須藤律花の帰宅リアルタイムアタック
湖上朔
part1
〇16:20
さあ、戦いが始まる。
四限の講義が終わり、多くの学生が帰路につく時間。停留所にはすでに長い列ができており、さながら開園前のテーマパークのようだ。
一台のバスが停留所に走り込んできた。数十メートルに伸びた待機列の真ん中くらいの位置にいた律花は、すかさず行先表示を確認する。快速305系統、K駅行き。これから乗ろうとするバスに間違いなかった。途端に気持ちが
時は来た。 ミッション、スタートだ。
*
入学当初からエンジン全開だった。
教職科目の履修に、演劇サークルの活動。そして週末を中心に飲食店でのアルバイト。勉強漬けの高校生活から解放された律花は、大学生となった瞬間やりたいと思っていたことすべてに挑戦した。結果、スケジュールは常にいっぱい。一週間フル稼働で、終日オフは一切なしという社会人もびっくりの状態が出来上がった。
「そんなに詰め込んで大丈夫?」
あるとき、同じ学科の友人が心配して
「
もっともな指摘だった。律花自身、この生活は充実しているものの、体力的には少々きついと感じていた。もともとフィジカル面は人並み程度。いくらモチベーションが高いからといって体が勝手についてくるわけではない。
「そりゃまあ、大変といえば大変だけど。やりたくてやってることだし、どれも大事だから」
「大丈夫だって」
大丈夫ではなかった。
前期(春学期)も佳境に入った七月初め、講義を受けていた律花は突然意識が
こうなると、さすがに対策を考えざるをえなかった。
友人の言う通り、無理をすれば今回のようなことになる。でも、勉強もサークル活動もバイトもすべて楽しいのも事実。そのどれかを
ならば、と迎えた後期。律花は履修登録の際、休めるポイントを作った。必修科目が各曜日に等しく散らばっているので終日オフは難しいが、なんとか授業のコマ配置を整えた結果、水曜日に余裕が生まれた。この日はサークル活動がなく、授業も二限から四限の三つを受けて終わり。他に予定は入っておらず、以降は完全にフリー。週の真ん中であるというのも良い。
律花は決意した。
――この日だけは、一分一秒でも早く帰り、自身の回復に務めるべし。
これまで空いている時間があれば何かしらの予定で埋めていた律花にとって、あえて何もない状態を作るのは変な感じがした。が、発想を転換して「休むことを頑張る日」と考えれば、その微妙な気持ちにも折り合いがつけられた。
水曜日の即帰宅、それは己に与える権利。そして、己に課す義務。
決意新たに、律花は一年生後半のスタートを切った。
*
〇16:22
停留所に停まったバスの扉が開いた。大きな車体の中に、さっきまでできていた長い列がどんどん吸い込まれていく。さあ、どこまでいけるか。ほかの学生らに合わせてぞろぞろと前進しながら、律花は車内を注視する。座席は瞬く間に埋まり、次いで立ち乗りの人たちが前の方へ詰め、まだまだ乗車が続く。これ以上はいよいよ、というところで律花に順番が巡ってきた。乗るのを諦めてもいいくらいの混み具合だったが、律花は迷いなくステップの部分に飛び移り、手すりにしがみつくような態勢を取った。直後、運転手の声が響く。
「K駅行き、発車します」
ブザーとともにドアが閉まり、305系統がゆっくりと発進する。扉に思いきり押し付けられつつも、律花はほうっと一息ついた。
第一関門クリアだ。
*
先に述べた、水曜日の即帰宅について。単純に、授業後すぐに帰路につくだけでほかの日より数時間も早く家に着くことができるので、それで目的は充分果たしているといっていい。が、物事をとことん極めたがる性格ゆえか、律花はそこに更なる改良の余地がないか探した。改めて大学や交通局のウェブサイトをチェックし、帰宅時間を早める方法を入念に調べ上げた。そして、一つの可能性を見出した。
ルートを変えれば、最終的にもっと早い時間の電車に乗れるのではないか、と。
大学へ隣県から通う律花はキャンパスとK駅間をバス、K駅間と自宅の最寄駅を電車で移動している。具体的には次の通り(水曜日・帰りの場合)。
①16時22分or25分or28分のバス(いずれも快速305系統K駅行き)に乗る
②16時55分~17時過ぎにK駅に到着
