とらんすせくしゃるせくしゃりてぃ

黒梅

第1話「人生最良の日」

 例えば、人生最良の日ってどんなものだと思う?

 結婚式を挙げた日、子供が生まれた日、昇進した日、宝くじに当選した日、誰かの命を身を挺して守った日……まあ、何をもって最良とするかの基準は人それぞれだろう。

 それでも、まだ世間を知らない小さな少年にとって、あの日は間違いなく人生最良の日だったはずだ。


 ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂ ♀ ♂


「聞いたぞ星也。貰ったんだって?」


「なにを?」


「とぼけんなよ」


「直接手渡されたって聞いたぞ」


 薄茜色に染まった涼しい時間帯。おれ、聖奈月星也みなづきせいやは数人の友達と帰路に就いていた。

 おれという人間については、特筆すべき何かがあるというわけではない。卒業を間近に控えた男子中学生で、体を動かすことと手先の器用さが自慢の末っ子。上には姉が3人いるが、みんなが思うような羨ましい境遇じゃないことは先に伝えておく。現実と創作物は違うのだ。幻想を抱くなとまではいわないが、夢ぐらい見たっていいじゃないかという紳士諸君ひとりっこは2次元に姉妹を作ることをおすすめする。


「しかも相手はあの聖母様だろ? まさかお前とはな」


「うっせ、言ってろ」


「ホントにな。この俺さまを差し置いてこやつのどこに惚れる要素が」


「顔、頭、性格、笑顔」


「てめっ、調子乗んな!」


「笑顔ってなんだ笑顔って。おい、微笑みかけんな気持ち悪いわ!」


 どこまでも伸びる長い影を追いかけながら、いつものようにばからしくふざけあい冗談を飛ばす。3年間苦楽を共にしてきた面子メンバーで、日常での付き合いも特に多い3人だ。


「それで、返事はどうするんだ? 星也」


「卒業式が終わった後に答えを聞かせてくれってさ。ま、気長に考えとくよ」


「悠長だな。相手が相手だし普通の男なら即断即決だろうに。てか、卒業式って明後日か。時間ないぞ」


「おれが普通じゃないみたいな言い種だな。一透こそどうなんだ。そういう相手いないのか?」


 赤ん坊の時から一緒にいる無二の親友、美馬一透みまかずととは高校も同じところを受けており、漠然とだがこの先もずっと一緒にいるんだろうなと思っている。

 無駄にサラサラとした髪を無駄になびかせる、王子様めいた顔面を持った爽やかルックスのイケメン野郎だ。一透に好意を寄せている女子が何人かいたことは知っていたけど、彼女を作ったという話はついぞ聞かなかった。


「部活で忙しかったからな。それに俺のタイプは今にも消え入りそうで守ってあげたくなるような美少女だ。妥協する気はない」


「いつも言ってる儚げ女子ってやつか。そんな子そういるわけないだろ現実見ろ」


 どこか芝居がかった仕草で、高すぎる理想を掲げる哀れな夢追い人の親友を冷めた目で見やる。選り好みしなきゃいくらでも彼女作れるんだろうけどなぁ。残念な奴だ。


「夢くらいは見たっていいだろ。高校では正夢にしてやるさ」


「はいはい。落ちてなきゃいいけどな」


「……それは禁句だろ。ブーメランになっても知らねえぞ」


 冗談にしてはタチが悪かったかと、一透の肩パンを甘んじて受け入れる。受験先は県内でも有数の進学校だから、内心気が気じゃないのかも。今年は倍率も高いなんて話もあったし、万が一おれだけ合格なんてことになったら笑い話にもならない。逆もまた然りだ。もっとも、おれの場合大変優秀な1つ上の姉が先輩になるので、受験勉強では大分手助けをしてもらった。当然、一透にも傾向と対策はばっちり伝えている。手応えとしては、よっぽどのやらかしがない限りは大丈夫だろうというのが率直な感想だった。


「おいおい、さっきから二人でなに話してんだ? 俺たちも混ぜろ!」


 後方にいた別の友達が飛びついてくる。高校に上がればこの4人グループも解散。肩に回された腕の感触に何とも言えない名残惜しさを感じながら、こちらも同様に組み返す。4人横並びになって人気のない道の真ん中を悠々と歩く。


