『異世界で「ととのい」を布教しようとしたら、僕の施術で女騎士団長がトロトロに溶けた件。〜なお、隣の秘書(女神)が嫉妬で世界を滅ぼしそうです〜』

時空院 閃

第1話 女神の過失致死

 東京、西麻布。  深夜二時を回ってもネオンが消えないこの街の雑居ビルに、会員制の高級サウナ『サンクチュアリ』はある。


「……ふぅ。室温九十度、相対湿度は十五パーセントか。素人は数字だけ見て『乾燥している』と嘆くだろうが、ナンセンスだ」


 サトウ(二十八歳)は、総ヒノキ造りのサウナ室で、一人悦に入っていた。  彼はただのサウナ好きではない。  オーガニックコットンのサウナハットを目深にかぶり、手には高濃度水素水が入ったマイボトル。肌は驚くほど白く、毛穴という概念が存在しないほどツルツルだ。  職業は、フリーランスの経営コンサルタント兼、カリスマ整体師。  しかし彼にとって仕事とは、あくまで「最高のサウナライフ」を送るための資金稼ぎに過ぎない。


「重要なのは相対値じゃない。空気一立米(りゅうべい)あたりに含まれる実際の水分量——すなわち**『絶対湿度』**だ。この温度域で相対湿度十五パーセントなら、絶対湿度は約五十グラム……。これだ」


 サトウは誰もいない室内で、壁の湿度計を見下しながら深く頷いた。


「皮膚を刺すような痛み(ドライ)を与えず、かつ呼吸を妨げない。熱伝導率を最大化し、深部体温だけを効率よく上げる『神の領域』……完璧な計算だ」


 彼の信条は『引き算の美学』。  余計なものを排出し、本来あるべき姿に戻る。デトックスこそが正義。  その思想は、一種の宗教的な領域にまで達していた。


 サトウは胡座をかき、目を閉じて瞑想に入る。  脈拍がゆっくりと落ち着いていく。  意識が研ぎ澄まされ、世界と一体化していく感覚。


「ああ……これだ。交感神経と副交感神経のスイッチング……。今日のととのいは、かつてないほど深くなりそうだ……」


 その時だった。  彼の意識が、フッと途絶えたのは。


 苦痛も、衝撃も、何もない。  まるでテレビのコンセントを突然抜かれたかのように、サトウの生命活動は唐突に、強制終了した。


 彼は死んだことにすら気づかず、「究極の瞑想状態に入った」と勘違いしたまま、あの世へ旅立ったのである。


          ◇


「——きなさい。……起きなさいってば!」


 鈴を転がすような、しかしどこか焦燥感を含んだ女性の声で、サトウは目を覚ました。  目を開けると、そこは白い空間だった。  壁も床もなく、ただ無限に広がる乳白色の世界。  そして目の前には、息を呑むほどの美女が立っていた。


 銀色の長髪に、宝石のような蒼い瞳。  神々しい純白のドレスを纏っているが、その顔面は蒼白で、脂汗をかいている。


「あ、やっと起きた! よかった、魂が霧散してなくて……」 「……ここは? 僕はサウナにいたはずだが」 「ここは死後の審判の間。私は女神ルミナ。……単刀直入に言うわね、サトウさん。本当にごめんなさい!!」


 女神と名乗った美女、ルミナは、いきなり深々と土下座をした。  美しい銀髪が床に広がる。


「わ、私が……管理サーバーの上でカフェラテを飲んでいたら、手元が狂ってキーボードにこぼしちゃって……! 『ショートカット・キー』が誤作動して、あなたの寿命ファイルが【全削除(デリート)】されちゃったの!」


「……は?」


 サトウは状況を整理した。  つまり、事故でも病気でもなく、この目の前の女神がカフェラテをこぼしたせいで、自分は死んだらしい。


「ふざけているのか」 「ひぃっ! ごめんなさい! だって、連日の残業で眠気がピークで……!」 「僕の完璧なサウナタイムを……『ととのい』のゴールデンタイムを、君の不注意で中断させたと言うのか?」


 サトウは静かに、しかし凄まじい圧でルミナを見下ろした。  死んだことそのものより、「サウナを邪魔されたこと」に怒っているのがこの男である。


「す、すぐに生き返らせようとしたんだけど、肉体の方はもう心停止時間が長すぎて戻れないの! だから、お詫びに異世界へ……えっと、『剣と魔法の世界アルカディア』に転生させてあげるわ! すごい特典付きで! だから許して!」


