不完全な怪物派遣所、裏帳簿

ソコニ

第1話 不完全な怪物派遣所、裏帳簿

 完璧であることは、美しい地獄だ。

 深夜二時。公園のベンチで、私はそれを見つけた。

 パッチワークの布で作られた、人間の指のような形をした人形の破片。くすんだ水色と黄色の布が雑に縫い合わされ、爪の部分には錆びたボタンが縫い付けられている。指の腹には、小さな紙のタグがピンで留められていた。

『不完全な怪物派遣所 深夜専用ダイヤル:03-XXXX-XXXX ※午前2時〜4時のみ受付』

 私は保育士だ。28歳。SNSには一切アカウントを持たない。

 誰もが私を「子供に優しい先生」だと思っている。でも本当は違う。子供の泣き声が、心の底から嫌いだ。無邪気な笑顔が、時々吐き気を催すほど醜く見える。それでも毎日、完璧な「優しい先生」を演じ続けている。

 いつか、化けの皮が剥がれる。その日が来るのが怖くて、眠れない。

 私は、その指先を握りしめた。布地の奥から、微かに誰かの体臭のような匂いが漂ってくる。

 スマホを取り出す。午前2時12分。

 震える指で、その番号にコールした。


 三日後の深夜。インターホンが鳴った。

 ドアを開けると、そこには「それ」がいた。

 身長150cmほど。全身が無数のパッチワークで覆われている。右目は真っ赤なボタン、左目は今にも取れそうな黄色いボタン。左足が右足より5cmほど短く、立っているだけでガタガタと震えている。

 それは、工場の不良品置き場から這い出してきたような、失敗作だった。

 胸元の名札には、こう書かれていた。

『パッチ:あなたの無様な残骸を預かりに来ました』

「……入って」


 パッチは喋らなかった。筆談のノートを取り出し、ただそこに文字を書くだけ。

 私は、最初の夜、パッチに向かって吐き出した。

「子供が嫌いなの。でも保育士なの。毎日、吐きそうになりながら笑顔を作ってる。これ、預かってくれる?」

 パッチは首を傾げ、ノートに書いた。

『ボクは、あなたの汚れを吸い取ります』

 私は笑った。久しぶりに、心から。

「じゃあ、これも」

 私は、園児の親に送ろうとして削除したメールの文面を印刷し、パッチに押し付けた。そこには「お子さんの躾がなっていない」という罵詈雑言が並んでいた。

 パッチはそれを受け取り、自分の胸元の継ぎ接ぎの隙間に、ゆっくりと押し込んだ。

 紙が、パッチの体の中に吸い込まれていく。

「あなた……中身、何が入ってるの?」

 パッチは答えず、私の肩に頭を預けてきた。継ぎ接ぎの布地が、私の頬に触れる。少しだけ湿っていて、生温かい。


 毎週、私はパッチに汚れを預けた。

 園児への暴言を書いたメモ。同僚への嫉妬。親への憎悪。全てをパッチの体に押し込んだ。

 パッチは何も拒まず、全てを飲み込んだ。私が汚れを捨てるたび、パッチの体は少しずつ膨らんでいった。

 そして不思議なことに、私の笑顔は、ますます「完璧」になっていった。

 園長から「最近、表情が明るくなったね」と褒められた。親からの評価も上がった。

 でも私自身は、何も感じなくなっていた。


 崩壊は、六週目にやってきた。

 ある園児が、私の前で泣き続けた。何をしても泣き止まない。私の笑顔が、初めて、機能しなかった。

 その時、私は気づいた。

 自分の顔が、動かない。笑顔のまま、固まっている。


 その夜、私は狂ったようにパッチを呼んだ。

 パッチがやってくると、私は叫んだ。

「返してよ! 私の感情を!」

 パッチは何も答えない。ただ、いつものように首を傾げるだけ。

「中身を見せて!」

 私は、パッチに飛びかかった。胸元の継ぎ接ぎを掴み、力任せに引き裂いた。

 ブチッ。

 糸が切れる音。

 そして、パッチの中から、溢れ出した。


 それは、ハギレなどではなかった。

 血の滲んだカッターの刃。

 「死ね」と一万回書き殴られたノートの断片。

 ドロドロに溶けた、誰かの恋人の写真。

 私が預けたメモは、既に他人の涙と汗で染まり、原型を留めていなかった。

 そして、その残骸の山の中心には、何もなかった。

 パッチの中身は、虚無だった。ただ、人々が捨てた汚れを詰め込むことで、形を保っているだけの、空っぽの器。

 私がその中身に手を突っ込んだ瞬間、全身が熱に包まれた。

 これは体温ではない。人間の悪意が発酵し、腐敗した時に生まれる、生々しい熱だ。

 パッチは、震える手でノートに書いた。

『あなたもこちら側です』

 私の目から、涙が溢れた。でもそれは悲しみではなく、奇妙な安堵だった。

「……そうか」

 パッチは頷いた。


 翌朝。パッチは去っていた。

 私のデスクには、パッチが自分の体から引き抜いて縫い合わせた、不恰好なペン立てが置いてあった。それは、歴代の依頼人たちの汚れで作られた、世界で一番醜い工芸品だった。

 私は、それを眺めながら、笑った。

 笑顔が、止まらなかった。


 二週間後。

 私は、保育園を辞めた。

 そして今、私は深夜の公園にいる。

 カバンの中には、パッチワークで作られた左足が入っている。誰かが忘れていったように、ベンチに置いた。足の裏には、小さなタグがピンで留められている。

『不完全な怪物派遣所 深夜専用ダイヤル:03-XXXX-XXXX ※午前2時〜4時のみ受付』

 そして私は、誰かからかかってくる電話を待っている。

 スマホが震える。着信。

「……はい、不完全な怪物派遣所です」

 私の声は、もう私のものではなかった。


 それから一ヶ月後。

 渋谷のスクランブル交差点。疲れ切った顔をした若い男性が、カバンから「パッチワークの耳」を取り出している。

 そして、その隣。

 小さくて不恰好な、左右非対称の何かが、ガタガタと震えながら立っていた。

 その着ぐるみの中には、誰がいるのか。

 それは、誰にも分からない。

 ただ一つ確かなのは、その中身が、かつては誰かの完璧な嘘を捨てに来た人間だったということ。

 そして今は、次の誰かの残骸を預かるために、そこにいるということ。


 不完全な怪物派遣所。

 そこは、完璧であることに疲れた人々のゴミ捨て場であり、同時に墓場でもあった。

 一度その場所を知ってしまった者は、もう戻れない。

 汚れを捨て続けるか、汚れを預かる側になるか。

 どちらを選んでも、救いはない。

 ただ、歪んだ笑顔で、そこに立ち続けるだけだ。


(終わり)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不完全な怪物派遣所、裏帳簿 ソコニ @mi33x

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画