「僕たちは別の高校だけど、二人は高校むこうでもバスケ続けるのか?」


「いや、バスケはもういいかな。今んとこ第一候補は陸上部の予定」


「俺はどこでもよかったんだけど、星也こいつがどうしてもって駄々こねるから仕方なくな」


 こねとらんわ。


「は? マジで? もったいねぇ! お前ら全国まで行ったじゃねえか」


 予想通りの反応。家族のみんなもそうだったなと、同じく用意していた言葉を返す。


「いいんだよ。元々バスケットは中学までって決めてたから」


 「俺は違うけどな」と、横で口を尖らせる親友の肩を軽く小突く。なんだかんだ言っても、毎回二つ返事でついてきてくれるんだよな。

 幼少の頃から水泳やサッカー、ミニバスなど習い事でいろいろなスポーツを経験してきた。おれの隣にはいつも一透がいた。どれも親から勧められて始めたものばかりだったけど、一透がいたから苦にはならなかった。

 中学ではともにバスケ部に入部し、当時の先輩たちの熱に浮かされ本腰を入れて取り組むようになったのはいい思い出だ。3年になって初めて全国まで行けたんだから彼らも本望だろう。


 突き当たりで他の2人と別れる。


「で、どうする気だ? 気持ち次第では祝福するけど、もしのことで返事迷ってるのなら」


 先ほどまでのおちゃらけた雰囲気から一転、真面目な表情で告げる親友を手で制する。普段は軽いノリが目立つ男だが、たまに見せる真剣な顔がここまで様になるとは。こいつがイケメンなのを再認識させる。


「別にさらとは何もないって。口うるさい4人目の姉みたいなもんだよ」


 櫻万更紗おうばさらさは幼馴染の1人で、小学2年生の時だっけ、隣の家に引っ越してきてそのまま家族ぐるみの付き合いが続いている女の子だ。

 登下校はいつも一緒だし(流石に中学に上がってからは部活動もあったので、常に一緒ということはなくなった)、物理的な距離の近さから周りにはよく揶揄からかわれた。


「試合にも毎回来てたし、いろいろと差し入れ持ってくるもんだから押しかけ女房なんて言われてたよな」


 そんなこともあったなと、おれとさらの間に恋愛関係があると勘繰っていたやつが大量発生していたことを思い出す。単に飽きられたのか、もはや何も言うまいと後方見守り組に回ったのか、直接的なイジリや悪ノリがなくなったのは中2の秋頃。

 同年代の異性としては間違いなく一番距離が近く、でもその距離が近過ぎて対象として意識したことがないという。前に誰かから言われた「友達以上姉弟きょうだい未満」という言葉が、おれたちの関係性をよく表していると思う。


「俺が思うに、更紗は間違いなくお前に矢印向けてるよ。聖母様に世話焼き幼馴染だろ? お前が学校中の男子から恨まれてんのも納得だわ」


 え、それ初耳なんだけど。おれ恨まれてんの?


「早くどっちかに絞れよ。これを機に幼馴染離れするのもいいんじゃないか」


 そう言って笑いながら肩を叩かれる。くそ、他人事だからって気楽なやつめ。


「で、見たのか? 中身」


 言葉の代わりにおれが丁重に懐から取り出したのは、和紙を使われた薄桃色の包装紙に金の桜が箔押しされた高級感のあるふみ揃え封筒。ざらついた手触り。安いものではないと一目でわかる。


「へえ、いかにも彼女あのひとらしいっていうか」


 それは思う。一昔前はベターだったのかも知れないが、SNS時代の現代においてわざわざ手間をかけて一筆するという、そんな気持ちの表れが聖母様と言われる所以なのだろうか。そういう強い想いが込められているからなのか、封筒からは質量以上の重みを感じた。無下に扱っていいものじゃない。「気長に」なんて言いはしたが、こちらも相応の気持ちを持って答えるつもりだ。


「……暗くなってきたな」


 空の色が濃くなる。夜の帳が顔を覗かせ、まばらに灯る街灯が頼りなく辺りを照らし始めた。そろそろ別れ道だ。おれは封筒をしまうと、歩くペースを速めた。

 次にみんなと顔を会わせるのは卒業式。思えば、あっという間の3年間だった。友達とバカなこともたくさんやったし、交友関係も格段に広がり、部活では全国行きという初の快挙を成し遂げた。高校ではそれ以上の世界が待っているはずだ。小学校からそのまま大多数の生徒が進学した中学校とは違い、県内外から様々な人間が集まる。ガラリと変わる環境に不安以上の期待が胸を打った。


「お、もう着いたか。星也、明後日はお前の初彼女お祝い会も兼ねてるんだから期待裏切んなよ」


 一透の住む8階建てのマンションに到着する。小学生の頃は毎週のように遊びに行っていた。いつからか教えてもらった暗証番号で、勝手にオートロックを解錠してここの住人よろしく自由に出入りしていたことは懐かしい思い出だ。

 温かな照明の灯りに包まれるエントランス。その手前で一透は立ち止まると、意地悪い笑みを浮かべ右拳を突き出す。おれは決まり悪げに目を逸らし腕を上げると、拳と拳をコツンと突き合わせた。


「期待に沿えるよう頑張るよ。じゃあな……ってどうした?」


 一透は腕を上げたまま動きを止めると、おれの顔をじっと見つめる。それはほんの数秒の間で、すぐに目頭を押さえると慌ててかぶりを振った。


「いや、なんかお前の顔が急にボヤけて見えて。変だな」


 少しだけ涼しくなってきた春の風がおれたちの間を吹き抜け、エントランス周りに植栽された常緑樹がざわざわと揺らぐ。埃でも目に入ったのだろうか。


「視力落ちたんじゃないか? 卑猥な動画の見過ぎだ」


 なんて冗談を飛ばし、おれは背を向けた。街灯がチカチカと点滅を繰り返す。気付けば、辺りはすっかり薄暗くなっていた。


「気を付けて帰れよ」


 後ろからかけられる親友の言葉に身振りで答え、おれは歩き出した。この辺りは人気も少なく、閑静な住宅街が続く。

 あんまり遅くなるとうるさいからな。少し急ぐか。過保護気味な母や姉の顔を思い浮かべながら足を速める。

 卒業式、手紙の返事、合格発表、入学の準備とやることは多い。それでも、これからやってくる忙しい日々が待ち遠しくて自然と頬が緩んでしまう。


「……ん?」


 ふと女性の叫び声のようなものが聞こえ、おれは足を止めた。なんだ、鳥の鳴き声? 耳を澄ます……また聞こえた。今度は男の声もする。

 声のする方に向かうと、そこは住宅地にある小さな公園だった。老朽化に伴い古くなった遊具は撤去され、今では錆びついたジャングルジムと荒れた砂場が残るだけの、近所の子供たちですらあまり寄り付かない寂れた公園に誰かいる。見た感じ大学生くらいだろうか。

 遠目だが、何やら鬼気迫る表情で向かい合う男性に捲し立てているようだ。ただならぬ雰囲気に、ドクンと心臓が跳ねる。


 おれは気付かれないように中腰になって近づき、茂みに身を隠した。まるで探偵の真似事みたいだったけれど、どうしても無視できなかった。

 だって、女の人の声が明らかに震えていたから。男が一歩近づくたびに、女性の方は数歩下がる。恐怖に歪んだ顔は酷く青ざめ、だらりと力なく下がった腕には一筋の赤い線が走っていた。

 それが血だと理解したのは、男の手に握られたおおよそこの場には似つかわしくないものが目に留まったからだ。


「……包丁!?」


 思わず声が漏れて、慌てて口を押さえる。幸いこちらに気付いた様子はない。警察を呼ぼうと携帯に手を伸ばしたが、そんな猶予が残されているとは思えなかった。いっそのこと、目の前に飛び出して男の注意を引く? 女性が逃げられるように時間を稼ぐことぐらいは……。


「っ」


 無理だ。できる気がしない。冷たい汗が体中からどっと吹き出す。どうしようもなく怖かった。体は棒のように硬直し、心臓は息が止まってしまいそうなほど激しく早鐘を打つ。相手は刃物を持っているし、今さら人を傷つけることに躊躇はしないだろう。身長や体格どうこうの話じゃない。おれなんかが出張ったところで犠牲者が増えるだけだ。

 なんでこんなことになった。よりによって、どうして今日、この場所この時間おれの帰り道なんだよ。理不尽じゃないか。天を怨まず誰を怨む。身の丈に合わない正義感で首を突っ込んだ馬鹿な己か、目の前の非日常か。

 嘆いている暇もないのは、現場の様子を見れば一目瞭然。男は包丁の切先を女性の方に向け、じりじりと距離を詰めている。薄暗闇の中、それは街灯の明かりを受けてぞっとするほど冷たく光った。調理場などで目にするものとは全く違う。


 逃げろ、今すぐ走って逃げてくれ。

 そんな願いとは裏腹に、女性はその場に縛り付けられているみたいに動かない。傍で見ているだけのおれですらこの有り様だ。その殺意を直に向けられている女性の恐怖は想像を絶する。

 いつ破裂してもおかしくない異様な緊張感が場を支配する。唾を飲み込む音がやけに大きく耳朶じだを打ち――――次の瞬間、張り詰めていたものが大きな音を立てて決壊した。

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