この人を見よ

司村啓大

我が名はイエス

 キリストと呼ばれている。クライストでもある。

 隆々たる筋肉に包まれた半裸の巨躯である。肌の色は浅黒く、巻き毛の髪は肩まで伸びている。その色はやはり黒かった。右手には鞭を握りしめていた。編み込んだ革紐の所々に、獣の牙を突き出させ、それで相手の肌を裂き、肉を削る、そういう鞭である。

 イエスは自らがキリストなどと呼ばれていることはどうでも良かった。

 求道者である。ただただ武を追求し、そして鍛えてきた。

 いつの間にか弟子が集まり、そしてイエスはゴルゴダ道場と呼ばれる施設で弟子たちに武を教え自らも至らぬ者から至らぬ部分を学び、武芸百般に長じ、そして今、その手にあるのは咄嗟に選んだ鞭であり、それもまたイエスの得意とする武器である。

 イエスは教え、そして使う武器全てに長じている。

 そして無手でもまた無敗である。

 ベツレヘムの夜には凄まじい寒気が押し寄せていたが、半裸のイエスは何ほどのこともなかった。凄まじい寒気以上の凄まじい体温が、体の内から発生し全身を覆っていたからである。

 かつてヨハネなる者を、イエスはその巨大な拳で頭を砕き、撲殺した。ヨハネという名の弟子はいるが、単に名前が同じだけである。

 他流派にも遠慮なく殴り込み、時には武器を振るい、無数の相手を打ち据え殺し、そして「ジーザス・クライスト・スーパースター」を意味する謎のヘブライ語を相手の流す血で書き込んだが、余りにも謎なので何を言っているのか誰にも分からなかったがイエスはそういう行いで「我が名はイエス」とベツレヘム一帯に知らしめて、そしてゴルゴダに居を構え、武に迷える子羊たちに教えを与え続けた。

 自分より強い者を育てたかったからである。

 イエスは自らが使う近接格闘技をクラヴ・マガと言い教え続けたが、弟子にはなんですかその意味、という顔をされた。されたと知るや、殴り殺してヨルダン川に死体を遺棄させた。不愉快であったからだ。

 クラヴ・マガは周囲の諸流派、とくに隆盛と言われたユダヤ派空手、今風に英語で言えば「ゼロレンジコンバット」と伝わる接近戦を主とする戦い方に激しく一石を投じていた。ユダヤ派空手の決め技は洗礼と呼ばれるゼロ距離からの鉄槌である。距離を殺して相手に逃げるいとまを与えない。距離は詰めれば詰めるほど良い、とユダヤ派空手では教え、それは非常に強力な立ち技として知られ、ローマ総督ペテロも正式に軍隊格闘術として採用したのである。

 そこに待ったをかけたのがイエスであった。

 彼はユダヤ派空手の欠点に異を唱えた。

「自ら相手に近寄り、そして相手に何もさせずにこれを打つ。そんなものは怯懦のごまかしである。我が名はイエス。怯懦を持たぬ戦い方ゆえ、我が戦い方はクラヴ・マガと名付ける」

 などと突然、叫びながらユダヤ派空手道場に押し入っては相手を撲殺した。

 ときには面倒くさくなって武器を使ったが、やはり獣の牙を縫い込み編み上げた革紐で造った長い鞭がお気に入りであった。イエスはこれを縦横無尽に振り回し、そして相手をずたずたに斬り裂く。フィニッシュムーブは相手の頭に鞭を巻き付け、一気に引き寄せ頭蓋骨まで達する引き裂き方である。イエスはこれを「茨の冠」と名付けているが、気まぐれに鞭を使ったときだけの技なので、その名前をよく忘れる。

