第7話 「転生者という荷物」
A級へ昇格した、その翌朝。
ギルドの扉を開いた瞬間、空気が変わった。
ざわついていたはずの内部が、一拍遅れて静まり返る。
いや、正確には“止まった”わけじゃない。視線が集まったのだ。
「……あれだろ」「怪魔、倒したって……」
「エルフと、ガキと、闘血種の……」
恐怖と、尊敬。
昨日までとはまるで違う感情が、無数の目に混じっている。
だが当の本人たちは、気にも留めていなかった。
「おはよ」
シグルが短く言うと、バルガとリュミエルも続いて中へ入る。
受付嬢は淡々と、感情を挟まずに依頼表を机の上へ広げた。
「現在、受注可能な依頼です」
――が、シグルの身長では見えない。
「……見えん」
「乗るか」
バルガは当然のようにシグルを肩車すると、机の前に立つ。
周囲がざわっとしたが、すぐに静まった。
シグルは一枚ずつ、指でなぞるように依頼を確認していく。
「C級……護衛、討伐……ん?」
その指が、ある一行で止まった。
「――B級、迷宮探索」
報酬額は、他の依頼と明らかに桁が違う。
昨日の怪魔討伐で所持金は増えていたが、それでも目を引く額だった。
「迷宮のロジック解明、もしくは内部魔獣の間引き……」
シグルは少し考え、すぐに結論を出す。
「これにしよ」
「いいのか?」
「バルガがいれば、魔獣は問題ないでしょ」
あまりにも軽い言葉だった。
それが、余計に周囲をざわつかせる。
受付嬢は一瞬だけ目を伏せ、依頼書を引き寄せた。
「……受理します」
ギルドを出て、里を離れる。
朝の森は静かで、風の音だけがやけに大きく聞こえた。
その道中、リュミエルは一言も喋らなかった。
「……リュミエル?」
声をかけると、はっとしたように顔を上げる。
「な、なに?」
「さっきから静かだから」
「……別に」
そう言って、リュミエルは前を歩くシグルの背中を見る。
――黒い。
はっきりと“それ”が見えたわけじゃない。
だが、確かにあった。
揺らめくような、重たい何か。
昨日見た、あの禍々しい気配と同じものが、シグルの背中から溢れている。
(……見間違い)
リュミエルはそう思うことにした。
バルガは何も言っていない。気づいていないはずだ。
(寝不足、だよね……)
「なんでもない」
そう答えて、リュミエルはシグルの隣に並ぶ。
けれど、視線はもう、二度と背中から離れなかった。
迷宮は、森のさらに奥にあった。
人の手が入った形跡はない。
だが、そこだけ不自然に木が避けている。まるで森そのものが、そこを拒んでいるようだった。
「……多いな」
シグルが呟く。
ウッド・ドッグ。
以前、死にかけて、二度と会いたくないと思った魔獣。
だが――
バルガは、歩きながら殴っていた。
吠える間もなく、跳びかかる前に、拳が叩き込まれる。
硬い胸部が砕け、骨と樹皮が同時に潰れる音が響く。
次。
また次。
息も乱さず、表情も変えず、ただ“作業”のように。
(……感覚、狂うな)
あれほど恐怖だった存在が、ただの障害物になっている。
シグルは自分の基準が壊れていくのを感じていた。
やがて、森の奥。
ぽつんと、それはあった。
「……洞窟?」
岩肌が口を開けている。
自然にしては整いすぎている。人為的だ。
シグルが一歩、踏み出した瞬間。
「っ!」
リュミエルが、強く腕を引いた。
勢いのまま後ろに倒れ込む。
次の瞬間――
ヒュン、と空気を裂く音。
視界の先、洞窟の闇から矢が飛び出し、地面に突き刺さった。
「……」
ほんの一拍、遅れていたら。
シグルは息を吐く。
「助かった。ありがと」
軽くそう言うと、リュミエルは小さく頷いた。
シグルは洞窟を睨む。
(トラップ……あるな)
どう対処するか考えようとした、その時だった。
バルガが、何も言わずに前へ出た。
「おい――」
止める間もなく、洞窟へ踏み込む。
直後、矢が飛ぶ。
バルガは避けない。拳で叩き落とす。
さらに奥。
壁から毒霧が噴き出す。
――殴る。
装置ごと、粉砕。
床が沈む。
天井から刃が落ちる。
――殴る。
岩ごと、破壊。
罠。
罠。
罠。
すべて、拳で終わらせていく。
「……」
追いついたシグルは、ただ呆然とするしかなかった。
警戒も、緊張も、戦術もない。
あるのは、暴力による正解だけ。
「せっかくの迷宮なのに……」
誰にともなく呟く。
緊張感は、バルガの拳に殴り殺されていた。
迷宮の奥は、急に空気が変わった。
湿り気を帯びた冷気。
土と血と、腐敗の匂いが混じったような、嫌な臭い。
「……ここだな」
シグルが小さく呟く。
壁には黒ずんだ痕跡が無数に残り、床には何かを引きずった跡が交錯している。
