特別なプレゼント

かなぶん

特別なプレゼント

 その手はいつも温かく、迎える微笑みは柔らかい。

 しかし、少年から青年へ変わろうという誕生の日に、イクスは初めて、彼女に恐怖を覚えてしまった。

 いつもと変わらない微笑みと声音で、抜き身の短剣を手にした彼女は言う。

 誕生日のお祝いに照れていた顔を強張らせたイクスを前にして。

「憶えているかしら? あの日も今日のようにとても良い天気だったのよ。ああ、でも、あの時のあなたは赤ん坊だったから、きっと何も知らないでしょうけど」

 舞台女優のような、酔いしれたような、歌う声音は慈しみに満ちていた。

 遠い過去を見つめる青い瞳も優しい瞳を湛えてはいた。

 だが、それら全てを持ってしても、覆ることのない狂気は確かにあり、

「か、母さん、危ないから、ソレは仕舞った方がいいよ」

 成長した今、並び立てば姉弟と間違われそうな母に、恐る恐る進言してみるが、聞こえているはずの彼女はふわりと微笑み返すのみ。

 そうして、イクスの忠告などなかったかのように、一人語りを再開する。

「本当に、良い日だったの。どこまでも晴れ渡って、雲一つなくて、青空で、光輝くばかりに祝福されていて――本当に、誂えられたかのような良き日」

 口元の微笑がニヤリとした笑みに変わる。

 青い瞳も同様に、精彩を欠いて湾曲する。

 狂気の中に威圧感が生じ、イクスは知らず後退する。

(この人は……本当に母さんなんだろうか?)

 目を逸らすことも出来ず、姿形は間違いなく母でしかない者を見つめた。

 ――いや、そもそも彼女は、血縁者としての母ではなかった。

 それを知ったのは、数年前のやはり誕生日であったが、その時は少なくとも、こんな雰囲気ではなく、いつも通りの優しい母だったのに。

(……まさか、魔物が入れ替わって?)

 ない話ではない想像に、一瞬にして血の気が引くが、「母」はイクスの心を読んだかのように話を続ける。

「私はあなたの母ではない、ということは以前に伝えた通りだけれど……。もっと言えば、私はあなたの母親からあなたを奪った魔女なのよ」

「!?」

 唐突な告白に目を見張れば、刀身に頬ずりした「母」――魔女は、陶酔した面持ちで過去を振り返った。

「あなたの立場に置き換えたなら、あなたの本当の母親を殺し、その腹を割いて、あなたを攫った悪い魔女ね。ああ、もっと悪い魔女だわ。だって、あなたの母親の前に、あなたの住むはずだった村ごと焼き払い、地図から消してしまったんですもの」

「何を、言って……」

 急な話に戸惑いがイクスの口をつくが、感覚は魔女の言葉が真実だと伝えてくる。

 それほどまでに、目の前の魔女の存在は、よく知る「母」でありながら、どこまでも相容れない不気味さを纏っていた。

(だとして、そんな話を今更して、なんだって言うんだ?)

 認めたくない気持ちがそんな疑問を浮かべれば、解消するように魔女は言う。

「だから、ね。せっかくここまで、青年と呼べる年まで育ったんですもの。とっておきのお祝いをしてあげなくちゃと思って」

 そうして、短剣の柄をイクスへ向けると、怯む間もなく距離が詰められた。

「なっ!?」

 臆した手が下がる前に取られては、手に硬質を押しつけられ、その手ごと魔女に握りしめられた。

 目前には、爛々と輝く、狂気染みた青い瞳の笑み。

「私を殺しなさい、イクス。お前のあるべき未来を奪った私を」

 常時であればたおやかな手指が、針金のように食い込む。

 そのまま、短剣を手にしたまま、招き引かれる先には魔女の身体があり――。

「ぐっ!」

 刀身が魔女の服を裂く直前、イクスは全力でもって腕を引いた。

 お陰で、無理矢理握らされた短剣が魔女を刺し殺すことはなかったが、魔女の手は短剣ごとイクスの手を握りしめており、血走った目に諦めはない。

「ダメよ、イクス! 躊躇ってはいけないわ! この先だってお前を苦しめるだけの魔女なんだから、今ここで、息の根を止めておかなくちゃ!」

「うぅ!?」

 一睨み。

 それだけで身体が硬直した。

 詠唱もない魔法に戦慄が走る。

 だが、望んでもいないことを強要されて、実行する訳にはいかない。

(冗談じゃない! なんでこんなっ! 俺は、これからようやく、母さんにも頼って貰えるような、そんな風に思っていたのに!)

