部室の掃除機(3)

「へっへっへっへ。また会いましたね」

 黒崎先輩は、海浜公園の東屋で待っていた少年に手をふった。

 コンクリート擬木のベンチから立ち上がった少年は、徹夜続きで立ったまま眠りかけている速水傾城と、真顔で佇んでいる三上先生を見上げながら、怪訝そうな顔をした。

「僕が相手をしよう」三上先生がいった。

 少年の背後には、見慣れない執事服がいた。格好が違うだけで、こちらも人間でいえば十歳程度の少年だった。

「今回のゲーム、審判を務めるアドラーです。よろしくお願いします」

「領事裁判権じゃないですか」ふらふらの速水がいった。「不平等だ……こっちだって命が掛かっているんですよ……」

「公平なジャッジを心がけますよ」

「僕はいっこうに構わん」三上先生がいった。

 手番を決めるために、サイコロが振られた。東屋の天辺ではイソヒヨドリが甲高く囀っていた。人類の命運を決める戦いは、ごくひっそりと行われていた。



「《蕃神たちの雷撃》」

 三上先生がカードを発動させた。

 《永劫日和》とのコンボで、自陣のコモンカードを破壊する。

「懐かしいな」少年がいった。

「何がだ?」

「君たちのいう、ウルフシュレーゲルスタインハウゼンベルガードルフの連中さ。やつらも同じ戦略をとっていた。だが、このゲームは一瞬の緩みが命取りになる」

 少年がカードを引いた。

「来たぜ」

 魔力コストを支払い、《用済み》のカードを出す。

 少年は手を伸ばして、三上先生が攻撃力を溜めていた駒を盤外に小突いた。攻防の要だった尖兵が場外に追い出されたことで、人類の防衛網が脆弱になる。ルールブックを読み込んだせいで、観客たちには《用済み》のフレーバー・テキストが読めるようになっていた。

 ――〝これで自由だ! もう魔女の指図はうけないぞ〟

 少年の連撃により、三上先生の陣地内に敵駒が侵入を果たした。しかも手持ちのコモンカードが尽きているので、このターンは魔女を退避させるしかない。強力な駒の進化を許したことで、勢力図が一変した。そこから先の三ターンも、防戦一方だった。だが、山札が再シャッフルされたとき、ディスカードの威力が静かに反響しはじめた。

 間に合ってくれ――速水は祈った。だが、やがて……

「《堅牢魔獄》」

「なんだと――」

 少年が駒をなめらかに移動させた。ついに〈必死〉状態だ。次に対策がなければ、盤面の右下隅に孤立している、人類側の魔女が封印される。その一手前まで追い詰められた! しかも、少年の攻撃側の駒には《堅牢魔獄》の効果が掛かっている。3ターン以内は排除できない。つまり、次ターンの攻撃で、相手の魔女を倒せなければ、人類の敗北が確定する。

「《暗殺幻術》」三上先生がいった。「ドロー三枚」

 コンボの種となる魔力供給カードを、ドローカードの効果圏内で回すことで、効果同士がシナジーを発揮する。連鎖ドローの合間も魔力が安定供給され、ついに目的のカードがやってきた。

「《蕃神たちの雷撃》。今度の雷撃は、ディスカードじゃない。お前の首を取りに行く」

 少年が《用済み》カードで駒を除外し、攻撃に用いた経路――そこに、最後の射線が空いていた。死に体だった三上先生の駒が鎌首をもたげて、魔女に襲いかかった。その狭間に、敵の防衛駒は一枚ある。サイコロで奇数を出せば、攻撃力は六倍で、防衛駒が破壊できる。

「二連続で奇数が出れば」速水がいった。「魔女を倒せる。こちらの勝ちだ!」

「出してみな」少年がいった。

 三上先生が、サイコロを振った。

 一が出た。

 まず、防衛駒が排除された。

 速水と黒崎が、ほっとため息をついた。

「お前たち――まさか、安心したんじゃないだろうな」少年がいった。「いちど当てれば、もういちど当てられる。そうやって手がかりのない深みにはまっていく。もう後はないんだぜ」

「お互いにな」

 乾坤一擲の大一番だった。

 もはや、カードや盤面の戦禍の歴史は意味をなさない。八十億を越える地球人類が――百穣を越えるスケールの数多の生命たちの行く末が、三上先生のサイコロの出方に掛かっていた。

 奇数が出れば、地球の勝利。偶数が出れば、地球の敗北。

「手が汗ばんでいるぜ」少年がいった。

 三上先生は真顔を崩さなかった。だが、指摘は正しかった。

 手中のサイコロは軽かった。信じられないぐらいに。手をひるがえせば、平らな机上に吸い寄せられていくだろう。そして、あっという間に結果が出るのだ。

「クローヴィス星人はゲームに勝ち続けてきた」少年がいった。「どうしてだ? ここ一番という勝負所で、運命は必ず、われわれに微笑んできた。どうしてだと思う?」

「教えてくれるのか?」

「その答えを、君たちが知ることはない」

「先生が相手じゃなかったからでしょう」黒崎がいった。「さあ、先生。やっつけてくださいよ」

「やってみよう」

 三上先生が、手を開きかけた。

 そのとき――青い閃光が、東屋を横切った。

 みなぎる羽音が、握られた拳を殴打した。一羽のイソヒヨドリだった。三上先生の手元を離れたサイコロは机上を離れて、地面で軽やかな音を鳴らしたあと、静止した。

 三上先生と少年は、その数字を目撃した。

「そこまで」審判のアドラーがいった。「勝敗が決定しました――」



「振り直させてくれ!」三上先生が叫んだ。「物言いだ! まだ勝負はついていない!」

「どうなんですかい?」黒崎が、アドラーに聞いた。

「結果は結果です」アドラーがいった。「すでに勝負はついています。ただし、両プレイヤーの合意があれば、サイコロを振り直すこともできるでしょうがね」

「ふざけるな」少年がいった。「やり直しなど、ありうるものか! そこの鳥だって、この星の住民なんだろう。地球の運命が、この数字を選んだのだ。受け入れたまえ!」

「断る!」

「なら、僕を説得してみろ!」

「なぜ、サイコロを振り直すのか」三上先生がいった。「これが素晴らしいゲームだからだ。いくつもの戦略があり、駆け引きがあり、選択肢があり、そのすべてを自分で選ぶことができた」

「本当に? 自分の直感から外れた戦略が、有利になることだってあっただろう」

「それでも――自分の望みとは違うものを選んだとしても――それを選ぶ自分の意志だけは、最後に残された。だから、勝敗に納得することができるんだ。なぜ人間はサイコロを振るのか? 納得したいからだ! サイコロの数字は制御できなくても、自分の手が運命を握っていたという幻想は信じられる。それが、人間であることの幸福、人間であることの矜持なんだ」

「だが……」

 少年が、地面にあるサイコロを見やった。

「あの数字が見えているんだよな?」

「ああ」

「一が出ている。君が勝っているんだぜ」

「だが、僕はサイコロを振っていない」三上先生がいった。「まだ勝負はついていない」

「こんな屈辱は初めてだ……勝手にしろ!」

 先生が、アドラーのほうを見た。「振り直しても?」

「ええ。合意がとれたとみなします」

 三上先生は屈んで、サイコロを拾い上げた。

「終わらせよう」

 そして、あっさりと手を広げ、サイコロを落とした。

 決着がついた。遠くで泡立ちながら離れていくさざ波の真上を、大勢の羽音が過ぎていった。

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