無象の配信が並ぶ中、指がピタリと止まった。
一番下に、奇妙なサムネイルがあったのだ。
画像は真っ黒。タイトルもなし。
タグ付けもされていない、完全な初期設定のままの配信枠。
視聴者数は『13人』。
「うわ、過疎ってるなぁ」
普段なら絶対に見ないような怪しい枠だ。
スルーしようとして、指を滑らせた瞬間――タッチパネルの感度が良すぎたのか、その黒い四角形をタップしてしまった。
『あー、テステス。……マイク、入ってますか?』
――心臓が、跳ねた。
聞こえてきたのは、低く、少しハスキーで、けれど芯のある声。
女性の低い声とは明らかに違う。
喉仏の振動を感じさせるような、鼓膜を直接撫でられるような周波数。
「え……?」
私は反射的に起き上がった。
スマホを握る手に力が入る。
男の人?
いや、まさか。
AIの最新モデル?
それともボイスチェンジャー?
最近の合成音声はリアルだけど、こんなに……生々しいものなの?
『……ま、聞こえてるってことで進めますね』
息継ぎの音。服が擦れる微かな衣擦れの音。
マイクとの距離感が変わる空気の揺らぎ。
あまりにも、人間くさい。
「嘘……生放送……?」
心拍数が急上昇する。
画面には何も映っていない。黒一色だ。
コメント欄もロックされている。
まるで、暗闇の中で二人きりで電話をしているような錯覚に陥る。
配信者は『No.a(ノア)』と名乗った。
普通の大学生だと言った。
「普通の……大学生?」
ありえない。
男性が大学に通うときは、SPが十人はつく。
こんな風に一人で、夜中に、無防備に声を晒すなんてありえない。
誰? どこかの国から亡命してきたの? それとも、私の知らない地下アイドル?
混乱する私を置き去りにして、彼は淡々と語り続ける。
『今日は初回なんで、俺の好きな曲を一曲だけ紹介して終わろうと思います』
曲? 身構える私に、彼は信じられない言葉を投げかけた。
『この曲は……そうだな。男目線のラブソングなんですけど』
男目線……!
ごくり、と喉が鳴る。
『好きな人のことを、一生かけて守り抜くっていうか』
「は……?」
思考が停止した。
今、なんて言った? 守り抜く? 男の人が、女の人を?
冗談でしょう?
だって、男性は守られるものだ。
か弱くて、繊細で、すぐに傷ついてしまう宝石のような存在。
私たちが体を張って、命を懸けて守らなきゃいけない対象。
それが世界の常識だ。それなのに、彼は。
『不器用な男が、精一杯の言葉で愛を誓う……みたいな』
『男って、やっぱりどこかで『守りたい』って思ってる生き物なんですよね、多分』
「っ……!!」
顔が一気に沸騰した。
恥ずかしいような、くすぐったいような、それでいて下腹の奥がキュンと締め付けられるような感覚。
守りたい、だって。
そんなこと、生まれて初めて言われた。
「男の子を守れる立派な女性になりなさい」とは言われてきたけれど、「君を守るよ」なんて、漫画の中でさえ見たことがない。
『それじゃあ、聴いてください』
イントロが流れる。
知らない曲だ。聞いたことのない音色。
そして、歌声。
――甘い。
砂糖を煮詰めて、さらに蜂蜜をかけたような、暴力的なまでの甘さ。
『愛してる』
『君を守る盾になる』
『悲しみから救い出す』
「う、うぐ……っ」
気がつけば、私は泣いていた。
ボロボロと大粒の涙が溢れて、シーツを濡らしていく。
悲しいわけじゃない。
ただ、満たされたのだ。
強がって生きてきた心の隙間に、熱いものが注ぎ込まれていく。
こんなの、知らない。
男性がこんなに力強くて、こんなに優しくて、こんなに包容力があるなんて。
「だめ、これ……消えちゃう……!」
ハッと我に返る。
これは生配信だ。アーカイブがないかもしれない。
この奇跡のような声は、終われば消えてしまう。
それは嫌だ。絶対に嫌だ。
明日も明後日も、この声を聞いていたい。
私は震える指で、スマホのコントロールセンターを開いた。
『画面収録』のボタンをタップする。
赤い録画マークが点灯する。
間に合ってくれ。この「愛してる」を、この「守りたい」を、一秒でも多く残さなきゃ。
曲が終わる。
彼の声が戻ってくる。
『また来週、気が向いたら……というか、神様の回線が繋がってたら、やろうと思います』
「来週……!?」
来週もあるの?
また、この声が聞けるの?
絶望から一転、私は救済された信者のようにスマホを握りしめた。
『それじゃあ、おやすみなさい。No.aでした』
ブツン。
唐突に、配信が切れた。
画面には『配信は終了しました』という無機質な文字だけが残る。
部屋に静寂が戻る。
でも、私の心臓は早鐘を打ったままだ。
録画停止ボタンを押す。
保存された動画ファイル。時間はわずか数分。
でも、ここには確かに「奇跡」が記録されている。
「……はぁ、はぁ……」
息が荒い。
まるで、全力疾走した後のような疲労感と、とてつもない高揚感。
これを、自分だけの秘密にする?
一瞬、独占欲が頭をもたげた。
でも、無理だ。
この衝撃は、一人で抱えきれるものじゃない。
誰かに聞いてほしい。
「ねえ、これ本物だよね?」「私がおかしくなったんじゃないよね?」と確認したい。
それに、もし誰も聞かなくなって、彼が配信をやめてしまったら?
それは人類の損失だ。世界の終わりだ。
「共有……しなきゃ……」
私は震える指で、SNSのアプリを開いた。
大学の友達も、サークルの先輩も、バイト先の人もフォローしている、アカウントだ。
普段は「ス〇バなう」とかしか呟かないアカウント。
でも、今はそんなことどうでもいい。
動画ファイルを添付する。
文章はどうしよう。手が震えてフリック入力がうまくいかない。
『【緊急】お願い、これ聞いて。嘘だと思うかもしれないけど、本物の男の人。しかも歌ってる。愛してるって言ってる。私、もう無理。しぬ。尊すぎてしぬ』
送信。
ついでに、大学の友人グループチャットにも投げた。
『起きてる人いる? これやばい。マジでやばいから聞いて』
送信完了の表示が出た瞬間、私はベッドに崩れ落ちた。
スマホを胸に抱きしめる。
耳の奥に、まだあの声が残っている。
『君を守る』という言葉が、リフレインしている。
No.a様。
あなたは一体、何者なんですか。
――数分後。
私のスマホが、通知音で狂ったように震え出したのは、言うまでもないことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます