第2話 ラカントの短剣

『ラカント。それは白き神の名。正であり、善である存在。そして、黒き神の対である』

(楽園の伝承より)



 翌日、朝日が昇るまで二人は木の上にいた。

 外套をしっかりと引き寄せて仮眠を取ったラクシュリは、道中あくびが止まらない。

 それを見ているグラディスは、微笑ましい光景に笑みが絶えなかった。


「なんだよ」

「いいえ」


 柔らかくラクシュリの睨みをかわすグラディス。そんな彼にそっぽを向きつつも、ラクシュリはどこか嬉しかった。


 現在この国はとてもそんな穏やかな情勢ではないのだが、ラクシュリは久々に穏やかで優しい雰囲気が気に入っている。

 まるで故郷に残した大事な家族を思い出させるから。


「あと少し行けば、遺跡の入り口です。入ってしまえばモンスターもいないので、ゆっくり休めますよ」

「休んでちゃ見つけらんないだろ、その樹」

「休息も必要なんですよ。さっきから、あくびばかりしていますし」

「オレのことはいいんだよ! アンタの目的達成しないと」


 その遺跡にあるユグドラという樹が、グラディスの目的。

 その目的達成のためにラクシュリは同行している。

 どっちかと言えば、無理やりついてきたのだが。


 でも、人をみる目は確かだとラクシュリは自信を持って言えた。

 このグラディスの持つ柔らかく穏やかな空気は、とても親しみが持てるものだ。

 懐かしく温かな日だまりのような場所。

 しばらくこうしたものに寄り添うことがなかったから、とても心地いい。


 いっそこのまま、こいつにくっついて行こうか。


 そんなことを考えていたラクシュリは、立ち止まったグラディスに気づかずに背にぶつかった。

 決して高くはない鼻をぶつけたラクシュリは鼻の頭を擦りながら前を見上げた。


「ここが入り口ですよ」

「ほぇ……」


 見上げた先にあるのは切り立った崖のような場所。そこに少しの亀裂がある。

 グラディスはその亀裂を指さして言う。

 確かに人が一人どうにか通れそうなもので、獣なんかは入れそうにはない。

 だが明らかに、そんな凄いものが眠っている遺跡の入り口には見えなかった。


「ここで本当に合ってるのか? オレにはただの亀裂にしか見えないぞ」

「大丈夫、合っていますよ」


 ゆっくりと歩み出すグラディスの後を追うラクシュリ。

 狭い隙間を平べったくなってすり足で進む。ゴツゴツした岩肌が少し痛い。

 だが確かに、その先に明かりが見えてきた。


 開けた視界に飛び込んできたのは、あの入り口からは想像がつかない厳かな神殿だった。

 見事な石柱の上には翼のある美しい女性が微笑み、白い床は仄かに光っている。

 石柱に囲まれた真っ直ぐな道を行くと、優しく凛とした女性のレリーフを施した石の扉があた。


「綺麗……」

「ここは、ロスラー神の神殿です。運命を司る女神です。このレリーフの女性が、そうですよ」


 片手には書を、片手には羅針盤を。女性はその指し示す先を見ているようだ。


 グラディスに続いて、ラクシュリも神殿の奥へと入っていく。扉はまるで重さのないもののように開いた。

 真っ直ぐに伸びた廊下を行けば、祭壇がある。そこで行き止まりだ。


「おい、行き止まりじゃないか。どこにその樹があるんだ?」

「ここから、奥へ行けるはずなんですけれど。私も実際に来たのは初めてなので」

「なに!」


 我が物顔で案内なんてするものだから、てっきり何度かきたことがあるのかと思っていたラクシュリは、自分がどんなに行き先不明な冒険をしていたかを知って驚愕する。

 もしかしたら、到着できないかもしれない……。


「大丈夫ですよ、ちゃんと調べてはきましたから」

「調べって……。実際とは違うことだって多いんだぞ」


 それでも焦ることなく、グラディスはやんわりと笑って「大丈夫」なんて言っている。

 呑気というか、楽観的というか。

 軽く頭痛を覚えたラクシュリは頭を抱え、重く息をついた。


「んで、こっから奥に行く道はどうしたら出てくるんだよ」

「確か書物では、この祭壇にある女神を動かすとありましたが」


 グラディスの言うとおり、祭壇の上には扉のレリーフにあったロスラー神の像がある。

 羅針盤と本を持つ女神。

 けれどレリーフとはどことなく違って見えた。

 もっと、羅針盤を持つ手が高く上がっていたような……


「首を少し左に傾けて……」

「え! 首ぃ!」


 グラディスの言葉にラクシュリは大いに焦った。

 なにせ既に、ラクシュリは気になって仕方がなかった羅針盤を持つ腕を持ち上げて動かしてしまった後だったからだ。


 ズドンッと床が抜ける。

 突然のハプニングに悲鳴を上げたラクシュリとグラディスは真っ逆さまに暗闇の中。

 ドンと落ちたその床に強かに体を打ち付けた二人は、腰やら尻やらをさすった。


「あぃたたたぁ……」

「何をしたんですか、ラクシュリ」


 腰を摩りながら、グラディスはラクシュリに問いかける。

 それに、ラクシュリは申し訳なさそうに返した。


「レリーフと比べて腕がちょっと下がってたから、元に戻そうとしたんだよ。そしたらさ」

「罠……でしょうか」

「罠ぁ!」


 とりあえず魔法で炎を灯したグラディスが、持っていたランプに炎を移す。

 埃っぽい場所で、じめっとして気が滅入りそうだ。

 見上げれば落ちてきた場所がかなり高い位置にある。

 登るには壁がツルツルしていて足をかける場所がなかった。


「奥へと道が続いています。とりあえず行ってみましょうか」

「だな」


 ランプをかざしたその先に、細いながらも道がある。人が一人通れる程度の狭さだ。

 ラクシュリが先頭を行き、その後ろにグラディスが続く。

 警戒しながら進むラクシュリ達は、不意に何かの歌を聞いた。


「なぁ、グラディス。声が聞こえるんだけど……なんだと思う?」

「私にも聞こえますが、こんな場所に他に誰かいるのでしょうか?」

「だよな。俺達の他にも誰か落っこちたとか」


 それにしては床は埃まみれ、蜘蛛の巣も張っている。誰かが通ったらしい痕跡がない。


「声の方に行ってみましょう。本当に誰かいれば、今頃困っていると思いますし」

「アンタ、本当にお人好しっていうかさ」


 そのおかげで助かったラクシュリがそれを言うのはどうかと思うが。


「それって、損とかしてないか?」

「損、ですか?」


 不思議そうな顔をするグラディスは真面目に考えだす。

 その姿勢そのものが生真面目というか。嫌いではないが、こういう人は気苦労が多いのも知っている。


「面倒とか、思わないのか? オレの時もそうだ。わざわざ助けにくる義理はなかっただろ?」

「でも、放っておくのも気がかりでしょ? 行っても大した役には立たないでしょうけれど、何かの助けにはなるかもしれませんし」


 無視したってよかったはずだ。知らなければそれで済ませられる。

 そういう人間は多い。

 それをしないという判断は、逆に難しいと思う。


「まぁ、オレは助けられた側だから感謝してる。グラディス、アンタはちゃんと役に立ってるよ。もっと自分に自信持てって」


 ちょっと照れながら言うと、グラディスはキョトンとした顔をして、その後で嬉しそうに笑った。


 細い道をゆっくりと、ラクシュリは道なりに進んでいく。通路は他に枝道もない。

 進むにつれて歌声ははっきりとしてくるようだった。

 徐々に道幅が広くなっていく。

 そうして見えてくるのは、仄明るい、白い石造りの部屋だった。


 白い光に照らされた部屋は静まりかえっている。

 中央には彫刻を施した台座。その台座には一本の短剣が安置されていた。


「なんだ、これ?」


 白い柄で、綺麗なアラベスクの模様がついている。

 片刃で身幅は広めで、盗賊が好んで使う物に似ていた。

 柄には赤い宝石が埋まっていて、随分と高価な物のようにラクシュリには見えた。


