没落令嬢の飼いかた

皇冃皐月

第1話 プロローグ

 小雨がパラつき、前髪が湿り始めた日のことだった。

 寝床へさっさと戻ろうといつもは使わないショートカットをするために、裏路地へと足を踏み入れた。ここは貧民街の中でも群を抜いて治安の悪い場所。とりわけ死の匂いが強烈にする場所だった。貧民街にかれこれ十五年住み着いている私であるが、積極的に足を踏み入れない。

 今日の私は嬉しさで判断力が鈍っていた。平民街で暮らすだけの資金を今日、集めることができたのだ。

 これだけあれば人生をやり直すことができる。この腐って、滅しているどうしようもない貧民街とおさらばできる。なによりも常に明日生きていられるかという不安に駆られなくて済む。

 喜ばずにいられるだろうか。


 裏路地に入って、数分。私は妙な視線を先に感じた。

 盗賊か、あるいは売人か。

 魔法を使えない私には……対抗する術がない。あるとしたら口だけだが。盗賊にしろ、売人にしろ、口ではどうしようもない。アイツらは力でなんでもかんでもねじ伏せようとしてくる。


 だから、逃げようとしたのだが、その視線に威圧のようなものは感じられなかった。敵意もなく、強さもない。


 不思議だった。

 いつもなら警戒心を持ち、余計なことには首を突っ込まない。そういう不用意な好奇心が自らの死を引き寄せる。

 この貧民街で出来た知り合いは大概、そうやって死んで行った。


 だが、今日は……小雨に降られていたからだろうか。身体が冷えていたからかもしれない。

 その視線の発生源へと私は足を進めていた。


 そこには少女がいた。私と同じくらいの年齢か。ぼろ切れのような外套を身にまとい、今にも崩れてしまいそうなボロボロな建屋の壁にもたれかかって座り込んだ少女は、呼吸が浅く、目だけがやけに澄んでいた。


 その目が、私を見た。


 この人は、私を必要としている……と思った。




 ありていに言えば、同情していた。きっと普通に生きていける見込みがたち、気持ちが大きくなっていたのだろう。と、今ならわかる。


◆◇◆◇◆◇ 


 名前も知らない彼女をおぶって、私は寝床へと走る。背中には重さを全く感じられない。

 だが、匂いは臭くないし、肌は綺麗。到底この貧民街で生きてきたような人には見えなかった。

 生い立ちとしては私と似たようなものかもしれない。盗賊に目をつけられ、家を焼かれ、両親も財産も全て失い、彷徨うように貧民街へ逃れてきた私と。


 これだけ綺麗だと、きっとすぐに殺されることはないだろう。

 盗賊だったら捕まって、輩の穴として散々使い回される。そして飽きるか、使い物にならなくなったらポイッと捨てられる。もしかしたらそこで処分と称して殺されるかもしれない。

 売人だったら、性奴隷として貴族に売り払われる。そこで肥満体型な醜い貴族の性処理係として一生を過ごす。


 彼女は赤の他人だ。名前すら知らない。

 助ける義理などない。今まで私はいくつもの命を見て見ぬふりしてきた。命乞いをされても、見捨ててきた。時にはおっさん、時には少年少女を。貧民街とは誰も彼もが自身を生かすことで精一杯。他人に情けをかけられる余裕を持つものなど存在しえない。

 だから、私に人情がない訳じゃない。私が普通だった。


 だが私は彼女に手を差し伸べてしまった。

 どうしてだろうか。必要としているからって、それは今までいくつもあった。必要とされていると理解した上で見捨ててきた。なのに彼女のことは手を取ってしまった。

 正義のヒーローにでもなったつもりだったのかもしれない。


 自問自答を重ねながら、寝床へと到着する。壁も天井もあるけれど、雨を防ぐだけの、ほとんど箱みたいな寝床へと。


 彼女を下ろして、座らせる。そして指に手を触れた。その感覚はとても冷たい。小雨に当たっていたとはいえ、さすがに冷たすぎる。まるで血が通っていないような。なんなら死んでしまっているのではないか。とさえ思うほどに冷たい。 


 「だいじょうぶ?」

 「……み、水……水が、ほしい」


 必死に絞り出した言葉。それはあまりにもか細く、今にも干からびそうなものだった。


 「ちょっとまっててね。はい」


 水分は生きていく上で重要なものの一つ。貧民街において、水を求め、死んでいく者を何度も見てきた。汚水を飲み、病気を患い、死んでいく者も見てきた。


 水は命の源。貧民街で生きていく上で、本来易々と他人に渡せるようなものじゃない。だが、私はもうこの場所を去る。

 水を溜め込んでいても仕方ない。施してもいいと思えるほどに心には大きな余裕があった。


 器に水を入れて、彼女へ渡す。彼女はグビグビと水を飲む。顔を顰めながらも器は手放さない。


 あっという間に飲みきった。相当喉が乾いていたようだ。


 「色々と聞きたいことはあるけど、まずは名前を教えて? 君、って呼ぶのはなんだかよそよそしいから」


 座って、彼女と視線を合わせる。どこか息苦しそうに壁へ寄りかかっている彼女に声をかける。


 「……名乗るものなんてありませんわ」

 「えー、うーん。じゃあ、私から。私はティリー・セルクラエス。ここにはもうかれこれ十五年くらいいるかな。魔法も剣も使えない弱々だけどね」

 「それでも生きていけるものなのですね」

 「まあ、やり方次第だよ。力は便利だけど、絶対じゃないからさ」

 「そういうものですのね」

 「で、君の名前は?」


 自ら自己紹介をして、自己紹介をせざるを得ない空気を生み出す。


 「……わたくしは、アルル・フォン・ヴァルシュタインと言いますわ」

 「どこかで聞いたことが……あっ!? え、ちょ……もしかして公爵家の!?」

 「ご存知ですのね」

 「いやいや、知ってるよ。さすがに」

 「でもそれも昔の話ですわ。今はもう、ヴァルシュタイン家は存在しませんもの。お父様もお母様も処刑され、わたくしはこうやって惨めにも逃げ出してきましたわ」

 「存在しない……」

 「あら、知りませんのね。ヴァルシュタイン家は取り壊されましたわ。没落というやつですわね」

 「そういう情報は貧民街には流れてこないし、来ても相当遅れてくるから……」


 だから、アルルは相当綺麗だったのか。貧民街に行き着く人にしてはあまりにも身綺麗だなとは思っていたが。没落してきたとはいえ、元公爵家のご令嬢。納得できた。


 「……助けていただいたお礼をしなければ、ヴァルシュタイン家の恥。死んだお母様やお父様に顔向けができないと思っていたところですけれど……どうやら、すぐに恩返しができそうですわね」


 アルルは不敵な笑みを浮かべた。

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