 急に明かされた真実よりも、女手一つでここまで育ててくれた母を思う。

 魔女だろうがなんだろうが、与えられた温もりに偽りはなかった。

 真実がまやかしであろうとも、イクスにとって、彼女は母でしかない。

「や、めろ! はな、せっ!!」

 得体の知れない力に強張る身体に力を込め、怒号と共に腕を払った。

 これにより魔女からは薄く鮮血が散ったものの、死に至るほどではない。

 この勢いに任せ、短剣を放れば、近くの柱に深々と突き刺さった。

 すぐに抜けるものでもないことにホッとしたのも束の間。

「ぐっ!?」 

 死角から何かが投げつけられ、衝撃に耐えきれない身体が床に倒れた。

 混乱する視界に飛び込んできたのは、誕生日のご馳走が並んでいたテーブルが、無残に転がる様。

 アレを投げつけられた――。

 彼女の細腕のどこにそんな力があるというのか。

 にわかには信じられず、その姿を探せば、短剣を真っ直ぐに目指す背中がある。

「嫌だ……」

 衝撃に詰まっていた息が声となるのに併せ、彼女の指が短剣の柄をなぞったなら、するりと刀身が柱から抜け落ちる。

 そしてそのまま、宙に浮いた短剣を掲げた彼女は、先ほどよりも輝きを増した目でイクスの方へと歩き出す。

「嫌だっ!」

 そう叫んだところで、伏した身体に力は入らず、逃げ切れないイクスに向かって、彼女はいつもの微笑みで優しく告げた。

「大丈夫よ、イクス。あなたは何も心配しなくて良いの。ただ、仇を取るだけなのだから。悪い悪い魔女を殺して、皆の無念を晴らすのよ。良い子だから、ね?」

 勝手が過ぎる話だ。

 当事者であるはずのイクスを、初めから終わりまで蚊帳の外に置いておきながら、当然の権利を身勝手にも押しつけてくる元凶。

 だというのに、憎みきれない相手を前にして、イクスの目に涙が浮かべば、彼女はより一層優しく微笑んだ。

「あらあら、今日めでたく大人の仲間入りをしたのだから、こんなことで泣かないで頂戴。私が受けるのは当然の罰なのだから。あなたはただ、復讐するだけ」

 遠い過去、泣いていたイクスをあやしたのと同じ顔、声音がそんなことを言う。

 抱きしめてくれた手に、自らを殺させるための短剣を掲げて。

「さあ、手に取って。仇を討ちなさい」

「うぅっ……」

 再び身体の自由が奪われる。

 漏れ出る苦痛は、無理矢理動かされた身体よりも心から。

 与えられる一方の答えは一向に呑み込めず、「何故」ばかりが募っていく。

 物心つく前からの全てが誤りだと断言されたばかりか、望んだ憶えもない精算を強要されようとしているのだ。

 今まで築き上げてきたものが崩れる中、幕引きの一太刀だけがイクスの手に。

 ――その時。

 突風が吹いた。

 室内にも関わらず吹き荒ぶソレは、イクスと彼女の間を正確に通り、ついでとばかりに短剣を天井に突き刺した。

(何が……あ、身体が……!)

 彼女により立ち上がっていた身体の重み。

 取り戻された感覚によりしっかり感じ取れたなら、自分より低い背丈が目の前に立ちはだかる。

 イクスへは背を向け、彼女とは対峙するように。

「そこまでだ、継承の魔女。ようやく見つけた」

「あんたは……」

 聞いた声に目を丸くする。

 いや、そこまで親しい相手ではない。

 なんなら出逢ったのは今日の朝だった。

 誕生日の買い物に出かけた時、道に迷っていたところを助けた旅行者の少女。

 もっと言えば、あの時はこんな喋り方でもなかった。

 自分と近い年の、年相応の明るい声は鳴りを潜め、低く淡々とした声が言う。

「この場所はすでに包囲されている。大人しく……」

 しかし、少女の言葉は途絶えた。

 そこにいたはずの彼女の姿が、いつの間にか消えていたゆえに。

「……クソッ!」

 短い悪態だが、イクスには嫌でも感じ取れてしまった。

 彼女がイクスに望んだ復讐。

 最も相応しい感情を持っているのは、この少女の方だと。


 その後、イクスに対しては「遅くなってすみません」と、最初に会った時と同じ喋り方で謝罪した少女は色々と教えてくれた。

 少女は旅行者ではなく、神殿管轄の騎士団に所属しており、少女にとって因縁深い相手「継承の魔女」を長年捜索していたという。

 魔女との因縁はイクスが感じ取った通り、仇という関係性であり、何を隠そう、少女はイクスと同じ村の出身であった。物心ついた頃には地図から消えていた村。ただし、何も知らなかった、知らされて来なかったイクスとは違い、少女は村が滅んだことも、その原因も、幼い内から知っていた。

