先生

すみや、よしの

先生

 永井ながい 佳子よしこ


 拝啓 秋の気配も次第に濃くなり、穏やかな好季節となってきました。永井先生、お変わりございませんか。


 ……この心にも思っていない、季節の定型文をつかうのは、大学で教育実習を行った学校へのお礼状以来です。

 インターネットで調べた、そのままの定型文を書いてみたのですが、嘘臭い感じがして笑えますね。この先に書き連ねていく、私の気持ちまでも嘘臭くなってしまいそうで、なんだか嫌ですね。

 私は貴女の元生徒なので、このお手紙は目上の方に宛てる手紙になります。そのため、試しに書いてみたのですが……今更その行為を後悔しております。

 是非、最初の二行はお忘れ下さい。


 さて、それはそうと永井先生は、私のことを覚えておりますでしょうか? 

 地区内で偏差値の一番高い、都立××高校で二〇XX年頃に吹奏楽部に所属しておりました、井上慎治いのうえしんじです。担当のパートはパーカッション、三年の、夏のコンクール前に退部した男子生徒……とまでお伝えすれば、なんとなく思い出していただけますか?

 たとえ思い出せなくても、永井先生が悪いわけではございません。

 今まで何年も、何千人も、何校も、受け持った経験のある公立高校の音楽教師が、たった一人の生徒の顔と名前を憶えておられなくとも、無理もないのですから。

 実をいうと私も、永井先生と同じく【教諭】の道へ進み、現在は私立中学校の体育教師、一年生なのです。大勢いる子どもたちの顔と名前を憶えるには、私でも苦労しております。記憶力の良い私が苦労しているのは意外ですが? だって、興味のないことを覚えるのは苦痛でしかないのですから。


 前置きはこのくらいにいたしまして、まずは単刀直入にお伝えしたいことがございます。

私、井上慎治は、永井佳子先生を、お慕い申しておりました。

 ……少々恰好つけましたが、もう少し砕けて言いますと、愛しておりました。

 入学式で永井先生を一目見た時から、私の頭の中、心の底、脳天から指のつま先の爪先まで、永井先生への愛で充満し、溺死寸前でございました。

 永井先生の艶のある黒髪、顔は白く透き通るような……それでいて少々不健康に青白く、顔がスーツの上に浮いているように見えました。近年流行している黒目が大きく見えるような飾りっ気のあるものでなく、機能性を重視したコンタクトレンズの貼り付いた眼球は、私が今まで見たことのないほどくすみ、寝不足なのか瞼には何重にも、皺が入っておりました。それに比べて唇はイヤらしく潤い、砂漠の中のオアシスを奪い合う、大量の死体の山が真っ赤に浮かんでいるような、恐ろしいほどの存在感がありました。

 私自身、顔のパーツ、運動神経に加え頭脳までも、両親の良性な部分ばかりを継いでおり、小・中学校と女性には困りませんでした。

 常日頃から高級な高層階のビルから、平凡な庶民の街並みを眺めているようで、正直に言います と、少々退屈していたのです。

 そういった退屈な日常から、どこからともなく私の中に、『好奇心』というものが沸々と湧き出てきたのです。その結果、アンバランスな永井先生の容姿や、「先生と生徒の禁断の関係」という未知なる領域に踏み込みたくなった……永井先生を愛してしまった要因なのだと思います。

 残念ながら永井先生は私の学年担任ではありませんでした。しかしどうしても、永井先生との接点が欲しい。よって、永井先生が顧問を務める【吹奏楽部】へ入部し、『表現』という選択科目の授業では、もちろん先生目的で【音楽】を受講することにしました。

 スポーツ万能で、中学時代はサッカー部のキャプテンを務めていた私が、まさか【吹奏楽部】へ入部するとは……! と、私を以前から知っている同級生たちは戸惑っておりました。

「井上の頭がおかしくなった!」

 などと騒ぎ回り、その滑稽な様子さえも、愉快でしかたがありませんでした。


 以前永井先生から「なぜ井上はパーカッションを選んだの?」と問われた際、私はこう、答えたことを覚えております。

「パーカッションはこの、××高校吹奏楽団という一人の巨人の『心臓部分』なんです。俺はその重要な役割を自らに課すことで、人間として成長したいと思ったんです」

 ……自分で書いていて、可笑しくなってきました。

 今だから本音をお伝えしますが、「叩けば音が出るという打楽器が、初心者には一番簡単そうだったから」です。ただ、それだけです。

 器用な私ならばすぐに技術が上達し、楽譜よりも永井先生に集中ができる、と思ったのです。

覚えていらっしゃるかわかりませんが、永井先生はその、いかにも信念のありそうな私の言葉を真に受け、実際は嘘八百な私の言葉に感心し、いつもはカラカラに渇いている瞳を潤ませておられましたよね? 