生物の気配が、異様なほど“多い”。
次の瞬間――
闇の中から、影が立ち上がった。
人の形をしている。
だが、歩き方が違う。関節が壊れたように歪み、首は不自然に傾いている。
目は濁り、皮膚は死体のように変色していた。
「……怪魔、か」
シグルの脳裏に知識が走る。
D級怪魔。
魔獣で言えばC〜B級相当。数で来られれば、十分に脅威。
だが――
バルガは、前に出た。
今までのように突っ込まない。
一歩前に立ち、両腕を広げる。
「後ろに付け」
短く、それだけ。
シグルとリュミエルは、即座にバルガの背中に位置取った。
ゾンビが一斉に動く。
腐った腕が伸び、爪が振り下ろされる。
――バルガは、受けた。
拳ではない。
肩、前腕、背中。
重い音。
肉を打つ鈍い衝撃。
それでも、一歩も引かない。
次の瞬間、バルガの拳が横薙ぎに振るわれた。
ゾンビの頭部が歪み、壁に叩きつけられる。
完全には砕けない。だが、動きが止まる。
「今だ」
シグルが前に出る。
シックス・ゴーストを抜き放ち、怯んだ怪魔の胸へ。
――突き刺す。
呪剣が呪力を吸い上げ、ゾンビの身体が内側から崩れる。
音もなく、灰のように崩落した。
すぐに、バルガの背後へ戻る。
次。
また次。
バルガが殴って、怯ませる。
シグルが刈り取る。
リュミエルは後方で魔力を練り、異変に備える。
進む。
止まらない。
怪魔の群れの中を、三人は“塊”として前進していった。
腐臭が濃くなる。
足元に崩れた怪魔の残骸が増えていく。
(……これが、パーティーか)
シグルは一瞬、そんなことを思った。
役割がある。
守る者、斬る者、支える者。
迷宮の奥、怪魔の巣窟へ――
三人は確実に、踏み込んでいった。
巣窟の奥へ進んでいくと、道は唐突に途切れた。
行き止まり――
いや、正確には個室だった。
石造りの空間。
中央には何もなく、装飾もない。
ただ、妙に“静かすぎる”。
「……嫌な予感するな」
シグルがそう言った、その瞬間だった。
ゴゴゴゴ――ッ
背後の壁が、動いた。
「――っ!?」
振り向く暇もなく、石の壁が迫ってくる。
潰す気だ。逃げ道は、ない。
「後ろに立て!!」
バルガの怒声が響く。
シグルとリュミエルは反射的に彼の背後へ回り、がっしりと掴まった。
「倒れるな。掴まってろ」
短く、それだけ言うと――
バルガは、拳を構えた。
大きく息を吸う。
次の瞬間。
音が、置き去りにされた。
視認するより先に、衝撃が来る。
――ドンッ!!!!!
拳が壁に叩き込まれた瞬間、空気が爆ぜた。
石が砕け、粉塵が舞い、迫っていた壁は内側から粉々に吹き飛んだ。
破片が床に雨のように降り注ぐ。
「……」
シグルは、思わず天井を見上げた。
(……今のパンチで、迷宮ごと崩れてないよな?)
冗談抜きで心配になる威力だった。
だが、迷宮は何事もなかったかのように静まり返っている。
「行けるな」
バルガが淡々と言う。
シグルは苦笑しつつ、個室の奥へ足を踏み入れた。
――そこに、あった。
床一面に刻まれた、魔法陣。
複雑で、幾何学的で、どこか歪んでいる。
今まで見てきた魔法陣とは、明らかに“系統”が違った。
「……見たこと、ある?」
リュミエルに聞く。
彼女は眉を寄せ、じっと陣を見つめてから首を横に振った。
「ない……魔術陣でも、見覚えがない」
「だよな」
シグルは少し考え――決断した。
「試しに、魔力を流してみてくれ」
「え……?」
リュミエルが一瞬、戸惑う。
シグルはすぐに付け足した。
「無理はするな。俺が後ろにいる」
万が一、何か起きたら。
リュミエルの兄――レビウスが黙っていない可能性もある。
それ以前に、絶対に守る。
シグルは剣に手をかけ、リュミエルの背後に立った。
「……わかった」
リュミエルは深く息を吸い、魔法陣へ魔力を流す。
最初は、何も起きなかった。
だが――
魔法陣が、光った。
白でも青でもない。
どこか生々しい、嫌な光。
「――っ!?」
視界が、真っ白になる。
目が潰れたかと思うほどの閃光。
反射的に目を閉じ――
次に、視界が戻った時。
そこにいたのは――
人だった。
魔法陣の中央に、
まるで最初からそこにいたかのように、誰かが座っている。
沈黙。
シグル、リュミエル、バルガ。
全員が、同時に固まった。
「……???」
誰の口からともなく、そんな空気が流れた。
魔法陣の中央に現れたその人物は、シグルより年上に見えた。
だが――
服装が、明らかにおかしい。
布は薄く、動きやすそうで、どこにも鎧の要素がない。
革でも、布鎧でも、魔術師のローブでもない。
(……他国の人間?)
そう思った瞬間、相手も同じような顔をした。
「……?」
首を傾げ、周囲を見回し、
シグル、リュミエル、バルガを順番に見て――
「……???」
完全に同じ反応だった。
しばらく、誰も動けなかった。
沈黙が続き、
空気が妙に重くなり始めた、その時。
「――うわぁぁぁぁぁぁっ!!」
突然、相手が叫び出した。
「えっ」
シグルの肩が、びくりと跳ねる。
何語だろう。
聞いたことがあるような、ないような。
音の並びは不思議と耳に残るが、意味が追いつかない。
早口で、感情だけが先行している。
そして――
「……転生……?」
その単語が、はっきりと聞こえた。
シグルの思考が、一瞬で止まる。
(……今、なんて言った?)
それは、父――コルタスが、
ほんの少しだけ教えてくれた言語。
滅びた異界の言葉。
ニホンゴ。
心臓が、どくりと鳴った。
シグルは、恐る恐る口を開く。
「……ワタシ……
レイメイ・シグル……デス」
久しぶりすぎる発音。
文法も、正直自信がない。
だが――
「……っ!?」
相手の目が、大きく見開かれた。
「お前、日本人なのか!?
ここはどこなんだ!?」
難しい単語が、一気に飛んでくる。
頭が、パンクしそうになる。
(待て、待て……速い……)
それでも、必死に絞り出す。
「……ココ……
メイロ」
「迷路?
まさかこれ……異世界転生ってやつかぁっ!?」
やたらと声がデカい。
興奮しているのか、取り乱しているのか。
とにかく、落ち着きがなかった。
シグルは、会話を続けようとする。
「……アナタ……
ナマエ……ナニ?」
すると相手は、胸を張って答えた。
「ふふ……
俺はチート能力を宿し、
この世界の救世主!!
島田ソウタだ!!」
シグルは、正直ほとんど理解できなかった。
聞き取れたのは――
「俺」と、「島田ソウタ」。
それだけ。
だが、名前だけは確かに覚えた。
島田ソウタは、一人で勝手に盛り上がっていた。
「いやぁ、やっと神も俺に救いの手を差し伸べたか〜!
憧れの異世界生活!!」
知らない単語。
知らない概念。
知らないテンション。
シグルは、ただ瞬きを繰り返すしかなかった。
横を見ると――
バルガは、完全に警戒態勢だった。
拳に力が入っている。
正直、いつ殴りかかってもおかしくない。
リュミエルはというと――
「……?」
完全にキョトンとしていた。
無理もない。
知らない言語。
知らない服装。
知らない種族。
理解できる要素が、一つもない。
島田は、止まらない。
「それで?
ここは安全なのか?
なんか牢屋みたいな部屋だな」
長々と、聞き取れない言葉を並べ立てる。
シグルは、頭をフル回転させて答えた。
「……ココノ……コト……
ワカッタ……
ダカラ……カエル」
「おっ、じゃあ俺もついていく!