③17時7分発・K線・N駅行きの電車(普通)に乗る
ポイントは①だ。 快速305系統に乗るのは同じ。が、乗るのは必ず最初の便――16時22分発にする。そして、そのまま終点のK駅まで乗車せずに、地下鉄に接続する停留所で途中下車し、16時36分発・K駅方面・T駅行きの電車に乗る。するとK駅に着くのは16時45分ごろ。②と比べて十分以上早い。そしてこうなれば、最終的にK駅で16時46分発・N駅行きの、普通ではなく快速電車に乗れる可能性が生まれるのである。③と比べて二十分、加えて快速に乗れる分、計算すると家に着くのは二十五分早くなる。
もちろん、懸念材料がないわけではない。バスから地下鉄、地下鉄から在来線への乗り換え時間はどちらもシビアで、たとえ時刻表通りに行ったとしても双方とも
律花はしばし考え、そして決めた。
やってみよう。
うまくいけば相当、帰宅時間を早められる。どうしてやらずにいられよう。考え付いたことは実行せずにいられない律花にとって、これを思い付いた時点で「やらない」という選択肢はなかった。
次の水曜日に、早速その方法を実践してみた。まずは16時22分、大学発の快速305系統に乗る。条件を満たすにはこの便に乗るのが不可欠だった。後発の便ではどうしたって間に合わない。ほかの乗客で潰されそうになりながらなんとか乗車。そして満員状態での移動に耐え、十分ほど行ったところにある停留所で下車。すぐに市営地下鉄の駅へ向かう。乗らんとするのは16時36分発の電車。予想通り、出発時刻までは一分ほどしかなかった。全力で走ってホームへ降りると、すでに目的の電車が着いていた。滑り込むように乗車すると、ほぼ同時に扉が閉まった。なんとか乗り継ぎ成功。この時点で相当しんどかったが、すぐに次へと気持ちを切り替える。
その後市営地下鉄は定刻通りにK駅へと到着し、一斉にドアが開く。あらかじめ扉の前に陣取っていた律花は速攻で電車を降り、K線が通る3番ホームへと向かう。ここも使える時間は一分もない。改札をパスし、階段を一つ飛ばしで駆け上がる。果たして目指す電車はホームに――停まっている!
最終目標たる16時46分発・N駅行きの快速電車は、かぱっとドアを開けて乗車客を待っていた。律花は階段を上った勢いを殺すことなく突進。車両へ乗り込んだ直後に扉が閉まり、快速列車がゆっくりと動き出した。
いけた。いけた。いけた……!
荒い息を吐きながら、律花は目的を達成できた事実を
「……んふ、はははは……!」
尋常でない達成感から、笑いが漏れた。近くにいた二人組の女子高校生がおしゃべりを止めて不審げな視線を送ってくるが、律花は意に介さなかった。なにせ、徹底的に無駄を削った最速帰宅術がここに完成したのだ。冷静でいられるわけがない。その後もにやにやして周りの人を引かせつつ、律花は実に晴れやかな気持ちで自宅へと帰り着いた。
だが、話はこれで終わらない。
その次の水曜日。同様の手法を試みた律花は、敢えなく失敗することとなった。理由は単純、バスが地下鉄の時間に間に合わなかったためだ。道が混んでいて、信号に引っ掛かりまくった。
さらに次の水曜日。今度は大学前の停留所で、行列が長過ぎてそもそも16時22分発のバスに乗ることができなかった。あとはどうしようもない。目標達成の芽はこの時点で摘まれた。
律花は歯噛みした。
もともと無茶な方法であることは十分承知している。行列の停留所で目的のバスに乗ること、バス、地下鉄ともに遅延なく進むこと、乗り換えに使える時間はおよそ一分以内であること。目的達成のためにはこれらの要素すべてが完璧に噛み合わなければならないが、確率でいえばそれはきっと低いのだ。
それでも律花は、あの感覚を味わいたかった。すべての計算がぴったりとハマり、あらゆる困難を乗り越えた先にある達成感。
めらめらと闘志が沸いた。律花は悟った。もはやこれは、ただ帰宅時間を早めるための手段ではない。
これは、大いなる戦いだ。
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須藤律花の帰宅リアルタイムアタック 湖上朔 @kojo-saku
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