近所に住む綺麗なお姉さんは大福が好き
浅川 六区(ロク)
近所に住む綺麗なお姉さんは大福が好き
うちの近所に綺麗なお姉さんが住んでいた。
そのお姉さんが住むアパートの大家さんは丸々と太ったおばさんで、町内会の役員をやっている。そしてこの町の情報通でもあり良く喋る「放送局」でもあった。
高校生のボクに対しても時折、頼んでもいないのに時事的な近隣ニュースを教えてくれた。ちょっとでも顔見知りになると、自分の個人情報は保護されないという危険を覚悟しなければならない程だ。
最初は気乗りこそしなかったが、そんな放送局の情報網を頼りコソッと訊ねたところ、そのお姉さんは日本橋にあるバーで働いている「水商売の女」との情報を得た。
その綺麗なお姉さんは、あたりが暗くにつれて化粧をして、派手な衣装を身に纏い妖艶な「水商売の女」に変身するのかもしれないが、ボクがいつも見ていたのは清楚で綺麗なお姉さんだったから、少し信じられない気持ちもあった。
見た感じ、うちの高校にいそうな普通女子高生でも通じるような容姿で、最初は本当にどこの高校に通う女子高生だろうと思ったくらいだった。
放送局に訊けば教えてくれるのだろうけど、年齢はおそらく二十代前半かな。
正確には知らない。
それどころか名前も知らなかった。郵便受けや部屋の表札に、氏名など何も書かれていなかったからだ。まあ若い女性の一人暮らしだと何かと物騒だから、何も書かれていないことについては、ボクは大賛成だったが。
コソコソと女性の氏名や年齢を知りたがるような
もっとも、ボクが安心してもどうって事はないのだけれど。
お姉さんはアパートの一階に住んでいて、朝のゴミ出しや宅配便の受け取り時など、部屋から出て来たところを何度か見かけた事があった。
白いTシャツとショートパンツというラフな姿で、露出する肌の部分も多く、手足も白くほっそりとしていて、やっぱりどこから見ても綺麗なお姉さんに間違いなかった。
だからボクはそんな彼女のことが、とても気になって仕方がなかった。
四月も後半に差し掛かったある日のこと。
母が巣鴨で塩大福を沢山買って帰って来ることがあった。ボクと二人で食べるのならば、二個か、多くても四個あれば十分なのに、その数は倍以上だったから少し驚いた。確かにボクも母も塩大福は大好きだったから、多いことについて一応の歓迎はしたが。
「なんでこんなに沢山買って来たの?」と訊ねるボクに母は、地下鉄の中で偶然昔の友達に会ってね、…を皮切りに、延々と旧友と再会した喜びを語りはじめた。
訊いた一つの質問に対しての回答が長いこと長いこと。これはいつものことだ。母が元気である証拠なのだからこれは良しとしよう。
しかしなかなか結論に辿りつかない。これもいつものことだから制することはしない。気持ち良いまま続けさせてあげよう。
母の扱いには大分慣れているボクは、上手な聞き役を演じることが出来る。
へーとか、ふんふんそれで、とかを途中で挟むだけでアカデミー賞だ。
ボクが小さい時に両親は離婚した。
父とは別居しているから母が寂しがらないように…と、子供のボクが自然に身につけた母を守る術の一つだ。
母の、旧友との再会歓喜談を聞く中で、断片的に聞こえて来たのは、
板橋区役所前とか、
マスクをしていて気が付かなったとか、
今年で二十歳になる大学生の娘さんがいる、
うちの近所のアパートで一人暮らしをしている、
巣鴨の塩大福とか、そういう単語だった。
これらの散りばめられた単語素材を集めてストーリーを組み立ることも、ボクは慣れている。
「だから要約すると…昔の友人に偶然会って、思い出の巣鴨駅で下車して、昔を懐かしんでタイムスリップした様にはしゃいで、茶屋で楽しんで、お土産に塩大福を買って来た。ってこと?」
「そうそう。だから今そう話したでしょー」
いや母よ。いつものことだから敢えて声に出しては言わないが、今の話もまだ結論まで辿り着いていなかったけどね。
「だからロク。お願いねー」
「ん?お願い?ボクなんか今お願いされたの?」
