スレカミア王立学園講義録
高野充希
第1章
もう夜だ、とエティエラは思った。
窓の外には深い群青色の空と、それを下から突き刺すような針葉樹林が見える。
部屋の中は静かだ。ペンを動かす音だけが響き、部屋の一番奥の暖炉の、あたたかな火がちらちらと揺れている。
後ろに控えた衛兵が見守っているのは、十五人の学生たちだ。
少し前までは、授業にまで衛兵は立ち入らなかった。学生にまぎれて部屋の中央に座る王子もそれを望んでいなかったが、戦火が徐々に近づきつつある今、そうも言っていられなくなったのだ。
カラン、カランと乾いた鐘の音が建物の外から聞こえてきた。授業終了の合図だ。エティエラは学生たちに呼びかけた。
「では続きは次回にしましょう。今日はこれで終わります」
その呼びかけに答えて、学生たちが口々に「ありがとうございました」とつぶやく。 学生たちの間の緊張がふっとほぐれた。彼らはテキストを閉じ、談笑しながら片づけを始めた。エティエラも荷物をまとめていると、前に進み出て話しかけてくる学生がいた。
「エティエラ先生」
彼はエティエラの授業を受講しているなかでも、優秀な学生だ。
「あぁ、アイデン。どうかしたの?」
エティエラは手を止めて、アイデンに向き直る。アイデンは穏やかな笑顔をたたえたまま話した。
「先生。今度遠征に参加することになったんです。授業に来れるのは、今日が最後です」
エティエラは思わず目を見張ったが、一瞬の絶句ののち、何とか声をひねり出した。
「それは大変名誉なことね」
想いとは裏腹だった。学生さえ戦争に行くなんて。彼の父は騎士で、それもあって戦場に赴くのが早いのかもしれないけれど…
「ありがとうございます。それで、一つお願いがあって」
アイデンは目元を緩め、いつものように人懐っこい口調で言った。
「ハルモネアの本を貸していただけませんか。この前2巻まで読み終えたので、時間があるときに続きを進めたいんです。必ず帰るので、必ずお返しします」
最後の一言に力がこもったのに、エティエラは気付いた。
「えぇ喜んで。ちょっと待ってね」
手元の引き出しを開けて、アイデンが言った本を取り出した。それは買うと高価で、図書館ではいつも誰かが借りているせいで、学生にとってはなかなか手に入りづらい理論書だ。
「おぉ、見事ですね」
アイデンは満足そうだ。黒地に金の装丁で、大きくはないが厚みがある本だ。
普段ならこんな本を直接学生に貸したりはしない。
クラスの中で、アイデンの学習が一番進んでいるのだ。二か月後には、クラス全員の習熟度がこの本に到達したいところだ。
「少ししたらこの本使うから、売らずに返してね」
戦場に行くなとは言えないが、必ず帰れという意味を込めた。アイデンの目が一瞬真剣に引き締まる。
「はい、必ず。先生、ありがとうございます」
本を持って立ち去る彼の背中を目で追うと、学生たちが心配そうに彼を待っていた。
不安。彼らの表情は硬い。すぐ近くに佇む王子の表情もこわばっている。エティエラには得られないような情報も、彼らなら要職に就く家族から聞き知っているのかもしれない。アイデンは笑顔で学友に囲まれながら部屋を後にしていった。エティエラはなんとなく手が進まず、恐ろしささえ感じながらその背を見送った。
スレカミア王国の北端のある地域が独立戦争を起こしたのは、一年ほど前のことだ。最初は1か月で終わるといわれていた戦闘が、一年もつづき、終わる気配がいまだ見えない状況など、当初は誰も想定していなかった。
その地域は隣国との境目に位置し、他国の文化の流入もあり、ゾニマとよばれる一神教を信仰している民が多い。スレカミア王国の国教とは異なるため、宗教的な対立もあって和平協定が難航しているのだ。なんでも教祖がいて、その人物が指導者として戦闘がおこったため、スレカミア王国ではゾニマ教自体を危険視する国民が多い。
幸い、首都から戦場まではまだ距離がある。首都に住む人たちは、報道で戦況を見聞きするものの、大体はそれまでと変わらない生活を送っている。
「大丈夫よ、エティエラ。アイデンは学生なんだからそんなに危ないところに出されないでしょうし。われらが騎士団長の息子さんなんだから、二泊野営したら帰ってきてパレードでしょう」
そうエティエラを励ますのは、エティエラの同僚のサーシャだ。サーシャも同じ王立大学で音楽理論の講師として働いている。
本を貸した学生アイデンの父は、騎士団長なのだ。過酷な訓練を耐え抜いた精鋭の集まりである騎士団は、高く評価され、国民からも信頼が厚い。今回の遠征も、実際に戦場に行くというより、国民に対して息子をお披露目するような意味合いがあるのではと話す同僚もいた。
「うん。本当にそうだといいのだけど」
スレカミア王立学園講義録 高野充希 @t_aka
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