 とにかくイエスは強かった。

 殴るだけで人は死に、蹴るだけで人は死んだ。その巨躯は一スタディオンを超えている。イエスはユダヤ派空手を惰弱なものと断じ、自らの提唱するクラヴ・マガなる理念において「武は守ることから始める」などとうそぶいていたが、そもそもイエスは単に殴る蹴るで人を殺せる巨躯であったから、別に術理もくそもなく、単にお前が強いだけだろ、という格闘技門下生にとっては絶望と虚無と空しさを持って心に刺さる絶対的な武の男であり、そもそも道場の主が最も理を無視していたというのもまた、厳しい気持ちになり、まだユダヤ派空手の方が色々教えてくれたな、などとちらりと思ったりしたが、その思いを気取られた者からヨルダン川に轢死体となって流され、水死体になるいとまもなかった。

 であるから門下生は、なんの根拠もないような術理を気まぐれに教え込まれ、そしてイエスは時折門下生を集め「俺に石を投げられるというなら、投げてみろ」などと言ったり「俺の機嫌次第では今、裁きにあう」などと珍妙なことを言い、門下生は本当にこんな道場に来るのではなかったと恐怖した。

 武芸百般に通じるイエスであったが、そもそも何を適当に振り回しても人は死んだ。しかしこんなところにも天稟というのはあるもので、イエスは大変器用に色んな武器を操った。鞭がそのいい例である。

 他にも、何をやらせても、こと人を殺すという一点においてイエスは異常な才能を発揮し父なる神がその威を許したという男であった。

 イエスは増長した。

 だが己の無敵さを他人に試すために、あえて増長したのである。

 増長して振る舞っていれば、いずれ自分を斃そうとするやつばらも出ることだろう。そこには俺のような神の子を斃すにたる術理が編まれているだろう。そう願ってイエスは無法な行為を繰り返し、人々からパンとワインを奪って回っては道場生に与え、そして道場生は「ごめんなさい」と言って元の持ち主に返した。

 時にはイエスに立ちはだかる、剛の者もいた。

 イエスの傍若無人な有様を見過ごせぬと義によって立ちはだかる格闘家もまた多くいたのである。みな大体死んだ。死体はヨルダン川に捨てた。

 そのうちにコロッセオなる場所から流れてきたパンクラチオンなる格闘技を使う男がいた。その男はイエスの右頬を拳で抜き、そして地上から素早く迫り上がる燕のようなハイキックで左頬を叩き、その手強さを褒め、イエスはぶち殺しもせず何故か気まぐれで彼を許し、愛したが、無様を見られたので彼の隣人は殴り殺してやはりヨルダン川に捨てた。

 パンクラチオンを身につけてイエスの元にやってきた者こそ、二十歳にもならぬ秀麗な若武者、ユダである。自らをイスカリオテと称し、イスカリオテ村の出身ですと出身地をきちんと伝えることを忘れない律儀な若者であったが、イエスはそもそも覚えなかった。

 バンクラチオンの妙技をもってしてもイエスを打倒出来なかった。

 ユダは自らを最強と認定していたが、イエスの前ではそんな認識はどうでも良かった。クラヴ・マガは身を守るためのものであり、相手の動きに一歩遅れて対応するのだ、などという一見、博愛に満ちた教義を信じたのが、ユダの失敗である。

 普通に驀進してきてぶん殴ってきたからである。

 咄嗟に合わせた拳がイエスの右頬に刺さり、機会と見てハイキックで畳みかけた。イスカリオテ村では斬馬の蹴りと呼ばれ、その蹴りで馬の首すらこそげ取ると評判になった蹴りだが、イエスの左頬で炸裂しても、何の痛痒も負わせた気配はなかった。

 イエスが単に個体として強すぎるのである。

 おそらく人間ではないとユダは考えた。これは人間に見える何かである。熊とかそういうのである。そう思い定めた。

 ヨルダン川送りをユダが免れたのは、何故かイエスが気に入ったからである。

 クラヴ・マガを完成させるのはお前だろう、などと愛弟子のように扱っていたが、なんでそんなに可愛がられるのかユダには分からなかったし、なんか不気味であったし、こんなやつをやっつけようなどと思うのではなかったと猛烈に反省し、この天地が滅びるときまで最強であろうという生物にいいようにされるがままである。