「『ラカントの短剣』と、あります」

「どこに?」

「ほら、ここです」


 見れば確かに、この短剣が安置されている台座に不思議な文字らしきものが彫り込まれている。

 おそらくデトラント大陸の文字なんだろう。

 グラディスはそこに指を這わせて、一つずつ丁寧に読んでくれた。


「これは、ラカントがその因縁を断つ時に生まれた短剣だそうです。赤い宝石は、ラカントが流した涙だと」

「そのラカントってのは、随分登場回数多いけどさ。そんなに偉い神様なわけ?」


 疑問そうなラクシュリに、グラディスは困ったような顔をする。

 その目は少し遠くを、寂しそうに見つめている。


「白の神、善意、正義。ラカントが負うのはこのような意味です。稀に生まれ出て、混乱を鎮める役割を担う」


 白の神ラカントは世界の混乱と共に生を受ける。

 半分は神、半分は人間。

 正義を施行し、善意を助けるとされている。

 だがその最も大切な目的は、贖罪だと言われている。

 人々が犯した罪が神の怒りに触れた時、世界は混沌へと飲み込まれる。

 その罪を悲しみ、あがなうのがラカントの意味。


 過去の伝承にも数回登場しているが、それは名前のみが伝わり、具体的に何が起こり成されたのかは残っていない。

 そこで一度世界は滅びたのだと言う者もいれば、あまりの悲劇に誰も詳細を書き残さないのだとも言われていが、正直なところは分からないままだ。


「へぇ、いい奴なんだな」

「いえ。ラカントが生まれたということは同時に、レンカントという神も生まれることを意味しています」

「レンカント?」


 更に知らない名を聞いて、ラクシュリは難しそうに腕を組む。

 あまりこういう難しい話は得意じゃない。

 けれど無視するとここでは苦労しそうなので、聞いておく。

 どうも昔話みたいな神話が常識のようだから。


「黒の神、悪意、破壊者。ラカントの対であり、悪であり、世を混乱に陥れるとされています。人が報いを受ける時に現れ、世界を破壊するためにある者。その対である者を殺すために、ラカントは希望としてある。言い伝えは、このようなものです」


 黒の神レンカントはそのまま神の怒りが具現化したものであり、白の神ラカントの対。

 人に犯した罪を突きつけ、償わせるために存在する。

 破壊者、悪だと言われているが、それを作り出すのは人間の愚かさであったり、罪深さだったりする。


 古い伝承では、ラカントの数だけレンカントも登場する。

 その姿はおぞましく、行いは卑劣で容赦のないもので、事細かにその行いが残されている。

 それは伝える側の畏怖であり、憎しみからなのだろう。

 救い主であるラカントは、破壊者レンカントの罪に胸を痛めてその行為を止めようとする。

 そしてレンカントは対であるラカントを殺さなければ自らの身の破滅を招く。

 この悲劇は混沌の数だけ繰り返されている。


 ラカントの短剣とは、ラカントがレンカントを止めるべくその命を奪った時に、彼が流した涙を使って作られた物であると、その台座には記録されていた。


「なんか、都合よく他人の贖罪押しつけられてる感じだな、それ。いいのかよ」

「……それも、運命なのでしょうね」


 難しい顔をしたグラディスは、短剣に手を伸ばす。

 だがその短剣は持ち主を選ぶかのようにグラディスの手を弾き返した。


「運命とは、残酷で勝手です。そして、抗いきれない力を持っている。人はそれに飲まれるばかりです」

「……違うね」


 弾かれて僅かに痛む手をもう片方の手で庇うグラディスに、ラクシュリは鋭く言い放つ。

 そして、台座にある短剣に手を伸ばした。

 見えない壁などなく、拒むものなどないように、ラクシュリの手はその短剣を掴む。そして引き抜き、高々と掲げた。


「運命は自分の手で掴むんだ。何であっても。運命だなんて諦めて、後悔残して死ぬよりも、掴みたいものを掴みに行って死んだほうが気分がいいだろ。グラディス、アンタはそうじゃないのか?」


