空装サンカ 〜特撮アラサー女は怪獣怪人を身に宿す

七篠今平

第1話 「黒い影は狙う 〜Creature Creator」

井上燦華(いのうえ さんか)の視神経には、常に消えない残像が灯っている。

​それは、幼い頃に安物のブラウン管テレビから、あるいは傷だらけのレンタルDVDから浴び続けた、あの光の残照だ。

じじじ、という電子のノイズと共に現れる巨大な影。街を焼き、悲鳴を上げ、叡智の砲火に晒されながらも、ただそこに"在る"ことを叫ぶ異形たち。

​人々はきっとその光の果てに立つ"調和の光"や"自由の仮面"を仰ぎ見ただろう。だが、燦華の瞳が捉えていたのは、常にその光に照らされ、塵や泡となって崩れ去る側の末路だった。

​なぜ、彼らは現れなければならなかったのか。

なぜ、彼らはあのような醜い、あるいは美しすぎる異形で、けれども誰より純粋な咆哮を上げなければならなかったのか。

​社会の枠組みからはみ出し、そしてあまりに純粋な光に淘汰される怪獣や怪人——"クリーチャー"たち。燦華は、彼らの儚くも暴力的な姿に、自分自身の未来を予感していた。自分もまた、この整然とした世界において余剰であり、異物なのだという確信。

​2026年。26歳になった燦華は、街の外縁にある古びたアパートの一室で、その予感を冷え切った現実として噛み締めている。

​彼女の昼の顔は、近隣にある介護福祉施設のパート職員だ。

排泄物の臭いと消毒液の香りがこびりつく空間で、彼女は"愛想のいい、少し地味な井上さん"を演じている。老いた身体を支え、震える手にスプーンを握ってもらう。そこにあるのは、かつて特撮の中で見た"滅びゆく命"の、より生々しく、より救いのない延長線上だった。

​そして、夜の顔。

燦華は、個人勢バーチャルライバー「かりやモモンガー」という仮面を被る。

​「こんももー! 今日も元気に空飛ぶ変人! もももんだよー!」

​段ボールをガムテープで貼り付けたクローゼットの中。燦華は極限まで声を高く作り、愛らしいモモンガの耳を生やした美少女アバターを操る。

モニターの中の「もももん」は、燦華の微細な表情筋の動きを拾い、完璧なアイドルスマイルへと変換する。

​『今日も癒やされるわー』

『もももんの声聞くと仕事の疲れ吹っ飛ぶ』

『可愛すぎて川になる』

​流れるチャット。投げ銭の通知音。

仮面。それは燦華にとって、この毒に満ちた社会で呼吸をするための防毒マスクのようなものだ。

本心を隠し、特撮への狂気的な偏愛を伏せ、ただリスナーに求められる記号としての可愛さを演じる。そうすることで、彼女はようやく明日を生きるための数千円を手にすることができた。

​「……はぁ」

​配信を終え、オーディオインターフェースのスイッチを切る。ファンが回るPCの熱気だけが残る部屋は、一気に冷たい静寂に包まれた。

アバターの笑顔が消えた暗いモニターには、目の下に深い隈を浮かべた燦華の"素顔"が、死人のように反射していた。

​「サンカ、お疲れ様です。今日の同接、最高値を更新してましたよ」

​背後から、温度の低い、だが透き通った声がした。

紡(つむぎ)だ。

数年前、SNSを介するというこの世の終わりのような形で出会った少女。互いの欠落を瞬時に見抜き、寄生するように共同生活を始めた同居人。彼女もまた、この世界の"余白"にしか居場所のない、感情の起伏が極端に希薄な生き物だった。

​「紡……。今日の配信、アンチがちょっと混ざっててね。『中身はブスババアだろ』だって。あってるけどさ」

「気にする必要はありません。彼らはただの不協和音。所詮ははぐれものです」

​紡は、燦華が配信で稼いだ金で買った中古の特撮怪人ソフトビニール人形を撫でている。それはかつて、ヒーローの鎧だけを纏った同僚の不満の発露で討たれたカマキリの怪人だった。