 実のところ、イエスとて寂しかったのである。

 こいつは見込みがある、などと言って他人を振り回したいという欲が発生し、たまたま、他よりやる、というユダを引きずり回すことにしたのである。他人より、やれない自分が良かったとユダはこの世に産まれてきてから初めてそう考えた。

 しかしながらまた、これも別口で実のところである。

 イエスの武術や武器の理念は正しかったのである。単に、正しいかどうか関係になしにイエスが他人を撲殺していただけで、ちゃんと教えればちゃんと強くなれるという技術が確立されていた。

 誰が確立したかというと、ヨハネやルカやパウロだとかマタイだとか、名前なんかどうでもいいです、引き継いでください、と泣きながら言ってきた弟子たちである。自分たちがやっていることが虚無過ぎて、勝手に術理を考え体系化させていたのである。ユダはそれが理にかなったものである、と確信したが「理にかなっているではないか」と言おうにも弟子たちはユダに全てを押しつけて、四散した。

 のちにヨルダン川には四つの轢死体が浮かぶこととなる。

 同じ名前の門下生には事欠かなかった。

 イエスの横暴は止めることも出来ず、しかもたまには野盗を十人殴り殺してヨルダン川に捨てるなどの善行も行ったため、微妙に周囲に受け入れられていた。奪ってきたパンとワインは丁重にお返しし詫びをした。もうめんどくさいから定期的にパンとワインをあげます、と言われ、イエスのもとには無から湧き出したようにパンとワインが集まったが、そればかり食うのは嫌だと我が儘を言い出したが、実際、それもそうである。

 仕方がないのでユダを最高師範とした門下生たちは物々交換において「本当に申し訳ないのですが」と事情を説明し、大したものとは交換せずに子羊など手に入れて捌き、イエスに献上したりしていた。

 そんな中、ローマ総督ペテロから、ユダに出頭せよとの通達が届く。

 はいはいなんでしょう、という感じで駆けつけてみると、まあ座れ、と促され、パンやワインや子羊を振る舞われ、それは一枚以上上の味であり、なんならブドウなどもついてきたので、ユダはなんだかみじめな気持ちになってきていた。

「ほんとうにあのバカどうにかできんか?」

 とローマ総督ペテロは切り出した。

「放っておけば寿命で死ぬかと思います」

 とイスカリオテのユダは返した。

 最近、イエスのゴルゴダ道場で揉まれた門下生が、立ち会いでユダヤ派空手の猛者を斃す、という事例が頻発している。所詮、立ち技と間合の詰めで勝利する術理の空手である。パンクラチオンの流儀まで取り入れたクラヴ・マガなるものに太刀打ち出来るわけがない。地面に倒れている相手を馬乗りになって殴る蹴るなどどういうことだという話である。