 キラキラと輝く女神のように、グラディスの目にはラクシュリが鮮やかに映る。

 歌が、祝福するように華やかに聞こえてくる。


 そして気づいて、悲しんだ。運命とは、やはり勝手に回り出すものだと。

 避けて通り、逃げてきたはずなのに、決まっていたように出会い、そしてたぐり寄せようとする。

 彼の預言書は何の間違いもなく、勿論外すこともなく、この子の手によって回り出そうとしている。

 ラカントに選ばれた人物は、ラカントを悲劇の舞台に引き上げようとしている。

 そしてそれを感じても逃げようと思わないことが、そもそも恐ろしい運命というものだ。

 そうなるようにあらかじめ定まっている。


 それでも、グラディスは弱いながらも笑みを浮かべた。


「貴方は強いのですね、ラクシュリ」

「アンタが弱いんだよ、グラディス。そんなんじゃ冒険者なんて務まんないっての」


 カラカラと笑ったラクシュリに頼りなく笑い返したグラディスは、不意に手を差し伸べる。何事かという顔で見るラクシュリに、そっと微笑んで。


「よろしくお願いしますね、ラクシュリ」

「ん? あぁ、おう」


 よく分からないが握手をしたラクシュリ。

 そして思わぬところで手に入れた戦利品を腰のホルダーに差す。実は手に馴染んでいい感じなのだ。軽くて丈夫そうでもある。


「って、これが目的じゃないんだよな。さっさとユグドラを見つけないと」

「えぇ。この先に道が続いています。どうやらここは神殿の心臓部のようですから、正しい道だったのでしょう。運命の神ロスラーの導きですね」


 姿のない神様に感謝するグラディスを尻目に、ラクシュリは歩き出す。

 不思議と、歌は聞こえなくなっていた。その代わり、短剣がとても温かく感じる。頼もしいというか。


 そうしてしばらく歩いていくが、二人は結局ユグドラどころか生きている者を見つけることすらできなかった。

 上へ行く階段を見つけて登ると、そこは扉をくぐる前の前庭のような場所。ロスラー神のレリーフが、温かく二人を見下ろしている。


「結局見つけられなかったけど、もう一回入るか?」

「えぇ、そのよう……」


 言いかけたグラディスの言葉が、不自然に途切れる。

 瞳は鋭く、警戒の色が窺える。紫の瞳が辺りを睨み付けた。


「なんだよ」

「ラクシュリ、神殿の中に。隠れてください」

「おい!」

「いいから!」


 穏やかな男が発する警告の声は、とても緊迫したものを感じる。

 ラクシュリはそれ以上何も言わずに太い柱の陰に隠れた。

 様子を見て、グラディスが手を焼きそうなら出て行こうと思って。


 しばらくして、ラクシュリにもその足音が聞こえてきた。

 十数名はいるだろう人の足音。

 だが、ズルズルと引きずるような足音で、どうにも生気を感じない。

 用心してこっそり見ていると、やはり予想通り、十五人くらいの集団だった。


 驚くべきはその出で立ちだ。

 青い顔をして、生気なんて一切ない。まるで話に聞く死人返りのようだ。

 意志のない腐ったような瞳。それでも剣を持ち、鎧を纏っている。


 その中で唯一人間だろうと分かる男が一人、一歩前へと出た。

 そして、馬鹿にしたように丁寧な礼をとって挨拶をした。


「やはりこのような場所においででしたか、グラディス様。女王様が探しておりますよ」

「私がどこへ行こうと、私の勝手です」

「確かに。ですが、このように逃げ回られると探すのも骨なのですよ。さっさと、死んでくれませんかね?」


 男は剣を抜く。グラディスは一歩素早く飛び退いた。


「行け」


 静かな命令に死体の兵士は前進を始める。統率の取れた動きだ。


『輝く空より舞い降りたる聖なる炎。惑い苦しみ訴える者を焼き払い、未練断ち、悲しき魂を天上へと送らん ―― クレセント・フレア』


 それは確かに不思議な音を持つもので、ラクシュリも聞いたことのあるものだった。

 ホワイトウルフに襲われた時、それを遠ざけた魔法と同じ響きだ。


 だが不思議と、何も起こらない。

 何か理由があるのか、グラディスの力がなくなってしまったのか。


 悔しげに眉根を寄せるグラディスは、兵の攻撃を身を翻して避けるばかりで反撃のしようがない。

 その無様ともいえる姿に、指揮官の男は勝ち誇ったように口の端を上げた。