​「ねえ紡。怪人ってさ、改造手術を受けた後、まず何を思うんだろうね」

燦華は窓の外、橙色の街灯に照らされた、どこまでも無機質な夜の住宅街を見つめた。

「絶望かな。それとも、自分を壊した世界への、どうしようもない『理解』かな。……ああ、自分はもうあっち側には戻れないんだっていう」

​その夜。燦華のスマートフォンが、けたたましいエリアメールのような通知を告げた。

実際にはニュースアプリの速報だ。

​『また発生、闇バイト強盗。訪問販売を装い高齢者宅を襲撃——犯行グループは逃走中』

​地図が表示される。犯行現場は、燦華が勤める施設からほど近い、古い分譲住宅地だった。

黒い影が、燦華と紡が暮らすこの街を狙っていた。


​「最近、変なトラックがずっと回ってるのよね」

​翌日。介護施設の休憩室。同僚のパートの女性は怯えたように声を潜めた。

「不用品回収とか言って、家の中をじろじろ見てくるの。警察に相談しても、『実際に何かが起きないとパトロールを増やすことしかできない』って。……井上さんも気をつけなさいよ。若い女の子が"一人"暮らしなんて、色々と物騒な世の中なんだから」

​燦華は黙って、冷たい缶コーヒーを啜った。

同僚は紡のことを知らない。紡のことを知っている人間なんて、そう何人もいないのかもしれない。

彼女の脳裏には、昨夜の"パトロール"——という名の深夜徘徊で見かけた、ある光景が張り付いていた。

白いワンボックスカー。

車の本来想定されるナンバーと、ナンバープレートの数字が食い違っていた。車内にいたのは、スマホの青白い光に顔を照らされた、虚ろな眼をした若者たち。

​彼らは、決してプロの犯罪者ではない。

SNSで"高額案件"という甘い言葉に釣られ、身分証を握られ、使い捨ての駒として送り込まれた素人だ。

だが、その素人ゆえの加減を知らない暴力こそが往々にして最も凄惨な結果を招くことを燦華は知っている。

​(彼らもまた、クリーチャーなのかもしれないな)

​燦華は思う。

社会という巨大な、美しく洗練されたシステムから零れ落ちた者たち。光の当たらない場所で、飢えを凌ぐために牙を剥くしかなかった、名もなき異形。

かつてテレビの中で、改造手術の代償として人間性を奪われ、戦う道具にされた怪人たち。

​だが、燦華の魂に深く刻まれた"怪人"の誇りが、その安易な同情を否定した。

怪獣や怪人は、その生に呪われながらも、己の存在理由を賭けて戦っていた。

無抵抗な老人を縛り上げ、僅かな蓄えを奪うために殴りつけるような行為は、たとえ怪獣や怪人であっても厳しく断罪されるものだ。

​(救われないな。……被害者も。そして、あんな風に壊れていく彼らも)

