極度のぼっち令嬢、腕を組んで震えていただけなのに『黒幕』と誤解される ~最強の悪役令嬢たちが私の忠犬になりました~
駄駄駄(ダダダ)
第1話:「……邪魔、しないでっ」
聖ルミナス女学院の入学式当日。
そこは、選ばれし貴種たちの美貌と魔力が、火花を散らす真昼の戦場だった。
高く聳える大理石の支柱には、古の英雄たちの勝利を讃える彫刻が施され、ステンドグラスを透過した七色の光が、無機質な廊下に不気味なほどの神々しさを与えている。その光の中を、新入生たちの規則正しい靴音が重厚に、そして冷酷に響き渡っていた。
その長い行列の最後尾。リアナ・エル・ロストは、己の人生が今この瞬間に終わろうとしているような、絶望的なパニックの渦中にいた。
(……ひぃ、ひぃぃ。空気が、空気が足りない。肺が、肺が縮んでる。呼吸ってどうやるんだっけ? 吸って、吐いて……。いや、今は吐いて、吸うんだっけ!? ああ、もうダメ。意識が遠のく……!)
彼女の視界を閉ざしているのは、切り揃えられた長い黒髪だ。両目を完全に覆い隠すその前髪は、リアナにとって唯一、外界という名の「恐怖」を遮断してくれる盾だった。だが、その盾の向こう側からは、彼女を値踏みし、選別し、あるいは嘲笑うであろう無数の気配が、鋭い針となって突き刺さってくる。
(歩き方がおかしい。絶対に、今、私はおかしい歩き方をしてる! 右足と右手が一緒に出てない!? さっきから侍女の人たちがチラチラ見てる気がする……。『あら、あの男爵令嬢、まるで生まれたての小鹿みたいに足がガクガクだわ』って笑ってるんだ。絶対にそうだ。あああ、恥ずかしい。消えたい。この大理石の床に隙間を見つけて、今すぐ地底に逃げ込みたい……!)
リアナ・エル・ロストは、深刻な対人恐怖症を抱えていた。
他人に見られる。ただそれだけのことが、彼女にとっては物理的な暴力に等しかった。心臓は肋骨の内側を、逃げ場を求める囚人のように激しく叩き、喉の奥は焼けるように熱い。
(落ち着け、落ち着くんだリアナ。私は透明人間。私はただの背景。石像、そう、私は動く石像……!)
しかし、自己暗示は無情にも打ち砕かれる。
恐怖が閾値を超えた瞬間、彼女の細い指先が、目に見えてガタガタと震え始めた。この震えが周囲に露見すれば、それは「弱者の証」として全校生徒に刻み込まれるだろう。一度でも「獲物」と認識されれば、この閉鎖的な女学院で待ち受けているのは、卒業まで続く陰惨な地獄だ。
(だめ、隠さなきゃ……! この震えを止めないと、一生『震えの男爵令嬢』とか呼ばれて、みんなのサンドバッグにされちゃう……!)
パニックの極地で、リアナの生存本能が選択したのは、過剰なまでの自己防衛だった。彼女は咄嗟に、両腕を胸の前に回すと、指の骨が鳴るほどの力で自らの前腕を固く組み上げた。
それは、震えを物理的に押さえ込むための「自縄自縛」に過ぎなかった。
だが、その結果として、彼女の立ち振る舞いは劇的な変化を遂げた。丸まっていた背筋が、腕を組むことによる反動でピンと垂直に伸びた。細い腰が強調され、必然的に胸が張り出し、そして――顎がわずかに持ち上がった。
それは、周囲の何者をも寄せ付けない、孤高の帝王が見せる「不遜な立ち姿」そのものだった。
(笑わなきゃ……! 不気味に思われないように、せめて愛想良く、柔らかい微笑みを……。笑顔こそが、平和への鍵なんだから……!)
