第11話 「崩壊」

 朝のギルドは、相変わらず人で溢れていた。

 武器の金属音、酒の匂い、誰かの笑い声。

 ――いつもの光景だ。


「今回の依頼、思ったより楽だったな」


 シグルが肩を回しながら言う。


「油断しすぎ。たまたま当たりが弱かっただけでしょ」


 リュミエルは腕を組み、呆れたように返す。


「それでも結果オーライだろ。資金も増えたし」


「はいはい。次はちゃんと装備の補修に回してよ?」


 軽口。

 呼吸をするみたいな、当たり前のやり取り。


 受付に報告を済ませると、報酬の袋が手渡される。


「……銀貨多めだな」


「討伐数が多かったからね。ま、悪くない」


 袋を持ち上げた瞬間、リュミエルはふと周囲を見回した。


 ――妙だ。


 人は多い。

 なのに、ざわめきの“向き”が違う。


 視線が、どこか一点に集まっている。

 声も、いつもの騒がしさじゃない。


「……ねえ、シグル」


「ん?」


「ギルド、ちょっと変じゃない?」


 シグルも耳を澄ます。

 確かに、会話の端々に同じ言葉が混じっていた。


「……エルフの森が……」

「襲撃されたって……」

「生き残りが……」


 その瞬間。


 リュミエルの胸が、嫌な音を立てた。


「……っ」


 理由は分からない。

 ただ、空気が急に冷えたような感覚。


 何かが、決定的にズレた気がした。


「どうした?」


「……分からない。でも……嫌な予感がする」


 リュミエルは無意識に胸元を押さえる。


「エルフの森……」


 その言葉を口にした瞬間、喉が締めつけられた。


 シグルは一瞬、冗談で流そうとして――やめた。

 リュミエルの表情が、あまりにも真剣だったからだ。


「……行くか」


「え?」


「話、ちゃんと聞こう。

 噂話で終わらせる空気じないだろ。」


 リュミエルは、近くの冒険者の会話に歩み寄った。


「……すみません。

 さっきから聞こえてる“エルフの森”って、どういう話ですか?」


 声をかけられた男は、一瞬言葉に詰まり、周囲を見回してから低く答えた。


「……昨夜だ。

 正体不明の襲撃で、森の外縁が壊滅状態らしい」


「壊滅……?」


「魔獣の群れだ。

 しかも、普通じゃない。A級以上が混じってたって話だ」


 リュミエルの顔から血の気が引いた。


「生き残りは……?」


「少数だ。

 村の中心部がどうなってるかは、まだ情報が来てねぇ」


 それ以上、聞く必要はなかった。


 シグルはリュミエルの肩に手を置く。


「戻るぞ」


 即答だった。


「え……?」


「エルフの森に行く。

 今すぐだ」


 声は静かだったが、揺れがない。

 決定事項としての言葉だった。


「島田とバルガに話してくる」


 シグルは踵を返し、迷いなく二人のもとへ向かう。


「イエガ...オソワレタ」


 島田は腕を組み、短く頷いた。


「……そうか。

 それは災難な話だな。」


「オレ...リュミエルト...ソコニ、イク」


「止めても?」


「ダメ」


 即答。

 島田は小さく息を吐き、苦笑する。


「だろうな。

 許可もクソもない顔してる」


「ゴメン」


「いいさ。

 戻ってこい。それだけだ」


 次に、治療を終えたばかりのバルガの前に立つ。


「……行くんだな」


「ああ」


「俺は動けねぇ。

 だから――任せる」


 バルガは視線を逸らしながら、低く続けた。


「守れ。

 それが出来るのは、お前だけだ」


 シグルは短く頷いた。


「分かってる」


 それだけだった。


 ギルドの扉を押し開けると、外の空気が冷たく感じられた。


「リュミエル」


「……うん」


 彼女はまだ不安を隠しきれていなかったが、足取りは止まらない。


 二人は並んで歩き出す。


 いつも通りの街。

 いつも通りの朝。


 ――だが、戻る先は、もう“いつも”ではない。


 シグルは前だけを見ていた。

 一切の迷いを置き去りにして。


 レビウスは弓を引き絞り、息を止めた。


 風の流れ、木々の揺れ、獲物の足音。

 すべてが、いつも通りだった。


「……今だ」


