第16話
「……ねえ、キースさん」
ルシアンは、朝の光が差し込むリビングで、非常に不機嫌な声を上げた。
「……なんだ」
対面に座るキースもまた、いつになく眉間に深いシワを刻んでいる。
「外が、うるさいのですけれど」
ルシアンが指差した窓の外。
そこからは、いつもの鳥のさえずりではなく、ざわざわとした人間の話し声が聞こえてくる。
それも一人や二人ではない。
百人単位の騒音だ。
「……確認する」
キースは無言で立ち上がり、カーテンの隙間から外を覗いた。
瞬間、彼の瞳が「虚無」になった。
「……どうしました? またアラン殿下ですか?」
「……違う」
キースはカーテンを閉め、重々しく告げた。
「……観光地になっている」
「はい?」
ルシアンは耳を疑った。
観光地?
ここは人里離れた森の奥。地図にも載っていない廃墟(元)だ。
ルシアンはおそるおそる窓に近づき、隙間から外を見た。
「…………」
絶句した。
森の入り口から屋敷へと続く小道に、長蛇の列ができていたのだ。
貴族の馬車、商人の荷車、さらには徒歩で来たと思われる平民たちまで。
彼らは手に手に花束や供物(果物や菓子)を持ち、屋敷に向かって祈りを捧げている。
そして、あろうことか屋敷の敷地境界線ギリギリのところに、屋台が出ていた。
『聖女ルシアン様の沈黙まんじゅう・一個銅貨五枚』
『ご利益あり! 魔除けの無言お守り』
「……なんなの、これ」
ルシアンの膝が震えた。
「ここは神社か何かですか? それとも私はいつの間にか死んで神になったのですか?」
その時、床下からスッと黒い影が現れた。
キースの部下、諜報員Aだ。
「ご報告します、閣下、お嬢様」
「説明しなさい。今すぐ」
ルシアンが詰め寄ると、諜報員Aは淡々と報告書を読み上げた。
「先日の夜会での『悪役令嬢の沈黙』および『セクハラ伯爵撃退』の武勇伝が、尾ひれがついて拡散されました。その結果、現在お嬢様は『俗世の欲望を捨て、森で真理を探究する沈黙の聖女』として神格化されております」
「……聖女?」
「はい。人々は貴女の『沈黙』にあやかりたい、一目そのお姿を拝みたいと、巡礼ツアーを組んで押し寄せています」
「ツアー!?」
「ちなみに、先頭の集団は昨夜からテントを張って場所取りをしていました」
ルシアンは頭を抱えた。
「帰って! 全員帰して! 私は聖女じゃなくて、ただの人間嫌いの引き籠もりよ!」
「それが逆に『謙虚だ』『高潔だ』と解釈されておりまして……」
「解釈違いも甚だしいわ!」
ルシアンはキースを睨んだ。
「キースさん! 貴方の『殺気』で追い払ってください! いつもみたいに!」
キースは首を横に振った。
「……無理だ」
「なぜですか! 貴方は『影の英雄』でしょう!?」
「……殺気は、敵意のある者にしか効かない」
キースは外の群衆を指差した。
「……奴らは、善意だ。……純粋な崇拝と、好奇心だ。……敵意がない人間に、俺の威圧は通じない」
「そんなバカな……」
ルシアンは絶望した。
善意のファンほど厄介なものはない。
攻撃してくるわけではないから、こちらも手荒な真似ができない。
「じゃあ、どうすればいいの? このままでは、私の静寂ライフが『握手会ライフ』になってしまうわ!」
「……対策はある」
キースが言った。
「……結界を張る」
「結界?」
「……『認識阻害』の魔術だ。……ここを、誰にも見つけられない場所にする」
「できるのですか!? 最初からそれをやってくださいよ!」
「……準備に時間がかかる。……それに、大規模な魔術は目立つ」
キースは部下に指示を出した。
「……四方に結界石を配置しろ。……半径五百メートルを『濃霧』で覆え。……道に迷わせて、自然に帰らせろ」
「はっ! 直ちに!」
部下たちが床下へと消えていく。
数分後。
窓の外が、真っ白になった。
牛乳をこぼしたような濃密な霧が、森全体を覆い尽くす。
「おお……」
ルシアンは感嘆した。
外のざわめきが、少しずつ遠ざかっていく。
「あれ? 屋敷が見えないぞ?」
「道が……消えた?」
「キツネにつままれたようだ、帰ろう……」
群衆の声が霧の中に吸い込まれ、やがて聞こえなくなった。
「……成功だ」
キースがサムズアップする。
「……これで、誰もたどり着けない」
「素晴らしいです、キースさん! これでまた平和が――」
ルシアンが安堵の息を吐こうとした、その時だった。
ピンポーン。
「…………へ?」
森には存在しないはずの電子音――いや、魔法具の呼び出し音が響いた。
「……誰?」
ルシアンとキースが顔を見合わせる。
霧で誰も来られないはずだ。
キースが警戒しながら玄関に向かい、扉を少しだけ開けた。
そこには、一人の老人が立っていた。
長い白髭に、星柄のローブ。
手には杖を持ち、ニコニコと笑っている。
「やあやあ、霧が深くて難儀したよ。しかし、この程度の結界なら、ワシの『千里眼』には通用せんがね」
「……誰だ」
キースが低い声で問うと、老人は杖を振った。
「ワシか? ワシは王立魔法アカデミーの学長、ダンブル……じゃなくて、マーリンだ」
「学長!?」
ルシアンが叫んだ。
この国の最高学府、魔法アカデミーのトップにして、伝説の大賢者と呼ばれる人物だ。
なぜそんな超大物がここに?
