TARGET03:消えた宝石

第9話

   ◇


 あれはちょっと強引過ぎただろうか。抜けるような青い空を見上げていると、そんな罪悪感が胸を過ぎりそうになる。

 南の島、と聞いて、てっきり白い砂浜に椰子の木が立ち並び熱い太陽が照りつけるような南国リゾートを思い浮かべていたが、その島は想像よりもずっと南、赤道を越えて、むしろ南極とそう遠くないくらいの位置にあり、気温は真冬の日本くらいしかなかった。浮かれてハワイアンドレスなんて着てこなくて正解だ。元々着るつもりもなかったが。

 東京から飛行機で約半日、さらに丸一日がかりでバスとフェリーとヒッチハイクとモーターボートを乗り継いで、ようやくその島まで辿り着いた。

 いやいや、と邪念を振り払うかのように、ダイヤは頭を振った。情を移すな。目的を見誤るな。手段を選ぶ時間なんて、もはや残されてなどいないのだから。

 ろくろく計画も立てず突発的に行動に移ったのは落ち度ではあっただろう。焦っていた部分があったのも認めざるを得ない。そういった油断がミスを呼んだところもあった。しかし、二度とあるかも分からないチャンスが巡ってきた以上、それを逃す手はなかった。結果としてこの島に辿り着けたのだから、多少強引だったとしても、間違いではなかったはずだ。

 あの日、ミドリに伝えたことに少しも嘘は混ざっていない。だが重要な部分を意図的に伏せたままにしていた。

 叩いても起きないミドリを見て、これはチャンスだとダイヤは確信した。情報を持つ人間が目の前にいて、交渉材料は手元にあり、ミドリの邪魔が入る心配もない。ダイヤは花京院麗子を人質に取り、田中に交渉を持ちかけたのだ。あの男の居場所を教えろ、と。


 人がほとんど住んでいない島だと聞いていたが、噂の通り、島に着いてから人影は一切見当たらない。人間よりもペンギンの方がずっとたくさんいるくらいで、その光景のあまりののどかさに気が抜けてしまいそうになる。

 森に分け入り、まるで宝の地図のように暗号めいた手書きの地図を頼りに突き進むと、その洋館は突然目の前に現れた。

 事の顛末はミドリに話した通りだが、人質に逃げられる前に情報を聞き出せたのは幸いだった。そういうことなら教えるから、大事な商品を傷つけないでくれと、田中はあっさり全てを吐いた。守秘義務など課せられていないのか、あるいはないのはプライドか。彼の情報に間違いがなければ、あの男はこの洋館にいるはずだ。


   ■


 近所のスーパーから自宅へ帰る途中、ミドリはふと足を止め、後ろを振り返った。

 そこはなんの変哲もない住宅街だ。交通量は少なく、路上駐車も見当たらない。人の気配といえば後方から歩いてくる青年くらいで、彼は携帯端末を弄りながら足早に歩き、器用にミドリを躱しながら追い抜いていった。視界の端で何かが動いた気がして、今度は車道を挟んで反対側の歩道に視線をやる。しかし、茂みから猫か何か、小動物の影が飛び出したのを確かめて、ミドリはそっと胸を撫で下ろした。

「おいすい、どうかしたか」電話口の声が言った。

 翠というのは、ミドリの通名だ。

 玉虫たまむしすい。戸籍がない以上本名も何もないが、プライベートではこの名前を使っていた。社長に拾われたときに与えられた、ほとんど家族しか知らない名前だ。

「いや」とミドリは答える。「気のせいかもしれないんだけど」

 電話の相手は玉虫双子の弟の方、弟智だ。外見では二人の見分けはつかないが、電話番号はそれぞれ名前を登録してあるので区別することができた。

「誰かに見られてる気がするんだよね」

 ミドリが言うと、「おいおい、またかよ」と弟智が大袈裟に溜め息をつく。

 彼がそう言うのも無理はない。ミドリはその特異な体質故、ストーカー被害に遭うことが頻繁にあった。『おまじない』をかけた相手ならばそのような行為に及ぶことはまずないが、気をつけていても無意識のうちに人を魅了してしまっていることは少なからずあり、そういう者たちがミドリに付き纏ってくるのだ。