 放たれた矢は、魔獣の眉間を正確に貫いた。

 倒れ伏す音を確認してから、仲間のエルフたちが木々の影から姿を現す。


「さすがだな、レビウス」


「この辺りの魔獣、最近増えてる。

 油断するなよ」


 軽口を叩きながらも、レビウスの視線は森の奥に向いていた。

 妹が旅に出てからというもの、森を守るという意識は以前よりも強くなっている。


 ――守るべき場所だ。


 その時だった。


「レビウス!!」


 斥候に出ていた仲間の一人が、血相を変えて駆け寄ってくる。


「どうした」


「大型魔獣が……複数!

 数が、おかしい……!」


 空気が変わった。


 レビウスは即座に弓を背負い、前に出る。


「俺が行く。

 お前たちは後ろへ下がれ」


 森を抜けた先。

 木々の合間に、異様な影が見えた。


 魔獣。

 しかも一体や二体じゃない。


 そして――その前に、立つ影。


 ボロボロのコートを羽織り、フードで顔を隠した男。

 魔獣たちは、まるで命令を待つ獣のように、静かに佇んでいた。


「……止まれ」


 レビウスは一歩前に出て、声を張る。


「ここはエルフの森だ。

 これ以上進めば――」


 言い終わる前に、男が口を開いた。


「君たちを殺しに来た」


 言葉は、やけに柔らかかった。


「ごめんね。

 許して欲しい」


 フードの奥から、歪んだ笑みが覗く。


「でも、君達魔族が居るからさ。

 僕は――呪われちゃったんだ」


 その瞬間だった。


 男の背中から、圧倒的な“殺気”が溢れ出す。


 森が悲鳴を上げた。


 一斉に鳥たちが空へ逃げ、枝葉が震え、空気そのものが重く沈む。


 レビウスは、初めて理解した。


 ――これは、敵じゃない。

 ――災厄だ。


 戦闘は、唐突に始まった。


「来るぞ!!」


 レビウスの叫びと同時に、仲間のエルフたちが散開する。

 狙いは魔獣――数は多いが、今まで何度も狩ってきた相手だ。


 ……はずだった。


 ドンッ、という鈍い音。

 次の瞬間、誰かの悲鳴が途中で途切れる。


「ぐっ――」


 バキィ、と嫌な音がして、木が折れる。

 いや、違う。骨だ。


 ズシャッ。

 グチャッ。

 グギュッ。


 魔獣の顎が閉じるたびに、森に音だけが残る。

 血の匂いが一気に広がり、足元がぬかるむ。


「……っ!」


 レビウスは歯を食いしばり、弓を引いた。


 狙いは、魔獣じゃない。


 ――あの男だ。


 矢は一直線に飛び、男の足に突き刺さった。


「っ……!」


 確かな命中。

 レビウスは間髪入れず、魔術を重ねる。


 炎が膨れ上がり、男の体を包み込む。

 コートも、肉体も、音を立てて燃え上がった。


 ジュウウウ――。


 焦げた臭い。

 崩れ落ちる影。


 ……殺した。


 そう、確かに思った。


 レビウスは背を向け、仲間の援護に向かおうとする。


 その時。


 ――ズル、リ。


 背後で、何かが擦れる音がした。


 人が、立ち上がる音。


 ゆっくりと、確実に。


 レビウスの背筋が、凍りつく。


 振り返った先で、男は立っていた。

 焼け焦げたはずの体で、平然と。


 そして、手のひらを――こちらに向ける。


 次の瞬間。


 ギチギチギチッ、と空気が歪む。


 手のひらから、見えない“何か”が噛みついた。


 喰い戻し《リバース・ファング》。


 ズバッ。

 ザクッ。

 グチャッ。


 刃じゃない。

 牙だ。


 全身を、無数の牙で噛み砕かれる感覚。


 視界が跳ね、音が遠のく。

 地面に叩きつけられる衝撃すら、途中で途切れた。


 ――理解する前に、終わった。


 男は、血に濡れた森を一瞥し。


「……はは」


 小さく笑った。


 そして何事もなかったかのように、歩き出す。


 目的地は、もう決まっている。


 男は、村の手前で立ち止まった。


 焼け残ったコートを指で整え、振り返る。

 その背後には、息を潜めていた魔獣たち。


 男は、ただ一言だけ落とした。


「……やれ」


 それだけで、十分だった。


 次の瞬間。


 ドォン――ッ!!