リアナは、痙攣しそうな頬の筋肉に、必死の命令を下した。
「にっこりしろ」と。
しかし、酸欠と緊張で極限まで引きつった表情筋は、主人の意図を裏切り、異形の結果を導き出した。
薄い唇の片端が吊り上がり、眉根がわずかに寄る。それは微笑みなどではなく、「眼前の有象無象を、慈悲の欠片もなく見下す、冷徹な王の薄笑い」。
前髪の隙間から、時折のぞく漆黒の瞳。そこには、自分を見つめる他者への恐怖ではなく、万物を「盤上の駒」として処理するような、暗い静寂が宿っていた。
◇
「ふん。新入生は見るに堪えない小粒ばかり。魔力の質も、立ち振る舞いも、私の侍女にすら劣る。……この学院も、堕ちたものね」
講堂の中央。燃えるような赤髪を左右に束ねた、見事なツインテールの少女――侯爵家の至宝、リズ・フォン・アルトハイムが、取り巻きを引き連れて周囲を睥睨していた。
彼女の歩く道は、自然とモーゼの十戒のように開かれる。圧倒的な家格。天賦の魔力。そして、他者を寄せ付けない高慢なオーラ。
リズは入学したての1年生であるにも関わらず、この「女の園」において、最初から女王として君臨することを疑っていなかった。
だが、その女王の歩みが、唐突に止まる。彼女の鋭い視線が、目の前に佇む、一人の「異質」を捉えたからだ。
(……な、何ですの、あの子……?)
リズの心臓が、ドクリと不快な音を立てた。
そこにいたのは、自分という圧倒的な存在がすぐそばにいるにもかかわらず、一分一厘も動揺を見せない黒髪の少女。胸の前で腕を組み、周囲の騒がしさなど存在しないかのように、ただ静かに、不敵な笑みを浮かべて立っている。
(この私が、目の前にいるのよ? なのに彼女は……視線すら寄越さない。いえ、違う。視線を寄越す価値すら、私にはないと断じているの……!?)
リズは、自分を値踏みするような視線には慣れていた。羨望、嫉妬、あるいは媚び。だが、あの少女の瞳は違う。前髪の奥から時折放たれるあの視線は、まるですべてを知り尽くした賢者が、愚者の戯れを眺めるような――あるいは、深淵の底から獲物を引きずり込もうとする捕食者のような、底知れぬ「闇」を湛えている。
(……この立ち姿。一切の隙がない。腕を組んでの堂々とした佇まい。それは、いかなる奇襲も、いかなる魔法も、自分の前では無力だという自信の表れ!?)
リズは、屈辱に顔を赤らめた。
侯爵令嬢として、そして「最強」であることを義務付けられてきた彼女にとって、これほどの「軽視」は初めての経験だった。しかし、その屈辱の奥底で、かつて感じたことのない高揚感が、熱いマグマのようにせり上がってくるのを彼女は感じていた。
(面白いわ……。私の威圧を、あんな冷徹な笑み一つで受け流すなんて。あの『エル・ロスト』……聞き慣れない男爵家だと思っていたけれど、とんだ伏兵がいたものですわね……!)
リズのツインテールが、警戒と興奮で、まるで猛獣の尻尾のようにピンと跳ね上がった。
◇
当のリアナは、もう限界だった。心臓の鼓動が耳の奥で太鼓のように鳴り響き、周囲の音が遠のいていく。
(……あ、れ。なんか、世界がちょっと揺れてる……。視界の端が暗くなってきた……。酸素が、酸素が脳まで届いてない。もしかして、私、ここで倒れちゃう!? そんなの絶対に嫌! 『入学式で卒倒した最弱令嬢』なんて不名誉、一生言われ続ける! 耐えろ、耐えるんだリアナ!)
リアナは、意識を保つために、自らの唇を内側から噛み締めた。その痛みで一瞬だけ覚醒するが、あまりの緊張による反動で、彼女の身体がふわりと一瞬、優雅によろけた。だが、その動きさえも、周囲には計算し尽くされた「誘い」に見えた。
「見て……。あのエル・ロスト様の動き。あんな急にバランスを崩したように見せて、一瞬で中心軸を戻したわ」
「まるで、見えない敵の攻撃を紙一重でかわしたかのような、美しい回避動作……」
「リズ様のあの猛烈な魔力圧を受けて、あんなに泰然としていられるなんて。……信じられない」
周囲のささやき声が、リアナの耳には呪詛のように届く。
(……ひぃぃ、みんなが何か言ってる! 絶対に私の歩き方が変だって言ってるんだ! 『見て、あの子、さっきちょっとふらついたわよ。やっぱり偽物の貴族だわ』って笑われてるんだ! ああ、もう死にたい。今すぐ石になりたい……!)