 そして、魔女を恨んできたのだという。

 それなのに、魔女を前にして、突風で邪魔をするだけだったのは、魔女が「継承の魔女」であったため。


「継承の魔女は、便宜上魔女と呼ばれてはいますが、その実、性別も年齢も、そもそも人間であるかも不明の化け物です。分かっているのは、自分を殺した相手に乗り移る、自分自身を強制的に継承させる能力があることだけ」

「それじゃあ……」

 尋常ならざる力でテーブルをぶつけられた身体は、未だ療養を必要としていた。

 イクスは病室のベッドに横たわりながら、少女の話を聞き、母が――継承の魔女が何故、自分を執拗に殺させようとしていたのかを知った。

 知った上で、問う。相手は少女ではなく、自分。

(じゃあ、なんだって母さん――魔女は、あんなに優しかったんだろう。自分を殺させるだけなら、憎ませた方が楽だったのに)

 それとも、その落差を愉しんでいただけなのだろうか。

 いつかは実行する裏切りのために、そこで絶望する顔が見たくて……。

 ない、と言い切れない今が辛かった。

 そんなイクスを見た少女は、ふっと小さく息をついた。

「――ですが、それはあくまで、私から見た継承の魔女の姿です。貴方を見る限り、あの魔女は人として外れたことは、貴方に教えてこなかったようですし……。どうしてそんな風に貴方を育ててきたのかは、あの魔女にしか分かりません。もしかしたら、別の理由があったのかもしれませんから」

「別の理由?」

「……いえ、もしもの話で、仮定でしかありません。結局のところ、分かるのはやはり、あの魔女だけでしょうから」

「そうか」

 あるいはこれは、慰めだったのかもしれない。魔女に一生を振り回された同郷への、立場は違えど、同じように振り回された少女からの。

 情けない。

 仇敵を逃して悔しいはずなのに、その仇敵を慕っていた自分を慮ってくれる少女をありがたく思う。そのことが情けなくて、申し訳なかった。

「……それで、ですね」

 しかし、少女はそんなイクスの心情など知らず、言葉を継ぐ。

「もしよろしければ、貴方も、私たちの騎士団に来ませんか?」

「……え?」

 思わぬ申し出に驚けば、少女が言いにくそうに言った。

「いえ、ごめんなさい。違いますね。大変申し訳ないのですが、貴方は今後、私たちの騎士団の保護下に置かれます。本当に申し訳ありませんが、拒否することはできません」

「それは……俺が、継承の魔女にまだ狙われている、と?」

 可能性としては頭を過ったことだが、改めて声にすると喉が渇いた。

 これに頷いた少女は、次いで頭を横に振った。

「いえ、確証がある訳ではありません。推測でしかないんです。先ほどもお伝えしたとおり、継承の魔女に関しては情報があまりにも少ない。ですが……だからこそ」

「そんな魔女が、長年育て上げた俺を、このまま放置するとは考えにくい? それに、もしかしたら俺から魔女の情報が得られるかもしれない?」

「はい。概ねその通りです」

「…………」

 少女の気後れする様子から、おそらくこれは、彼女の上役の判断なのだろう。

 相手が神殿の管轄にあるのならば、イクスが人の営みを続ける以上、断ることなど出来ない話なのだが、少女は言葉通り、ひたすら申し訳なさそうにしている。

 そして、言うのだ。

「お約束はできませんが……場合によっては、魔女に尋ねられる機会があるかもしれません。継承の魔女探しに、騎士団の情報は役立つはずですから」

 正直なところ、イクスは迷っていた。

 騎士団の監視下に置かれることに対して、ではない。

 あの魔女に再び会い、話したいという願望が、自分にはあるのだろうか、と。

 粉々に砕かれた愛しい日々。修復できない穏やかな時。

 その元凶に会って、話すことなど……。

 自分を殺させようと躍起になっていた、異常な姿が蘇る。

 それはイクスの気持ちを萎えさせるのに十分ではあったが。

 ――どうしてそんな風に貴方を育ててきたのかは、あの魔女にしか分かりません。

 もしもソレを尋ねられたなら。ソレが満足のいく答えではなく、聞くに堪えない理由だったとしても。半端に想像し、二の足を踏み続けるよりは余程良い。

 怯む心を払ったイクスは、少女へ告げる。

 自らの意思で、騎士団に赴くことを――。

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