異世界からブツを運んで百万円。

ミTerら使

第1話 プロローグ

 最初に聞かれたのは、名前でも年齢でもなかった。


『———運ぶだけ。中身は見ない。途中で逃げない。それ、守れる?』


 イヤホンの向こうの声は、男とも女ともつかない加工音だった。感情の起伏が削り取られていて、時報を聞いているみたいに平坦だ。


「……守れます」


 自分でも驚くほど、即答だった。



 ◇



 深夜一時。

 場所は、取り壊し予定の雑居ビルの三階。エレベーターは止まっていて、階段は尿と埃の匂いが混ざっていた。


 ———ここで百万円。


 頭の中で、その数字だけが異様に浮いている。


『じゃあ、扉が開くまで動かないで』


 通話は切れなかった。切らせてもらえなかった、と言った方が正しい。


 『扉』という割には何もない壁を見て、一分。三分。

 ひび割れたコンクリートの床に立ったまま、五分。十分。

 逃げ出そうと思えば、いつでもできた。


 でも———


 もう、戻る理由がなかった。


 仕事は切られ、家賃は滞り、スマホの未払い通知が毎朝鳴る。

 「普通に生きる」ためのルートから、気づいたら外れていた。


 だからこのバイトを「怪しい」と判断する思考そのものが、どこか他人事だった。


 ——ぎ、と。


 空気が軋む音がした。


 正面の壁。

 何もなかったはずの場所に、縦長の影が滲み出る。


 黒い。

 いや、黒いというより——暗さそのものが切り取られて、貼り付けられたみたいだった。


「……え」


 影は、扉になった。


 蝶番もノブもない。ただ、人一人が通れる幅の“裂け目”。


 鼻を突くのは、鉄と土と、そして———血の匂い。


『開いたね』


 声が、少しだけ楽しそうになる。


『向こうから荷物が出てくる。受け取って』


「ちょ、ちょっと待ってください。これ、何なんですか」


『異世界』


 一拍も置かず、言い切られた。


『安心して。君が思ってるほど、特別な場所じゃない』


 安心できる要素は、どこにもなかった。


 裂け目の向こうから、誰かが歩いてくる。


 重い金属音。

 ランプの光に照らされて現れたのは——


 全身をくすんだ鎧で覆った、人型の何かだった。


 顔は兜で隠れている。

 だが、目の位置だけが赤く光っている。


 そいつは無言で、木箱を差し出した。


 小さな棺みたいな箱だ。

 表面には、見たことのない文字が刻まれている。


『それが荷物』


「……中、何ですか」


『見ないって言ったよね』


 声のトーンが、少しだけ下がった。


『知ったら、戻れなくなるよ』


 鎧の指が、箱から離れない。


 まるで———

 渡したくないみたいに。


 それでも、俺は箱を受け取った。


 ずしり、と重い。


 木箱の隙間から、ぬるりとした熱が伝わってくる。


『指定の場所に置いたら、連絡して。

 確認が取れたら、口座に百万円』


「……それだけですか」


『それだけ』


 鎧の存在が、扉の向こうへ下がる。

 裂け目が、ゆっくりと閉じ始める。


 最後に、赤い光がこちらを見た。


 ———その目は、同情しているように見えた。


 扉が消え、元の汚れた壁に戻る。


 静寂。


 俺は、箱を抱えたまま立ち尽くしていた。


『初仕事、おめでとう』


 指示役の声が、耳元で囁く。


『ああ、言い忘れてた』


 一瞬の間。


『この仕事、途中で辞めた人間は———次の“荷物”になる』


 喉が、ひくりと鳴った。


『じゃ、気をつけて運んで』


 通話が切れる。


 暗い廊下で、俺は一人になった。


 腕の中の木箱が、

 ———中から、叩いてきた。


 それでも、俺は歩き出した。


 百万円のために。


 それが、

 俺が異世界の闇バイト運び屋になった夜だった。

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異世界からブツを運んで百万円。 ミTerら使 @mitara4_SHI

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