瓦礫の海を歩く
怠惰
終焉の朝
朝の駅前は、昨日に比べて異様なほど静かだった。
当たり前だが、音はある。
瓦礫の隙間を吹き抜ける風の音。
遠くで何かが崩れ落ちる鈍い振動。
誰かの咳き込む声。
それでも――人の気配が、決定的に足りない。
昨日まで、この場所は人で溢れていた。
通勤ラッシュの時間帯には、歩くだけで肩がぶつかり、足元に気を取られ、息をするのも億劫だったはずだ。
急ぐ者、苛立つ者、眠気と戦いながら歩く者。
誰もがそれぞれの「目的」を抱えて、同じ方向へ流されていった。
だが、今はその面影はまったくない。
改札前に立ち尽くすスーツ姿の男。
制服のままベンチに座り込み、虚空を見つめる学生。
瓦礫を避けながら、よろよろと歩く老人。
数は少ない。
そして、誰もが口を閉ざしている。
叫ぶ者も、怒鳴る者もいない。
この異常な静けさが、現実であることを、誰もが本能的に理解しているようだった。
「……まあ、仕方がないか」
小さく呟いた自分の声が、やけに耳に残った。
誰に向けた言葉でもない。
ただ、状況を受け入れるための、独り言だ。
いきなり、あんなことが起きたのだ。
平然としていられる方がおかしい。
会社なんて、もうない。
働く理由も、働く場所も、きっと消えた。
大学も同じだろう。
講義も、単位も、卒業も――昨日まで確かに存在していた未来は、まとめて白紙に戻された。
なんせ、日本は――世界は――現代社会の文明は、昨日、消えたのだから。
世界が変わった瞬間を、俺ははっきりと覚えている。
昨夜、空が突然、裂けた。
比喩ではない。
本当に、空そのものが破れたように見えた。
白とも金ともつかない光が、夜空を塗り潰し、次の瞬間には視界が焼けた。
大気が震え、立っていられなくなった。
悲鳴が上がった。
何百、何千という声が、一斉に。
だが、それは長く続かなかった。
爆発は合ったが音はない。
衝撃波も、熱もない。
まるで、世界が止まったかのようだった。
音が消えた。
風が止まった。
人の動きが止まった。
まるで、誰かが世界の再生ボタンを押し間違えたかのように。
その「停止」が、どれほどの時間続いたのかは分からない。
一秒だったのか、数分だったのか、それとも――時間という概念自体が意味を失っていたのか。
気づいたとき、空にはオーロラが走っていた。
現実感のない色彩が、夜空を縫うように揺れている。
そして、流れ星が降り始めた。
ひとつやふたつではない。
雨のように、無数に。
それは、流星群と言えるだろう。
逃げ惑う者。
地に伏して祈る者。
笑い出し、自暴自棄になる者。
本当に、たくさんいた。
だが、不思議なことに、世界は壊れなかった。
少なくとも、その場では。
今、俺の目の前にあるのは、その「結果」だ。
テレビはただの箱になった。
電源を入れても、画面は沈黙したまま、何も映さない。
スマートフォンは板切れになった。
操作しても反応はなく、通知音が鳴ることもない。
電波が死んでいるのか。
それとも、もっと根本的な何かが失われたのか。
電気が通っているのかどうかすら、分からない。
街灯は消え、ビルの窓は暗いままだ。
信号機は昨夜から色を変えず、黒のまま止まっている。
赤でも、青でも、黄色でもない。
「停止」という状態そのものが、そこに存在している。
その交差点を、誰も渡ろうとしなかった。
信号がないからではない。
ルールが消えた場所で、どう振る舞えばいいのか分からないのだ。
人は、思っている以上に「決められた世界」に依存して生きているらしい。
駅前のベンチに腰を下ろす。
冷たい金属の感触が、皮膚を通して伝わってきた。
生きている。
少なくとも、自分は。
少し右を見ると、駅前ロータリーを抉るように穿たれたクレーターがある。
アスファルトは砕け、街路樹はなぎ倒され、周囲の建物も半壊していた。
その中心に、黒く鈍い物体が突き刺さっている。
隕石――そう呼ぶしかない何か。
だが、違和感がある。
落下したにしては、爆発の痕跡が少なすぎる。
焼け焦げた跡も、溶けた痕もない。
まるで、「置かれた」ように見える。
――本当に、隕石なのか?
そんな疑問が浮かぶが、すぐに首を振った。
今は考えるべきことじゃない。
――よく生き残ったな、俺。
心の中で、そう呟く。
特別なことをした覚えはない。
運が良かっただけだ。
昨日まで、ここは人の波で溺れそうだった場所だ。
出勤前の愚痴。
学生の笑い声。
電車の到着を告げる、機械的なアナウンス。
それらはすべて、あの光に飲み込まれた。
――世界が終わる音は、思ったよりも静かだった。
空を見上げる。
淡い光の筋が、まだ空に残っている。
オーロラの名残だろう。
現実感のない色が、雲の裏へと溶けていく。
夢の続きを、無理やり見せられているような気分だった。
遠くで、瓦礫の崩れる音がした。
誰かが咳き込み、誰かが泣いている。
その姿を、昇り始めた朝日が照らしていた。
血の色でも、絶望の色でもない。
いつもと変わらない、穏やかな光だ。
世界が滅びても、朝は来る。
「……生き残った、か」
独り言が、やけに大きく響いた。
俺は立ち上がり、崩壊した都市を見渡す。
ビルは崩れ、道路には無数の亀裂が走っている。
この調子じゃ、俺の大学も潰れただろう。
講義も、レポートも、将来の不安も――すべてが意味を失った。
「親父たち……大丈夫かな」
実家は、この街から少し離れている。
連絡を取る手段は、もうない。
生きているのか。
死んでいるのか。
確認する術すらない。
ふと、隕石の方を見る。
黒い表面に、朝日が反射した。
一瞬だけ――
本当に一瞬だけ、それが「こちらを見ている」ような気がした。
背筋が冷える。
考えるな。
今は、生きることだけを考えろ。
考えて、考えて、考えた結果、一つの事が、当たり前の事が分かった。
どうやら、日本は、少なくとも東京は一夜にして滅びたらしい。
それでも――世界は、まだ終わっていない。
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