第四話 神経を焼く天使

戦闘が終わった後のアドレナリンが切れると、世界は「痛み」だけで構成されるようになる。


「ぐ、うぅ……ッ」


俺は脂汗を垂らしながら、廃地下鉄の構内を歩いていた。


かつて地下鉄の駅だったこの場所は、今や俺の城だ。


だが、今の俺に安息はない。左腕の義手と神経がつながっている肩口が、まるで火箸を突っ込まれたように熱い。さっきの戦闘で「リミッター解除」をした代償だ。


「歩行速度が低下している。搬送が必要?」


後ろから、鈴のような声がした。


振り返ると、ナインが俺の汚れたパーカーを素肌の上に羽織り、平然とした顔でついてきていた。


サイズが合っていないため、袖から白磁のような指先がちょこんと覗いている。見た目は無垢な家出少女だが、現実は違う。こいつは俺を殺しかけた死神だ。


「……必要ねえ。寄るな」


「非効率的なプライド。理解不能」


ナインは首を傾げ、興味なさそうに視線を外した。


アジトの居住スペース――廃棄された車両の中――に辿り着くと、俺はソファ代わりのマットに倒れ込んだ。


すぐに左腕のメンテナンスをしなければならないが、指一本動かすのも億劫だ。


「傷口の処置を推奨」


ナインが俺の前にしゃがみ込んだ。


彼女は俺の焼けた左肩を無遠慮に掴むと、指先を変形させ、そこから細いレーザーメスのような光を出した。


「お、おい! 何する気だ!」


「壊死した組織の切除と、止血」


「ま、待て! 麻酔は――」


「ない」


ジュッ、という肉の焼ける音。


「ぎゃあああああああああっ!?」


俺の絶叫が地下空間に反響する。


脳髄を駆け巡る激痛。俺が暴れようとしても、彼女の細い腕は万力のように俺を押さえつけて離さない。


「生体反応、乱れすぎ。じっとして」


「痛ぇんだよ! てめぇ、人の心ってのがねえのか……!」


「『心』? 該当する機能(デバイス)は搭載されていない。最速での機能回復を優先する」


数分後。


地獄のような時間が終わり、俺はぜぇぜぇと荒い息を吐いて天井を睨んでいた。


確かに傷は塞がった。だが、何かが決定的に食い違っている。


俺は痛む体を起こし、彼女を睨みつけた。


「……あんた、イカれてるよ」


「正常に稼働中。乃乃重工の製品規格(スペック)に準拠している」


ナインは俺から奪った缶詰を器用に開け、中身を機械的に口に運んでいた。


俺は恐怖を感じていた。


あの圧倒的な破壊力。そして、使い手の痛みなど歯牙にもかけない冷徹さ。


こいつと一緒にいれば、俺の身体は遠からず壊れる。間違いなく、ボロ雑巾になって死ぬ。


だが――。


俺は震える手で、ポケットから一枚の写真を取り出した。


サヤの笑顔が写った、色褪せた写真。


あのヘリを一撃で葬った力があれば。あの狂った出力があれば、満島の防壁だってぶち抜けるかもしれない。


(いや、ダメだ。こんな化け物を制御できるわけがない)


俺は首を振り、その危険な誘惑を振り払った。今はまだ、こいつを利用するなんて考えられない。


「……ナイン。お前、これからどうする気だ」


「当面の目的は、追手の排除。および自己の存在証明(エラー)の解析」


「エラー?」


「私は『命令の矛盾』により満島を離脱した。その原因は不明。解明が必要」


彼女は缶詰を置くと、じっと俺の瞳を覗き込んできた。


カメラのレンズのような、感情のない瞳。だがその奥で、何かが明滅しているように見えた。


「レン。あなたの行動は非論理的。自身の損壊を顧みず、他者を守ろうとした」


「……それが人間ってもんだ」


「人間。……サンプルとして興味深い」


彼女は小さく呟くと、俺の隣のスペースに勝手に座り込んだ。


どうやら出ていく気はないらしい。


「おい、そこは俺の……」


「休息(スリープ)モードに移行。邪魔をしないで」


彼女は膝を抱え、あっという間に動かなくなった。


俺は溜息をつく。


追い出すべきだ。それが生存本能の出した答えだ。


だが、俺は彼女を突き飛ばすことができなかった。その横顔が、どこか迷子のように見えたからか。それとも、俺自身が彼女という「可能性」に縋りたかったからか。


「……勝手にしろ」


俺は義手の痛みを紛らわせるように目を閉じた。


奇妙な同居人は、爆弾のような静寂と共にそこにいた。

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