 すみません、書きながら思い出して笑ってしまい、字がよれてしまいました。

 決して先生を馬鹿にしているわけではありません。よくもまあ、咄嗟にあのような嘘を吐くことができたなあ、と当時の自分に対して苦笑してしまったのです。お気を悪くなさらないでくださいね。


 昔を思い出すというのは、とても楽しいものですね。

 特に高校生の青春真っ只中だった頃の記憶は、まだまだ未熟で純粋で、何に対しても感受性が豊かだったため、少しの変化にも心がぐらぐらと揺れ動いたように思います。

 そんなピュアだった私は、毎日永井先生のことを想い、永井先生に早く会いたくて、いつも一番に音楽室の鍵を受け取れるよう、眠い目を擦りながら朝練に行っていたのが、昨日のことのようです。

 まだ前日の疲れも抜け切らない様子の、生徒一人一人に対して一生懸命対応してくださっていた永井先生の、朝一番のお姿。

 今でも陽が昇りきらない時間に目が覚めてしまうと、あの時の永井先生のお姿を、ハッキリと想い出すことができるのですよ。


 部活外では、選択科目、【音楽】の授業での思い出が、昨日のことのように思い出されます。

リコーダーの補習に参加したいがために、わざと下手なフリをし、なんとか永井先生との接点を増やしたいと必死だったことも、よく覚えています。先生はあの時の補習の際におっしゃったことを、覚えていますか? 

「どうしてリズム感はあるのに、リコーダーになると下手クソになるの? 不思議ね」

 初心者ながらも打楽器の習得が早かった私の、数少ない欠点を見つけたあの時の永井先生は、心の底にしまってあるサディスティックな性癖を、チラリと見せてくれましたよね。

 真っ赤な唇から見え隠れする、私の唯一の欠点を指摘する永井先生からの言葉の愛撫を思い出しながら、何度オナニーをしたことか。


 そうそう、自らが体育教師になって、改めて発見したことがあります。音楽や体育などの分野は、ある程度才能の有無に左右される科目でもあります。その教師というモノは、できない人間のことを極端に小バカにする傾向がありますよね。

 我が校の体育教官室でも「○○は気合が足りないだけだ」、「××は障害レベルの運動神経だ」などと、運動音痴の生徒の話で盛り上がり、教師の独断と偏見だけで、気に入らない生徒には酷い通知評価をつけています。

 私に言わせれば彼ら、彼女らは、身体を動かすことしか能がない、知性の低い『欠陥人間』であります。多分、この様な方たちは、過去に勉強や容姿で、馬鹿にされてきた経験でもあるのでしょう。

 親子の虐待が連鎖されるように、わかっていながらも「やられたことをやり返してしまう」……負の連鎖を断ち切ることができない、【人間】という愚かな生き物は、なんて面白いのでしょう。


 そういえば、パーカッションの特別講師として永井先生のご主人が教えに来てくださったことが数回、ありましたよね。

 ご主人は「パーカッションで食べていくのを諦めて一般企業に就職し、家族4人を支えている」とおっしゃっていました。私にとって彼の存在は恋敵でしたが、同じ女性を愛するだけあってとても気の合う方で、毎回お話が盛り上がりました。

 彼は本当に素敵な男性です。「彼だけは幸せになって欲しい」、と思いますし、「永井先生のことを最期まで愛し通して欲しい」、と心から願っております。当時高校生であった私も、今の私も、その気持ちに変わりはありません。

 しかしながら、不幸というものは連帯責任です。これから起こること、永井先生の犯す失態により、彼の幸せは泡となって消えていく……かもしれません。


 永井先生は自らの手で、大切な伴侶を裏切り、『幸せな家族』を壊そうとした、忘れたとは言わせませんよ? 

