第2話
第1話:純白の制服と、霧の中の再会
村の入り口。朝日を浴びてキラキラと輝くのは、シフォンがこの日のために精製した「極上の砂糖」の結晶が入った、いくつもの小瓶だった。
「……これ、村長。村の当面の運営費と、予備の生糸。それからこの砂糖は、町で売れば数年はみんなが食べていけるはずよ」
「シフォンちゃん……本当に、行っちまうんだな」
涙を拭う村人たちに、シフォンは淡々と、けれど名残惜しそうに頷いた。
「……ガリルがうるさいから。少し、外の世界を見てくるだけ。……みんな、元気で」
後ろ髪を引かれる思いを断ち切るように、彼女は馬車に乗り込んだ。
膝の上に置かれたのは、かつて数多の命を奪ってきた銀槍ではなく、ただの小さな旅行鞄。馬車の揺れに身を任せながら、シフォンは遠ざかる緑豊かな村を窓から見つめていた。
王都の喧騒を抜け、辿り着いた「王立リリウム学園」は、白亜の壁が眩しい巨大な城のような場所だった。
用意されていた制服に袖を通し、シフォンは鏡の前で眉を寄せた。
「……落ち着かない」
白色を基調とし、金の刺繍が施された制服。エルフ特有の透き通るような白い肌と、長くたなびく銀髪。その容姿は、幼く愛らしい「深窓の令嬢」そのものに見えた。しかし、その瞳の奥には、修羅場を潜り抜けてきた者にしか宿らない、静謐な鋭さが潜んでいる。
廊下を歩けば、生徒たちの視線が一斉に突き刺さった。
「あの子、新入生? エルフかしら……なんて綺麗なの」
「まるでお人形さんみたいだ」
ざわめきを無視し、シフォンは職員室へと向かった。担任となる女性教員は、シフォンの履歴書(ガリルが用意した偽造された軍人の娘という肩書き)を前に、緊張した面持ちで短く挨拶を済ませた。
「……では、教室へ。皆、あなたを待っていますわ」
案内された教室の扉が開く。
教壇に立ったシフォンは、数十の視線を浴びながら、短く口を開いた。
「シフォン。……よろしく」
それだけ言って、彼女は指定された席へと向かった。
窓際の、陽当たりの良い場所。その隣の席には、一人の少女が座っていた。
「初めまして。私はアリア・フォン・ルミナス。よろしくね、シフォンさん」
アリアと名乗った少女は、春の陽だまりのような微笑みを浮かべた。
美しく整えられた金髪と、気品あふれる立ち振る舞い。次期国王候補の一人と噂される彼女の周りには、目に見えないほどの清らかなオーラが漂っている。
「……ああ」
シフォンは短く返し、席に座った。
だが、教科書を広げようとしたその指が、ふと止まる。
(……アリア?)
どこかで聞いた名前だ。いや、名前だけではない。
隣に座るこの少女の、横顔のライン。どこか凛とした、けれど寂しげなその瞳の輝きに、シフォンは強烈な既視感を覚えた。
(どこだ……。どこかで、会ったことがあるはずだ……)
戦場か? それとも、傭兵時代に立ち寄ったどこかの城か。
シフォンの記憶は、十年前の血と硝煙の匂いにまみれた霧の中にあった。
王宮の冷たい床、誰かに跪いた記憶、その傍らにいた小さな、小さな影――。
「……?」
視線に気づいたアリアが、不思議そうに首を傾げる。
「私の顔、何かついているかしら?」
「……いや。何でもない」
「そうだシフォンさん、もしよければこの校舎を案内するわ、それと甘いものは好きかしら? この学舎に来た新たなお友達にアイスをごちそうするわ!」
シフォンは慌てて目を逸らしつつもアイスという言葉に目を輝かせる
喉の奥に何かが引っかかっているような、妙なモヤモヤした感覚。
思い出せそうで、思い出せない感覚がありつつもアイスに胸を躍らせたのだった。
最強の死神と呼ばれた少女は、目の前の教科書の文字が全く頭に入ってこないことに困惑しながら、慣れない学園生活の第一歩を踏み出した。
学園の放課後、アリアは約束通り、迷宮のように広い校舎を案内してくれた。
夕闇が廊下を染める頃、二人は生徒たちが集う大食堂へと足を運んだ。白亜の柱にシャンデリアが輝くその場所は、食堂というより貴族の晩餐会場のようだ。
「ここが学園の自慢の食堂よ。さあ、シフォンさん。お待ちかねの『あれ』を頼みましょうか」
アリアが微笑みながら指差した先には、シフォンが夢にまで見たデザートがあった。
銀の器に盛られた、雪のように白い山。その上に鮮やかな果実のソースがかけられた――アイスクリームだ。
