いとしきまどい

葉野亜依

第一話

 僕の奥さんこと、凪音さんは生活能力が皆無だ。

 小説を書くことと読むことに一日の大半を費やしていて、食事は疎かにする。洗濯は溜め込むし、部屋は散らかっている。凪音さんの周りにはたくさんの資料で埋め尽くされていて、まるで巣のようだと見る度に思う。


「凪音さん、ご飯だよ」

「はーい」


 席に着いて、いただきますと声を合わせる。

 カレーを口に含んだ凪音さんが、顔を綻ばせた。


「晴陽くんが作るカレーは、一日目なのに二日目のカレーみたい。コクがあって美味しいね」


 大きなじゃがいもが凪音さんの小さな口の中に入って行く。

 凪音さんは大きめのじゃがいものカレーが好きだと言っていたから、喜んでもらえて何よりだ。

 僕はひよこ豆やそら豆、たくさんの種類の豆が乗ったサラダを咀嚼する。醤油にごま油にすりおろしニンニク、酢や砂糖を混ぜて作った手作りドレッシングがかかっている。なかなか良い味ではないかと自画自賛する。

 食べた後食器を洗うのは二人でしている。料理も掃除もできない凪音さんだけど、やれることはやりたいとのこと。別に僕が全部やるから良いのにと言っているのだけれど、彼女にも譲れないものがあるらしい。

 僕は家事を。凪音さんは住む場所を。

 互いの利益のための関係――そう、所謂僕らは契約夫婦だった。



   *



 責任は果たしたと言わんばかりに、高校卒業とともに伯父の家を追い出された。厄介者だと思われていることは自覚はしていたので、いつかこんな日が来るんじゃないかと予想はしていた。

 住むところに困って、でもお金のない僕には高過ぎてホテルなんて泊まれなくて。アルバイトで凌ぎつつ、夜は漫画喫茶で過ごしていたところ、凪音さんと再会した。


「久しぶり……っていうにはそんなにまだ経っていないか」

「そうだね」


 近くの喫茶店で僕たちは数ヶ月ぶりに話をした。高校を卒業して以来だ。夏の暑さがまだ残っている。飲んでいたアイスコーヒーから、からんと氷が揺れた。

 高校時代の頃から彼女とは気心の知れた仲である。好きな小説が同じだったことをきっかけに話をするようになって、お互いに愚痴も言うようになった。僕が伯父たちと折り合いが悪いことも凪音さんは知っていた。

 僕の話を聞いて、なるほど、凪音さんが頷く。


「それは大変だね」

「大変です」


 僕は肩を竦める。

 すると、凪音さんが僕の目を真っ直ぐに見て来た。改まった風に姿勢を正すものだから、僕もそれに正した方が良いのかなと思いそれに倣った。


「晴陽くん」

「はい」

「住む場所提供するから、わたしと結婚してください」


 唐突に、そう彼女は言った。

 僕は驚きのあまり、思考が停止した。


「……けっこん?」

「そう、結婚」

「……僕たち付き合っていないよね?」

「付き合ってはいませんね」


 仲は良いはずだ。高校時代、図書館で一緒に勉強したり、本屋に寄ったり、そのまま一緒に帰ったりしていた。でも、付き合ってはいない。

 恋人関係ではないのにいきなり結婚とは、と戸惑っていると、彼女が身の内を話し始めた。

 何でも、おばあさんが見合い相手を見つけて来たらしく、その人と見合いをさせられそうになっているらしい。ただ、その見合い相手が十歳以上も年上の人とのこと。


「それは大変だね」

「大変です」

「見合いが嫌なら、彼氏がいるから断ればいいんじゃ……」

「そんなことであの人が止められるとでも?」


 吐き捨てるように凪音さんが言う。

 僕の家庭事情を知っているように、凪音さんの家庭事情を僕もよく知っていた。凪音さんのおばあさんはとても厳しい人で、凪音さんの両親はおばあさんに逆らえないらしく、おばあさんの言うことは絶対なのだ。

 学生の頃も、凪音さんは門限が決められていて長時間の部活動ができないため、時間の融通がきく文芸部に所属していた。そこで初めて書いた小説を公募に出したところ見事賞を受賞し、あれよあれよという間に今をときめく人気の作家になったのだ。

 彼女と仲良くなったのはその文芸部でだ。


「今回を断っても、どうせまた見合い相手を探して来る……最悪、『貴女はここに名前を書くだけでいいのよ』って言って、名前を書いたが最後、婚姻届を出されちゃう!」

「そんなこと……」


 ないよ、とは言い切れなかった。実のところ、凪音さんが十六歳になった時、見合い相手を探そうという話があったのだ。だけど、それは流石に早過ぎるから高校卒業までその話は延期となっていた。

 話を聞かされたのその時の僕は冗談かと思っていたし、今も冗談だと思いたい。祖母の決めた人と結婚させられるなんて、時代錯誤も甚だしい。

 でも、凪音さんの様子を見る限り、それは嘘でもなければ冗談だとも思えなかった。


「事情はわかったよ。でも、僕と結婚するだなんて正気?」

「……だって、結婚するってことは一緒に暮らすってことでしょ?一緒に過ごすのなら、気心知れた相手がいいんだもの。知らない人と会わされて、次会った時は結婚させられるだなんて嫌じゃない!?」