「そうしないと相手が復活しかねません」

 ユダはクラヴ・マガの術理を端的に言った。

 仕掛け、始めたら、殺せ。

 それが唯一である。それが師イエスのやり方である。

「しかしお前は死んでないではないか」

 そう言われてもユダは困る。なんなら殺してくれと思ったのはユダ本人である。

「知らんけど」

「知らんけど言われても、例外はあるんでないの」

「多分、気まぐれです」

「そういう野獣が、一人前に人間の知恵を持ってうろついているのが厄介なのだ、わかるかね、わかってくれ、なんとかのユダ」

「イスカリオテだが?」

「なんだその肩書き。かっこいいとでも思ってんのか。とにかくもうそろそろ何とかしろ。こっちの歩兵隊が壊滅状態になってきている」

「我が道場の門下生もやるものですな」

「あのうすらでかいのが負けん気出して八割ぐらい殺しとる」

「逮捕しましょう」

「あいつに法的な拘束力とか通じると思う?」

「無理」

「だからお前が何とかしろ。なんとかしたら、銀貨やる。俺が嫁を誤魔化して溜めたやつ。三十枚ぐらいあると思う」

「銭金の話で引き受けたらこっちが死ぬっちゅうねん」

「このローマ総督ペテロがヨルダン川に流れるはめになるっちゅうとる」

「いや知らんがな」

 ゴルゴダ道場は独立独歩であり庇護を受けた試しなどない。たまに火を着けられたりする。石も投げられる。火はなんとかごまかすから石だけはやめてくれ、と門下生は泣きながら訴えたので投石は止まった。相手を慮っての門下生たちの言葉であった。その痛切な思いはベツレヘム一帯に響き渡り「あいつらの方が大変なんだな」という同情は色濃く伝わりつつあった。

「では軍を派遣しましょう。何人か死ねばいいだけの話です。数には我が師イエスと雖も勝てぬでしょう」

「歩兵が壊滅状態だって何回言ったら分かるんだお前」

 ローマ総督ペテロの麾下はイエスによって壊滅状態であった。だからこそローマ総督ペテロは、ジーザス・クラヴ・マガ道場最高師範イスカリオテのユダを召し出したのである。お前あいつどうにかしろよという一点で。

 銀貨やるから、と言われて何となく銀貨を袋に入れてぶら下げて、とぼとぼとユダは帰路に着いた。まあ鬱陶しいし、はよ死ね、と思っていたのはユダも同じである。とは言え、タイマンでイエスに勝てるとはどうしても思えない。

 やはり寿命で死ぬのを待つのが一番である。

 二千年ぐらい生きる気がするが、先に寿命を迎えれば勝ちである。あとは後世に委ねるしかないのである。

 とりあえず馬鹿でかいまさかりを用意した。ユダはこんなものでも容易く扱える膂力に秀でている。これは弟子のうちのロンギヌスさんという男の私物であったが、とりあえず一番強そうなので拝借した。生きていたらロンギヌスさんに謝ればいい。

 イエスは今、無理矢理門下生を集めて、いやな顔をしている門下生にパンとワインを押しつけている。

 ユダヤ派空手の理を使うしかない。一気呵成に先手を取ってまさかりを叩き付け、そして死ぬまで殴り続けて撲殺する。もはやユダにはそれ以外の手段など思いつきもしなかった。

「一応、外には兵士着けてやるから、いいようになったらそいつらに渡せ」

 などと言ってきたものだが、ローマ総督ペテロ麾下は十人ほどしかいない。他は大怪我をさせられるか、もしくはヨルダン川行きである。そんな連中があてになる筈がない。こんなところに常駐している田舎の兵士など、まともな連携も取れまい。このイスカリオテ村出身のユダが単騎でやる方がまだ可能性は高い。

 イスカリオテ村が懐かしい。母も父も健在だろう。妹は嫁に行ったであろうか。

 ユダは幼くして格闘技に魅入られ、そして成長し、家を飛び出したのである。ただ各地で得た賞金などは、半分くらい実家に送っていたので立派なものである。そんなくだらんことをして実家を飛び出し、今ここにいるユダは自分を恥じた。

 やはり殺そう。

 なんとかそう思った。せめて自分の人生になにか、勲章のものを授けたい。それで死ぬなら、それも良いと腰を据え、ロンギヌスさんから勝手に拝借した、ばかでかいまさかりを担いで、貧乏くさい晩餐会みたいなところに殴り込んだ。

 だが踏み込んだときには、道場生の姿はなく、真っ正面にイエスがただ立っていた。不意を突く心算であったのに、それだけでユダは動揺し、そしてロンギヌスさんから勝手に拝借したまさかりを抱える力が抜けているのを感じた。