恐怖のあまり、リアナの顔面から血の気が引いていく。陶器のように白くなったその横顔は、周囲の目には「感情を完全に抹殺し、勝利を確信した冷酷な美貌」として映し出された。
ついに、リズが動き出した。彼女は取り巻きを払いのけると、大理石の床を鳴らし、リアナの正面へと立ち塞がった。
「……あなた。名前は? 私の前に立って、無事で済むと思っているの?」
リズの放つ、侯爵家特有の圧倒的な「圧」。リアナの脳内では、ついにパニック警報が最大音量で鳴り響いた。
(……うわああああああ! 来た! ラスボス来た! 侯爵令嬢リズ様だ! おしまいだ、私の人生! 絶対に今の『笑顔(のつもりの引きつり)』が、彼女のプライドを傷つけちゃったんだ! 謝らなきゃ! 『ごめんなさい、顔が引きつってるだけなんです、許してください』って言わなきゃ……!)
しかし、あまりの恐怖に、リアナの喉は岩のように固まっていた。声を出そうとすると、喉の筋肉が痙攣し、まともな発声ができない。
(……あ、声が出ない。どうしよう。でも、何か言わないと、もっと怒る。震える声で喋ったら、余計に馬鹿にされる。……深呼吸だ。肺に残った空気を全部使って、一言だけ、せめて一言だけでも……!)
リアナは、喉の奥を極限まで絞り込み、肺の底に溜まったわずかな空気を、重低音に変えて吐き出した。震えを隠すために、あえて感情を排し、冷たく、地を這うような死神の声音を装って。
「……リアナ。……邪魔、しないでっ」 (訳:リアナ・エル・ロストです。今、本当に余裕がなくて死にそうなので、そっとしておいてくださいっ……!)
だが、その言葉がリズの耳に届いたとき、全く別の意味へと変換された。
『私の名はリアナ。王の歩みを阻む愚か者は、速やかに排除するッ』。
「っ……!!」
リズは、息をすることさえ忘れた。これほどまでに短く、鋭く、そして徹底的に、自分の存在を「障害物」として切り捨てた言葉を、彼女はかつて聞いたことがなかった。
目の前の少女――リアナは、リズ・フォン・アルトハイムという「人間」すら見ていない。ただ、自分の行く手を遮る「無機質な障害」として処理したのだ。
(……この、私を……。一介の男爵令嬢が、まるで羽虫を払うかのように……!)
屈辱。
だが、その屈辱は、瞬時に別の感情へと変質していった。
リズの顔は、沸騰したかのように真っ赤に染まる。ツインテールの毛先が、自身の激しい動悸とシンクロするように、小さく、小刻みに震えている。
(……ああ。なんて、なんて高貴な傲慢さ……。私をここまで完璧に見下した者は、人生で初めてですわ……。これが、これが真の『王』の器というものですの……!?)
リズは、自分をねじ伏せ、自分よりも高い場所から世界を見下ろす「強者」を、心のどこかで渇望していた。彼女の瞳には、先ほどまでの怒りは消え、代わりに狂信的な熱を帯びた、歪な敬意が宿り始めていた。
「……ふん。面白いわ。面白いじゃない、リアナ・エル・ロスト!」
リズは、顔を赤らめたまま、精一杯の強がりを叫んだ。
「そこまで言うなら、せいぜい私を楽しませなさい。あなたのその『壮大な計画』、このリズ・フォン・アルトハイムが、特等席で見届けてあげるわ!」
リアナは、前髪の下で涙目になりながら、意識を保つのがやっとだった。
(……えっ? 楽しませる? 私、今からエンターテイナーにならなきゃいけないの? お笑い芸人? 無理だよ、私、部屋で芋けんぴ食べて、静かに本を読んでいたいだけなのに……。どうしてこの人、こんなに嬉しそうに怒ってるの? 怖いよぉ……!)
◇
入学式が終わった。講堂から寮へと向かう新入生の長い行列。その中心には、望まぬままに「学院の真の支配者」としての座に据えられた、リアナ・エル・ロストの姿があった。
大理石の床を叩く、新入生たちの無機質な靴音。それが私には、ギロチンへと向かう囚人の歩数カウントにしか聞こえなかった。
(……ひぃ。ひぃぃ、ふぅ。呼吸、呼吸を忘れるなリアナ。肺が……私の肺が、焼けた鉄を飲み込んだみたいに熱い。吸い込んだ空気が、全部毒ガスに変わってるんじゃないの? 誰か、誰か助けて。今すぐこの場に巨大な地割れが起きて、私を地底の底まで飲み込んでくれないかな!?)
