皿洗い

「団体さん帰ったから、有沢さんこれ全部よろしくね」

 洗い物の山を仕事として押し付けられる。

 私の担当はホール業務なのだが、今日はいつも厨房で働いている大学生が休んだため、彼の仕事が私に回ってきたというわけだ。

 黙々と目の前のタスクをこなしていけばいい皿洗いは実はそこまで嫌いではない。

 ゴム手袋をつけて早速取り掛かる。

 流水と洗剤で食器を一枚、また一枚と洗っていく。

 こうして単純作業に没頭していると、どうしても頭に考え事が浮かんでしまう。

 私の目下の考え事はもちろん……。

 広井のことだ。

 昨日私は広井に迫ったし、広井もそれを受け入れた。

 キスもしたし、それよりすごいことをする約束もした。

 改めて昨日のことを思い出すと顔が熱くなり、手が止まりそうになるので、頭を振って雑念を追い出す。

 昨日、私と広井の関係はどうなったんだろう。

 おそらく私たちは普通の友人というにはかなり近い距離感にいた。それは確かだと思う。

 でも昨日のことはそれをも軽く飛び越えてしまったとかいうか、なんというか。

 今朝起きたときの広井はいつもと変わらずだった。

 バイトに行くから自分の部屋に帰れというと、ぼーっと起き出していつもの覇気のない顔で私に「いってらっしゃい」と言って送り出してくれた。

 広井は何も意識していないのかな。

 広井にとってはいつものじゃれあいの延長くらいにしか思ってないのかもしれない。

 でもそうじゃなかったら?

 広井は昨日したことから次の段階に進むことも約束してくれたし、とっくに広井の中で私は……。

 ……こいびととか。

 ……つきあってるとか。

 そういうふうに思ってるのかも。

 一旦、落ち着こう。

 広井が私を大切に思ってくれていることは胸が痛いほどに伝わっている。

 憎からず思ってくれているはずだ。

 それを踏まえて、広井という人間を現実的に捉えたときに浮かび上がる最終的な落とし所としては。

 ……なにも考えていないかもしれないということだ。

 こっちがどれだけ頭を悩ませてこれからのことを考えていたとしても、広井の頭の中では「まぁ明日も日は登るだろう」くらいの気持ちで、特別なことなど何も考えていないという懸念は十分にあり得る話だった。

 つまりここまでの私の右往左往は全て無駄なのだ。

 ため息を一つ落として周りを見ると、あれだけあった洗い物は全てなくなっていた。

 ちょうど勤務時間も終わりを迎えていたので挨拶をして更衣室で着替えてから退勤する。

 三月になって暦の上では春になったが、まだまだ吐く息は白く、手はかじかむ。

 その寒さから逃げるように私は家路を急ぐ。

 愛すべきボロ下宿の共同玄関から二階に上がり、自室のドアの前に立ち、鍵を取り出しつつ隣の部屋のキッチン窓を見る。

 部屋に灯りはついていない。

 広井は今日午後からバイトだと言っていたが、まだ帰っていないようだ。

 滑り込むように自室に入り、すぐに暖房のスイッチを入れる。

 畳んだ布団にもたれるように座り、頭を完全に預けてしまうとまた広井のことが頭に浮かんでくる。

 今日の私は広井ばかりだ。

 私ばかりが浮かれていたらどうしよう。

 昨日のことが嬉しいと思っているのが私ばかりだったら。

 そんなことを考えているとすっかり部屋は暖まり、靴下を脱いで足を伸ばす。

 その時、玄関からカチャリと鍵が回る音が聞こえた。

 そちらに目をやるのと同時にドアが開く。

 部屋の合鍵のただ一人の持ち主、広井が入ってくる。

「ただいま」

「おかえり、直接こっち来るの珍しいな」

 広井はリュックを背負ったままなので自室に寄らず、そのまま私の部屋に来たことになる。

「んー……」

 広井は小さく唸りながら踵を踏んだ靴をポイポイと脱いで、下を向いたまま私と目を合わさずに部屋に上がってくる。

 いつものようにあぐらをかいて座るが、なかなか次の言葉を発さない。

 下を向いたままだった広井が、私から視線をずらしたまま顔をあげ、横目で私を見る。

 「早く顔が見たいなと思って」

 暖房の音で危うく聞き逃してしまいそうな大きさの声で確かに広井がそう言った。

 どうやら頭の中に居座り続けてあれやこれやと考えさせたのは私も同じだったらしい。

 また下を向いてしまった広井に飛びつきたくなるほど胸が高鳴った。

 

 

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