「……っ」
一口、木のスプーンで掬って口に運ぶ。
冷たさと、暴力的なまでの甘み。そして鼻を抜ける芳醇なミルクの香り。
それまで無表情だったシフォンの瑠璃色の瞳が、まるで宝石のようにキラキラと輝きだした。
「……美味しい。……生きてて、よかった」
「ふふ、そんなに喜んでもらえるなんて。案内した甲斐があったわ」
頬を緩ませ、小さな子供のように夢中でアイスを頬張るシフォン。その無垢な姿に、アリアは母親のような穏やかな笑顔を向けていた。
だが、その平穏は、鋭く不快な声によって切り裂かれた。
「――アリア様! 何故このような、どこの馬の骨とも知れぬ小娘と席を共になさっているのですか!」
現れたのは、吊り上がった目が特徴的な、気の強そうな少女だった。取り巻きを引き連れた彼女の名は、グレイス・バイオレット。侯爵家の令嬢であり、学園内でも有数の「アリア信奉者」として知られていた。
「グレイス……。彼女は私の友人よ。言葉を慎みなさい」
「友人!? 冗談ではありません! アリア様はこの国の次期国王候補、聖域とも呼べるお方! このような平民同然の娘と同じ空気を吸うなど、あってはならないことですわ!」
グレイスの声は次第にヒステリックに高まっていく。アリアの冷静な制止も、今の彼女の耳には届かない。それどころか、黙々とアイスを食べ続けるシフォンの態度が、彼女の神経を逆撫でした。
「聞きなさい、この無礼者! アリア様をたぶらかして、一体何のつもり……っ!」
激昂したグレイスの手が、テーブルを叩く。
その衝撃で、シフォンが大切に食べていたアイスクリームが床へと叩き落とされた。
銀の器が甲高い音を立てて転がり、白い塊が床に虚しく散らばる。
「……あ」
シフォンの動きが、止まった。
「ふん、当然の報いですわ。さあ、顔を上げなさい! 自分がどれほど身の程知らずか――」
グレイスが、さらにシフォンの頬を打とうと手を振り上げた、その瞬間。
「――ガッ!」
鈍い音が響いた。
シフォンが、自分に向かってきたグレイスの手首を、視認できないほどの速さで掴み取ったのだ。
「え……っ、な、何……!?」
グレイスが動揺する間も与えず、シフォンは掴んだ手を自分の方へと一気に引き寄せる。
抗えない力で体勢を崩したグレイスの顔面を、シフォンはそのまま、大理石のテーブルへと叩きつけた。
「がはっ……ひ……っ!?」
顔を押し付けられ、呻くグレイス。
食堂全体が、凍りついたような静寂に包まれる。
アリアが息を呑む中、シフォンはグレイスの耳元に口を寄せ、地獄の底から響くような低い声で囁いた。
「……お前。私が、この一食のためにどれだけの砂糖を煮詰めてきたか知ってるか?」
その声には、かつて戦場で数千の兵を震え上がらせた「死神」の殺気がこもっていた。
「……アイスをダメにしたこと。それから、次期王候補であるアリアの言葉を、お前は『信奉者』のくせに完全に無視したこと。矛盾してる。消されたいのか?」
「ひ、ひぃ……っ! ぁ、あ……あぁ……っ!」
グレイスの顔から血の気が引き、ガタガタと歯の根が合わないほど震えだす。
シフォンが手を離すと、彼女は謝ることも忘れ、腰を抜かしながら這うようにして食堂から逃げ出していった。
静まり返った食堂で、シフォンはすっと表情を消し、いつもの無表情に戻った。
「……驚かせて、すまない。アリア」
「……いえ。少し驚いたけれど……グレイスは、私を慕うあまり、少し行き過ぎるところがあるの。本当は悪い子ではないのだけれど……」
アリアは困ったように微笑み、逃げていったグレイスの背中を気遣うようにフォローした。
「……あの子が、貴方のことを思ってるのは伝わった。だから、直接手出しされない限り、これ以上は何もしない」
シフォンは床に落ちたアイスを悲しげに見つめ、それからアリアを見た。
「……それより、アリア。明日も、アイス……あるかな?」
「ふふっ。ええ、もちろん。明日は私の奢りで、一番大きいのを用意させるわね」
アリアの明るい声に、シフォンは「ならいい」と短く頷いた。
こうして、戦場を支配した死神の学園生活一日は、甘美なアイスの味と、わずかな流血の予感と共に幕を閉じた。
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