月のうさぎと地上の雨男

水谷なっぱ

01.月に照らされたウサギと出会う

 ある雨の日、雨水渡うすい わたるが図書館に入ると女の子が怒鳴られていた。


「晴れ女じゃねえのかよ、騙しやがって!!」

「だから、違うって」

「うるせえ!」


 怒鳴っていた男が腕を振り上げる。

 渡は咄嗟に傘を放り出し、女の子を庇った。


「痛え……」

「んな、誰だよお前! ……割って入ってきたのはそっちだからな!!」


 男は捨て台詞を残し、ドカドカと足音を響かせて図書館から出ていった。

 渡は体を起こした。

 少女はパーカーとふわりと広がるスカートを履いていて、オーバーサイズな服のせいで、脚がいっそう細く見えた。渡が強く抱えたら折れてしまいそうなほどだっだ。


「ごめん、重かったね」

「い、いえ、いえ……! ごめんなさい、巻き込んでしまって!」


 見上げた少女は背丈は渡より頭一つ分小さく、アーモンド型の大きな目はほんのり赤みがかっている。


「えっと……君、月出身?」

「はい。つ……明月凪あけつき なぎといいます」

「明月さんは怪我してない?」

「私は全然……。あの、叩かれたところ、怪我してませんか?」

「たぶん大丈夫」


 渡は笑みを浮かべて、凪から離れた。

 凪が落ちた傘を拾って差し出した。


「あの、なんで助けてくれたんですか?」

「雨のせいで怒鳴られてたから。俺も身に覚えがある」


 渡がそう告げると、凪は今にも泣き出しそうな表情を見せた。



 ――この世界では、家系ごとに名前に由来する能力を持つ。

 渡の苗字は雨水うすい。読んで字のごとく雨を降らせることができるため、農村では重宝され、渡の兄は砂漠地帯に雨を呼ぶために諸外国を飛び回っている。


明月あけつき家の家系能力は夜空を晴らし、月を明るく輝かせるものです。でも夜に空を晴らせるなら昼間もできるんじゃないか、なんて言われて……」


 渡は図書館のエントランスにあるベンチで凪と並び、外を見ていた。

 さあさあと静かに降り注ぐ雨は、外の景色をぼやけさせている。

 唇を尖らせて雨垂れを見つめる凪の瞳には長いまつ毛の影が落ち、そこに何が映っているのか渡には見えなかった。


「わかるよ。俺は雨水渡。雨を降らせる家系能力だけど、降らせられるなら、止ませることもできるんじゃないかって言われるし、都合の悪い雨は全部俺のせいだ」


 凪は困ったように笑って、渡を見上げた。

 その顔を見て、渡は微笑んだ。


「ねえ、頼みがあるんだけど」

「なんでしょうか」

「俺、月を見たことないんだよね」

「えっ、ないんですか!?」


 渡の言葉に、凪は大きな目をさらに見開いた。


「うん。見ようとすると雨になっちゃうんだ。だからさ、俺に月を見せてよ」

「……わかりました。助けていただいたお礼に、月人の晴れ力をお見せします」


 凪が笑うと、渡は静かに目を細めた。


「かわりに、私もお願いしてもいいですか?」

「うん?」

「水族館に行ってみたいのですが、連れて行ってくれませんか」

「いいよ、行こう」


 渡が立ち上がると、凪も後を追うように立ち上がった。

 並んで傘を差して図書館を出た。

 しかし、渡と凪では足の長さが違い、少しずつ距離が開いていった。そのたびに凪が小走りで追いかけてきた。

 雨の中を走ったせいで、凪の足元はびしょ濡れになっていた。


「ごめん、早かったね」


 信号待ちで、ようやく渡はそのことに気づいた。


「い、いえ、すみません、遅くて」

「ううん。俺の気が利かなかった」


 渡は手を伸ばして凪の傘を閉じる。

 閉じた傘を凪に渡し、空いた手で凪の手をそっと握った。


「気をつけるけど、それでも早かったら言ってね」

「えっ、あ、はい……」

「どしたの、顔が赤いけど」

「いえ、雨水さん慣れてますね」

「うん。妹がいるから」

「あー……そういう……」


 遠い目をした凪に、渡は首を傾げながら歩き出した。

 雨は相変わらずしとしとと静かに降り続いている。

 二人は手をつないだままバスに乗り、電車を乗り継いで水族館までやってきた。

 チケット売り場で渡は改めて凪を振り返った。


「今更なんだけど、誘拐とかにならない? 明月さん、いくつ?」

「十六です」

「高校生?」


 渡はほっと息をつき、凪を見下ろした。

 月人は地球人より小柄で、年齢がわかりにくい。(逆に月人から見れば地球人は大きくて、やっぱり年齢がわかりにくい)


