人間であるとはどのようなことか?

三雨ぬめり

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 今日もまた退屈でくだらなくてグダグダとした汚泥の一日に魂が回帰した。

 眠りに着く身体に確かに開放されたはずの魂が戻ってきてしまったのだとかいう妄想に落胆して、俺は手短に身支度を整えてスクールバッグを片手に家を出た。

 ああ──俺は知っているのだ。

 この世界は俺以外俺と造りが違うと。


「あっ、おはよう松久くん」

「……おはよう」


 ニパニパと笑う幼馴染は、図書委員の可憐な子。

 こんな子が俺に構う訳がない。そういう常識を頭に入れているからこそ、俺は眼鏡を押し上げて口の中で舌打ちするのだ。


「松久くん、今日テストだって」

「……数学の」

「そう。松久くんって数学得意だったよね? ノート見せて!」

「……いいけど」


 こんな風にほろほろと顔を緩める女の中身は機械である。

 確かめたことはない。一応──不確定な事実だったから。

 万一、もしもこの女を切り刻んで中に鋼が混じっていなければ、表皮の下には電子機器が廻っていなければと思うと不愉快だったから。


「私ね! 今日朝フレンチトーストを食べたんだ。イチゴのジャムも乗せちゃった」

「……ブドウじゃなくて?」


 前の設定との齟齬を指摘すると、図書委員の女子生徒はキョトンと首を傾けた。人間的に。


「よく覚えてたね? 私、イチゴのジャムよりブドウが好きなんだけど、お母さんがジャムの詰め合わせを貰ったから。だからイチゴ」

「……そう」


 よく出来た機械だ。

 俺にはまるで人間としか思えないくらいの傑作だろう。

 これが何機も、何万もこの地球上には蔓延っている。俺の目の届かない所ではどうしてるかは知らないが、少なくともニュースで撮影されたキャスターはこの女のようだし、そこらで行き交う犬猫すら生き物に似ている。

 全部が偽物なのだ。

 全部が、全部が。

 そう気付いて、俺は最初は悲しくて、途中は怒り狂って、


「松久くん!」


 はっと前を見ると、電柱が目と鼻の先で突っ立っていた。


「……ごめん」


 必要のない謝罪をして、いいよと笑う女子生徒の背後を追った。

 ──俺はどうしたのだったか。

 ──確か、確かそれから気付かれないようにしたのだ。

 決して俺が気付いていることに気付かれないように、こいつらに悟られないように、俺の思考はノートにも教えていない。

 バレたらどうなるのか、分からなかったのだ。

 あいつらはもしかすると、俺も機械と勘違いしているんじゃないかと思った。こいつらは俺も仲間だと思っているから襲わなくて、そうじゃないと知れば殺される──のでは。と。

 何でこいつらが人間の真似事をしているのかは知らない。知っていても興味はないだろう。

 だから、もしかするとこの女や、その他は自分を人間と勘違いしているんじゃないかとは思わない。

 人間と勘違いなんてしないはずだ。

 俺が気付いたのに。


 椅子に着く。鞄を置く。足を揃えて、やっぱり脱力する。黒板を見る。教師をレンズ越しに見る。

 雑音にしか聞こえない言葉を、聞き取ろうとしてみる。

 それが終わる。


「松久くん松久くん、次の時間テストだからさ」

「……貸すよ」


 ノートを取り出して、渡す。ブルーのノートだ。数学とマッキーで書かれていて、それを図書委員の女は有り難そうに受け取る。

 どうせ五分休みなのに。

 イヤ。

 ──どうせ、中身は機械なのだ。


 テスト、テストと舌で転がしてみた。発音はしない。テ、ス、ト。舌が少し前に出て、空気を出して、一瞬着いて離れる。何だか何処かの小説みたいに思えて、この舌の動きは俺特有のものだと思うと目が痒くなった。

 機械はどう発音するのだろうか。モーターを唸らせて、胸の辺りに内蔵されたスピーカーからか。

 嗚呼でも。

 みんな口がパクパク動くから、どうやってか喉から発話しているのやも。

 次の時間になると図書委員の女はアリガタヤと唱えてノートを返しに来た。変なシールもオマケで。


「アリガタヤアリガタヤ」

「……やめてくれ」

「えへ。でも本当に助かった。ありがと」

「……さっさと戻れば」


 嘘なのだ嘘なのだ嘘なのだ。

 紛い物がホラを吐いているに代わりはない。むしろそれが正しい。

 機械に予習もノートも要らないし、これは俺を騙くらかすためだけの無駄な、無意味なを繰り返しているに過ぎないのである。

 頭を掻きむしる代わりに、指でシールをなぞった。爪を立てて、表面の薄く膨らんだ、完全に無意味なマスコットを引っ掻く。

 図書委員の女。

 人間は誰も読まない本を世話する無駄な生徒。

 シールを引っ掻いた後、爪の隙間に無駄が挟まったような気がした。


「松久くーん」


 放課後である。


「……委員会は」

「サボり!」

「……ふざけるんじゃない」

「毒舌め。モテないぞ」


 何処にでも居そうな量産型フォルムみたいな造形のクセに。


「シール、眼鏡ケースにでも貼ってね。」

「……」

「色は、赤色が好きなんだあ。あ、私がね? 松久くんは……ああ待って。当てるから」


 緑と言われてオレンジと答えた。

 オレンジは好きじゃないけど。外したらどんな言い訳をするのか聞いてやろうと考えた。


「松久くんって名前が緑だからなー。完全にミドリなイメージだったよ」


 理解出来るような出来ないことを聞いて、俺は椅子から立ち上がる。教室の入口で、通せんぼするみたいに片手で入口を塞いでしまっている女子生徒が居たから、彫刻刀の入った箱を取りやすいよう鞄に手を入れて、反対側の出入口から出た。


「ちょいちょい」

「……何」

「そこはどうして誰もいない教室に? まさか僕を待っていたの? そして今から告白か! とか言わないの?」

「……ライトノベルじゃあるまいし」

「ライトノベルをバカにするんじゃありませんっ」


 半歩後ろに下がると、一歩教室に侵入された。同クラスだから、侵入もクソもないが。


「──あのね、松久くん。私、気づいちゃったんだ」


 オレンジ色に染まった顔で、図書委員の女は深刻そうに顔を俯かせた。


「何──に──」

「松久くんについてなんだけどね、私っ」


 その言葉を聞いて、咄嗟に浮かんだ可能性に刃物を取っていた。夕日に揺れて人工的な瞳に耐えきれなくなって、鞄を放り投げて突進する。

 腰の辺りに深く構えた刃物が衣服を貫通するのは割と容易く、男子がやれば機械だろうと肌に入る。

 肌には弾力があって、勢いに任せて入れたから手元の感覚は曖昧だが──刺さった時の、ブツンとゴムが裂けたような感覚は分かった。


「──あ?」


 前倒れに倒れて、俺は彫刻刀が抜けないよう祈った。

 ああ、やってしまった。

 これで分かるのだ。

 これで、これで血が流れてくれば。──あるいは、内臓があれば。

 望み通りに熱い液体が手に垂れてきて、慌てて肌を掬ってとると、それは黄色味を帯びた透けた液体だった。


「オイル……」

「好きです、松久くん」


 機械はバカにするように甘ったらしく、俺と目を合わせてそう言った。

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人間であるとはどのようなことか? 三雨ぬめり @nmnmklll

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