 永井先生は自分が教師という身でありながら、私を愛してしまいましたよね? もちろん当時は私も先生を愛しておりましたから、私の態度にその気持ちが漏れていたのかもしれません。

 それを察したのか永井先生は、ある日私を音楽準備室へ呼び出し、キスをしようと迫ってこられましたよね。私は間一髪、キスを避けてその場から去りました。

 私は「このままではいけない」と思い、翌日には退部する旨を、職員室にてお伝えいたしました。あれは確か、高校最後の夏のコンクール、一ヵ月前でしたっけ。永井先生はその時、周りに他の教師がいるため、【先生】らしく私を引き留めましたよね。

「今の吹奏楽部には井上が必要なの。井上が退部することは私にとって、自分の右腕をもぎ取られることと一緒よ」

 永井先生はあの時、ちゃんと【先生】らしい、永井先生でしたよ。

 それでも私は部を去りました。


 永井先生は何か勘違いされていたようですが、私は永井先生のことを「愛して」おりました。ただただ、「愛して」いたのです。

 私は今まで何人もの女性に告白をされ、キスをし、セックスをしました。この容姿と、私という人格を「愛する」女性は腐るほどいるのです。

 私にとって永井先生という存在は、「愛してはいけないのに愛してしまった」という、私の人生の中の、一つの『経験値』に過ぎないのです。それなのに永井先生は、越えてはいけない壁を越えようとしてしまった。

 あ、さきほど申しました、ご主人の『不幸の連帯責任』とは、このことではございませんよ。この不幸は幸いにも、私の自制心と拒絶のお陰で断ち切られたのですから。


 さて、記憶をまた例の夏のコンクールへと遡ってください。

 永井先生は【片岡さん】という、当時二年生だったパーカッションのパートリーダーを覚えてらっしゃいますか? 彼女も又、私に「恋」をしておりました。私が退部した後も、度々「部へ戻ってきて欲しい」としつこく迫ってきまして、手を焼いたものです。

 私はさきほど、「言い寄ってくる女性など腐るほどいる」……と申しましたが、女性を軽視しているわけでも、差別しているわけでもありません。「腐るほど……」という表現は言葉遊びの様なモノで、「とても大人数いる」という事実をお伝えしたかっただけでございます。

 なーんて、たとえ音楽という教科であろうと教員である先生に対して、改めてこの様な説明をする方が失礼に当たりますね。

 とにかく私にとって女性という存在は、とても尊い者であり、神秘的な存在であるという認識をしております。女性には女性の良さがあり、男性には男性の良さがあるのです。

 それを踏まえまして、私は女性に対して男女の交際をお断りする時でも、紳士的な対応を心得ております。

 もちろん彼女、片岡さんに対しても丁重にお断りをし続けました。その結果、彼女も自分の気持ちに踏ん切りをつける気になったようで「最後のお願い」と称し、夏のコンクールを観に来るよう、懇願してきたのです。

 退部以来、永井先生との接点を意図的に避けてきた私は、もちろん夏のコンクールへ行く気などございませんでしたが、私にも『慈悲』があります。片岡さんの思い出の一つとして、観に行くことにいたしました。

 コンクールの結果は確か、銀賞でしたね。「中途半端な結果だな」と思った覚えがございますので、間違いないかと思います。

 永井先生は私が観に来ていることに気が付き、声を掛けてくださいましたね。

「来てくれてありがとう」

 私はその一言を聞いた時、やはり大人という者は……【先生】という者は、【人間】といて成熟していて、尊敬に値する存在だ、と実感いたしました。

 あのようなことがあったにも関わらず、私に一言、礼を言うに留め、あのことはなかったことにしよう、としてらっしゃった永井先生のご決断と、人生経験の豊富さによる冷静さに、私の永井先生への愛の炎が、再び燃え上がるのを感じました。

 帰ろうとする私を、片岡さんや他のメンバーが引き留め、集合写真を撮ることになりました。しかし私は退部した人間ですので、そこに加わる権利などない、と断ったのです。が、片岡さんは私の腕を離してくれません。あの「最後のお願い」とは、なんて軽いものだったことか。やはりここでも永井先生と片岡さんとを比べ、永井先生からのお言葉の重さにしびれました。