「無駄ですよ、グラディス様。女王様の加護を受けたそいつらに、貴方の力は通じない。お忘れですか?」

「くっ」


 たった一つの出入り口は敵に封じられ、頼みの魔法も使えない。

 グラディスは血を嫌って剣などの武器も持ち歩いていない。

 この状況ではそれが命取りだ。


 防戦一方どころか、殺されることすら確定に近い。

 追い詰められて柱を背にするも、もうこれ以上避けられる自信などない。

 凶剣が振り下ろされる。

 目をつぶり、なんて不甲斐ない終わり方かと自分を責め後悔した。


 だがそれは、別の音で途切れた。


 カーンッという金属のぶつかる音に目を開けたグラディスは、自分の前でダガーを構えているラクシュリを見て目を丸くした。

 彼は振り下ろされた剣を下から受け止め、弾き、敵の喉を切りつけていた。


「ラクシュリ……」

「武器も持たないで何かっこつけてんだよ! お前死にたいのか!」


 怒鳴られて、グラディスはなんとも答えられなかった。

 死にたかったのかと問われれば、違うと言い切れない気持ちがどこかにある。

 生きたいのかと問われれば、そうだ。


 曖昧な笑みを浮かべたグラディスを睨み付けて、ラクシュリは前を見る。

 首を切られて倒れた兵士は、何事もなかったかのように再び立ち上がる。どうやら死体の兵士というのは本当らしい。血も流れていない。


「ってか、勝ち目ねーだろ! なんとかしろよ、これ!」


 斬ってもまったく効果なし。火だと燃えるかもしれないが、頼みのグラディスはどういうわけか力が使えない様子。

 これで勝とうなんて、神様でも降りてこないと無理だろう。


 相手が少し反撃すると分かったからか、死体の兵士は遠巻きにしている。

 これはラクシュリにとっても幸運だった。

 どうにか打開策を見つけなければ本当に、ここで二人とも終わりだ。


「ラクシュリ、あの剣を」

「え?」


 グラディスの指が、スッと腰の短剣に向けられる。

 ラカントの短剣。それは正す剣。


 ラクシュリは迷うことなくラカントの短剣を抜き、俊敏に近づいた。

 意志がないぶん鈍いのか、ラクシュリの動きに多少反応しただけで、黙って斬られる傀儡の兵。

 まずは武器を持つその腕を下から切り上げて飛ばした。

 飛ばしただけだった。


『ぎゃあぁぁぁ!』

「!」


 断末魔の金切り声。

 斬られた腕から塵になって消えた兵士は、甲冑と剣以外は何も残らない。

 それを目の当たりにしたラクシュリも驚いて、自分が握っている物を何度も見た。


「ラカントの短剣は正しき剣。死体は正しい姿へと戻るのです」


 背後でグラディスが、静かにそう言い放つ。

 ラクシュリは剣を正面に。

 そして、残る兵士も次々と無へと還していく。全てが塵に、あるべき姿へ。


 散っていくその姿は、悲しむべきものではない。彼らはようやく、解放されたのだ。

 グラディスはその思いを深く感じ、天を仰いだ。


 ラクシュリは残る一人、唯一の生者へと剣を向けた。相手も剣を抜いている。

 ジリリと間合いを計るラクシュリだったが、覚悟を決めてトッと前に出た。

 低い姿勢で距離をつめたラクシュリは確実に敵の急所を狙って攻撃をしかける。


 だが相手も弱くない。

 軽く剣で弾き、そのままラクシュリの首を飛ばさん勢いで斬りかかる。

 後方へと飛ぶことでそれを避けたラクシュリは再び距離を詰めるのだが、相手の方が一枚上手だ。

 ここを通らなければ先なんてない。焦る気持ちがつきまとう。


 それを見ていたグラディスは、スッと息を吸い込む。そして、指輪に軽くキスをした。


『光きたれ。太陽を集めたる結晶よ、この手に集まり輝きを放つ宝珠となれ ―― フラッシュ』


 まばゆい光が辺りを焦がした。

 グラディスに背を向けていたラクシュリは目を瞑る。

 だが、その光をまともに見てしまった男は両目を焼かれたのか、悲鳴を上げてのたうっていた。


「ラクシュリ!」


 声に反応して、ラクシュリは動いた。

 のうたうつ男の剣を足で蹴り飛ばし、何が起こっているのか分からず狼狽する男の首筋に短剣をあて、勢いよく引いた。

 浴びる真っ赤なシャワーに、心は冷たく凍てついていく。倒れた男を見下ろしながら、ラクシュリは無感情な瞳をしていた。