​施設で燦華が日々接している、皺の刻まれた手。震える声で「ありがとう」と言ってくれる老人たち。彼らの平穏が、使い捨ての駒たちによって蹂躙される。

燦華は、かつて特撮の創り手たちが作品の裏側に込めた、痛烈な"問いかけ"を自分に投げかけた。

​『もし、目の前で理不尽な悲劇が起きようとしているなら。お前に、その悲劇を止める"力"があったらどうする?』

​ヒーローなら、颯爽と現れるだろう。

至高の力を身に纏い、きっと悪を断罪する。

だが、燦華は断じてヒーローではない。彼女は、影の中に生き、誰からも称賛されずに消えていく怪人にこそ魂を焼かれた女だ。

​「……紡。準備しよう」

​アパートに戻った燦華は、押し入れの奥、段ボールの山を掻き分けた。

そこから引き出したのは、この数年、配信の合間にコツコツと作り上げてきた"空想"の結晶だった。

​それは、決して正義の味方のスーツではない。

建築現場から廃棄されたプロテクターを組み合わせ、マットブラックのスプレーで無造作に、だが有機的なラインを意識して塗装された異形の防具。

顔を隠すのは、バイク用の安価なフルフェイスヘルメット。その表面には、パテで造形された「歪な角」と「複眼」を模したセンサーユニットが取り付けられている。

​「サンカ、それ、本当に使うんですか?」

紡が黄金色の瞳を細め、燦華が手にするヘルメットを覗き込んだ。

​「ああ。ヒーローが来ないなら、そこは怪人の独擅場だよ。……彼らがクリーチャーを気取って暴れるなら、本物の怪人を見せてやる」

​燦華は、腰に強力な熊撃退スプレーと、拘束用の作業ロープを巻き、右手に使い古されたスコップを握った。

それは武器ではない、と自分に言い聞かせる。

これは、現実という土壌を掘り返し、埋もれた絶望を暴き出すためのツールだ。

​彼女の名は、「空装(くうそう)サンカ」。


​深夜二時。

住宅街の静寂は、まるで真空のように重い。

燦華と、彼女に倣って黒い作業服と安物のチェストガードを纏った紡——「骸装(がいそう)クローラー」は、街灯の届かない路地裏の影に溶け込んでいた。

​心臓の鼓動が耳の奥で爆音を奏でている。

ヘルメットの中は蒸れ、視界は狭い。

​「来た」

​紡の短い囁き。

燦華の視線の先。昨夜見た、あの白いワンボックスカーが、一台の民家の前に音もなく停車した。

中から降りてきたのは、黒いパーカーのフードを深く被った三人組だ。

彼らは使い慣れない様子でバールと土嚢袋を握り、スマートフォンの画面を確認している。指示役からの命令を確認しているのだろう。

​彼らの動きは、プロの隠密行動とは程遠い、稚拙で無様なものだった。だが、それ故に予測のつかない暴力性を孕んでいる。

​「行くよ、紡。……『特撮』の開始だ」

​燦華はヘルメットのシールドを下げた。

視界が緑色のフィルターに覆われる。恐怖はない。あるのは、長年抱き続けてきた"怪物としての自己実現"への、脳が痺れるような高揚感だ。

​「誰だ、テメエら!」

​一人の強盗犯が、背後の影からぬっと現れた燦華たちを見て、裏返った悲鳴を上げた。

無理もない。深夜の路地裏。不気味な黒い角を生やし、複眼を光らせた(実際にはLEDだが)漆黒の怪人が、スコップを構えて立ちはだかっているのだ。

​皮肉なことに、燦華たちの姿は、彼ら"闇バイト強盗"のそれと、シルエットだけなら瓜二つだった。影の中で、誰かを襲うために潜む異形。

​「ちっ、同業者か? 先に見つけたのは俺たちだ。アガリはやらねえぞ、消えろ!」

​リーダー格の男が、自分たちの恐怖を打ち消すようにバールを突き出してきた。

同業者。燦華はその言葉に、ボイスチェンジャーで歪んだ笑い声を返した。

​「同業者? 心外だな。私たちは、お前等を『狩り』に来たんだよ。人ならば人を殺してはならない、がね」

​「あぁ!? 何言ってんだこのキチガイ……ぶち殺せ!」

​男が突っ込んでくる。

特撮番組のような華麗な立ち回りなど、素人の燦華にできるはずがない。格闘技の経験もない。

だが、彼女には"邪悪な怪人の戦い方"の膨大な知識ならあった。そして、怪人は必ずしも正々堂々と戦う必要などないことも。

​「紡、今!」

「了解」

​二人は同時に、隠し持っていた熊撃退スプレーを噴射した。

​「ぎゃあああああああ!」

​住宅街の静寂を、断末魔のような叫びが切り裂く。

強力なカプサイシンの霧が、男たちの粘膜を容赦なく焼き、視界を奪う。

「目が、目がぁぁぁ!」

のたうち回る男たち。燦華はその隙を突き、スコップの平らな部分で、最も近くにいた男の脛を全力で薙ぎ払った。

​ぱきん、と嫌な音がして男が崩れ落ちる。

「ぐっ、あああ!」