「そうそう。だから今そう言ったでしょ?」
「いやだからー言っていないってば」
「ちゃんと聞いてたの?もう一回言おうか?」
「あ、うん…お願い」
―――母が言うには、地下鉄の電車の中で二十年ぶりに友人と再会したらしく、昔一緒に演劇部にいたその友人さんは今でも演劇は続けていたが、結婚していて、その娘さんが今年で二十歳の女子大生とのこと。おまけにうちの近所のアパートで一人暮らしをしていて、巣鴨の塩大福が大好きで、ボクがその女子大生さんに、これからその塩大福を届ける。と言うことらしい。
二十歳の女子大生さん、
うちの近所のアパートに一人暮らし…
え?まさかね…。
ボクは胸の高鳴りを感じつつ、母に訊ねる。
「その再会した友人さんって…美人なの?」
「ゆかりさんのこと?ゆかりさんはね、私が中学の時に最初に隣の席に座ったんだけどね、ピンク色のウサギのペンケースを持っていたのよ…、それでそのペンケースに私がー」
この話長くなる。
これでは当分結論には辿りつかない。母よ。申し訳ないが今は胸の高鳴りがおさまらないのだ、今回ばかりは割愛させてもらう。ごめんカットインするね。
「あー、ウサギのペンケースの話は後でゆっくり聞きたいんだけど―、その友人のゆかりさんは、美人なの」
「…え、ゆかりさん?それはもう昔から美人よ。学校でも一、二位を争うマドンナ的存在だったのよー。いつも周りの男子の視線を集めていたわ。もちろんその一、二位を争う相手は私だけどねー」
「……。」
「何よロク。急に黙りこんで」
「…なるほど了解です。ゆかりさんの高校時代は学校で一、二位の美人だってことね」
「そうよ。一位が私だから、二位の座は間違いないわ」
と言うことは、その美人のDNAを備え持つはずだから…同様にその娘さんも学校二位レベルの美人さんって可能性が大というわけだ。
そしてうちの近所のアパートで一人暮らしをしている…。
もしもその女子大生の娘さんと、“近所の綺麗なお姉さん”が、同一人物だとすれば、そうかあの女子さん二十歳だったのか。ボクが十七だから三歳差か。
三歳差なら有りだな。
ゆかりさんの娘さん。彼女は大学生だったのか。…あれ?待てよ。放送局が言うには確か、日本橋のバーで妖艶な水商売の女だということだったが。誤報?それともやっぱり別人?
どうかビンゴでありますように。今はただ祈るしかない。
「お母さんの友人の、ゆかりさんの苗字とか、その…娘さんの住んでるアパート名とかを教えてよ。大福を届けてくるから」
母は、友人の苗字やその娘さんが住んでいるアパート名、部屋番号、そしてあろうことか、まさか携帯電話番号まで教えてくれた。
「け、携帯番号って…な、なんで知ってるの?」慌てるボクに冷静な母は、
「だって、これから大福を届けるのに、事前に連絡してから行った方が良いでしょ。いきなり行って留守かもしれないし。ってことを想定して、ゆかりさんが教えてくれたのよ」
ゆ、ゆかりさんって…女神かよ。さすが学校一位になる訳だ。
「だから、ゆかりさんは二位で、私が一位だって」
「あれ?今のボクの言葉、漏れてた?」
「漏れて声に出てたわよ。生まれてから十七年間ずっと見続けたそのニヤケ顔で」
母は、今からゆかりさんの娘さんに電話を入れると云った。
「今?今から?」今の時刻は十六時ちょうど。まあ大福を届けても良い時間がどうか定かではないが、ゆかりさんという母親公認ならば良いのだろう。
「だって、巣鴨の大福は作りたてが美味しいの。菜々ちゃんにも今すぐに届けてあげたいでしょ」
『菜々ちゃん』とな。女子大生の名前が『菜々』だと判明した瞬間だった。ずっと『名前も知らない綺麗なお姉さん』だった人が、年齢は二十歳で名前は菜々。
と、ボクの記憶に上書きされた。
母の答えは…ビンゴだった。揺るぎなく同一人物だった。
住んでいるアパート名と部屋番号がピタリと一致した。
こんな偶然があるのかと言うくらいに。
学校二位の美人な母親から生まれて、女子大に通う菜々さん。二十歳。
