票決
モモん
第1夜 踊り子
その夜は暗い雨が降っていた。
男がいきつけのバーに入ると「いらっしゃい」と声がかかり、男はコートを脱いでカウンターの椅子に座った。
コートを預かった店員は、それを椅子に広げ、トレンチについた水滴を拭ってくれ、丁寧にハンガーにかけてカウンターの外れにあるコート掛けに吊るした。
「いつものでよろしいですか?」
「ああ、頼む」
バーテンダーと客とは、簡単な会話を交わし、短時間で男の前にバーボンが注がれたロックグラスが置かれた。
男は、琥珀色の液体を口に含んで、ゴクリと呑み込んだ。
「ああ、やっぱりメーカーズマークはいいな。」
「笹熊様くらいですよ。そこまで拘るのは。」
「この独特なボトルの形と、赤い封蝋。いつだったか、この封蝋が踊り子の足に見えてね。それ以来こいつに首ったけなんだよ。」
不意に客の後ろから声がかかる。
「あら、面白そうな話ね。」
その女性はパレオのような短い巻きスカートを纏っており、橙色のスカートから黒い網タイツに包まれた白い足と、その先に黒いエナメルのヒールを履いていた。
「どうかしら?今日のボトルは、私の足に勝てたかしら?ウフフッ」
「いや、文句なしに完敗だよ。そのおみ足に一杯奢らせてくれ。」
「じゃ、同じので。」
「承知しました。」
バーテンダーはロックグラスに大振りの氷を一つ入れ、コトンとカウンターに置いた。
そこに760のボトルを片手で掴んでコッコッコッとバーボンを注ぐ。
ボトルネックが細く、ボトルがずんぐりと太いボトルからは、このように独特の声をあげるのだ。
バーテンダーは注いだグラスを女性の前に、コトリと置いた。
女性は奥のボックス席で数人の仲間と飲んでいる。
長居はしないだろうと判断し、コースターを置くよりも音を演出したのだ。
女性はグラスを右手でとり、琥珀色の液体を照明にかざして一気に飲み干した。
白い喉がコクリと音もなく動いた。
「彼の国のお酒だけど、作り手の想いが感じられるわね。おいしいわ、ご馳走様」
女性はグラスをカウンターに戻し、奥のボックス席へと歩き出した。
これほど寒い夜なのに、ノースリーブから伸びた白い肩と手が艶かしい。
男の名は笹熊直之。
要人の警護を生業としている。
といっても、公安の職員とか警官ではなく、あくまでも私設の警護だった。
現在の警護対象は某大臣の息子で大学生の優男だった。
35才になる直之は、大学まで入り込む事はできない。
なので、息子に持たせたGPS発信器を元に行動を監視している。
「あらっ?変わったスマホですね。」
「えっ?」
彼のスマホは、既製品を改造したもので、外観は市販品と変わらないハズだ。
「いえ、ごく普通の市販品ですよ。ちゃんとキャリアの窓口でSIMの乗せ換えもやってます。」
「うふっ、基地局3つを同時接続してるスマホなんて初めて見ましたわ。そのうち一つは衛星なんでしょ。」
「……いえ、何をおっしゃっているのかさっぱり……。それよりもお嬢さんはどうしてこんな所に?」
「この学校のダンス部でコーチをしておりますのよ。」
バーで顔をあわせたきりの女性は、その場で簡単に踊った。
オレンジと紺の柄の巻きスカートに、白いTシャツ。
シャツの上に薄いピンクのジャケットを羽織っている。
その彼女が、タンタンとステップを踏み、ターンして手足を伸ばす。
存在感とかオーラと呼ばれるものがある。
集団の中にいても、ついそこにだけ集中してしまう。
それは、指先までを意識した舞いだったり、つま先まで気を配った動きだったりする。
これは、神の舞いだと直之は思った。
篝火の焚かれた暗闇の中で、足を蹴り上げ手を折り曲げて苦しみを表現する。
そこに注がれる神の慈愛と芽吹く木々。
その舞いは、天地創造を現わしていた。
それはまるで……
「ウズメ様……」
「えっ?」
女性は踊りをとめた。
「あっ、まるで日本神話のアメノウズメ様の踊りみたいだと……」
「あら、光栄ですわ。アメノウズメの中に、宝石の名が含まれていますのよ。」
「えっ?」
「メノウ……それが私の通り名なんです。」
「あっ、気付かなかった。……自分は笹熊直之と言います。」
「うふっ、自分なんて一人称を使う方、初めてお会いしましたわ。では、私はこれで。」
軽く会釈をしてメノウは通りの向こうに駆け、学校の中に入っていった。
三度目の出会いは、直之が仕事から解放された雨の夜だった。
ふと目をやった路地の奥で、何かが蠢いていた。
そこにポワっと浮かぶ姿を見たときに、直之は彼女だと確信した。
傘を放り投げ、一気に路地の奥に駆け込む。
メノウの顔を、プロレスラーのような男の手が掴み、唇を寄せている場面だけが直之の頭を沸騰させた。
チンピラ2人が行方を遮るが意に介さない。
左拳でチンピラの鼻をぶち抜き、メノウを掴んだ男の手を捻り上げる。
日ごろからの鍛練の成果で、直之の右手は握力80を優に超える。
「ギャッ!な、何だテメエは!」
「煩い。消えろ」
それでも掴みかかってきた男の脇腹に左フックを叩きこむ。
カハッ……と声をあげて崩れ落ちるレスラーのような男。
「目障りだ。こいつを連れて消えろ」
チンピラ二人に抱えられて路地裏から逃げる男たち。
「遅いですよ。まったく」
「す、すまん」
いや、間一髪で助けた男に対する言葉ではないだろう。