「ラクシュリ」


 声がする。ゆっくりと近づいてくる人の気配を感じる。

 でもそっちを見ることができない。

 自分が今どんな顔をしているのか、どんな顔をしていいのか分からないから。


「人は、人を殺します。自分を生かすために、他の命を摘む生き物です。大なり小なり、ね」

「分かったようなことを言うなよ、グラディス」

「すみません。苦しそうで……」


 苦しそうではなくて、苦しいんだ。


 ラクシュリは声を大にして訴えたかった。

 こんなことを望んでいるのではないと。

 

 でも、グラディスの言うことは正しい。

 綺麗に生きていける場所じゃないし、時代じゃない。

 分かっている、割り切っている、覚悟している、これが初めてじゃない。


 それでも、凍てつくような気持ちだけは消えてくれない。


 ふわりと後ろから、温めるように、労るように腕が抱き寄せてくる。

 驚いて振り向くと、グラディスがやんわりと微笑んでいた。


「その荷は私も負いましょう。私も手を貸した。貴方の罪だけではない。私が、そうさせたのです」


 こんな言葉をかけてくれる、優しい人は今までいなかった。

 こんなことを言う人は他にはいなかった。

 だからだろう。ラクシュリは顔を真っ赤にして、うつむいてしまった。


「あんたがあんまり不甲斐ないからだ! ったく、本当に役立たずじゃないか」

「すみません」


 でも、こいつの存在はどうしてこんなにも心を穏やかにするのか。

 暗い気持ちや悲しい思いが溶けてゆく。

 残るのは、泣きたいくらい甘えた感情だ。

 そして、それを許してくれそうなグラディスに、ラクシュリはすっかり気を許してしまっている。


 だからだろうか。


 それともあまりに弱くて、ここで別れたら確実に殺されそうだからか、放っておけない気持ちがむくむくと出てくる。

 恩は返したんだから、これ以上は付き合う義理はない。

 でもここで別れて数日後には死にましたなんて知ったら、きっと後悔するだろう。

 後悔しない生き方をする。それがラクシュリの生き方だ。


「……仕方ないから、付き合ってやるよ。すっごい危なっかしいや」


 抱き寄せられるなんて行為自体に慣れていないからか、それともグラディスの見せる優しさからなのか、ラクシュリは耳まで真っ赤になってそっぽを向く。

 顔なんてまともに見られるわけがない。

 なにせ、とても恥ずかしいのだから。


「あの?」

「付き合ってやるって言ってるだろ。狙われてんだろ? しかも、あいつらにまったく魔法通用しないっぽいし。俺の力、貸してやるって」

「ですが、危険……」

「んなこと分かってるって言ってるじゃねーか!」


 戸惑うようにオドオドするグラディスに、一瞬でも心を許した自分が馬鹿だったのか。

 ラクシュリは落胆に近い気持ちに肩を落とす。

 すると、どっと疲れがくるようで地べたにペタンと座り込んで、深い深い溜息をついた。


「あのさ、武器も持たないで追っ手から逃げ続けるなんて、無理だろ。だから、オレを雇えって言ってんの。わかんないかな?」

「ですが、あまりに危険です。女王は本気で、私を殺そうとしています」

「乗りかかった船なんだから、いいって言ってんの。それに、新しい仕事探すのもしんどい。べつに大金いるわけじゃないしさ。この汚れた服の替えと、食事だけ世話してくれたらいい」


 こうまで言っても、グラディスは戸惑っているようだった。

 その態度に徐々にイライラを募らせたラクシュリは、キッと彼を睨み付けて近づき、胸ぐらを掴んで低く声を潜めた。


「『はい』は?」

「……はい」


 半分以上脅しだ……。


 それでも、グラディスはどこか嬉しかった。

 初めてできた仲間が。心配してくれる人の存在が。

 ただ、それだけが救いのようだった。


「じゃ、次の町に向けて移動すっか。近くに野宿しなくて良さそうなところは?」

「案内しますよ」


 厚く低い灰色の空。

 それでもグラディスの旅は何か光を得たようにほんの少し、明るく先を照らしているようだった。

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