 ルミナは必死だった。  このミスが上司神(ゼウス的な存在)にバレたら、女神の座を剥奪され、下界のコンビニ店員あたりからやり直しさせられてしまう。


「……はぁ」


 サトウは大きくため息をつき、うずくまるルミナの前にしゃがみ込んだ。  そして、スッと彼女の顔に手を伸ばす。


「ひゃっ!?」


 ルミナが怯えて声を上げる。殴られると思ったのだ。  しかし、サトウの指先は、彼女の目の下を優しくなぞっただけだった。


「酷いクマだ。それに、肌が砂漠のように乾燥している。女神様、カフェラテばかり飲んで、水は飲んでいるかい?」 「は、はぁ!? いきなり何を……!」 「カフェインの利尿作用を甘く見過ぎだ。それにこの肩の張り……僧帽筋が岩のようになっている。これじゃあ、指先が痺れてキーボード操作を誤るのも無理はない」 「なっ、なんで肩凝りのことまで……!?」 「姿勢を見れば分かるさ。僕はプロだからね」


 サトウは真顔で、自分を殺した相手に健康指導を始めた。  ルミナは呆気に取られる。  なんなのこの男。理不尽に殺されたのに、なんで私の健康状態を心配してるの? 怒るポイントがズレてない?


「き、気持ち悪いくらい冷静ね……! とにかく時間がないの! 早く転生しないと、私のミスがバレるの!」 「分かった。転生は受け入れよう。ただし、条件がある」 「じょ、条件?」 「君も来るんだ」 「は?」


 サトウはニッコリと、営業用の爽やかなスマイルを向けた。


「君のその体、放っておけない。僕が責任を持って、とことん『ほぐして』あげるよ。それに、異世界という未知の環境で、僕の理想のサウナを作るには、君のような無理の効く……いや、有能なアシスタントが必要だ」 「え、ちょ、私は女神で——」 「行くよね? それとも上司神に『カフェラテ事件』を報告されたい?」 「…………うぅ」


 ルミナは涙目で唇を噛んだ。  完全な脅迫である。  しかし、彼女に拒否権はなかった。


「わ、分かったわよ! 行けばいいんでしょ、行けば! あんたが寿命で死ぬまで監視してやるわ!」


 ヤケクソになったルミナが杖を振りかざす。  まばゆい光が二人を包み込んだ。


「待ってくれ、転生先の環境はどうなっているんだ? 絶対湿度は? 水質は軟水か硬水か——」 「知るかーーーーッ!!」


          ◇


 鳥のさえずりと、むせ返るような湿気。  サトウが次に目を開けたとき、彼は鬱蒼とした森の中にいた。  巨大なシダ植物が生い茂り、見たこともない極彩色の花が咲き乱れている。  気温は三十度を超えているだろうか。じっとりとした汗が肌を伝う。


 普通の人間なら、絶望するシチュエーションだ。  武器も食料もなく、魔物が跋扈する樹海に放り出されたのだから。  しかし、サトウは違った。


「……素晴らしい」


 彼は空を仰ぎ、深く深呼吸をした。


「このまとわりつくような重い空気……飽和水蒸気量に近い、圧倒的な湿度。まさに、天然のスチームサウナだ」


 サトウの瞳が輝く。  東京の乾燥した空気とは違う。この森の空気は、水分と植物のフィトンチッド(癒やし成分)に満ち溢れている。  彼は服を脱ぎ捨てようとして、自分がいつの間にか麻素材の着心地の良いチュニックと、動きやすいズボンを身に着けていることに気づいた。  女神の配慮だろうか。センスは悪くない。通気性は抜群だ。


「まずは水源の確保だな。サウナの後は、良質な水風呂(コールド・バス)が不可欠だ」


 サトウは森を歩き出した。  恐怖心は皆無。なぜなら、彼の脳内では「サバイバル」ではなく「リゾート地の新規開拓」というタスクに変換されているからだ。


 ガサガサッ!


 茂みが揺れ、青いゼリー状の物体が飛び出した。  スライムだ。  大人の頭ほどの大きさがあるそれは、敵意を剥き出しにしてサトウに飛びかかってきた。


 バシュッ!