 最初に崩れたのは、外れの見張り台だった。

 木材が砕け、悲鳴が途中で途切れる。


「うわ――」


 ガシャン。

 バリバリッ。

 ドシャァッ。


 家屋が潰れる音が、次々と重なる。

 屋根がめくれ、壁が裂け、床が裏返る。


 キィィィ――ッ!!

 ギャアッ!!


 魔獣の咆哮と、エルフの声が混ざり合い、すぐに区別がつかなくなる。


 ズシャッ。

 グチャッ。

 バキッ。


 逃げる足音。

 追いつく音。

 そして、止まる音。


 炎が上がり、煙が森を覆う。

 矢が飛び、魔術が炸裂するが、すぐに押し潰される。


 村だった場所は、数呼吸のうちに“形”を失っていった。


 男は、それを眺めていた。


 瞳は虚ろで、焦点が合っていない。

 それなのに――口元だけが、わずかに緩んでいる。


 安堵にも、歓喜にも見える、歪んだ表情。


 血の匂いと悲鳴の中で、男は小さく息を吐いた。


 まるで、深く息を吸って、ようやく落ち着いたかのように。


 崩壊した村の中央で、男は立っていた。


 血と煙の中。

 恍惚とした表情のまま、壊れた森を眺めている。


 その背後に――

 音もなく、一つの気配が現れた。


「……随分と、派手にやるようになったな」


 男は振り返らない。

 だが、その声を聞いた瞬間、口元が僅かに歪んだ。


「あぁ……?」


 次の瞬間、空気が軋んだ。


 長い杖を突いた老エルフが、いつの間にかそこに立っていた。

 白銀の髭、深く刻まれた皺。

 だが、その目だけは――今なお鋭い。


「……お主、黎明だな?」


 男は、ようやく振り返る。


 フードを外した。


 煤と血に汚れた顔。

 虚ろな瞳。


「あー……」


 少し考える素振りをしてから、軽く笑った。


「久しぶりだな。プログダ」

「……二百年ぶり、かの」


「そんな経つか? 体感だと一瞬だったけどな」


 プログダは視線を村に向けた。

 壊れた家々、逃げ惑う影、魔獣の咆哮。


「……六百年生きてきたが」

 静かに、言葉を落とす。

「結局、呪いの解き方は分からなんだ」


 男――黎明シャルバ・ヴィージは、肩を竦めた。


「そりゃそうだろ。

 だって、あれは“解けるように”作られてない」


 プログダの目が細くなる。


「千二百年前……聖対魔戦争」

「エルフ、魔族、人間が殺し合った時代」

「それを終わらせたのが――日本から来た転生者、黎明ハルキ」


 シャルバは、どこか誇らしげに頷いた。


「俺の祖先だ」

「英雄だったよ。マジで」


 だが、すぐに声が冷える。


「問題は、そのひ孫だ」


 プログダは、何も言わず続きを待った。


「同じように戦争を止めようとした」

「でも時代が悪かった。

 そいつは英雄じゃなく、“異物”だった」


 シャルバの指が、空をなぞる。


「処刑されて」

「その時の殺意が、呪物を生んだ」


 ――シックス・ゴースト。


「六人の背後霊」

「呪いの塊」

「それが、冥府無限廻の根っこだ」


 プログダの喉が、僅かに鳴った。


「六百年に一度」

「黎明家に宿るよう、あいつは“仕組んだ”」


 シャルバは、乾いた笑いを零す。


「で、俺が引いた」

「運悪くな」


 沈黙。


 やがて、シャルバは吐き捨てるように言った。


「……エルフがいなけりゃ、戦争なんてなかった」

「英雄も、処刑も、呪いも」

「全部、最初から」


 極端で、歪で、救いのない結論。


 プログダは、深く息を吐いた。


「……面倒くさいの」


 杖を軽く突く。


「せめて、魔獣だけでも止めてくれんか」

