『隠居した「最強」傭兵は甘党エルフ。〜お菓子と引き換えに次期女王候補の護衛、引き受けます〜』
倉田恵美
第1話
プロローグ:銀槍の死神、あるいは甘味を愛する隠遁者
かつて、戦場には「理不尽」が形を成して歩いていた。
吹き荒ぶ硝煙と血生臭い風の中、たなびくのは月光を糸に紡いだような銀色の髪。その手に握られているのは、身の丈を優に超える二メートルもの銀槍である。
少女のような細い腕がその槍を振るうたび、鋼鉄の鎧は紙細工のように裂け、凶悪なモンスターの巨躯は断ち割られた。
人は彼女を『銀髪の死神』と呼び、畏怖した。
「死神だ! 死神が来たぞッ!」
「逃げろ、あれは人間じゃない。戦ですらない……ただの蹂躙だ!」
絶望の叫びが響く前線を、彼女はただ無表情に、流れるような足取りで駆け抜ける。
その命を狙い、名を上げようと挑みかかる騎士も、高名な魔導師も、彼女にとっては等しく「排除すべき障害」に過ぎなかった。銀の閃光が奔るたび、戦場に新たな骸が積み上がる。
だが、やがて動乱の時代は終わりを告げた。
強大なモンスターは討伐され、泥沼化していた人間同士の戦争も終戦の協定が結ばれた。
それと同時に、戦場を支配した『銀髪の死神』は、忽然とその姿を消した。
彼女がどこへ行ったのか、生きているのか死んだのか、知る者は誰もいなかった。
――それから、十年の月日が流れた。
王国の辺境、深い緑に囲まれた小さな村。その片隅にある小さな工房から、甘く香ばしい匂いが漂ってくる。
「……よし。今回も、いい結晶が取れた」
呟いたのは、肩にかかる程度の銀髪を揺らす一人の少女、シフォンだ。
透き通るような肌に、どこか遠くを見通すような瑠璃色の瞳。エルフという種族ゆえか、十年の時を経てもなお、その見た目は十代前半の幼い少女のままである。
彼女は今、戦場での槍の代わりに、サトウキビの搾りかすを掻き出す櫂かいを手にしていた。
シフォンがこの村に来た当初、村人たちは彼女を遠巻きに見ていた。美しいがどこか浮世離れしたエルフの少女への、本能的な恐怖があったからだ。
しかし、その評価はすぐに変わった。
村を襲おうとした魔物を、彼女が(落ちていた木の棒一本で)瞬時に追い払い、何より彼女が生成する「上質な砂糖」と「滑らかな生糸」が、村に莫大な利益をもたらしたからだ。
「シフォンちゃん、今日も精が出るねぇ!」
「おじさん。これ、新しい生糸。町に持って行って」
「ああ、任せとけ! おかげでこの村も、冬を越す心配がなくなったよ」
村人たちの屈託のない笑顔に、シフォンは小さく、けれど暖かく微笑み返す。
かつて死神と呼ばれた少女は、今や村の守り神であり、豊穣の女神として受け入れられていた。
平穏な隠居生活。
それが永遠に続くと思っていたある日の夕暮れ。
工房の戸を叩く、重苦しい音が響いた。
「……シフォン。ここにいたか」
そこに立っていたのは、岩のような筋肉と深い傷跡が刻まれた顔を持つ、厳つい大男だった。
「ガリル……」
シフォンは目を細める。男の名はガリル。かつて彼女が所属していた傭兵団のリーダーであり、戦場における彼女の唯一の理解者、そして「保護者」でもあった男だ。
「今さら何? また戦いくさなら、金が山ほどあっても断る。私はもう、砂糖を煮るのに忙しい」
「相変わらずだな。だが、今日は剣を振るえとは言わん」
ガリルは苦笑しながら、一通の厚い便箋を差し出した。
そこには、格式高い紋章とともに『王立リリウム学園・合格通知書』という文字が躍っていた。
「……なに、これ」
「学校だ。お前は若すぎる時から、鉄と血の味しか知らずに育った。エルフという種族も、ようやく世間に受け入れられ始めてきた今だからこそ……普通の女の子として、青春ってやつを謳歌してこい」
シフォンは露骨に嫌そうな顔をした。
「学校? 冗談。あんな騒がしい場所、私には向いてない。ここで砂糖を作っている方が――」
「そこには、王都でも指折りの菓子職人が常駐しているらしいぞ」
ガリルが、わざとらしく付け加える。
「……菓子職人?」
「ああ。見たこともないような冷たいアイスや、口の中でとろけるプリン。そんなデザートが毎日出るとか、出ないとか……」
シフォンの瑠璃色の瞳が、わずかに揺れた。
彼女にとって、この十年で知った最大の衝撃は「甘味」という存在だった。自分で砂糖を作るほど、彼女はその虜になっていたのだ。
「アイス、と……プリン?」
「ああ。行けば食べ放題かもしれんぞ」
シフォンは手に持っていた櫂を置くと、コクリと喉を鳴らした。
学校という場所がどんな政治の渦中にあるか、そこにどんな貴族たちが通っているかなど、その時の彼女の頭からは完全に抜け落ちていた。
「……ガリル。荷造りをしてくる。すぐに出発だ」
こうして、最強の死神と呼ばれた少女は、たった一個のプリン(の予感)に釣られる形で、波乱に満ちた学園生活へと足を踏み出すことになったのである。
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