 結局私は一番端の目立たない場所にこっそり写り込むことになりました。


 その後は先生への愛を密かに温めながら「禁断の愛」は、高校を卒業することで美しく散っていくもの、と思い込んでおりました。

 しかし卒業式の日、私はほんの少し欲が出てしまい、思い出として何か、永井先生の所有物を頂戴したい、と思い立ちました。

 永井先生の部屋として使用していた音楽準備室は鍵が開いており、侵入はとても容易なものでした。

 そこに永井先生と生徒はおらず、耳鳴りがするほどの静けさが部屋に充満しておりました。

 何か永井先生を象徴する物はないものか……? 物音を立てないように永井先生のデスクへ向かいました。

 私の心臓はあと数時間で消滅する、永井先生への愛で爆発寸前でした。

 そんな心境の中、ふと、左側の楽器棚が目に入り、そこにはあの、夏のコンクールで撮影した集合写真が、カラフルなキャラクターでがちゃがちゃした写真立てに収まり、飾ってありました。

 そして私は一瞬、自分の目を疑いました。

 私が写っているはずの写真端、私の顔のみを隠すように、趣味の悪い写真立てのフレームが重なっていたのです。

 もちろん重なっているのは私の顔だけでした。ほかの生徒の中途半端なニヤケ顔が不気味に並ぶ中、私の整った顔面がそこにはないのです。


 私は誤解をしていたようです。

 永井先生は私を、憎んでおられるのですね。

 永井先生からの愛を拒絶し、私が在籍していれば金賞も夢ではなかった夏のコンクールが、中途半端な賞で終わったことに、憤慨しておられるのですよね? 

 私より何十年も長く生きておられる永井先生は、そんなつまらないことを根に持ち、私を侮辱しました。

 この瞬間、永井先生への最大級に膨れ上がった愛に、二十四色の絵の具が一瞬で降り注ぎ、この世で一番汚い色に変わっていくのを感じました。

 たちまちそれは、ある『何か』を形成していくのです。

 その『何か』は、私の身体、いえ、心の奥深くにあるのがわかり、そこへと到達する手前にある分厚い処女膜が、メリメリと音を立てて破ける音が聞こえました。

 心の奥深くにある『それ』は、無限に膨らみ続けます。

 私は生まれて初めて、これが『恨み』という感情であることに気が付きました。

 そして再三申し上げている通り、私は自らの容姿が他より優れていることを自覚しております。その象徴である顔を、不細工なキャラクターで隠されたことにより、とても不愉快になりました。

 私の中の『恨み』とは別に、再び違う『何か』があることに気が付きました。

 その『何か』はその時に生まれたものではなく、元々私の中にあったように感じ、その正体を必死に探りました。

 そしてそれが、『プライド』という分厚い壁であることを知ったのです。

 私の中にこんなにも分厚い『プライド』が存在していたことにも驚きましたが、永井先生は私にとって経験のない、初めての感情を引き出したと同時に、その壁にまでひびを入れたのです。

この感情をどこへぶつけたらよいのか? 

 初体験の連続に動揺し、私は思わず写真立てをつかみ取り、床に叩きつけようとしました。

 今思うと、なんとも滑稽で稚拙な私が、音楽準備室という舞台上に存在しておりました。

「カット!」

 私が「舞台上に」と表現したのには、理由があります。どこからともなく聞こえてきたのです。そう、「カット!」という声が。

「お前はそれを叩きつけるという簡単な復讐で満足なのか? そんなつまらないことで、この舞台の幕を下ろすのか?」

 ……そうです。私の人生の【監督】が、私にダメだしをしてきたのです。

 ……【彼】の存在も、この時初めて知ることができました。

 私はそっと、丁寧に写真立てを元あった場所へ戻し、【監督】の方を向きました。私と瓜二つの姿をしている【監督】と向かい合い、笑いあったのです。

「もっといいもの、魅せてあげますよ」


 さて、もう少しお付き合いください。

 私は手紙の冒頭で、「私立中学校の体育教師になった」とご報告いたしました。

 その職場である中学校とは、私立△△大学付属中学校でございます。

 永井先生にとって、馴染みのある中学校名だと存じます。

 永井先生の娘さんである、みのりさんが通う中学校なのですから。

 中学一年生の実さんとは、体育の授業で交流がございます。一目見て、永井先生のお子さんだということがわかりましたよ。

 唇の形がそっくりで、潤いと血色の良さも、永井先生の血を継いでおられますよね。キスすると厚みがあることにも、気が付きました。きっと永井先生の唇も、実さんのような厚みがあるのでしょう。