「まあ嫌だけども……」


 ――その見合い相手が良い人かもしれないじゃないか。

 なんて、その可能性の言葉は飲み込んだ。切羽詰まった凪音さんをこれ以上追い込むことはできなかったし、そんなこと言いたくなかった。


「お願いです。わたしと結婚してください」


 凪音さんが頭を下げる。元々華奢な体躯だったが、前よりも痩せているように見えた。

 暫し悩んで……いや、悩むそぶりを見せて、懇願された僕はその話に乗ることにした。

 だって、住むところに困っていたし。それに、何より――好きな人のお願いだったから。

 そうして、あれよあれよと言う間に僕たちの結婚生活は始まった。

 ――好きな人と同じ屋根の下で過ごしているだなんて、学生時代の僕に言っても信じてもらえないだろうな。

 あれから一年程経った今も、僕はそう思っている。



   *



 某所、ショッピングモールにて。


「どっちが似合うと思う?」


 同じ形の違う色のワンピースを凪音さんが掲げた。うーん、と悩みながらも「青の方」と僕は返事した。


「それならこっちにする」


 凪音さんは機嫌が良さそうに青色のワンピースを選んだ。良かった。選択肢を間違えないで。

 凪音さんが満足のいく買い物ができたようで何よりである。

 本屋に寄るのも欠かせない。凪音さんの書いた本が平積みされているのを見て、何だか誇らしい気持ちになった。少しでも多くの人に凪音さんの本を読んでもらえるようにと念を送っておいた。

 今日の夕飯の材料である買ったばかりの食材を二人で袋に詰めながら、そろそろ帰ろうかと話していたその時だった。


「あれ、晴陽じゃん」


 名前を呼ばれて振り返ると一人の女の人がいた。一瞬誰だかわからなかった。


「久しぶりー!元気していた?」


 その人は、中学時代に付き合っていた元カノだった。

 茶色に染められた髪がくるくると緩く巻かれている。顔には中学時代にはしていなかった化粧が施されていて、あの頃よりも華やかだ。

 確かに僕たちは付き合っていた。だが、告白されて断る理由もなかったので付き合っただけだった。

 最終的には「なんか違うんだよね」と言われてフラれた。僕としては未練も何もない相手だ。

 けれど、この場には凪音さんもいる。何だか気まずい。ちらちらと凪音さんの方に視線を向けていると、元カノも凪音さんの存在に気がついたようだ。


「あ、もしかして彼女さん?」


 ――彼女じゃなくて奥さんです。

 だなんて、言える空気ではなかった。黙ったままの凪音さんがぺこりと頭を下げた。


「可愛い子だねー。ちょっと暗い部分もあるけど、良い奴だから晴陽のことよろしくね」

「おい」


 余計なことを言うなと睨めば、元カノは「あー怖い怖い」なんて言って、それじゃあと去って行った。

 まるで嵐が通り過ぎたかのようだ。

 凪音さんの方を見遣ると、顔を少し俯けていた。人見知りの凪音さんにはちょっとうるさ過ぎる相手だったかもしれない。

 無言でいた凪音さんに声を掛けようとした時、凪音さんが口を開いた。射抜くような視線に思わずたじろぐ。


「さっきの人、誰」

「む、昔の知り合いだよ」

「ふーん……元カノ?」


 ――す、鋭い!


「ただの女友だちだよ」

「……そう」


 何とか誤魔化したが、凪音さんは不服そうだ。

 微妙な空気のまま、僕たちはショッピングモールを後にした。



 家に帰っても、凪音さんはむすっとしていて不機嫌だった。静かに小説を読んでいるのはいつものことなのに、その静寂が何だか気まずく感じた。

 声を掛けてもそっけない。

 食事中も終始無言だった。

 きっと、いや明らかに原因は元カノに出会ったからだろう。

 ――もしかして、元カノに嫉妬した、とか?

 そうだったら嬉しい。普段から凪音さんからの好意は伝わって来るが、嫉妬されることはなかなかないから。

 喜びたいが凪音さんの前では喜ぶに喜べない。

 ご飯を食べて、風呂に入って、ベットの中で考えることはやっぱり凪音さんのことで。勿論、契約夫婦の僕たちは寝るのも別々の部屋だ。

 僕しかいない部屋で独りごちる。


「さて、どうやって機嫌を取ろうかなぁ……」


 ――凪音さんの好きな食べ物でも作ろうか……。服を買ってあげるとか?いや、買ったばかりか……。何か小説を買って来るのが良いかもしれない。それとも、詩を書いてあげるべきか?

 僕も文芸部に所属していたが、僕は小説ではなく詩を書いていた。時々凪音さんに書いてと言われるぐらいで、今は趣味に落ち着いている。小説で食べている凪音さんとは大違いだ。

 でも、自分が思ったことを文章に書きたいという気持ちやその楽しさはよくわかるので、凪音さんが快く創作活動できるために、少しでも役に立ちたいとは思っている。

 悩みながらも、僕は目を瞑った。起きたらまた考えようと思いながら眠りに就いた。

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