消化界ガストロノミア 〜俺のビックベインが世界を解放するまで〜

編纂ミネストローネ

第1部第1章:知覚の目覚め

第1話:覚醒の産声(前編)〜便秘という名の絶望〜

 大陸歴1024年。

 この世界、消化界ガストロノミア(Das Magenwelt)において、「排泄」とは単なる生理現象ではない。それは生命の輝きであり、文明を支えるエネルギー源であり、そして何よりも、個人の魂の在り方を問う神聖な儀式である。

 人々は体内で魔素マナを含んだ食物を消化・精製し、高密度の魔力結晶「ベイン(Vain)」として排出する。このベインこそが、都市の灯りをともし、列車を走らせ、外敵である魔王軍と戦うための弾薬となるのだ。

 故に、優れた排泄能力を持つ者「腸能力者ジェネレーター」は英雄として称えられ、便秘に苦しむ者は「停滞者スタグネイター」として憐れみを受ける。


 大陸の辺境、コロン村。

 豊かな自然に囲まれたこの平和な村に、今、歴史を揺るがす激震が走ろうとしていた。


 その日の朝、デル・ダスン(15歳)は、村外れの畑で鍬を振るっていた。

 土の匂いと、朝露に濡れた草の香りが鼻をくすぐる。

「ふぅ……」

 額の汗を拭いながら、彼は空を見上げた。

 雲ひとつない快晴。絶好の農作業日和だが、デルの表情は晴れなかった。

 腹が、重い。

 まるで鉛の塊を飲み込んだかのような不快感が、下腹部に居座っている。


「どうしたの、デル? 顔色が悪いわよ」

 隣のうねで作業をしていた少女、リナが心配そうに声をかけてきた。

 リナはデルの幼馴染だ。栗色の髪を二つに結び、そばかすの散った健康的な笑顔が特徴的な少女である。彼女は村一番の「快便娘」としても知られており、毎朝決まった時間に、それは見事なベインを生み出すことで有名だった。


「ああ、リナか……。いや、なんでもないんだ」

 デルは苦笑いで誤魔化そうとしたが、リナの目は誤魔化せなかった。

「嘘おっしゃい。また『詰まって』るんでしょ?」

「うっ……」

 図星を突かれ、デルは言葉に詰まる。

「もう、デルったら。昨日もトイレに一時間もこもってたじゃない。村長さんが『デルのやつ、また聖域を占拠しとるぞ』って怒ってたわよ」

「わ、悪かったよ。でも、出ないんだから仕方ないだろ」


 デルは鍬を地面に突き刺し、ため息をついた。

 この世界において、便秘は恥ずべきことだ。特に、成人(15歳)を迎えた男が便秘など、男の沽券に関わる。

 村の男たちは、朝一番に共同聖域公衆トイレに集まり、豪快な音と共にベインを排出し、その日の活力を競い合うのが日課だ。

 しかし、デルはその輪に入れない。

 彼の腸は、常に沈黙を守っている。


「ねえ、デル。おばさんに相談した?」

 リナが作業の手を止めて近づいてきた。

「母さんには心配かけたくないんだ。親父が死んでから、母さんは俺を育てるために必死で働いてくれた。俺が立派なジェネレーターになれば、母さんも楽になるはずなのに……」

