打ちどころが時代だった。

白石恒一

打ちどころが時代だった

 夕闇迫る冬の風が、崖に沿って流れている。

 階段は、重厚なクリスタルの灰皿を前に、崖っぷちに立っている。


 かつて灰皿は、時代の頂点だった。

 応接間の中央に置かれ、革張りのソファ、低い照明、沈黙のあいだに漂う煙。権力も怒りも、すべてを受け止めていた。

 だが時代は禁煙を選び、灰皿は行き場を失った。


 それでも「たまたま近くにあった」という偶然だけで、何度も役目を与えられてきた。

 だか、終わりは、あっけなかった。


「時代なんだ。悪く思うなよ……」


 階段はそう言って、崖の上で、灰皿の縁に影を落とした。押したとも言えず、突き落としたとも言えない、ほんのわずかな角度の変化だった。


「私は、まだ現役のはずだ――!」


 下から聞こえる灰皿の声は、崖の切り立った岩肌に風がぶつかり、古い事件の残響がこだましていた。


「現役かどうかじゃない」

 階段は静かに言う。

「必要かどうかだ」


 砕けた灰皿は、何も言えなかった。割れる音だけが、階段の未来を祝福するように、音色に変わっていた。


 落下。

 衝突。

 粉砕。


 崖は砕け散った破片を、足元で感じながら思う。


「かつての主役も、色褪せた思い出になったのね……」


 それは、同じ時代を駆け抜け、まだ色褪せない崖という名の女の心境だった。

 最後に残され、最後に受け止める役を引き受け続ける者の静かな感慨。


 一方、階段はその独白を聞いているようで、聞いていなかった。 心の中で、ただ一言つぶやく。


(崖……お前もだ)


 いつの間にか、夕闇が深まり、風が止んでいた。

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