紡もまた、感情のない機械のような動作で別の男に体当たりを食らわせ、マウントポジションを取ると、容赦なくその顔面にスプレーを追加照射した。

​「動かないでくださいね。……抵抗すると、もっと痛いと思います。私は加減が苦手ですので」

​数分後。

路地裏には、涙と鼻水に塗れ、作業用ロープで無様にエビ固めにされた三人の男たちが転がっていた。

圧倒的な勝利。

だが、そこにヒロイズムなど微塵もなかった。

あるのは、化学兵器と不意打ちによる、一方的な"狩り"の痕跡だけだ。

​「紡。匿名で通報しよう。……退くよ」

​燦華は、遠くで鳴り始めたサイレンの音を聞きながら、男たちの胸倉を掴み、彼らが持っていたバールを側溝に投げ捨てた。

せめてもの慈悲だ。警察に捕まることは、彼らにとって、このまま指示役やさらにその上のような"本当の怪物"に使い潰されるよりは、まだ救いがあるだろう。

​だが、その時。

​「あっちだ! 黒い奴らが逃げてくぞ! 強盗だ!」

​近隣の住民たちが、騒ぎを聞きつけて窓を開け、懐中電灯の光をこちらに向けていた。

光が、漆黒のプロテクターを纏った燦華の姿を、容赦なく照らし出す。

​「人殺し! 通報したぞ! 逃がすな!」

​投げかけられる言葉。

燦華は息を呑んだ。

自分たちが"悪"として指し示される。

それは、特撮番組で何度も見た——いや、燦華と紡は人生を通じてこれでもかと味わってきた、当然の報いだった。

​「……っ! 紡、逃げるぞ!」

​燦華はヘルメットの中で歯を食いしばり、住宅街の闇へと駆け出した。


​「はあ、はあ、はあ……っ」

​燦華は、背負った自作防具の重みに膝を笑わせながら、険しい森林の斜面を駆け登っていた。

住宅街の裏手に広がる、市街化調整区域の森。そこには、かつて特撮オタクとしてロケ地巡りをした際に見つけた、古い採石場跡の崖地があった。

普通の人間なら足を踏み入れない、街の"死角"。

​「サンカ、警察が下まで来ています。赤色灯、三台以上」

​後ろを走る紡の声に、燦華は振り返る。

街の灯りの向こうで、赤と青の光が激しく回転しているのが見えた。強盗犯たちは確保されただろう。そして警察は今、現場から逃走した"黒い不気味な二人組"を追っている。

​「……あは」

​燦華は、ヘルメットを脱ぎ捨てた。

汗で張り付いた髪。冷たい夜風が、火照った顔を撫でる。

彼女たちは、普通の人間なら選ばない崖を徒歩で突っ切り、警察の包囲網を裏側から潜り抜けた。

かつて特撮オタクとして培った地形把握能力と、"まさか警察もこんなところを通って逃げるとはすぐには思わないだろう"という読みが、現実の逃走経路として結実した。

​翌朝。

古びたアパートの一室で、燦華はテレビをつけた。

ニュースは、闇バイト強盗の実行役三名が、現場で"身元不明の人物"に拘束された状態で逮捕されたことを報じている。

​『目撃者の証言によると、犯人を制圧したのは黒いフルフェイスのヘルメットを被った二人組で、警察は自警団を名乗る過激な愉快犯の可能性もあるとみて捜査を……』

​「愉快犯、だって。言い得て妙だ。"また"捕まるのは避けたいけども」

​燦華は、使い切った熊撃退スプレーの空き缶を見つめた。

防具は岩場で擦れて傷だらけ。数日分の食費はスプレー代とパテ代に消えた。

社会的には"正体不明の不審者"としてマークされた。

​「でもサンカ。わたくしは今、生きてる感じがするらしいです」

​隣で、紡がどこか他人事のように言いながら、怪人のソフビを大切そうに抱きしめていた。

彼女の黄金色の瞳には、いつもの無機質な光ではなく、微かながら確かに煌めく灯が宿っていた。

​「……そっか。ならいいんだ。それで」

​燦華はスマホを手に取った。

被害を免れた民家。そこには、燦華が施設でよく見かけるような、小さな老婆が警察の事情聴取に答えている姿が映っていた。

自分が憧れた怪獣や怪人。

もし彼らが、言葉にできない不器用な優しさを持って世界を見ていたとしたら。こんな風に、誰からも理解されないまま、ただその場を守ろうとしたのかもしれない。

​誰にも知られず、誰からも感謝されず、むしろ忌み嫌われる。

けれど、自分の作り上げた"空想"の力で、この泥沼のような現実を、ほんの一欠片だけ書き換えた。

​「さて、仕事の時間だよ。紡」

​井上燦華は、再びバーチャルライバーの仮面を被る準備を始めた。

PCを起動し、アバターを読み込む。

画面の中の「かりやモモンガー」は、今日も無垢な笑顔で世界を肯定し、愛嬌を振り撒くだろう。

​けれど、その仮面の下には、一匹のクリーチャーが確かに生きている。

空想の光が生んだ影を、これからは自らの意志で見つめ続けるために。

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