第8話

 静かな出航前の夜。一転して華やかな出航と船内の様子。そしてそれらが手紙に記されていく。全員が同じことを思いながら進む演奏は歌っているときと同じくらい一体感があるような気がした。私の何気ない言葉でとんでもないことになってしまったなあと思っていたけど、結果オーライってところだろうか。


 いつも通りの合奏の中に、所々で場面を確認しながら歌い方を考えていく。先生はメリハリを、とよく言っていたが、その付け方がまとまってきたような。


 合奏がひと段落して、帰りのミーティングをするために舞衣ちゃんが前に出てくる。しかし、先生にちょっと待って、と止められた。


「ごめんね舞衣ちゃん、少しお話したいことがあるから席に戻っていいよ」


「え、はい」


 いつもは話があっても立ったままなことが多いのに席に戻されて、舞衣ちゃんも私たちも困惑してしまう。


「コンクールのあとに言うか、前に言うかずっと迷ってたんだけど……内緒にしたままコンクールに臨むのは少しずるのような気がするから今話をするね」


 改まるように立ち上がったのを見て、もはや恐怖さえ感じていたのだが、先生の口から出たのは予想外の告白だった。


「先生今妊娠しているの」


「えっ⁉」


 思わず先生のお腹に目がいく。まだ膨らみはないように見える。というか、ないから誰も気づいていなくて驚いているのだけど。


「だからね、出産とか育児のために教師を引退することにしました。先生もコンクールは今年で最後になります。先生としては二学期の終わりくらいまでいるんだけどね」


 事態を飲み込めずにいる私たちに、先生がくすくすと笑った。


「みんなはコンクールには多くても三回しか出られない。三回しか青春できないから、私はみんなに最高の青春をしてもらおうと今までがんばってきた。それにあわせて、先生は先生で毎年みんなに青春させてもらってたの。みんながコンクールという舞台に向けて全力を尽くしているのを見て、先生もがんばらなきゃってなって、毎年最高だったって言えるのは贅沢だなって思ってた。十年以上も青春してきたけど、先生も今年が最後だから目いっぱい楽しみたいなって考えてる」


 なぜだか涙が出てきそうになって、瞬きを繰り返す。鼻をすする音が聞こえるから同じ気持ちの人も多いんだろうか。


 先生にとっても最後のコンクール。そう言われると一気に責任感を感じてしまう。そんなコンクールを悔いの残るようなものにするわけにはいかない。


「きっとみんななら最高のマードックを作ってくれると信じているし、文句なしのところまであと一歩まで来ていると思うからあと少し、がんばろうね。先生もそのための協力は惜しまないから。でも力む必要はない。みんなは今までも十分努力してきたんだから、このままできることを精一杯やろう」


「はいっ」


「はい!」


 舞衣ちゃんが返事をして、それに全員が続く。


「ごめんね時間取っちゃって。じゃあ、帰りの挨拶しちゃおうか」


 お疲れさまの挨拶を終えると、一気に先生のもとにみんなが集まった。クラパートは最前列だからすごい窮屈になって、横に譜面台をずらす。


 すぐに移動するつもりだったけど気になるから、個人練習のために教室に行く準備をしながらなんとなく聞き耳をたてた。


「男の子? 女の子?」


「今何ヶ月ですか?」


「三ヶ月。性別はまだわからないかなあ。あと二、三ヶ月くらいでわかると思うよ」


「へぇ~! 赤ちゃん産まれたら写真送ってください!」


 話を聞きながらどうしても不安になってしまって、輪の中に入っていく。


「つわりとかは大丈夫なんですか?」


「結愛ちゃん、心配してくれてありがとう。私はあまりひどい方じゃなかったし、今はほとんどないから大丈夫」


 そう言われて、ほっと息を吐く。母から妊娠中ひどいときは動けなかったと聞いたことがあったから心配だったけど、大丈夫な人もいるんだ。


「でも無理しないでくださいね!」


 さなが気遣って、そうだよねとみんな賛同する。


「重いものとか持ちます!」


「調子悪かったら分奏とかで各自がんばるので!」


「できることがあるならなんでも手伝います」


 次々と出てくる言葉に、先生が笑ってうなずいた。


「その気持ちだけでがんばれちゃう。ありがとうね」





『ね、先生になにかプレゼントしない?』


 夜に舞衣ちゃんから三年生のグループチャットにそんなメッセージが来て、テレビから目を離す。すでに何件かいいねといった返信やスタンプが来ていて、私も賛成スタンプを送った。


『やっぱりお花かな』


『色紙みんなで書きたいなあ。一、二年生にも声かけて』


『でも今はコンクールが最後ってだけで二学期の終わりまでは学校にいるんでしょ? 後輩たちはそのときじゃない?』


 そっか、私たちはコンクールで部活を引退するからこうやって盛り上がっているけど、後輩たちはまだ先生と演奏できるんだ。ちょっとうらやましいな。


『それなら今は花だけとかにして色紙はそのときに私たちも混ぜてもらおうよ』


『さんせー。赤ちゃんグッズとかもいいけど性別わかんないしね』


『そうしたら引退の片付け日にお花買ってから行くね。サプライズの方法はまた今度考えよ! なんかほかにいいプレゼントあったら教えて~』


 会話がひと段落して、一緒にテレビを見ていたお母さんに話を振ってみる。実際に子育てをしているのだから、いい案を出してくれるかも。


「ねえお母さん」


「ん?」


「妊娠してた時とか産んだあとにこれがあったら助かったな、とか実際に助かったっていうものある?」


 帰ってすぐにお母さんには先生のことを話してあるから、プレゼントのことだとすぐにわかったのだろう。少し考えてから首を横に振った。


「確かに助かるものってたくさんあるけど、本当にこれっていうものをあげようと思ったらオムツとかになっちゃう」


 とてもリアルな回答をされて、思わず苦笑いする。


「先生ならみんなでお金を出し合って買うよりも、やっぱりコンクールでいい演奏をするのが一番のプレゼントとか恩返しになるんじゃない? お母さんなら高校生の子たちからマタニティグッズ渡されるよりは『赤ちゃんおめでとう』みたいな言葉の方が素直に喜べるかも」


「そうなの?」


「大人ってそんなものよ」


 まあ、赤ちゃんのために使うものなら、安いのをプレゼントされるよりはちゃんとしたのを自分で買う方がいいだろうし、お母さんの言う通りかもしれない。


 先生には最高の演奏をプレゼントしよう。

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