 スライムの体当たりがサトウの胸に直撃する。  酸性の消化液が服を溶かそうとするが——。


「おっと。元気な子だね」


 サトウは避けもしなかった。  むしろ、胸に張り付いたスライムを、慈しむように両手で包み込む。


「んんっ……この感触……高反発ゲル枕のようだ」


 サトウの指が、スライムの体表にめり込む。  ヌルヌルとした感触。  普通なら気持ち悪がるそれを、サトウは恍惚とした表情でこねくり回した。


「すごい。これはすごいぞ。天然の保湿成分が凝縮されている。ヒアルロン酸の塊じゃないか……!」 「ピギーッ!?」


 スライムが悲鳴を上げた。  攻撃しているはずなのに、逆に揉みしだかれている。  サトウの指は、正確無比にスライムの「核(コア)」周辺にある凝り——魔力の滞留ポイントを探り当てていた。


「君、体が硬いよ? 地面を這いずり回っているから、下半身の流動性が損なわれているんだ」 「ピ、ピギ……ッ♡」


 サトウの親指が、ググッと深くまで押し込まれる。  スライムの体がビクンと震え、青い体色がピンク色に染まっていく。


「そう、そこだ。老廃物を流してあげるよ。力を抜いて……」


 ヌチョ……ヌプッ……。  森の中に、卑猥な水音が響き渡る。  サトウの手つきは、パン生地をこねる職人のようにリズミカルで、かつ恋人を愛撫するように繊細だった。  スライムは抵抗をやめ、サトウの手の中でトロトロに溶け崩れていく。  攻撃の意思(ストレス)が完全に抜け、ただの快楽物質の塊へと変貌していく。


「よし、いい子だ。これで君の体内循環は改善されたはず——」


 ドォン!!


 突然、目の前のスライムが弾け飛んだ。  横合いから放たれた魔法の光弾が、完全に「ととのっていた」スライムを跡形もなく消滅させたのだ。


「え?」


 サトウが呆気にとられて振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。  黒のタイトスカートに白のブラウス。銀色の髪をキッチリとまとめ、眼鏡をかけた知的な美女。  どう見ても、この異世界の森には不釣り合いな「秘書」の格好だ。


 その顔は、先ほど会った女神ルミナによく似ていた。  というか、本人だった。  ただし、眼鏡の奥の瞳は、絶対零度のように冷たい。


「……何をしているんですか、あなたは」 「君は……女神様? いや、秘書のルミナさんか」 「ええ。あなたが心配で、地上に降りてきてしまいました。……で、なんで嬉々として魔物に触っているんですか。バカなんですか?」 「魔物? いや、あれは極上のピーリング・ジェルだよ。もう少しで採取できたのに」 「……はぁ」


 ルミナは深い深いため息をついた。  実のところ、彼女は自分のミスを隠蔽するために監視にきたのだが、早々に後悔し始めていた。


(なんなの、この男……! スライム相手にあんな……あんなエロい手つきで……!)


 ルミナは先ほどの光景を思い出し、頬が熱くなるのを感じた。  ただのマッサージのはずなのに、見てはいけないものを見てしまったような背徳感。  そして、その「神の手」が、自分ではなく汚らわしいスライムに向けられたことへの、謎の苛立ち。


「コホン。とにかく、私はあなたの旅のサポート役として派遣されました。魔物退治も私がやりますから、あなたは変な気を起こさないでください」 「そうか。ではルミナさん、早速仕事だ」 「え?」 「ここを拠点にする。湿度、風通し、そしてさっきの良質な粘液生物。こここそが、僕が求めていたサンクチュアリだ」


 サトウは爽やかな笑顔で、足元に落ちていた手頃な枝を拾い上げた。


「まずは整地からだ。労働の後の汗は、何よりの美容液だからね」 「ちょ、ちょっと! ドラゴンとか出るんですよ、ここ!?」 「ドラゴン? つまり、強力な遠赤外線ヒーターがあるということか……!」


 サトウは恍惚の表情を浮かべた。  ルミナは頭を抱えた。  話が通じない。この男、自分の都合のいいようにしか世界を解釈しない。


「あーもう! 分かったわよ! 死なれたら困るんだから!」


 ルミナはヤケクソ気味に指を鳴らした。  ドサッ。  茂みの奥から狙っていたゴブリンが、彼女の不可視の魔法で即死して倒れた。  サトウは気づかない。  彼は額の汗を拭いながら、充実感に満ちた顔で空を見上げた。


「いい風だ……。整ってきたね」


 異世界デトックス生活、波乱の幕開けである。

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