 デルの父、ゲイルは村の英雄だった。

 かつて魔王軍が村を襲った際、彼は自らの命を燃やして超高密度のベインを生成し、それを爆発させて敵を撃退したという。

 その代償として彼は命を落としたが、その勇姿は今も語り草となっている。


「デルは優しいのね」

 リナは少し顔を赤らめて、デルの手を握った。

「でも、無理しちゃダメ。溜め込むのは良くないわ。心も、体も」

「リナ……」

 彼女の手の温もりが、冷え切ったデルの心に染み渡る。

 リナはいつもそうだ。デルが落ち込んでいると、こうして励ましてくれる。

 彼女の家は村のパン屋で、毎朝焼きたての「ふすまパン(食物繊維たっぷり)」をデルに差し入れてくれるのも彼女だった。


「ありがとう。……でも、今はちょっと一人になりたいんだ」

 デルはそっと手を離した。

 腹痛の波が、また押し寄せてきたのだ。

 キリキリと締め付けられるような痛み。そして、内側から何かが膨張していく感覚。

「うっ……!」

「デル!?」

「ごめん、リナ! 先に行く!」


 デルは鍬を放り出し、村の中心部へと走り出した。

 目指すは共同聖域。

 村人たちの憩いの場であり、戦場でもある場所。


 聖域の前には、すでに行列ができていた。

「お、デルじゃねぇか。また来たのか?」

「昨日は不発だったらしいな。今日は出るのか?」

 村のおじさんたちが、ニヤニヤしながら声をかけてくる。

 彼らは悪気があるわけではない。便通の話は、この世界では天気の話と同じくらい一般的な挨拶なのだ。

「うっせぇ! 今日こそ出してやるよ!」

 デルは顔を真っ赤にして、一番奥の個室に飛び込んだ。


 個室の中は、独特の静寂に包まれていた。

 木の壁には、歴代の村人たちが刻んだ格言や、苦悶の爪痕が残されている。

『出すは一時の恥、出さぬは一生の便秘』

『括約筋を信じろ』

 そんな言葉たちが、今のデルには皮肉にしか見えない。


「くっ……! ぐぅぅぅ……! 出ない……! なぜだ……!」


 デルの両手は、個室の木の壁を強く握りしめていた。爪が食い込み、木目がミシミシと悲鳴を上げる。

 彼の額からは、滝のような脂汗が滴り落ち、床板に黒い染みを作っていた。

 呼吸は荒く、視界は明滅している。

 昨日の夕食は、母マリアが腕によりをかけて作った「特製ゴボウサラダ山盛り」だった。食物繊維の王様と呼ばれるゴボウを、これでもかと摂取したはずなのだ。

 それなのに、括約筋という名の鉄壁の門アイアン・ゲートは、頑として開かない。


 これは単なる便秘ではない。「魔力停滞スタグネーション」だ。

 体内で生成された魔力が、何らかの原因で結晶化せず、不安定なガスの状態で膨張し続ける現象。村の医師なら、顔面蒼白でさじを投げるレベルの重症である。


「はぁ、はぁ……熱い……腹が、焼けるようだ……」


 デルの腹部で渦巻くエネルギーは、病的な沈黙ではなく、爆発寸前の恒星のような輝きを放っていた。

 丹田のあたりに、超高密度の魔力が凝縮されていくのを感じる。それは彼の意思を無視して回転し、膨張し、出口を求めて暴れまわっていた。

 腸壁が悲鳴を上げている。内側から食い破られそうな恐怖。

 意識が遠のく。


 走馬灯が見えた。

 幼い頃、母に手を引かれて初めてトイレトレーニングをしたあの日。

『いい? デル。出すことは恥ずかしいことじゃないの。それは命の輝きなのよ』

 母の優しい笑顔。

 そして、先ほどのリナの言葉。

『溜め込むのは良くないわ。心も、体も』

 そうだ。俺はずっと溜め込んでいた。

 父さんのような英雄にならなきゃいけないというプレッシャー。

 母さんを楽にさせたいという焦り。

 便秘の自分への劣等感。

 それら全てが、腹の中で黒い塊となって渦巻いている。


「嫌だ……! 死にたくない……! 俺はまだ、何も成し遂げてないんだ!」


 デルは歯を食いしばった。

 その時、彼の内側で何かが弾けた。

 限界を超えた腸内圧力が、眠っていた魔力回路を無理やりこじ開けたのだ。


『――警告。生体魔力濃度、危険域に突入』


 脳内に、無機質だが神々しい謎の声が響いた。

 デルは驚愕に目を見開いた。幻聴か? いや、はっきりと聞こえる。


「だ、誰だ!?」


『個体名デル・ダスン。適合率120%。腸内魔力、臨界点クリティカルを突破。既存の排泄プロセスでは処理不能です』


「処理不能って……じゃあ俺はどうなるんだよ!?」


『緊急措置。覚醒シークエンスへ移行します。腸魔法【星の崩落メテオリート・フォン・ヴェイン】の発動準備を開始』


「覚醒!? 腸魔法!? 何言ってるんだ、俺はただウンコがしたいだけなんだよ!」


『否定します。貴方の体内にあるのは排泄物ではありません。高純度魔力塊です。排出されなければ、貴方の肉体は崩壊し、半径5キロメートルが消滅します』


「半径5キロ!? 村が消し飛ぶじゃないか! リナも、母さんも……!」


 デルの顔色が絶望に染まる。

 漏らすか、死ぬか。いや、漏らしても死ぬし、我慢しても死ぬ。

 究極の二択どころか、破滅の一択しかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る