「この森は……まだ、生きておる」


 シャルバは一瞬、きょとんとした顔をして――

 次の瞬間、腹を抱えて笑った。


「ははっ……ははははは!!」

「無理無理。無理だろ」


 嘲笑。


「もう、止まらねぇんだわ」


 プログダは、表情を消した。


「……なら、仕方ない」


 杖を構える。


「時間を稼ぐ」

「それで、十分だ」


 空気が、張り詰める。


 戦闘は、宣言もなく始まった。


 プログダは、最初の一撃を受け流した瞬間に悟っていた。


(――こやつ、死に戻る)


 冥府無限廻。

 倒しても終わらない呪い。


 つまり――

 殺し切る戦法は、意味を持たない。


(時間を稼ぐしかない)


 プログダは即座に判断を切り替える。


 一方、シャルバも理解していた。

 目の前の老エルフが、自分の性質を見抜いていることを。


(……なるほど)


(なら、止まらず削るだけだ)


 シャルバの腕が振るわれる。


 ――ズギャァンッ!!


 喰い戻し《リバース・ファング》。

 牙状の斬撃が、連続して空間を裂く。


 ズガガガガッ!!

 バキィッ!!

 ギィン!!


 村の残骸が、次々と削り取られていく。


 だが。


「……浅い」


 プログダは、一歩も引かない。


 杖を振る。


 ――風が渦を巻き、斬撃を逸らす。

 ――土が盛り上がり、壁となる。

 ――岩が砕け、牙を弾く。


 続けざまに、水が膜となって身体を包み、

 裂けた衣の下で、光が傷を縫い塞ぐ。


 七百五十年。


 その歳月が、今ここに凝縮されていた。


 魔力量は衰えていない。

 むしろ、深く、重い。


 火が咆哮し、

 草が地を這い、

 風が軌道を歪め、

 光が視界を灼く。


 攻撃、防御、回避、回復。

 すべてを、迷いなく織り交ぜる。


 シャルバは後退しない。


 腕を振るたび、

 リバース・ファングが飛ぶ。


 ズンッ! ズンッ! ズンッ!


 終わらせる気のない攻撃。

 削り、圧し潰すためだけの連打。


 プログダの足元で、大地が割れた。


「……やはりな」


 老エルフは、小さく息を吐く。


(勝てぬ)


(だが――)


 その目に、恐怖はなかった。


 互角。

 少なくとも、今この瞬間までは。


 戦場は、もはや村ではなかった。


 ドゴォンッ!!

 ミシミシ……バキン!!


 魔獣の巨体が家屋を踏み潰す。

 柱が折れ、屋根が崩れ、積み上げられてきた年月が一瞬で瓦礫に変わる。


 ギャァァッ!!

 グシャッ!


 逃げ遅れたエルフが、影の下に消える。


「――生きてるか!?」


 瓦礫の中から、エルフの声。


 倒壊した家屋の隙間。

 腕だけが見えている。


「待て! 今引きずり出す!」


 ゴリッ……ミシッ……!


 二人がかりで瓦礫をどかす。

 血にまみれた仲間が、かろうじて息をしていた。


「走れ!! 森の外だ!!」


 別の方向では、子供を抱えたエルフが必死に逃げている。

 足をもつれさせながら、それでも止まらない。


 背後で、

 ドンッ!!

 家が崩れ、砂煙が上がる。


「……っ」


 振り返りたい衝動を、必死に押し殺して。


 彼らは、逃げた。



 その光景を、プログダは視界の端で捉えていた。


(……よし)


 それだけで、十分だった。


 ズンッ!!


 杖を地面に叩きつける。


 土と岩が盛り上がり、巨大な壁となる。


 その向こうで、

 魔獣が壁を砕き、

 シャルバの斬撃が、次々と飛んでくる。


 バキィン!!

 ギィィン!!