チート能力、見せてやる!!」
(……何言ってるか、半分も分からん……)
だが。
こんな場所に、
一人で置いていくのも――少し、気が引けた。
シグルは振り返り、
バルガとリュミエルに、小声で説明する。
「……迷宮の奥で出てきた人。
言葉は違うけど、人間だと思う」
詳しいことは、分からない。
それでも――放置はできなかった。
「……一旦、ギルドに戻ろう」
そう決めて、歩き出す。
島田ソウタという、
重そうな荷物を連れて。
歩きながら島田の話を聞いていると、どうやらやはり「ニホン」という国の出身らしいことだけは分かった。
それ以外は何を言っているのかさっぱりだ。やたらテンションが高いのと、単語が難しすぎる。
そのまま進んでいると――
さっき倒したはずの怪魔、
いつもの陣形を取ろうとした、その時。
島田が前に出た。
慌てて止めようとするが、島田は聞く耳を持たない。
「俺のチート能力見せてやる!!」
などと、相変わらずよく分からないことを叫び、自信満々な様子だった。
正直なところ、シグルも少し期待していた。
ニホン――つまり異世界から来た人間は、どんな力を持っているのか。
島田は怪魔に向かって手を突き出し、意味不明な文章を唱え始める。
「神は我に力を宿し、炎は我に技術を与えた。フレイム・ファイヤー!!」
……しかし、何も起きない。
一瞬の沈黙の後、怪魔が島田へと襲いかかる。
その瞬間、バルガが駆け込み、拳一発で怪魔を殴り飛ばした。
すぐさまシグルはシックス・ゴーストを抜き、いつもの手順で怪魔の胸に突き刺し、止めを刺す。
「シマダ! リュミエルト……イロ!!」
シグルの声に反応し、リュミエルは島田を守るように自分の背後へ下がらせる。
島田はなぜか、心底残念そうな顔をしていた。
その後は慎重に進み、時間をかけてなんとか洞窟を脱出する。
それ以降、特に何事もなくギルドへと戻った。
ギルドでは、また見慣れない人間がシグルのパーティーに加わっていることもあり、周囲の冒険者たちが物珍しそうに島田を見ていた。
報告書を書き、報酬を受け取った後。
ギルド内の卓に四人で座ると、島田は周囲をキョロキョロ見回しながら、やけに楽しそうに口を開いた。
「なぁなぁ! お前らパーティーなんだろ? パーティー名は?」
その言葉に、シグルは一瞬固まる。
リュミエルとバルガの方を見るが、二人とも「?」という顔だった。
「……ナマエ、ナイ」
そう答えると、島田は目を輝かせた。
「じゃあ決めようぜ! パーティー名! ここ大事だから!」
急すぎる提案に三人とも微妙な空気になる。
とはいえ、確かにまだ決めていないのも事実だった。
問題は――島田の言葉だ。
「やっぱ王道はさ、“ブレイブ”とか“ヒーローズ”とか――」
相変わらず、聞いたこともない単語のオンパレード。
シグルの脳は早くも悲鳴を上げていた。
「……マッテ」
そう言ってシグルは席を立ち、受付嬢のもとへ向かう。
そして、身振り手振りでなんとか伝える。
「単語帳……あります?」
受付嬢は少し首を傾げた後、理解したのか、分厚い単語帳を一冊差し出してくれた。
再び卓に戻り、シグルは島田の言葉を一つずつ単語帳で照らし合わせていく。
「……“ユウシャ”……ツヨイ……ヒト」
「そうそう! 勇者! 主人公ポジな!」
「……“ツドイ”……アツマル」
「うんうん、それそれ!」
島田のテンションは高いが、シグルの理解はだいぶ怪しい。
それでも必死に意味を噛み砕き、二人に伝えていく。
「……ユウシャ、アツマル……ナマエ」
その説明を聞いて、リュミエルはふっと笑った。
「シグルとバルガさんが居てくれるなら、名前はなんでもいいよ」
バルガは腕を組んだまま、短く言う。
「考えるのは苦手だ。任せる」
満場一致――というより、放棄に近い形で決定権は島田に委ねられた。
結果。
島田の案(と、シグルのだいぶ怪しい解釈)によって、
パーティー名は――
「勇者の集い」
島田は満足そうに何度も頷いていた。
シグルは少しだけ首を傾げたが、もう深く考えないことにした。
「……ツギ、ホンダイ」
そう切り出し、シグルは話題を戻す。
島田をどうするか。
言語が通じるのはシグルだけ。
放っておけば、迷宮で死ぬ可能性が高すぎる。
しばらくの沈黙の後、結論は自然と出た。
「……パーティー、ハイル」
島田は一瞬きょとんとした後、満面の笑みを浮かべた。
「マジ!? ありがとうな! これからよろしく!」
こうして、半ば成り行きで島田はパーティーメンバーになることが決まった。
申請のため、再び受付嬢の元へ向かう。
もちろん、シグルは机に届かないので、またバルガの肩車だ。
「メンバーの追加を...」
受付嬢は手慣れた様子で書類を取り出す。
「年齢は?」
「……16らしいです。」
この世界の基準では、すでに成人だった。
続いて能力測定。
筋力、魔力、反応速度――
結果は、すべて同じ。
Eランク。
最低、最低の評価だった。
島田は結果を見て固まっていたが、
シグルはなぜか、妙に納得してしまった。
(……チート、って何なんだろ)
そう心の中で呟きながら、シグルは新しく増えた“荷物”の方を見た。
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