世にも奇妙な市営図書館

椎那渉

第1話 猫叉

 その図書館には、奇妙な噂があった。


 カレンダーが急に古くなる、館内の壁紙が毎週変わる、本棚の位置が変わるなど、細かいものを入れて数えると六つから七つ程。否、それ以上あるのかも知れない。その原因が分からない為、図書館の七不思議などと言われている。

 そして一番奇妙なことは、外から見れば何の変哲もない市営図書館に、何故そのようなうわさが広がったのか誰も知らないことだろう。いつの間にか実しやかに囁かれ、そのうわさは図書館に務める職員の耳にも入るようになっていた。

 その中のひとり、市営図書館の司書として勤める中谷瑛司なかたにえいじは、今日も閉館後の館内をぐるりと一周回っている。館内に利用者が残っていないか、見回りのためだ。

「よし、今日も異常なし──」

 彼はサラリーマンを辞めた後、図書館ボランティアを経てこの図書館で働くことを決めた青年だ。この図書館に並々ならぬ愛着があり、今はルームシェアしている親友と巡り会えたのもこの図書館がきっかけである。黒のスラックスに白いシャツ、黒のエプロンを身につけた彼は、一見して司書とは思えない出で立ちだった。かつて営業職に務めていたからか、身のこなしも話し方も丁寧で利用者から図書館関係者まで広く信頼されている。当初は離職後の社会復帰の為のボランティアだったが、今では司書の資格を取得し仕事としてこの図書館に寄り添い、生きる糧としている。

 この図書館を利用するのは学生に社会人、子供から老人に至るまでで、文字通り老若男女に親しまれていた。何処から見ても分かる大きな三角の屋根は、街のシンボルのようなものでもあった。あらゆる人々が利用できるようにと、音を鳴らさず振動で職員を呼ぶことのできるヘルプブザーが備え付けられており、その導入を提案したのも中谷だ。

 それ程までに長い間この図書館と共に日々を過ごした彼にとって、七不思議など知的好奇心をくすぐるだけの要素でしかない。件の奇妙なうわさについて利用者から問い合わせられることもあったが、うわさはうわさでしかないと笑ってやんわり会話を切り上げる程度だった。

(図書館の七不思議、か……まるで小説の題材にでもなりそうな単語だな)

 そんなものが本当にあるならば、今まで中谷自身が目にしている筈だろう。うわさが大きくなるのに対し、こうして見回りをしていても異変なく一日が終わるので、少々物足りなく思ってしまうくらいだった。

「…ん?」

 しかし順路の最後、普段鍵のかかっている倉庫に向かう途中で違和感を覚えた。閉館後にも関わらず、何処からともなく物音がする。その音の発生源は古い郷土資料や貴重な文献が並んでいる、古びた倉庫からである。

「誤作動か?にしても、何でこんな時間に…」

 中谷が腕時計を見ると、時刻は二十時を回っていた。閉館から既に二時間も経過しており、しかもその倉庫は常時施錠されている。侵入しようとしても鍵をこじ開けようとしたり防犯カメラが察知すれば、警備会社に直通で連絡が行く筈だ。

 中谷は小走りで倉庫へ向かい、入口の扉を開ける為解錠しようと鍵穴に鍵を差し込む。しかし幾ら回そうとしても手応えがなく、まるで既に鍵が開けられているかのような反応だった。

「おかしいな。誰か居るのか?」

 鍵を引き抜いてドアノブを回すと、扉が勝手に内側へと開いた。倉庫の中は何ら変わりないようで、緊張で湿った手のひらをエプロンで拭う。

「……なんだ、誰もいないのか」

『ここだよ』

 中谷の足元で明確な声が聞こえ、そちらを向かないように必死で「幻聴だ」と自分に言い聞かせる。頭の先から血の気が引いて、眩暈までしそうだった。足元で喋る生き物など、転がった人間くらいしか思いつかない。しかし『それ』は遥かに人間よりも小さかった。

「さて、…帰るか」

「おい無視をするな」

「……」

 恐る恐る声が聞こえてくる方向を見遣る。足首に柔らかいものが巻き付き、それが生き物のシッポだと分かるまで数秒程ラグがあった。

「……ねこ?」

「あんな可愛いものと一緒にしないでくれ。俺様は猫又だ」

 喋っている『それ』はそう名乗っているが、見た限りごく普通の(やや太めな)黒猫にしか見えない。中谷は思考が追いつかず「ふーん」と気の抜けた返事しかできなかった。片足に巻きつく二本のシッポは、探るように中谷の膝を這う。

「ふん、ニンゲンか」

「いや…なんだと思ったんだよ」

「ここは何処だ?何故俺様はこんな湿っぽいところに…」

「人の話を聞きなさいよ」

 まさか人語を解する黒猫に説教をするとは思わなかった中谷は、妙に冷静になり辺りを見渡す。その倉庫には古くから伝わる紙の束や何だかわからないものまで仕舞い込まれていたが、まさか猫又まで封印していたのでは…と一瞬得体の知れない薄気味悪さに襲われる。

