第65話 ゴルフ
自動車工場の解雇、盲腸の摘出、そして祖母からの理不尽なビンタ。身も心もボロボロになった変美は、日光への最終決戦を前に、唐桶刑事の勧めで気晴らしに宇都宮郊外のゴルフ練習場へとやってきた。
「……変美、少しは肩の力を抜け。復讐も大事だが、今のままじゃ日光の険しい山は登れんぞ」
■ 練習場:緑の檻と「挫折の匂い」
深夜のゴルフ打ちっぱなし練習場。カラン、カランという無機質な打撃音が響く中、変美は貸しクラブを握りしめていた。
「……ゴルフなんて、止まっている球を打つだけでしょ。簡単だわ」
鼻を利かせれば、芝生の**『青臭い湿った匂い』に混じって、隣のブースで一心不乱に打ち込む中年男性たちの『加齢臭と仕事のストレスが焦げた臭い』**が漂ってくる。
変美は、自分を捨てた鉄二の顔や、兄を殺した新田の面影をボールに見立て、思い切りドライバーを振り抜いた。
■ 空振りの調べ:届かぬ怒り
シュッ……。
鋭い風切り音だけがして、ボールはティーの上に鎮座したままだ。
「……え?」
「変美、もっと膝を落とせ」
二投目、三投目。今度は地面を激しく叩き、土の**『強烈な泥臭さ』**が鼻を突く。四投目、ようやく当たったかと思えば、ボールは無惨にスライスし、隣のブースのネットを直撃した。
「……なによ、これ。私の嗅覚なら、風の向きも、重力も、インパクトの瞬間に発生する**『摩擦熱の匂い』**も完璧に計算できるはずなのに……!」
当たらない。何度振っても、ボールは変美の怒りを乗せて遠くへ飛んではくれない。止まっているはずのボールが、今の自分の揺れ動く不安定な心を嘲笑っているように見えた。
■ 崩壊:盲腸の傷跡と、情けない自分
百発目を打ち終える頃、変美の額には大粒の汗が浮かんでいた。
「……はぁ、はぁ……。当たらない……。何一つ、私の思い通りにならない……!」
手術したばかりの盲腸の傷跡がズキズキと痛み出す。その痛みから漂う**『わずかな化膿止めの薬品臭』**が、今の自分の弱さを突きつけてくる。
「……お兄ちゃんたちは死んで、私は工場をクビになって……おばあちゃんには殴られて……。ゴルフのボール一つ飛ばせないなんて、私は本当に……『死肉を喰らうハイエナ』以下の女ね……」
変美は練習場のマットに膝をつき、声を殺して泣いた。鋭すぎる鼻は、自分の頬を伝う涙が、**『悔しさと無力感で濁った塩の匂い』**であることを残酷に伝えてきた。
■ エピローグ:静かなる再起
唐桶刑事が黙って隣に座り、缶コーヒーを差し出した。
「……変美。お前の鼻は天才だが、体はただの女だ。全部一人で背負うから、スイングが歪むんだよ。……日光へは、俺を『クラブ』だと思って使え」
変美は震える手でコーヒーを受け取った。温かいアルミ缶から漂う**『安っぽいコーヒー豆の、どこか安心する苦い匂い』**。
「……そうね。私一人で全部嗅ぎ分けようとして、鼻詰まりを起こしていたのかも」
彼女はゆっくりと立ち上がり、最後の一球を丁寧に、優しく打った。
ボールは真っ直ぐ、夜の闇へと消えていった。
「……唐桶さん。行きましょう。今、日光から漂ってくる**『父さんが隠した真実の匂い』**……今までで一番、クリアに感じるわ」
ついに変美の迷いが晴れました!舞台はいよいよ「日光東照宮」へ。
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