「気のせいじゃねえのか? いつからだよ」

「うーん。先週の、いつだっけな」

 辺りをきょろきょろと見回しながら、ミドリは自宅へと歩く。これでは不審者はミドリの方だ。

「最初はさ、電話がかかってきたんだ。非通知から何度も。でも、出てもずっと無言だから、気味悪いなあと思ってたんだよ」

 仕事関係の連絡が番号非通知で来ることはよくあるので、非通知だからといって出ないわけにも行かないのだ。

「で、二日前くらいかな。昼飯食べに外に出たんだけど、その帰りに撮られた気がするんだよね。また無言電話がかかってきて、切ろうとした瞬間、視界の端でフラッシュが光って」

「はーん」と弟智は半信半疑の様子だ。「相手に心当たりは?」

「分かんない。電話番号を教えた相手だとしたら、結構絞られるんだけど」

「店か病院ってとこか」

「そんなところ」

 最近では電話を使うのは店の予約時くらいで、個人的に連絡先を交換するとしても電話番号を教えることはまずなかった。

「家は? もうばれてるのか」

「うーん、多分まだ」そうだと思いたい。「少なくともそれらしいアクションは何も」

「そうか」と弟智は少し考えるような素振りを見せたが、すぐに「まあ、しばらくは様子見だな」と投げ捨てた。

 ミドリは内心落胆しながらも、「まあ、そうなるよね」と応じる。

「いざとなりゃあ抱いちまえば解決だろ?」

「簡単に言わないでよね」

 どこにいるかも分からない相手に監視されるのは相当に神経を擦り減らすことだということを、彼は理解していない。が、彼に期待するのがいかに愚かなことかということを、ミドリはよく分かっていた。

「ところで、兄貴の用事はなんだったっけ?」これ以上彼にこの話をしても仕方がないので、ミドリは話題を戻した。

 おう、そうだったそうだった、と弟智は思い出したように言う。「例の、火事の件だよ。結構被害がでかくて参ってんだ」

「ああ、この間の。倉庫が全焼したんだっけ? あの倉庫、そんな貴重な物入ってたの?」

「貴重も貴重よ! 被害総額は軽く億は超えるだろうな。俺の大事な昆虫標本コレクションも燃えちまいやがった」

「そりゃあ、残念だったね」と口先だけで同情する。「でも、それにしちゃあ随分、冷静なんじゃないの?」

 弟智の声色は、怒りに震えているようにも悲嘆に暮れているようにも聞こえなかった。

「まあな。これでも俺はまだましな方だったんだよ。絶滅種とか、特に貴重なものは別の所に保管してあって、燃えたのは金さえ出せば手に入るものばかりだったからな。買い直す算段も大方ついてる。問題は、兄貴の方だ」

「まさか、宝石も燃えちゃったわけ?」

「相当な数な。しかも、燃えただけならまだ諦めはついたんだろうが、火事場泥棒にも遭ったみたいでな」

「げっ、泥棒まで入ってたのかよ。セキュリティ大丈夫?」

「結構な騒ぎだったらしいから、警備も甘くなってたんだろ」

「それ本当に盗まれたの? 燃えちゃったんじゃなくて」

「燃えたって燃え屑くらいは残るだろ。なんの宝石っつってたかは忘れたが、跡形もなく消えちまったものがあるらしい。おかげで兄貴は今おかんむりの怒髪天だ。血眼になって犯人を捜してるぜ」

「うわあ、嫌だなあ。あの人怒ると見境なくなるから」

「だからしばらく事務所には近づかない方がいいぜ。実家にもな」

「うん、そうさせてもらうよ」

 弟智の用件はそれだけだったようで、その後二、三言交わして電話を切った。

 ミドリは一般的な会社員と違って、毎日仕事をするわけではない。出勤するのはせいぜい月に数回程度だ。実家にさえ立ち寄らなければ、怒り狂った兄治とは顔を合わせずに済むだろう。


 自宅マンションに到着し、オートロックのエントランスを抜けて、エレベーターで自室のある階に上る。玄関の前で立ち止まり、ポケットから鍵を取り出した。

「あれ」

 思わず独り言が溢れた。鍵を鍵穴に挿したものの、思った方向に回らないのだ。訝りながらプッシュプル式のドアノブを引くと、すんなりとドアが開く。

 鍵、かけ忘れたかな。

 そう首を捻りながらミドリは部屋に上がった。

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