 防御のたびに、魔力が削られる。


 それでも。


 プログダは、前に出る。


「……まだだ」


 火が爆ぜ、

 魔獣の注意を引き、

 風が進路を歪める。


 勝てないと、分かっている。

 それでも、止まらない。


 守るためでもない。

 倒すためでもない。


 逃げ切らせるために。


 瓦礫の向こうで、

 エルフたちの気配が、少しずつ遠ざかっていく。


 それを感じ取りながら。


 プログダは、再び杖を構えた。


 押されている。

 確実に。


 だが――

 怯んではいなかった。


 シャルバは、舌打ちした。


「……面倒くせぇ」


 村はほぼ崩壊している。

 魔獣は十分に仕事をした。

 それでも、目の前の老エルフは――まだ、倒れない。


「ちまちました攻撃ばっかで、正直飽きたわ」


 そう呟いて、シャルバは懐に手を入れた。


 取り出したのは、

 白い骨の欠片。


 指二本分ほどの、歪な破片だった。


「……あぁ、これだ」


 次の瞬間。


 グリッ


 何の躊躇もなく、

 それを自分のうなじに押し当てた。


「……?」


 プログダの眉が、わずかに動く。


 グチャッ


 骨が、肉を抉る。


 ズブッ……ズブズブズブッ!!


 血が、噴き出す。

 赤黒い血が、背中を伝って流れ落ちる。


 それでも、シャルバは止めない。


「……あったあった」


 まるで、探し物が見つかったかのような声。


「俺の……背骨……」


 ゴリ……ゴリゴリゴリッ


 嫌な音が、森に響く。


 骨の欠片を、

 無理矢理、自分の背骨に――はめ込む。


 その瞬間だった。


 ドンッ!!!!


 衝撃音と同時に、

 シャルバの胴体が――内側から弾け飛んだ。


 バシャァッ!!


 肉が、吹き飛ぶ。

 内臓が、散る。


 ブチッ!

 グシャッ!


 眼球が、宙を舞う。


 皮膚も、筋肉も、

 まるで「不要だ」と言わんばかりに、剥ぎ取られていく。


 そこに残ったのは――


 骨。


 肩から胸、肋骨、背骨。

 上半身すべてが、白い骨格となっていた。


 首の上には、

 眼窩だけが空いた、骸骨。


 目は、ない。


 それでも。


 ギシ……ギシギシ……


 骨が、動く。


 シャルバは、立っていた。


 視線もない。

 呼吸もない。


 それなのに。


 空気が、歪む。


 殺意だけが、濃縮されてそこに在った。


 プログダの背筋を、

 ぞわりと、何かが這い上がる。


(……これは)


 理屈ではない。

 魔術でもない。


 ただの、

 殺すためだけに存在するもの。


 骨の骸は、ゆっくりと首を傾けた。


 ――見えていないはずの目で、

 確かに、プログダを“捉えた”。


「……あぁ」


 骨の顎が、カチリと動く。


「久しぶりだな……この感じ」


 声だけは、シャルバのままだった。


 黎明より来たる不滅の性。


 《イモータル・モンスター》


 それは、

 人でも、魔族でも、エルフでもない。


 殺意そのものが、形を持った怪物。


 プログダは、理解した。


 ――これ以上、時間は稼げない。


 だが。


 それでも、

 杖を、下ろすことはなかった。


骨だけの怪物――《イモータル・モンスター》。

それは形ではなく、殺意そのものだった。


目はない。

肉もない。

だが、誰の目にも“見える”。


――ぞわり。


空気が、鳴いた。

視界が歪むほどの殺気が、シャルバの骨格を中心に渦を巻く。

触れずともわかる。

当たれば、終わると。


プログダは理解していた。

シャルバが不死身であることを。

だからこそ、“死に戻り”に意味はない。

避け、凌ぎ、削り切るしかない。


一撃目。

殺意が一直線に放たれる。


――――ギィンッ!!


