明くる年

小狸

掌編

 2026年を迎えた。


 明けましておめでとうございます。


 きっと多くの方々が、新たな年を祝する言葉を、世界に発信している頃であると思う。


 私は、そういう行事のようなものになると、どうしても肩の力が入ってしまう性質たちである。堅苦しくなってしまう。人はそんな私を生真面目だというが、何ということはない、私はそれ以外の生き方を知らないのである。もう少し気楽に執筆に臨むことができればより良いのだが、どうしてもその事実に直面すると、若干背筋が伸びる思いがする。


 まあ、そういう性分なのだろうと思って、受け入れるしかないのだろう。


 実家に住んでいた頃は、机の上に並べられたおせち料理を前に、「今年の抱負」を、家族の前で発表させられる行事があった。あれは嫌であった。そういう経緯もあって、緊張してしまうのだろう。


 今年の抱負、ね。


 最初は抱負という言葉の意味が分からなくて、実際に辞書で調べた覚えがある。


 なぜ負けるという言葉が使われているのかというところからが、そもそも疑問であった。新年早々何かに敗北するのか? と初見の時思ったものであった。


 適当に調べたところによると、この「負」は、背負う、という意味の「負」であるらしいことが分かった。


 言葉にすると夢は叶う、と言う人がいる。


 言葉にしない方が夢は叶う、と言う人もいる。


 私は、昔は後者側だった。ただ、どれだけ強い思いを秘めていても、それはたった一人でただ思っているだけに過ぎないと、何となく学んだ。伏線は全て回収されるべき、とか、設定は全て開示するべき、とか。かつてのように、「分からないことがある」ことを楽しむという風潮が無くなってきているのである。発信することによって人から知ってもらえる、人から理解してもらえるという世相を鑑みると、冷静な意見として、前者の方が夢を叶えられそうな気もする。だからこそ、慣れないSNSのアカウントを作って、小説の告知をしているというのもある。


 まあ、言葉にしたからといって、必ずしも夢が叶うとは限らないのは、現実の醍醐味みたいなものだろう。


 現実。


 私たちは現実を生きているのだ。


 虚構でも過去でも、空想でも未来でもない。


 今を、そしてこれからを生きていく上では、情報の開示というのはやはり外せない事項となるのだろう。


 こんな風に400作を超える小説を投稿しておいて何を今さらと思われることを承知の上で言うけれど、私は自分の心を言語化する能力は低い。小説の登場人物たちの会話や心情は追えるのに、自分の心持はてんで駄目なのである。それには家庭環境で「己の感情の発露があまり許されなかった」という事情があるのだけれど、まあ、私の過去編なんて、やったところで精々同情されるか、理解してもらえないのは目に見えている。それはまた別の物語、ということにしておこう。


 発信と、発心の一年としたい。


 今年の抱負を総括すると、そんなところである。


 皆にとって、そして私にとって、良い一年となりますように。




(「明くる年」――了)

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明くる年 小狸 @segen_gen

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