ただ一つ気になるのは、放送局が言っていた日本橋で働く「水商売の女」という件だが…。アルバイトでもしているのだろうか。まあそれは追々訊いてみよう、本人に。
ボクは母に言われた通り、菜々さんのアパートを訪ねた。
五分程前、母が菜々さんに電話をして、母のゆかりさんに偶然会った事や、今から息子のボクが大福を届けに行くことを端的に伝えた。
菜々さんにも、母のゆかりさんから連絡が入っていたようで、用件はすんなりと伝わったようだ。
菜々さんはボクを快く迎えてくれた。
そりゃそうだろう。見知らぬ高校生男子が来た訳ではない。母からの電話や、ボクの母、つまりの母の友人からも連絡が来ているのだから、ボクを不審がる理由はないからだ。
ボクは手に持った大福を差し出した。
今、菜々さんをこんなに近くで見ることが出来ている。
近くで見てもやっぱり綺麗なヒトだ。
この先の展開としてボクは「大福をありがとう。それではサヨウナラ」と、瞬時で追い返されることを想像していた。それは一番残念な展開だったが、それ以上を期待しても良いことはないからだ。
「大福をありがとう。折角だから一緒に食べない?」などと言う甘い期待は持っていなかった。全く想像もしていなかった。が、
菜々さんは大福を受け取ると、「うわーこんなに沢山!」と驚いた様子だった。よく考えてみればそうだ。これが正しい表現だ。ほっそりとした女子大生が食べる量にしては持参した量が多過ぎるからだ。袋の中には六個かそれ以上の大福が入っていた。しかも巣鴨の塩大福となれば、通常のそれより少し大柄サイズだから尚更だ。
「幾つ…入ってました?」そう訊ねるボクに、
「うーんと…六、七、…八個!」と、可愛い笑顔だ。
って、おいおい八個って。これじゃあ男子ラクビー部が食する量じゃないか。学校一位と二位のお二人さん、どうしちゃったんだい。彼女にこの量は…。
すると彼女は困ったように云う。「あー、こんなに多過ぎるなぁ」
おおお、これは…。この展開は。
すると続けて、「…一緒に食べようよか?」と、信じられない言葉をボクに投げかけてくれた。
学校一位と二位のお二人さん、アンタらやっぱり女神確定です。
彼女は、お茶を淹れるねと云いながらキッチンの方へ背を向ける。
「大福にはやっぱり日本茶だよねー。私はね、普段は珈琲派なんだけど、大福に珈琲は有りえないもんねー」
菜々さんは、普段は珈琲派。またボクのメモリに最新の情報が一つ追加された。
「あっ、えーっと、ロク君、甘い物は好きでしょ?」
「あ、はい。あれ?なんでボクの名前を?」
「あー、さっきマサエさんから教えてもらった」
「甘い物が好きなことも?」
「…それも…マサエさんから聞いたの」
マサエとはボクの母のことだ。そうか、さっき「うちの息子が大福を届けに行く」と電話をした時にでも伝えたのだろうか。隣で聞いていたつもりだったのだけど、いつの間に甘い物が好きというところまでも。
おかげで菜々さんからボクの名前を口にしてもらうことが出来た。たまたまとはいえ、嬉しい展開が広がって行く。アンタやっぱり学校一位だわと、帰ったら言ってあげよう。
菜々さんは、高校は神保町にある女子校だったこと。卒業してから今の女子大に進んだことを教えてくれた。
専攻は大気汚染と水質浄化、海洋汚染問題などを学ぶ環境科学部だと云った。
高校ではそこまで深く掘り下げた授業はなかったが、地球規模で取り組まなければならない大きな問題であること位は理解している。
菜々さんは早速三つ目の大福に手を伸ばしていた。
早い。大福が好きなんだなと思った。
あれ、そう言えばボクも三つ目だった。
「これ、粉が落ちるんだよね」とボクがそう云って粉を容器に落とすように、大福を口元に運ぶ。
「あー、その片栗粉、大福どうしがくっつかないようにまぶしてあるんだよ」と、彼女も唇を白くしながら笑って教えてくれた。
苦めのお茶をすすりながら、ボクらは大福に伸びる手が止まらなかった。
「ロク君は彼女とかいるの?」ドキりとする質問が飛び出して来た。
答えはもちろん一つだ。「いません」と、ここははっきりとした口調で言おう。一回で聞き取ってもらえるように、滑舌も良くすることを意識してだ。
次の質問のはきっと、「居なければ私が立候補しようかな」か、「居ないなら、早く素敵な彼女を見つけなよ」のどちらかだろう。どうか前者であって欲しい。
しかし、少しの間が空いてもどちらの質問も来なかった。ならば攻めるのみ。
「菜々さんは彼氏とか…い」
「いないよ」彼女の声がはっきりとした声質と音量で胸に届いた。しかも食い気味にだ。そして滑舌も良い。
その会話を最後に、その後、なんの話をしたか覚えてはいなかった。
ただボクらは沢山笑って、楽しい時間を過ごしたことはぼんやりと覚えている。
彼女のアパートから出る時、「また来てよ」と云ってくれたことが、ボクの胸の高鳴りをさらに激しくさせた。
外に出ると辺りはすっかり暗くなっていた。近所に住んでいるおばさん達が談笑しているのが目に入って来た。その中の一人に、放送局のおばさんがいたのを見つけ、あっ、と思い出した。
日本橋の「水商売の女」発言だった。菜々さんに確かめる事をすっかり失念していた。楽しい話で盛り上がり過ぎて忘れていたのだ。でも、彼女は大学に通い、真剣に地球環境を学んでいるような人だ。水商売といっても…ただ飲食店でアルバイトをしているだけじゃないか?大学の授業料は高いし、一人暮らしなのだから生活費もかかるだろう。もしかしたら自分で学費を工面するために働いているのかもしれない。逆に好感が持てる。
それから何度も彼女の家に遊びに行き、ボクらは沢山の言葉を重ねてゆく。
これを逢瀬と呼んで良いものかな。
五月の連休は二人で出かけようということになった。菜々さんは車の免許を持っていたので、レンタカーを借りて日帰りの旅行に行くことになった。
大型連休だけあって高速道路も下道も、そして観光地も全て大混雑だった。ボクらは全然進まない車の中で、二人だけに用意された空間を楽しんでいた。
同じ空気を共有しているのが恥ずかしくもあった。
菜々さんはハンドルを右手だけで持ち、空いている左の手をボクの方にスッと差し出し、手のひらをボクの方に広げて見せた。
「何?」ボクは首を傾げる。
「繋いで」彼女が云った。
ボクは菜々さんの手をそっと繋いだ。
そう言えばボクらはまだお互いに「付き合おう」とかの言葉を交わしていなかった。でも、どこからどう見ても、誰がなんて言おうと付き合っている状態になっていたと思っていた。状況証拠と言うのだろうか、それは全て満たしていると思っていた。
うちのクラスメイトも菜々さんのことを「ロクの彼女」という認識でいてくれている。
今、言うべきタイミングだと感じた。
菜々さんと二人きりのドライブで、車の中で手を繋ぎあっていて、少しだけ菜々さんの手が汗ばんでいて、そんな今、「付き合って下さい」と言うべき時だと。
「あのお…菜々さん、言いたいことがあるんですけど…」
「ん?なあに」
菜々さんは前を向いたまま応えた。
渋滞中とはいえ、運転中には変わらないから前を向いたままで良い。
むしろこっちを向かないで欲しいと思った。そんな可愛い顔で、学校二位の血を引く美人さんにまっすぐ見られたら、言おうとしていた言葉も出て来なくなってしまう。
「ボクが初めて菜々さんを見たのが、今年の四月の初め頃で…一目見て、すっごい可愛いヒトだなって思って…」
そこまで聞いて菜々さんは「わー、ストップ!」と云い、ボクの言葉を途中で止めた。
「もしかしてだけど、ロク君、今告白タイムに入ってるの?」
「…あ、うん」なんでそんな事を言うのか。この良い雰囲気をぶち壊さないでよ。少しは気遣ってよ…。
「ちょっと待った。もうー勝手にそんなこと始めて…」
「勝手にって…」
「それ必要?今、どんな状況かわかる?」
「今は、…観光地に向かう渋滞中って状況」
「ちが―――うっ、それは車の話。私たちのこと」
「今は…レンタカーの中で、カーラジオから流れるビートルズの静かな音楽に包まれて、すごっくムードも良く、菜々さんの手をボクが繋いでる。ってそんな状況」
「すごい。ロク君それ百点だよ」
「ありがとう」
「それが全てだよ。それだけで良いでしょー」菜々さんはふふふと笑う。
「でも、ちゃんとボクたちの関係を言葉にしておこうかなって。ボクが最初に菜々さんの存在が気になって…、色々と菜々さんの事を知りたくて、でもそのタイミングで偶然、うちの母と菜々さんのお母さんが地下鉄で再会して…」
「あっと。だからストップだって。…その話なら私からロク君に謝らなきゃいけないことがあるの。それを先に言わせて」
「謝る?」
「うん」
車が少しだけ前に進んだが、またすぐに止まった。大型連休の渋滞は手強い。
あまりにも渋滞が酷くてボクらは予定してた観光地までに辿り着く事は出来なかった。このまま進んでも帰路の時間を想定したら、もう引き返した方が良いと言うことになって、そこで高速道路を降りて一度下道を走ってから、逆方向に車を走らせた。
東京方面へ向かう帰り道は車の渋滞もなく、嘘のように車は進んだ。ボクらを乗せたレンタカーは関越道から首都高速に入って行く。
「もうすぐ着くね」彼女は寂しそうに云った。
「帰り道、早すぎだね。もっとゆっくりでも良かったのに」
時刻は十七時を過ぎたばかりだ。
車は北池袋のインターチェンジで降りた。
「巣鴨に寄って行かない?」彼女が云った。
「巣鴨へ寄って、塩大福買うんでしょ?」
「うん」
「そういえば、菜々さんのお母さんも塩大福が本当に好きなの?お母さんって、ゆかりさんだっけ、どこに住んでるの?この前うちの母と偶然に地下鉄の中で再会したって言ってたけど」
「あっ……それ、嘘なの」
「嘘?」
「そう。だからさっきそれを言いかけたんだけど…謝らなければいけないって。いつか…話さなきゃって思ってたんだけど。この旅行中に、本当の事を話そうって思ってたんだけどー」
「本当のこと?」
車は巣鴨駅ターミナル近くのコインパーキングに停められた。
ボクらは、駅の目の前を横切る国道十七号線を反対側へ渡り、とげぬき地蔵がある高岩寺を目指して、アーケード街を歩て向かった。
夕方、陽が落ちて暗くなりかけていても人の出は多かった。ここ巣鴨は高齢者の観光客が多い街だと聞いていたが、ボクたちのような年齢層のカップルも多く見かけた。その商店街が続く喧騒の中を、ボクらは手を絡ませるように繋いで歩いた。
その後も車の中で菜々さんはボクに、「付き合おう」という言葉を云わせてはくれなかった。その言葉を強く拒絶しているように感じて、つい苛立ちから「ボクのことが嫌いなの?」と強い口調で訊くと、大好きだとすぐに答えが返って来た。続けて、この世界中で一番好きだとも云ってくれた。だったら何故―
とげぬき地蔵がある
ここでは地蔵の頭や顔、腰などに水をかけてゴシゴシと磨いてお参りをするのがやり方だという。
ボクらは前の人に倣ってお地蔵様を磨いた。
菜々さんが不意に云う。
「ねえロク君。私のお母さんのことだけど…」
「…お母さん?ゆかりさんのこと?うちの母の旧友なんでしょ」
「それも、…全部嘘なの」
「嘘?」
「あの日ね、地下鉄の中でマサエさんが旧友の『ゆかりさん』なる人物と再会したって話、…嘘なの」
「え?あの話…、うちの母が偶然旧友に再会して、その娘さんが菜々さんでー」
「そう。それが全部嘘。本当にごめんなさい…」
「え、それってどういうこと?」
ボクらはお寺の境内にあった石の階段に腰を下ろした。
辺りが暗くなって来て、神社を取り囲むように提灯に火が灯り始めている。
風に揺れてぼんやりとしたオレンジ色が滲んで石畳を染めていた。
菜々さんが涙声でボクに云った。
「ロク君と一緒に暮らしたい」
「一緒に暮らす?ボクと二人で?」
「ううん。昔みたいに…みんなで」
「昔?みんな?」
「ロク君は、…私のお父さんの名前って知ってる?」
「菜々さんのお父さんの名前?ごめん、…知らない」
「うん。…そうだろうと思った」
「菜々さんのお父さんの名前が、ボクらに何か関係があるの?」
「関係、ある」
「……」
「うちのお父さん、シロウって言うの」
「シロウ…さん」
「そう。漢字で『四』って書く、四郎。…それで気がついた?」
「……」ボクは何も言えなくなってしまい、目の前が真っ白になった。
そんなことがあるもんかと、叫び出したい気持ちになった。
こんな所で、こんな。ビンゴなんてことがあり得るもんか。と
うちの母親の名はマサエという。漢字では正枝と書く。父は離婚する前、正枝の「正」の文字は五画で、物を順番に数えて行く時に使う「5」の表記だと喜んだらしい。そしてその父本人の名は四郎。“四”、つまり「4」だ。
そして二人の間に生まれた最初の赤ちゃんに、姉に「菜々」と名付けた。
菜々はもちろん数字の「7」を示す。
そして次に生まれた弟ボクの名前は、5、4、7の隙間を埋める数字「6」から考えて、そのまま「ロク」と名付けられた。
ボクが生まれることで、うちの家族は4から7までが綺麗に揃ったと言って、とても喜んでいたそうだ。
4から7、4は「し」で、7は「な」、語呂合わせだけど、この四人で『し』あわせに『な』ろう。と言ったという。
両親が離婚した時、ボクはまだ三歳だった。もちろん何の記憶も無いし、姉がいたことさえも知らされていなかった。
姉の菜々はその当時六歳。両親の思い出も、弟のボクとの思い出も沢山あると教えてくれた。
父について行った姉はその時から豊島区に移り住み、ボクと母はそのまま板橋に住んで、ボクは母の旧姓に変わった。らしい。
姉は中学高校を終えるとそのまま大学に進み、一人暮らしを始めて、またこの街に戻って来た。
そしてー
駅前や地下鉄の中、ハンバーガーショップなどでボクの姿を見つけた時は、最初は気が付かなったようだ。本当に「なんか気になる男の子」だと思っていたらしい。それについてはボクも全く同じだった。綺麗な女子が近所のアパートに越して来たなと思っていた位だから。
でも姉の菜々は、ボクのことが気になるあまり、放送局にボクの事を訊くという行動に出た。そこで始めてボクの名前が「ロク」であることを知った。
もちろんすぐに気が付いたらしい。ロクなんていう珍しい名前だから気が付いて当然だろう。
話をしたい、今までどうやって過ごして来たか。いろんなことこ訊いてみたい、どうにかそんな時間が作れないかと考え、父に内緒で、頻繁に連絡を取り合っていた母の正枝に相談をしたという。
母は大喜びで菜々の提案に賛成をした。
そしていくつかの台本を考えた。学生時代に演劇をやっていたこともあり、菜々と二人でセリフ回しの練習をしたり、何度も台本を修正したりして、数週間前から大いに盛り上がっていたとの事だ。
唯一の誤算だったのは、ボクが本気で菜々の事を、姉に恋をしてしまったことだった。
菜々はボクという実の弟に対して、離れていた時間を取り戻すかのように、心を寄せて来た。もちろんそれは姉弟愛と言う感情からだったのだが。
ボクは一緒に暮らし始めていた姉の菜々に訊いた。
「あー、そういえばさ、放送局から聞いたことだけど『日本橋で水商売』をやってるって…」
「日本橋で?あー、きっとそれ、大学の最寄駅が地下鉄の『日本橋駅』のことでしょ」
「…なるほど。じゃあ水商売っていうのは?」
「それは、あの放送局さんに海洋汚染とか水質浄化を学んでるって言っても上手く伝わらないだろうから、適当にー『お水関係』ですって私が答えたのが、そう解釈されちゃったんだね」
「なるほど。確かに『お水関係』には違いないわね」
「何、なんの話?ねえねえお母さんにも教えてよ」と母が横から入って来た。
母は巣鴨で買って来た塩大福を山ほど抱えて持っていた。
菜々が「お茶を入れるね」と云いキッチンへ向かった。
それにしても、うちの家族は大福が好きだ。
Fin
近所に住む綺麗なお姉さんは大福が好き 浅川 六区(ロク) @tettow
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