私の世界は、切り揃えられた長い前髪という名の「黒いカーテン」で閉ざされている。このわずか数ミリの毛束だけが、外界の悪意から私を守ってくれる唯一の防壁だった。だが、カーテンの隙間から漏れ聞こえてくる「音」だけは防げない。
「……見て、あの最後尾の生徒」
「……なんて雰囲気かしら……」
周囲の令嬢たちの囁きが、私の鼓膜をナイフのように切り裂く。
(ああああ、言ってる! 絶対に私の悪口を言ってる! 『見て、あの子の制服の着こなし、絶望的にセンスがないわね』とか、『あんな根暗そうな男爵令嬢、この学院の品位を下げるだけだわ』とか! もっと酷いことまで言ってるに違いない!)
パニックが臨界点を超え、指先が壊れた楽器のようにガタガタと震え始めた。
ダメだ。隠さなきゃ。ここで怯えを見せたら、それは死を意味する。
この女学院という名の檻の中では、一度でも「獲物」だと認識されたら最後。卒業までの数年間、なぶり殺しにされるのを待つだけの、血塗られた学園生活が幕を開けてしまう。
(震えるな、私の手! 止まれ! 止まらないなら……こうしてやる!)
私は反射的に、胸の前で両腕を、骨が軋むほどの力で固く組み上げた。指先を反対側の二の腕の肉に食い込ませる。鋭い爪の痛みが、パニックで散り散りになりそうな意識を、辛うじて肉体に繋ぎ止めてくれる。
(痛い。痛いけど、これなら震えない。腕を組んで、自分を抱きしめるんだ。大丈夫、私は石像。ただの、不気味で無口な石像なんだから……!)
しかし、その必死の自縄自縛が、周囲にはどう映っているのか。腕を深く組むことで、背筋は不自然に伸び、顎が傲然と持ち上がった。前髪の奥から、焦点の合わない――虚空を睨みつけるような瞳が、時折ぎらりと光る。
(笑わなきゃ……! 不気味に思われないように、せめて愛想良く、柔らかい微笑みを……! 笑顔こそが、この世の平和を守る唯一の盾なんだから……にっこり、にっこりするのよ、リアナ……!)
だが、酸欠と絶望で引きつった私の顔面筋肉は、私の意志を嘲笑うかのように、最悪の造形を描き出した。口角が薄く、冷たく吊り上がる。それは微笑みなどではなく、「眼前の命すべてを、
(……あ、れ。なんか、みんなが静かになった? なんで? 私の笑顔、そんなに変だった? もしかして、面白すぎて笑いを堪えてるの!? 『見て、あの男爵令嬢、変な笑い方して滑稽だわー』って腹の中で抱腹絶倒してるの!? 死ぬ。もう死ぬしかない。お父様、お母様、不肖の娘リアナは、本日をもって社会的に死亡しましたぁぁ!)
一歩、一歩。大理石の床を、絶望のままに踏みしめる。その足音は、周囲の者たちには「獲物を追い詰める捕食者のリズム」として、戦慄とともに響き渡っていた。
彼女は依然として、後方で腕を組み、震えを隠すために一歩一歩をゆっくりと、そして力強く踏みしめて歩いていた。そのすぐ後ろには、周囲の誰とも視線を合わせず、まるで忠実な猟犬のように、リアナの背中だけを追って歩くリズの姿がある。
学院の生徒たちは、その光景を震撼とした目で見つめていた。あの「女王」リズが、一言も反論できず、従者のように付き従っている。その事実だけで、エル・ロストという家名はこの日、学院内の全勢力にとって「最優先警戒対象」として刻まれた。
(……おうちに、帰りたい……。お父様、お母様、私、やっぱり無理です……)
リアナの、魂を削り出すような悲痛な心の叫びは、誰にも届かない。ただ、彼女が踏み出す大理石の床の響きだけが、新たな支配者の誕生を告げるファンファーレのように、静謐な女学院に鳴り響いていた。
学院の歴史が、たった一人の「対人恐怖症の勘違い」によって、真っ黒に塗り替えられていく。伝説は、まだ始まったばかりだった。
次の更新予定
極度のぼっち令嬢、腕を組んで震えていただけなのに『黒幕』と誤解される ~最強の悪役令嬢たちが私の忠犬になりました~ 駄駄駄(ダダダ) @dadada_dayo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。極度のぼっち令嬢、腕を組んで震えていただけなのに『黒幕』と誤解される ~最強の悪役令嬢たちが私の忠犬になりました~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます