翼の心音

松岡織

プロローグ


 私の人生は、母の機嫌に翻弄されることから始まった。彼女はとても感情的で、何がスイッチとなり機嫌が切り替わるのか、私には全く理解できなかった。幼い頃は母の機嫌を気にして、なるべく怒らせないよう気をつけた。なぜなら、私はまだ大人の手を必要としていたからだ。それに子どもが皆そうであるように、親の興味を惹きたいと本能が欲していた。だが、やがて私はそれを諦めた。いくら怒らせないように努力しても徒労に終わることがほとんどで、疲れてしまったのだ。

 決定的な出来事は、小学校四年になったばかりの春に起きた。電車で十分ほどの横浜駅まで二人で出掛けた時、母の激怒スイッチが入り、私を一人残して帰ってしまったのだ。まだ自分の財布というものを持っていなかった私は、電車に乗るためのお金もなく呆然としたが、泣くという可愛げは持ち合わせていない。駅員さんに相談すべきか、それとも交番がいいだろうかと小学生なりに考えた末、大人に助けは求めずに、自分の足で帰ろうと線路に沿って歩き出した。

 置いて行かれたことにはさすがに驚いたが、これまでの年月で、心は既にかなり擦り減っていたため、悲しいとかひどいとか、そこまでの強い感想はない。ただ淡々と、これはもう、あの人に期待するのは諦めた方が良さそうだなと感じていた。

 子どもの足で歩いて帰るのは大変で、二時間以上掛かってやっと自宅に戻る。最後は足が痛くてもう限界だった。鍵だけは持っていたので家に入ることはできたが、玄関の扉を開く時、精神的原因でかなりお腹が痛かった。

 勇気を振り絞って入った家は静かだった。不愉快なことがあると二階の寝室に篭って出て来なくなるのはいつものことで、きっと今日もそうなのだろう。昼も食べ損なっているし、ずっと歩いていたので空腹だったが、経験上、今日からしばらく食事はもらえないのも知っていた。

 溜息をついて一階にある自分の部屋のドアを開いた私は、そこで本日二度目の衝撃を受ける。部屋の中に置かれていた、ランドセル、教科書、タンスの中の服、本棚の本、そしてベッドの上にあったはずの掛け布団や枕さえもが、庭に散乱していたのだ。

「はぁああああっ?」

 自分でも驚くほどの大声で叫んだ私は、この時初めて『怒り』という強い感情に支配され、母が籠城している寝室に向かって階段を駆け上がる。そして、ドアを何度も力任せに蹴った。多分何か叫んだ気もするが、よく覚えていない。まだ幼い弟が怖がって泣き出していたが、知ったことではない。

 やがて怒りの衝動が力尽きると、仕方なく庭に放り出されたものをひとつひとつ拾って部屋に持ち帰る。その間ずっと、『あの人は、私の親じゃないことにしよう。だから何をされても、もう悲しくない』と心の中で唱え続ける。これ以上傷つきたくなかった私は、母の存在を切り捨てることで、心の安定を得る方法を思いついたのだ。

 夜になって帰宅した父が買って来てくれたコンビニ弁当のおかげで、弟共々やっと食事にありつけた。風呂に入りベッドに潜り込むと、枕や掛け布団から土の匂いがする。庭に放り出された時に汚れたのだろうが、別に死ぬわけじゃないと放っておく。身体はくたくたに疲れていても、まだ神経が昂っているのか、すぐには眠れなかった。さっき、感情に任せてドアを蹴ったり叫んだりしたことを後悔していた。あれではまるで、あの女と同じではないか。

(これからは何があっても、全部『私には関係がないことだ』って思うようにしよう。そうすれば、何も感じなくなるから)

 新しいルールをまたひとつ思いつく。この日私は母親を捨て、そして感情を持つことも止めたのだ。生き抜く術を見つけた気がして、とてもスッキリとした気持ちで眠りにつくことができた。


 それからは毎日が快適になった。母だった人は相変わらず怒ったり嘆いたりで忙しかったが、全て私には無関係な世界だ。感情の代わりに私が拠り所にしたのがロジック。何をすべきか、どちらを選択すべきか、全てをロジックで判断すれば、世界はずっと分かりやすい。

 多くの同級生たちがそうであるように、私も小学校に入学した時から、いくつかの習い事をさせられていた。バレエとピアノと絵画。バレエとピアノは嫌いで仕方なかったのに母親の機嫌を気にして渋々続けていたが、勝手に辞めた。もちろん激怒されて一週間以上食事はなかったし、洗濯物として出した衣服も全部庭に捨てられていたが、私の心はもう傷つかない。放課後は男子に混ざって草野球を始めてみたら、その方がずっと楽しかった。

 ただ土曜日の絵画教室だけは辞めずに続けた。近所に住む画家が自宅のアトリエで開催している、自由気ままに絵を描いていい教室だ。一応花瓶やリンゴなどの静物が置かれてはいるが、それを描けと強制されることはなく、何を描いても構わない。花瓶やリンゴを描くことに興味はなかったが、私はただ無心に色を塗り続けることが好きだった。毎週飽きもせず、白いキャンパスにただ色を重ねる作業を繰り返す。絵の具を混ぜることで作られていく、今日の心を映す色。思った通りの色で塗ることができた日は、なんとも言えない満足感に包まれる。後から思えば、あれはおそらく私にとってのセラピーだったのだろう。色を塗っている時に得られる心の静寂がとても好きだった。


 中学に入学する頃には、感情を持たないテクニックもかなり上達した。ただ、その副作用として、私は共感する能力を失ったのだと思う。同級生が笑ったり悲しんだりしている話題の、一体どこが面白かったり悲しかったりするのか、まるで理解できない。空気を読んで周りに合わせることもしない。それ以前に、友達など求めていなかった。

 イジメの対象になってもおかしくなかったが、幸いそうはならなかった。身長が高く、中性的な顔と体格、生活の効率を考えてショートカットだった理由からか、私は同級生の女子から王子様ポジションを与えられたのだ。まだ小学生の名残が強く幼い男子よりも、少女漫画の男キャラのような存在が、彼女たちにはウケたらしい。男女どちらにも使われる名前だったことから、『かおるくん』と呼ばれ、共学なのにバレンタインにはチョコを貰って帰った。

 部活は迷わず美術部に入部した。スポーツをやりたい気持ちもあったし、一分でも長く自宅から離れていたい身としては、朝練がある運動部も考えたが、体育会系の密な人間関係や団体行動が無理そうなので諦めた。放課後になると、デッサンや絵を描いている他部員に混じって、心の平穏を得るために、ここでもまた『今日の心の色』を無心で塗り続けた。

 二年生になる頃、顧問の美術教師が交代になった。前任者は完全放置だったが、新しい顧問は頻繁に部活に姿を見せ、部員一人ひとりにアドバイスをする。最初は煩わしいと感じていたが、ただ色を塗り続けるだけの私に、その顧問はグラフィックデザインという分野があることを教えてくれたのだ。

 私にとって、いわゆる『絵画』と呼ばれる作品群は、作家の感情過多で鑑賞することすら苦痛なものだった。だが、グラフィックデザインは違う。メッセージを視覚的に伝えるもので、そこでは感情以上にロジックが働いている。そして私の好きな『色』が重要なキーになっている。人の想いや感情など、私が苦手なものはなくても良くて、デザインの最適解を探す過程は、謎を解くようで面白い。ただ色が塗ってあるだけだった私の作品は、急速に『デザイン』へと進化していった。


 やがて、高校受験を考える時期が来る。小学生の時からロジカルな思考を鍛えてきた私は、理数系を中心に成績が良かったので、成績順で言えば、県立の一番上のランクの高校が受験対象校となる。だが私は、美術部の顧問から聞いた風変わりな県立高校を受験しようと考えていた。

 横浜という街の文化なのだろうか、県立高校の中にも普通科ではない高校がいくつか存在している。他ではあまり聞いたことがない、英語に特化した外国語科、そして音楽科と美術科の公立高校がそれぞれ存在している。その中の一つ、美術科の高校に進みたかった。特殊な学校なので募集定員は毎年たったの八十人。一学年二クラスしかない。一般教科は公立高校として義務づけられている最低限の授業数しかなく、後は全て、美術を中心とした選択制だ。

 きっと美術のエリートが行く高校なのだろうし、美術部でちょっと齧っただけの私がついて行かれるのかと、正直不安はある。それでも挑戦したい気持ちがまさった。ロジックではなく感情で決めていると、もう一人の私がアドバイスをしてきたが、心の奥の方から湧き出るほどの強い欲求を感じて、美術科を受験したいと父に相談する。

 県立の最上位校が狙えるのに、そんな応用の効かない学校を選ぶのはどうなんだと、最初は反対された。だが説得を重ねるうちに、『まぁ、女の子だからな』と了承を得る。突然女の子扱いされたことに違和感を覚えたが、今一番優先すべきは、受験校を認めてもらうことだ。そうロジックで判断した私は、ただ微笑んでその場を締め括った。

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