 血を継いでいる……と申しました通り、実さんも私のことを簡単に愛しました。そして私は実さんの愛を受け入れました。

 先生とは『一線を越えない禁断愛』を経験させていただきましたので、実さんとは『一線を越えた禁断愛』を、大絶賛経験中でございます。

 永井先生、忘れてはいけませんよ? 私はまだ、永井先生を恨んでおります。

 私は永井先生への復讐に、実さんを使わせていただこう、と思ったのです。永井先生が隠した、私の首から上の代わりに、彼女の首から上をお贈りしようかと。

 この手紙と一緒に、頭一つ分ほどが入るような箱が、置いてあったかと思います。

 是非、今、その箱を開けてみてください。


              *


 恐る恐る目の前にある、本当に人間の頭が一つ分、入りそうな大きさの箱を見つめる。

震える手で包装紙を破ると、中からは真っ赤に塗られた木箱が出てきた。

 ……本当に実の頭が入っていたら……? 

 ……意を決して、蓋を開ける…………、と、中には【イチジク】が、隙間なく敷き詰められていた。

 イチジクを一つずつ取り出し、箱の中に、実の頭が入っていないことが確認でき、ホッとする。

 そして再び、手紙の続きへと目を移す。


       *


 気に入っていただけましたでしょうか? 

 人間をバラバラにするというのは意外と大変なもので、初心者の私には苦労いたしました。骨、ってとても、固いのですね。特に若者の骨は、予想以上にしっかりしているものですから、ノコギリでなんとか落とすことができました。


 ……な~んて! 

 箱を開けずに手紙の先を読んでしまうことを想定して、少々過激なことを書いてしまいました。申し訳ございません。 

 中身のイチジク、是非家族みんなで召し上がってください。


 そうそう、イチジクを半分にすると、中につぶつぶとしたものが見えますが、それがイチジクの『花』なのだそうです。

 先生はご存知でしたか? 

 理科の授業で、タンポポは黄色い花びら一つ一つが独立した花で、茎一本分が一つの花ではなく、花の集合体である……と知った時は衝撃的でした。それと同じような驚きを、イチジクでも味わえるとは……私自身、調べてみて意外でした。

 さらに漢字で書くと【無花果】と書くようで、割らないと花が見えないことに由来しているそうです。


 まあ、そんな能書きはどうでもよいのです。なぜ私がイチジクを、永井先生に贈りたかったか、知りたくないですか? 

 別に【イチジク】を贈りたかったわけではなく、ある花言葉を贈りたかったのです。その花言葉の花が、偶然にもイチジクでした。

 私が卒業式に出会った感情たちのように、意外なところで意外な知識を得られるとは、これも何かの運命のような気がいたします。


 そうそう、イチジクの花言葉でしたね。

「子宝に恵まれる」

 ……という花言葉を贈らせてください。

 女性という生き物は、自分とはまた別の人間の、『命の器』に成ることができるのですから、本当にとても神秘的でございます。

 もちろん、ここでも私は女性を軽視しているわけではありません。

 それは男になど、到底成し遂げられない、素晴らしいことなのですから。

 男は女性の出産時と同じ痛みを味わうと死んでしまう……なんていわれるほど、痛みに弱く、脆い生き物なのです。

 それに比べて『女性』という存在は、生命の起源でもあり、まさに、尊敬に値いたします。


 さて、おべっかはこの辺にいたしまして、さきほど申し上げたことを覚えていますでしょうか? 

「私は実さんの愛を受け入れました」

 この一文です。

 彼女の生理周期は、体育の授業に見学する週から計算して、把握済みです。彼女の生理は重いようで、わかりやすくてありがたいのです。

 ここ数か月、実さんの排卵日に合わせてセックスをしています。

 女の子用の『産み分けジェル』という商品があるのですか、それを「新しい避妊方法だ」と伝えながら、実さんとの性交渉時に使用しております。

 当然避妊できているわけがありませんので、どうなるかは、永井先生ならおわかりでしょう? 

実さんに、最近ちゃんと生理がきているか……、聞いてみてください。

 たしか永井先生のご家庭は、中絶を禁止する宗教に入信しておられますよね? それも、ご主人から聞いた記憶がございます。

 もしも実さんのお腹に、私と先生の血を継いだ命が宿っていたら、嬉しいですよね? 