「いやあ、噂を聞いてね。『沈黙の聖女』が住むというこの地に、どんな高度な結界が張られているのか興味があってな。……ふむ、この霧、なかなか見事な術式じゃ。独学かね?」
マーリン学長はズカズカと上がり込んできた。
「ちょ、困ります! 不法侵入です!」
「固いことを言うな。お詫びに、この『自動肩叩き機(魔法式)』をあげよう」
「いりません!」
「では本題じゃ」
マーリンはルシアンをじろじろと見た。
「君、魔法の才能があるな」
「は?」
「その『沈黙』への執着。そして『孤独』を愛する精神性。これぞ魔術師に不可欠な資質じゃ! どうだ、ワシの弟子にならんか? アカデミーに入れば、研究室という名の完全個室(防音完備)がもらえるぞ?」
「……防音完備?」
ルシアンの心が揺らいだ。
「衣食住保証。誰とも会わずに研究に没頭できる。図書館へのアクセス権付きじゃ」
「……魅力的ですね」
「待て」
キースが割って入った。
彼はルシアンを背に隠し、マーリンを睨みつけた。
「……勧誘はお断りだ」
「おや、君は? ……ほう、その魔力、ただの庭師ではないな?」
「……ルシアンは、渡さない」
キースの周囲に、黒い魔力がバチバチと迸る。
「……彼女の研究室(ここ)は、俺が守る」
「ほっほっ、愛じゃな。若いのう」
マーリンは楽しそうに笑った。
「まあ、無理強いはせんよ。ただ、この場所が有名になりすぎたのは事実じゃ。ワシのような『力ある者』なら、結界を破って入ってこられる。……これからも、変な客が来るぞ?」
「……全排除する」
「力ずくでは限界があるじゃろう。……そこでだ」
マーリンは懐から一枚の札を取り出した。
「これを玄関に貼っておけ」
『猛賢者、実験中につき立ち入り禁止。入れば爆発します』
と書かれている。
「ワシの署名入りじゃ。これを見れば、大抵の魔術師や貴族はビビって帰るじゃろう」
「……魔除け?」
「まあ、そんなもんじゃ。その代わり、たまにワシとお茶をしてくれんか? 最近の若いもんは話がつまらなくてのう」
「……静かに飲むだけなら、許可します」
ルシアンが妥協案を出すと、マーリンは「交渉成立!」と叫んで、キースが入れたコーヒーを勝手に飲み干し、風のように去っていった。
「……嵐のような老人だったな」
キースが扉を閉める。
玄関には、マーリンの魔除け札が貼られた。
「……でも、これで少しはマシになるかしら」
ルシアンは疲れたようにソファに沈んだ。
「……聖女に、賢者の弟子……。私の肩書き、どんどんおかしいことになっていません?」
「……気にするな」
キースが隣に座り、コーヒーを入れ直してくれた。
「……お前は、ただの『ルシアン』だ。……俺の、大切な」
「……そこから先は言わなくていいです」
ルシアンは顔を赤くして、コーヒーを啜った。
外はまだ霧に包まれている。
野次馬の声は聞こえない。
だが、マーリンの予言通り、これで終わりではなかった。
『有名になりすぎた』という弊害は、さらなる大物を引き寄せようとしていた。
次に現れるのは、ルシアンの『沈黙』を打ち破ろうとする、最強の「おしゃべりモンスター」かもしれない。
ルシアンの平穏は、依然として薄氷の上にあった。
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