理不尽だと直之は思った。
「ちょっと、寄ってきます?うち、すぐそこなんで」
「ああ」
メノウに先導されて路地の奥に入っていくと、急に開けて古い木造アパートに出た。
「持ち主の頭が昭和のままなんですよね」
「キライじゃない」
メノウは1階の一番手前の部屋のドアを無造作に開けた。
「どうぞ」
直之は案内されるままに入った。
8畳間程の広い部屋に、クローゼットとテーブルと椅子。
「座っていてください」
促されるままに直之は椅子に腰掛けて部屋を見る。
継ぎ目のない板張りの天井。
隣の部屋へ続くであろう引き戸。
床も、継ぎ目のない光沢のある木だった。
やがて、直之の前に湯飲みがコトリと置かれる。
「最初で最後の選択肢です」
「何の?」
「私と縁を結ぶのであればそれを飲み干してください。そうでないなら。すぐに帰ってください」
湯飲みの中には、白酒のような白濁した液体が入っている。
「自分は……」
「はい」
「あなたに惹かれている」
そう言って直之は湯飲みの液体を飲み干した。
「愛しいひと。これが誓約(うけい)になります」
メノウの唇が重なるのを直之は感じた。
痺れるような快感が全身を貫き、白濁した液体に呑み込まれていく感覚がある。
ずっと、メノウの唇が離れず、二人は深く深く沈んでいった。
目を覚ますと、自分の部屋だった。
時計を確認する。
いつもの出勤の時間だ。
いつもと違うのは、メノウの存在が心の中にあったこと。
他者に干渉しないように生きてきた直之にとって、女性の存在が心の中にあることなど初めてだった。
それでいながら、メノウに会いたいとかいう感情はない。
必要があれば会える。
逢いたければ会える。
数日後、直之はメノウと会ったバーに行った。
ドアを開けた瞬間に血の匂いが鼻を衝く。
そのまま店の中に飛びこみ、身を捻って身構える。
10人程のチンピラと、ボックス席にレスラーのような男。
バーテンダーの姿は見えない。
多分、カウンターの向こうに倒れているのだろう。
一斉にチンピラが身構える。
その向こうでレスラーの男がギシギシとソファーに音を立てさせていた。
男の下にうつ伏せのメノウがいた。
直之はスーツの内ポケットから特殊警棒を取り出し、ジャキンと伸ばした。
我を忘れる事はない。
メノウはこんな事で穢される存在ではない。
直之は冷静に、一人ずつチンピラを倒していく。
10人倒したところでパーンと大きな音がした。
直之が脇腹に手をやると、赤く濡れていた。
直之は最後の力をふり絞って、拳銃をもった男の頭を特殊警棒で打ち割った。
「うふふっ、次は私の番ね」
「な、何だテメエ!」
「これがあの方と私の誓約。穢れを浄化いたしますの」
レスラーに抑え込まれていたハズのメノウは、自身の髪を1本抜いて男の胸に突き立てた。
男は屹立した自身を天井に向けながら仰向けに倒れた。
数分後、誰かが通報したのか警官が二人カランと音を立てて入ってきた。
「私はウズメ」
「ウズメ?」
「そう、アメノウズメ」
「……岩戸の前で踊った?」
ウズメと名乗った女はコクリと首肯した。
「……これをお前さんがやったとは考えられんが……」
老警察官の問いには答えずにウズメは語った。
「われらは今、ヒトをどうするか考えている」
「ヒトを?」
「和の民は、大陸からの血を受け入れてきた。受けすぎてきたのです。その一つの結末がこれ」
「和の……」
「諍いを好まず、和をもって尊しとなす。此度の事は、我が幸せな生を送ることができるかどうかの試しでした」
「幸せ?」
「ヒトとして、たかだか40年ほど。穏やかに暮らせればよかったのに、大陸の血に怪我されたモノは抗えぬようです。私はヒトとの性交(まぐわい)など気にもとめぬ。だから、自分の中に押しとどめてくれれば良かったのに」
ウズメは床に倒れた男をそっと抱きしめた。
「なれど、理不尽に立ち向かうのも、和の男たる証……」
ウズメが男の唇に自分も重ねた。
「天晴(あっぱれ)であったぞ。直之殿。この先は天上にて過ごしましょう」
その瞬間、笹熊直之の身体は、無数の小さい蝶となって霧散した。
「大和男子(ヤマトオノコ)健在なり。私は、そう評価しますが、大陸の血は浄化しなければなりません」
立ち上がったウズメがつま先で床を打ち鳴らすと、倒れていた男たちは黒い霧となって消えた。
「此奴等に連なる血の濃いモノは消しておきました。」
「消す?」
「主が見たように、塵芥にしただけの事。」
「殺したのか?」
「消しただけの事です。」
「で、ですが……」
「道義とか倫理などというのは、人が勝手に考えたもの。我らにすれば、悪しきものの血に連なるのならば、それが罪。それだけの事」
「しかし、ウズメ様……」
「あとは、他の神がどう判断するかなのですよ」
そこまで言うと、ウズメは再びつま先を床に打ち付けた。
シャンという音と共に、ウズメの姿は消えた。
…………この世界から…………
そして今、和の神々による粛清が始まった。
【あとがき】
新年らしく神様の話を書こうとしたらこうなってしまいました。
途中の作品がありますので、月1くらいのペースで書けたらと思っています。
票決 モモん @momongakorokoro3
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