純粋な《リバース・ファング》。

牙の形をした魔力が空間を切り裂き、骨の怪物を穿つ。

だが、当たった“それ”は――


じゅっ。


音を立てて、霧散した。

攻撃は、魔力へと変換される。


同時に、殺意が増す。


村の一角。

魔獣に押し倒された家屋の下で、エルフの青年が仲間の腕を引いている。


「はやく……! まだ、息が――」


どごん。


遠くで何かが壊れる音。

次の瞬間、魔獣の影が覆いかぶさる。


戦場に視点が戻る。


二撃目。

骨の拳が、無造作に振るわれる。


――ブンッ。


間一髪、プログダは身を捻る。

頬をかすめただけで、灼けるような痛みが走った。

触れただけで、侵される。


三撃目。

回し蹴り。


――ゴォッ!!


地面が抉れ、土と石が舞い上がる。

プログダは後退し、辛うじて直撃を免れる。


村では、子どもを抱えたエルフが走っている。

背後で、ぐしゃりと何かが踏み潰される音。

振り返る者はいない。


四撃目。

殺意の塊が、突進する。


――ドンッ!!


タックル。

風圧だけで、建物の残骸が吹き飛ぶ。

プログダは転がり、息を整える暇もなく立ち上がる。


五撃目。

骨の手が、肩を掴む。


――ぎりっ。


激痛。

骨に直接、針を打ち込まれたような感覚。

そのまま――


頭突き。


――ゴッ!!


寸前で、プログダは身を引いた。

視界が白く弾け、膝が笑う。


そして――最後。


六撃目。


もう、回避が遅れたことを、本人が一番理解していた。


――すっ。


距離が、詰まる。

骨の怪物が、静かに近づく。


殺意が、耳鳴りのように響く。


がしっ。


頭を掴まれた。

抵抗する間もない。


――めき、めき。


視界が暗転する直前、

プログダは村の方を見た。


そこには――

もう、誰もいなかった。


家も、声も、命も。

風に揺れる灰だけが、残っている。


――しん。


音が、消える。


存在は、魔力へと変換され、

死体すら、残らなかった。


村は、

完全な空白になっていた。


――ごと……

骨が、崩れる音。


《イモータル・モンスター》は解かれた。

殺意の渦は霧散し、残ったのは“核”だけ。


思考だけが、闇に浮かぶ。


肉はない。

目も、声も、指一本動かせない。

再構築には、時間がかかる。


――待つしかない。



森の空気が、変わった瞬間だった。


エルフの森に足を踏み入れたシグルは、すぐに異変を察した。

静かすぎる。

鳥の声も、風のざわめきも、どこか途切れている。


少し進んだ先で――

泣き声が聞こえた。


パリーとヒュートだった。

地面に膝をつき、誰かを抱きしめている。


声をかけるよりも先に、理解してしまった。


――レビウス。


身体は、原型を保っていなかった。

何かに引き裂かれ、叩き潰されたような傷跡。

戦いではない。

蹂躙だった。


少し遅れて、リュミエルが異変に気づく。

状況を呑み込めないまま立ち尽くし――

数秒後、感情が追いついた。


「……う、そ……」


声が震え、崩れる。

リュミエルは走り出し、パリーとヒュートのもとへ膝をついた。

泣き声が、重なる。


シグルは、黙って歩み寄った。

レビウスの亡骸を、ただ見下ろす。


――そして、顔を上げる。


少し先。

村があったはずの場所。


そこには、何もなかった。


家の残骸。

焼け焦げた地面。

立ち上る、薄い煙。


血と灰の匂いが、鼻腔を刺す。


その瞬間だった。


シグルの中で、何かが切れた。


感情ではない。

理屈でもない。


――殺意。



リュミエルは、背後の気配に気づいた。


振り返ると、

シグルの背中から、黒いオーラが溢れていた。


重く、禍々しく、

周囲の空気を歪めるほどの“何か”。


その横に――

ドクロが、浮かんでいた。


実体のない、しかし確かな存在感。


ドクロは、ゆっくりと視線を動かし、

リュミエルを見つめる。


何も、語らない。

音も、感情も、示さない。


――それでも。


「……」


リュミエルは、なぜか理解した気がした。


もう、戻れない。

そう、告げられているような気がして。


ドクロは再び、シグルの背中へと向き直る。


黒いオーラが、静かに膨らんでいった。


森は、沈黙したままだった。

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