 永井先生は一度、私を愛したのですから、当然嬉しいはずです。大切に育ててあげてください。


 しかしなんだか、『復讐』をするつもりが『恩返し』みたいになってしまいましたね。でも、不思議なことに、私の中の永井先生への『恨み』の感情が、萎んでなくなりました。

 だとしたらやはり、これは『復讐』なのでしょう。


 散々同僚の体育教師たちのことを「やられたことをやりかえす欠陥人間」、などと申しましたが、私も同じようなことをした「欠陥人間」なのかもしれません。


 永井先生のお陰でやたらと大きな『プライド』を持つと、感情的になってしまうことを学びました。ですからこの際、私は『プライド』を捨てることにいたしました。

 下手な『プライド』を持つと人生の可能性を狭め、バカみたいな復讐に燃えて、時間を無駄にしてしまいます。

 今となっては、私の顔を黒塗りにされようが、「欠陥人間」と罵られようが、痛くも痒くもありません。

 永井先生は本当に、私に色々なことを教えてくださる、立派な【先生】なのですね。


 それはそうと、永井先生は【人間椅子】という【江戸川乱歩】の小説をご存知ですか? 

 小説家の先生の元に届く一通の手紙。読み進めると、その小説家が現在座っている椅子の中に、手紙の送り主が潜んでいて「貴方を愛している」と告白するのです……。一通目の手紙を読み終え、恐怖で怯える小説家の元へ、再び手紙が届きます。その内容は……! 

 ……と、ネタバレしてしまってはつまらないですので、もしもご存じないようでしたら読んでみてください。

 たしか永井先生のご子息であるさとるくんは、読書がご趣味だとか。これも、ご主人から聞いた情報でございます。

 読書好きな聡くんならば、この有名な小説をご存知かと思います。もしかしたら本を持っているかもしれませんし、聡くんに聞いてみてください。

 もしかしたらこの手紙も、その小説のように……。

 あー! この先は言えません。この冗談が倍、楽しめるかと思いますので、知っていることを願います。


 そうそう、その例の聡くんは、今年が高校受験という、大事な時期だったかと思います。

 彼は両親に負担をかけまいと、実さんとは違って経済面で気を遣い、公立の中学校へ通われている、優しいご子息だと聞いております。

 中学三年生という多感な時期、私も経験しましたが、このような、「実母が生徒に手を出し、恨むまで愛した」などという刺激のある内容……、仮に作り話だといたしましても、くれぐれも彼の目に入らぬよう、ご注意くださいませ。

 まあ、私が言わなくても、永井先生ならご自身で判断されるかと思いますが。


 それでは、朝夕は少しずつ気温が下がってまいりました。風邪など引かれませぬようお気を付けください。        

                      敬具


                   井上 慎治


              *


 急いで実の中学校へ電話をし、【井上慎治】という体育教師が在籍しているかを確認する。

「あー、井上先生ですかー。うーん、本当は個人情報なので何も申し上げられないのですが……。あ、永井実さんのご家族ですか。それならまぁ、いいか。でも私から聞いたなんて公にしないでくださいよ? ……井上先生ですが、急に「辞める」という電話が、つい最近あったきり、行方不明で。彼のアパートも実家も、もぬけの殻でして。こっちも困ってるんですよねー。何かそちらでも、井上先生の行きそうな場所ですとか、ご存知ありませんか?」

 手紙には【井上慎治】の住所は書かれておらず、よく見ると切手も消印もない。

 そういえば朝、玄関先に自分宛ての封筒とその下に例の箱が、無造作に置かれていたのだった。直接ウチに、届けに来たのだろう。


 電話を切ると同時に玄関の鍵が開く音がし、心臓が飛び上がった。

「ただいまー……」

 実だ! 確認しなければ。

「実! あの……せ、生理! いつ!? 最後、いつ!? ちゃんと、きてる? せ、生理!」

動揺のあまり自分でも何を言っているのか、「生理、生理」と繰り返す。

「何? 急に……。生理……? そういえば全然きてないや……。てか、なんか吐き気するからさ、早退してきた。胃腸炎かもしれないから近づかない方がいいよ? なんかウイルス性のが流行ってるみたい。受験近いんだし、気を付けてね、お兄ちゃん」


 パサッ


「永井 聡様」


 そう、宛名だけが書かれた封筒と数枚の手紙が、俺の手から滑り落ちた。

                           了

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