身分証明史の時代区分

■ 概要


身分証明史における時代区分は、身分証明を人間がいかに個人として措定され(人間観)、いかに統治=法制度へ接続され(統治体制と法制度)、いかに本人性が担保され(真正証明)、いかに境界が形成され(包摂と排除)、いかに異議申し立てと迂回が生じたか(抵抗)という複合過程として把握するために有効である。


以下では、共同体的承認からデータ化・計算化・分散化へ至る節点を基準として、身分証明史を9つに区分する。



■ 1. 知人相互承認期(先史〜古代)


・時期

 先史〜概ね紀元後5世紀頃


・特徴

 本人性は、顔・声・振る舞い・記憶といった身体的手がかりと、

 近接的な相互承認によって成立する。


 「誰であるか」は共同体内の関係と評判に結びつき、

 恒常的・可搬的な証明の必要性は限定的である。


・主要装置

 口頭証言、慣習的承認、証人、紐帯(血縁・地縁・職能)


・思想的意義

 身分証明史の原型として、「本人性=関係的信頼」というモデルが成立する。

 真正証明は記号ではなく、共同体的知識の運用として働く。



■ 2. 位階的秩序期(中世)


・時期

 概ね6世紀〜15世紀


・特徴

 身分・宗教的帰属・職分が統治秩序と結合し、人格は制度的序列の内部に配置される。

 証明は主として「所属の確認」であり、

 超越的規範(宗教的権威)と慣習が本人性の外部条件を与える。


・主要装置

 教会簿冊・洗礼等の宗教記録、身分的表象(服制・標章)、証人共同体


・思想的意義

 身分証明が、単なる同一性確認ではなく

 「秩序の再確認」として作動する局面が明確化される。



■ 3. 文書印章制度期(近世)


・時期

 概ね16世紀〜18世紀


・特徴

 移動・取引・統治の拡大に伴い、本人性が文書・印章・署名などの人工的記号へ移送される。

 共同体的承認は残存しつつも、真正証明は「物的証拠+制度的保証」へと比重を移す。


・主要装置

 通行証・旅券の萌芽、証書、印章、署名、台帳


・思想的意義

 信頼の媒介が「関係」から「記号」へ移り、身分証明が可搬化・複製可能化する。

 これが後の国家的登録の前提条件となる。



■ 4. 国民登録形成期(近代国家の成立)


・時期

 概ね18世紀後半〜19世紀中期


・特徴

 統治対象が人口・領域・国民へと再編され、

 徴税・徴兵・治安のために個人識別が制度化される。


 身分証明は、国家機能を駆動する「制度的回路」として整備され、

 個人属性(氏名・出生・国籍等)が法的に構成される。


・主要装置

 戸籍・住民登録の整備、国籍制度、旅券制度の確立


・思想的意義

 身分証明は「既にある個人を照合する」だけでなく、

 制度が個人の同一性を生成する装置となる。



■ 5. 管理合理化期(官僚制・産業社会)


・時期

 概ね19世紀後期〜20世紀前期


・特徴

 官僚制と大規模組織の拡張により、本人性は番号・証明書・カード等で運用され、

 照合と追跡が効率化される。

 写真が社会実装され、身分証明は行政にとどまらず

 雇用・教育・金融などの制度領域へ浸透する。


・主要装置

 身分証明書・各種登録番号、写真付き証明、文書照合手続


・思想的意義

 真正証明が「記号の一致」へ収斂し、

 制度横断的なアクセス制御(包摂/排除の境界作用)が強まる。



■ 6. 安全保障動員期(監視と選別の強化)


・時期

 概ね1930年代〜1950年代


・特徴

 戦時・非常時の統治により、登録・移動管理・住民把握が加速する。

 身分証明は安全保障と直結し、非国民・敵性・周縁集団の選別装置として先鋭化しうる。


・主要装置

 動員・配給等の管理証、国境管理の強化、記録の集中化


・思想的意義

 身分証明史において、包摂と排除が可視化され、

 抵抗(偽装・逃散・地下ネットワーク等)が併走する局面が顕在化する。



■ 7. 権利規制反省期(人権・プライバシー)


・時期

 概ね1960年代〜1990年代


・特徴

 国家的管理の肥大化に対する批判のなかで、

 個人情報保護・手続的正義・差別是正などが規範化される。

 身分証明は「必要性・比例性・透明性」を問われ、正当化の再設計が争点化する。


・主要装置

 個人情報保護の枠組み、本人確認手続の標準化、監視への規制


・思想的意義

 身分証明史が「統治の技術史」から、

 「正当化と異議申し立て(抵抗)」を含む規範的闘争の場として再定位される。



■ 8. データ信用接続期(ネットワーク化と計算的本人性)


・時期

 概ね2000年代〜2020年代


・特徴

 電子署名・オンライン本人確認・生体認証などにより、

 真正証明が確率論的・計算的処理へ移行する。


 身分証明は行政・金融・医療・教育等への“接続点”となり、

 利便性の増大と同時に、アクセス格差による新たな排除が生じうる。


・主要装置

 電子署名、eKYC、生体認証、信用スコアリング、プラットフォームID


・思想的意義

 本人性が「一致/不一致」から「閾値を満たす一致度」へ変質し、

 設計上の政治(どの閾値・誰の誤判定を許容するか)が真正証明の中核に入る。



■ 9. 分散自己主権期(同一性の再配線:予測的区分)


・時期

 2020年代後半〜(予測的区分)


・特徴

 集中型IDと監視化への反作用として、

 分散型ID、ゼロ知識証明、データ最小化等の潮流が強まる可能性がある。


 同一性は「一元的登録」ではなく、用途別・最小限・選択的開示へ向かい、

 抵抗が制度設計そのもの(別様の身分証明の構想)として現れる。


・主要装置

 分散型ID、SNPハッシュ認証、匿名化・暗号技術、選択的開示、データガバナンス


・思想的意義

 身分証明史の焦点が、本人確認の精度競争から

 「誰が同一性を所有し、どのように提示し、どこまで追跡可能にするか」という

 統治構造の再設計へ移行する。



■ 締め


以上の区分は、身分証明史を「信頼→記号→計算」という真正証明の転換だけでなく、統治体制と法制度の結合、包摂と排除の境界形成、そして抵抗の反復という相互作用として捉える枠組みである。


この枠組みによって、身分証明史は、個人識別の技術史ではなく、「誰が誰として存在しうるのか」という問いが制度化され、争われ、更新されてきた運動史として読解可能となる。

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