「…こ…ここは仲之俣市立図書館の倉庫だよ。物音をさせたのは君だろう」

「音ぉ?何のことだ。それに『君』なんて呼ぶんじゃねぇ。俺の名は……えっと…」

「?」

「…いや、名なんぞ無かったな…悪名高い猫又、それが俺様の二つ名だ」

「じゃあマタスケとかでいいかな」

「なんでそんなダサい名前にしやがる!もっと強そうな名付けはできねぇのか」

 黒猫…もとい黒い猫又はシャーと真っ赤な口をかっ開き、中谷に威嚇するが如何せん迫力に欠けていた。猫又と言うのも真実味がないが、猫が喋っている時点で既にSFか怪奇小説の世界に迷い込んでいるようだ。

「えー…それじゃ、又三郎とか…漆黒とか」

「シッコク!良いじゃねぇか!今日から俺は猫又のシッコク様だ」

「ふふ…それで、シッコク様は何でここに居るんだ?」

「…俺ぁ随分と昔にニンゲンから封印された大妖怪だ。それから既に四百年近く経過して、ようやく魂が輪廻転生の軌道に乗ったんだが…視界は狭いしニンゲンは頭が高いし何てザマだ」

「そっか…それは大変だね」

「貴様他人事だと思っているだろ」

「いやぁ他猫事かな?それよりこれからどうする?お腹空いていない?」

「……」

 シッコクの尻尾がぴたりと動きを止め、萎れるように力を抜く。どうやら随分と空腹のようで、中谷は苦笑を浮かべ屈んで彼の顎下を撫でた。

「…ほんとにニャンコみたいだな。どうだい、交換条件ってのは」

「あん?」

「俺のうちに来ないか?ご飯も食べれるし、ふかふかの寝床も提供しよう。その代わり、この図書館の『七不思議』を調査するのに手を貸してほしい」

「なんでぇそれは」

 黒猫又は丸い目を更に丸くして、金色の瞳を瞬かせる。見たところシッコクは毛が長くふさふさしているが、長毛種の類ではないと判断した。柔らかい毛並みを手の平で堪能しつつ、中谷は早速本題に入る。

「どうもこの図書館、色々と不思議な噂があってさ。それが真実にしろ狂言にしろ、今日君と出会えたことで何かが起きそうな気がするんだ。俺はこの図書館の司書なんだけど、その妙な噂のせいで利用者の足が遠のくのが嫌で…どうか頼むよ」

 シッコクのいう事が本当なら、この図書館で噂として囁かれている七不思議もなんとなく真実味を帯びてくる。当猫は顎下を撫でられ、目を細めて気持ちよさそうな顔をしているが。

「ウにゃ…仕方ないな、この俺様の力を貸してやる。その代わり、腹いっぱい食わせろ」

「ああ、いいよ。そうだ、俺の部屋ペット可マンションなんだけど、一人暮らしじゃないから先に言っておくね」

「あん?おめぇ…まさか妻子持ちか?」

「えっ」

「餓鬼はよしてくれ。あいつらいつも尻尾を引っ張りやがるんだ…」

 『いつも』と言うことは何度か生まれ変わりを経験しているのだろうか。猫の魂百まで生きると言われていること思い出し、中谷は何とも言えない気分でシッコクの背中を撫でる。

「あぁ、そこは大丈夫。えっと…同居人なんだけどね。ルームシェアしてて…簡単に言えば居候かな。大人の男性だけど、優しいよ。あとは…目が見えないんだ」

「あぁ…子供でないなら大丈夫だが…今時はあれるぎぃってのが流行りなんだろう?大丈夫なのか」

「ふふっ、流行りではないけど大丈夫だよ。君、封印されてた割に現代のこと詳しいんだね」

「ここに居りゃあ色んな話が耳に入るからな。図鑑に載った同胞を見て諦める子供とかもいるんだろ」

「まぁ、たしかにね…。動物を飼いたくても飼えない子供たちもいるからなぁ。それじゃ、シッコクを抱っこしていい?見回り終えて帰らないと」

「自分で歩けるからでぇじょうぶだ」

「そう?もしかしたら単身だと出れないかもよ。館長が七不思議のうわさを聞いて、霊験あらかたな人が書いたらしい御札をあちこちに貼ってるから」

「ケッ…仕方ねぇ。なら、丁寧に抱き上げな」

 中谷は慣れた手つきでシッコクを抱き上げると、ふわふわとした毛並みに顔を綻ばせる。

 こうして世にも奇妙な市営図書館で邂逅を果たした一人と一匹は、一見すると黒猫とその飼い主のように見えた。しかし七番目の七不思議が「郷土資料倉庫の中に猫又が封印されている」と言われていることを、二人が知るのは後日のことである。

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2026年1月9日 18:00

世にも奇妙な市営図書館 椎那渉 @shiina_wataru

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