「はい。雨水さんはおいくつですか?」

「十八。春に大学生になった」

「二歳差なら誘拐ではなくデートではないでしょうか」


 顔を赤らめ、おずおずと見上げる凪に、渡は思わず目を丸くした。


「デートなんてしたことないな」

「そうなんですか? 雨水さん、かっこいいのに」

「初めて言われた。ほら、俺と出かけると雨になるからモテないんだ。明月さんはかわいいね」

「それって……いえ、ありがとうございます」


 渡と凪はそれぞれ学生証を提示して入場券を買った。互いの学生証を見て、二人は目を見開いた。


「雨水さん、先輩じゃないですか」

「ほんとだ。明月さん、うちの高等部生だったんだね」


 再び手を取り合い、二人は水族館へと入っていった。

 館内は暗く、ゆったりと時間が流れている。

 凪がかすかに震えて、渡は顔を覗き込んだ。


「寒い?」

「少しだけ」

「さっき足元濡れちゃったからか。先に売店行こう」


 渡は凪の手を引き、売店で靴下とクラゲ模様のスニーカーを買った。

 ついでにヒトデのシャツも選んで購入した。


「あの、お金……」

「俺が濡らさせちゃったからいいよ。気になるなら、夜に綺麗な月を見せて」

「わかりました。ありがとうございます。ところで、なんでクラゲとヒトデなんですか?」

「クラゲって海の中の月みたいだろ。ヒトデは英語でスターフィッシュだし」

「なるほど……?」


 渡は、着替えを終えた凪から濡れた靴と靴下の入った袋を受け取り、空いた手をそっと取って歩き出した。

 二人は暗い水族館を言葉少なに進んでいく。

 マンタとイワシの泳ぐ大きな水槽の前で立ち止まったとき、渡がふと凪を見下ろすと、凪も同じように渡を見つめていた。


「なに?」

「雨水さんも天気のことで怒られたりしますか?」

「するよ。運動会とか遠足で天気が悪いと全部俺のせいだ」

「理不尽ですよね」

「まあでも、いいこともあった」


 渡がいたずらっぽく笑うと、凪がきょとんとした。


「なんでしょう?」

「雨の日にかわいい女の子を助けたら、その子と人生初のデートをしてる。今さらだけど、水族館に来るのは俺で良かった?」

「……はい。あなたで良かった」


 凪は渡から視線を外して水槽を見つめた。

 海藻がゆらゆらと漂い、その間をイワシの群れが泳ぎ回っていた。


「さっきの男の人は?」

「クラスメイトです。今日が晴れだったら、彼氏になっていたかもしれません」

「そっか」

「雨でよかったです。勘違いで叩いてくるような人と付き合いたくないから。それに」


 言いかけた凪を渡が覗き込むと、つないだ手が強く握られた。


「雨水さんと水族館に来られました。水族館、来てみたかったんです。名前のせいで晴れ女だと思われて、外遊びにばかり誘われていたけど、本当は水族館とか映画館とか、そっちのほうが好きなんです」

「……今度、映画に誘っていい? えっと、月が見たいときに」

「月が見たくなくても、誘ってくれていいです」


 二人はまたゆっくり歩き出した。

 カラフルな熱帯魚の水槽や、大きなサメが水面を揺らす水槽、ウツボが岩陰で目を光らせる水槽を次々と巡り、渡と凪は再び売店まで戻ってきた。


「そろそろ夕方ですし、外に出ましょうか」

「うん」


 外ではまだ雨がしとしと降り続いている。

 渡が空を見上げると、凪がつないだ手をきゅっと握った。

 暗く垂れ込めていた雲が、じわじわと薄くなっていく。


「……すごい、雨が上がっていく」

「行きましょう」

「どこに?」

「月が綺麗に見える場所に」


 凪に手を引かれて、渡がたどり着いたのは海だった。

 砂浜はしっとりと濡れて、足音も聞こえない。

 凪がゆっくりと空を見上げた。

 つられて渡も見上げると、雲が切れ切れに晴れていく。

 やがて、月が昇った。


「きれいだ」

「そうでしょう。私の故郷です」

「明月さんは、どうして地球に来たの?」

「父の仕事の都合です」

「月に戻りたい?」

「……どっちでもいいです。地球も悪くないから」

「そっか。戻るなら、連れて行ってもらおうかと思ったんだけど」


 凪が渡を見上げた。

 赤く光る瞳を見て、渡は口を開く。


「月がきれいだね」

「……そうですね。でも、私雨も好きですよ。静かでいい匂いがします。また雨の日にデートしてください」

「うん。いつでも」


 どちらからともなく顔を寄せ、一瞬触れて離れた。

 しばらく月を眺めて、黙ったまま歩き出す。

 凪を彼女の家の最寄り駅まで送ってから、渡は一人で電車に乗った。

 手が、寂しい。


「……連絡先、聞くの忘れた」


 呟いてから、窓の外を眺める。

 月が追いかけてくると、話には聞いていたけど本当だった。

 初めて見た月は、とても美しくて、少し怖いくらいだった。

 いつか、自分だけのものにしたい。

 渡は月をじっと見つめる。 

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