大新宿帝国

@f399191

第1話:セーフ・ヘイブン

1. 12月31日

新宿は、凍りついた墓標だった。 外気温マイナス40度。かつて世界最大の乗降客数を誇った新宿駅は、今や巨大なドライアイスの塊に閉じ込められた沈黙の迷宮と化している。

新宿タカシマヤ本館、10階。高級家具ブランド「マスターウォール」のショールーム。 かつて富の象徴であったウォールナットの空間は、今や「あなた」の生存を守る最終要塞となっていた。あなたはエアウィーヴのマットレスを何枚も重ねた「繭」の中から、3台のEIZO製モニターを注視している。


2025年12月31日 22:00


「……酷い冷え込みですね。これでは、缶詰が凍り割れてしまうのも時間の問題でしょうか」

あなたの吐く息は、肺から出た瞬間に白く凍り、モニターの青白い光に透ける。 モニターに映るのは、2階ペデストリアンデッキの脆弱なガラス壁。そこを破られれば、この城は終わりだ。あなたは、凍えた手で使い捨てカイロを握りしめ、自分自身の焦燥感を押し殺すように礼節ある言葉を紡ぐ。

この広大な百貨店に、生きている人間は自分しかいない。 その圧倒的な孤独が、あなたに「要塞化」という使命を強いていた。



2. もうひとつの光

その時、本館の在庫管理センターでも、ひとつの光が揺れていた。

店員Aは、非常用バッテリーに繋がれたハンディ端末の画面を冷徹に見つめていた。彼にとって、このタカシマヤはもはや職場ではなく、熱量(カロリー)と資材が詰まった巨大な計算式だった。

(……本館10階の「居住者」。本日も生存を確認。消費エネルギーと備蓄の乖離、わずか12%。極めて合理的な個体だ)

店員Aは、崩壊の日から地下の「血管」とも言える従業員用通路に潜伏していた。彼は、10階の住人を当初は排除すべき外敵として観察していたが、その考えは変わりつつあった。住人の動く跡には常に「秩序」があったからだ。什器を動かす際の一礼、備品を借りる際の記録。

(……彼なら、この『システム』を再起動できるかもしれない)

店員Aは音もなく、暗闇の通路へと消えた。彼が床を踏んでも、決して軋む音はしない。彼はこの建物の物理的な死角をすべて把握していた。



3. 沈黙の重石

あなたは1階、化粧品売場で戦っていた。 数百キロはある漆黒の大理石調カウンター。それをバリケードの重石にするため、ウインチと己の筋肉を酷使して引きずる。

「……っ、……っ!」

筋肉が悲鳴を上げ、汗が服の中で凍りつく。死の沈黙の中、石が床を削る「ギギギ」という音だけが響く。この非日常的な重労働だけが、自分という存在を現実に繋ぎ止めていた。

その様子を、壁一枚隔てたバックヤードの扉の隙間から、店員Aが見つめていた。 彼は、あなたが次にどこを通るかを予測し、先回りして「ある物」を配置した。彼は確信していた。10階の住人には、自分と同じ「秩序への執着」があると。



4. 境界線

あなたが2階のガラス壁に合板を打ち付けていた時のことだ。

キィィィィ……

外の闇、ペデストリアンデッキに「霜歩き」が現れた。氷の皮膚に覆われた異形が、ガラス一枚を隔てたすぐ向こう側で動きを止める。 あなたはライトを消し、息を殺し、死を覚悟した。バールを握る手が恐怖で震える。

その時だ。 店内のスピーカーが、一瞬だけ「ブツッ」と微かなノイズを発した。 それは、あなたから離れたフロアの火災報知器を、店員Aが意図的なショートで一瞬だけ作動させた音だった。

――チリリッ。

微かな音に、霜歩きは反応した。怪異は首を不自然に曲げ、音のした闇へと消えていく。 死の淵から救われたあなたは、荒い呼吸を整えながら、10階への帰路につく。

そこで、あなたは見てしまった。 バックヤードの入り口に、整然と、寸分の狂いもなく積み上げられた三段の折りたたみコンテナを。 中には、整然と並べられた缶詰と、清潔なペットボトルの水。そしてその横には、機械のように正確な筆跡で記された「館内資産の生存統計」のメモが落ちていた。

「独りではなかったということですか…」

あなたは、暗闇の奥を見つめた。姿は見えない。だが、そこに確かな「知性」がある。孤独な焦燥感は、この瞬間、未知の味方への期待感へと変わった。



5. New Year

モニターの時計が新年の到来を告げる。

「……明けましておめでとうございます」

10階のショールームで、あなたは誰もいない空間に向かって深々と頭を下げた。

同時に、店員Aもまた、静かに一礼していた。

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