「ユダよ」

 イエスは突っ立ったまま、両腕を肩の高さまで上げるという、なんかよく分からん姿をしていた。それこそがクラヴ・マガの理想とする守りの至高と呼ばれる構えであったが、普通はぶん殴られるだけなのでイエスにしか使えない構えである。

「神は何処にいると思う、神の国は果たしてどこにあると思う。我はそれを探し続けている。ところでなんだそれ何持ってんのそれ」

「うるせえぞ、死ね」

 問答に付き合っているひまはない。一気呵成に近づいて、完全に力が抜ける前に、怯えきる前に、まさかりをぶん回してイエスの脳天に叩き付けた。イエスはクラヴ・マガの理想とする「十字架の構え」にあり、そのまさかりは虚しく空を切ったが、なんで空を切ったのかすらユダには分からない。そのままイエスはアホみたいに両手を肩の高さに上げているだけである。

「神殺しとなるか、なんとかのユダ」

「おめえを殺すだけだよ、さっさと死ね」

 諦めずにまさかりをまた振り回したがやはり空を切った。そしてイエスは身を翻し、壁にめちゃくちゃたくさん飾ってあった武器の中から革の鞭を手に取り、ユダと対峙したのである。

 武器に武器で対応しようとするのはイエスのくせである。

 これであの、単に殴る蹴るするだけで人が轢死体になる有様の手足を封じ込んでいる。というか多分、イエスはバカである。バカに刃物というギリギリ大丈夫な物言いがガリラヤの地では古くから伝わっているが、イエスはそのものである。

 本気になればイエスはバカな分だけ凄まじいものである。

 獣の牙を仕込んだ革鞭を縦横無尽に、音速を超えるような速度で振り続け、イスカリオテのユダは全身を刻まれたが、まだまさかりを放していない。ロンギヌスさんから勝手に拝借したまさかりが血に濡れているので申し訳ないとユダは思った。

「いてえな、この野郎。腹立ってきた」

 まさかりを捨てた。ユダは本当に腹が立っていた。腰を据えて向かい合ってみれば、この理不尽な暴力には苛立ちしか沸かなかった。そして殺到し、また蹴りを放つ。殴り、しがみつき、引き倒そうとする。どれだけやっても、イエスは十字架の構えである。股間を蹴りつけようとも微動だにしない、人間の武術には何の役にも立たない構えでイエスはユダの猛攻を受け止めている。

 そして革の鞭はユダの首に何重にも巻き付き、そして鴨居に吊り下げられていた。最早これまでとユダは覚悟を決める。というか即死させてほしかったが、巻き付きが中途半端で気道がぎりぎり確保されてしまっている。

 足掻こうと手足をバタバタさせたが、単に喉に食い込むだけである。

「ユダよ、我は産まれぬ方が良かったかもしれぬ」

 とかなんとかイエスは言い始めた。さっさとと殺せバカ、苦しいんじゃ、とユダは怒鳴りたかったが言葉は出ない。

「産まれぬ方が良かったが、産まれてしまったのだ。神の手による強姦によって出来てしまったのが我だ。父なる神こそ逮捕されるべきではないか」

 そいつは治外法権にいるんだよ、とユダは怒鳴りたかったが言葉は出ない。

「お前がすべきことをせよ。我は我のすべきことをやろう。二千年くらい過ぎてもまだ生きていたらまた会おう」

 そう言って吊り下げられたままのユダを放置してイエスはいなくなってしまった。二千年どころか今すぐ死ぬところだったが、周囲にいたローマ総督ペテロの十人くらいの連中が、静かになったからやってきたところで危うく救出された。

 息も絶え絶えに辺りを見回すと、壁にワインで「ジーザス・クライスト・スーパースター」を意味する、謎のヘブライ語が大書きされていた。何を言いたいのか何を伝えたいのか、誰にも全く分からない。

 ちなみに傷が悪化して、ユダは三日後にこの世を去った。

 イエスの行方は、誰も知らない。

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