お隣の東雲さんは時々オトナの姿になって未来からやってくる
山﨑山々
第1話 隣人の東雲薫さん
「しかしすっげえなホントに。なにもかも違う」
俺、木場伊吹(きばいぶき)はあっけに取られる。
やんごとなき事情ゆえに詳細は語れないが、臨時収入を得た木場家。
お金の使い道の一つとして小さな一戸建てから脱却、そして荘厳に佇む低層高級マンションへと引っ越しを決めたのだった。
「そんなところに突っ立っていないでさ、早く荷解きしちゃいなよ。お兄ちゃん」
俺が部屋でぼーっとしていたので、妹の木場響(きばひびき)に怒られる。
「ちょっと疲れたから休憩していただけだし」
「響たちに呑気に休憩している余裕なんてありません。じゃんじゃん働いてくださーい」
「はいはーい。やりますよ」
そう言ってベランダへと逃げ出す。
四階からだが眺めがよく、桜並木もこの高さからだと綺麗に見える。
俺は新生活スタート記念にスマホで外の景色を撮る。
「あっ、戻ってきましたね?」
「うわっ。びっくりした」
俺は突然の声に思わずスマホを下に落としそうになる。
声の方向をゆっくり見る。
隣のベランダから、女性がひょっこり顔を出していた。
「ごめんなさい。大丈夫でしたか?」
「ああ、いえ、一応、大丈夫です」
スマホを落とさなくてよかったと胸をなで下ろす。
「ふふ、初めまして。本当に驚かせるつもりはなかったんですからね。私、東雲薫(しののめかおる)と申します。お隣さん同士これからも仲良くしてくださいね」
東雲薫さんへの第一印象は、素敵な大人のお姉さんだろうか。
話し方も丁寧だし、なにより顔面が強い。黒髪ロングも相まってお嬢様な感じがする。
「木場伊吹です。今後もよろしくお願いします」
俺はとりあえず無難に挨拶を交わす。
「さっきまで女の子とお話していて、また来てくれたのかと思ってしまって。本当にごめんなさい」
その美人は事の経緯を申し訳なさそうな顔をして、話してくれた。
どうやら響とはエンカウント済みだったようだ。
「仲良くしてくれたらあいつも喜ぶと思うので、これからもよろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします。あの子の名前は響ちゃんって言うのね。丁寧に教えてくれてありがとう」
お姉さんは素敵な笑みを浮かべる。
「ねぇ。この近くにパン屋さんがあるの。美味しいから行ってみてね」
「えっ、あっはい。もちろんです」
へぇ、パン屋か。
あとで調べてみようかな。
「なにか困ったことがあったら、遠慮なく私を頼ってもらって構いませんからね」
「ええ。その時は頼らせていただきます」
そう話して微笑みを交わす。
「お兄ちゃーん。早く荷解き手伝って」
噂をすればなんとやら、響が俺のことを呼ぶ。
「あはは、それじゃあ俺はこれで」
「荷解きの邪魔しちゃってごめんなさいね。それではまたいつか会いましょうね」
そう言ってお隣の女性はいなくなった。
「またいつか、か」
俺は自分の部屋で一人呟く。
これからこの人と関わる機会はあるのだろうか。
ああいう人は人気だし俺には不釣り合いだ。
……でもいつか仲良くなれたらいいよなぁ。
「お兄ちゃん手が止まってない?」
「ん、これからやろうとしたところ」
「……はぁ。まだまだ沢山あるんだから早く終わらせちゃってよね」
響は俺の様子に心底呆れ、ぷんぷんしながら部屋から出ていく。
我が妹に全く頭が上がらないのである。
◇
これとこれも買っちゃおう。
引っ越しが終わって次の日には俺の日常がようやく始まる。
早速、東雲さんがオススメしてくれた、近所のパン屋さんを訪れた。
焼きたてのパンの匂いが充満する店内を練り歩く。どれも美味しそうなので迷ってしまうが、俺はメロンパンに焼きそばパンにしようかな。
「ここのオススメはメロンパン。すっごく美味しいんですよ」
俺が声がする方向に顔を向けると、隣人である東雲薫さんが微笑んでいた。
東雲さんもここに買いに来たようで、手元のトレーには美味しそうなパンが二つほど並べられている。
「あっ、ども、おはようございます東雲さん」
俺は油断するとニヤけそうになる顔を必死にこらえ挨拶を交わす。
「おはようございます。えっと、木場伊吹さんですよね?」
天使のような笑顔がそこにはあった。
……ん?
東雲薫さんが制服を着ているだと。
この人実は学生だったのか。
あんなに大人びていた女性が、俺と同じ高校生だなんて思いもしなかった。
「そんなにじっと見つめられて、どうかされました?」
不思議そうに小首をかしげる。
「あっ、いや、もっと年上の方なのかと思っていたんですけど意外でした」
おかしい、あのとき見た東雲さんはもう少し大人びた女性だったと思うが。
でもこの人の顔に間違いないし、はてさてどうしたものか。
「あら、私は木場さんと同じ高校二年生なんですけれど」
少しむっとした表情をする。
「……俺と同じだったんだ」
「どうして同学年の私のことを年上だと判断したんですか?」
東雲さんはにっこりと笑う。
「あはは、すみません。大人びて見えたもので」
俺は一人で勝手に気まずくなる。
昨日見た時は確かに年齢が上に見えたんだがな。
「あっ、メロンパンなくなっちゃった」
幼い男の子が俺の隣で残念そうな顔をする。
丁度このタイミングで在庫がなくなってしまったみたいだ。
「仕方ないわよ。他のものにしましょ」
お母さんが優しく宥めるも不服そうな顔をする男の子。
「はい、これ。もしよければどうぞ」
俺は手元のメロンパンをお母さんのトレーに乗せる。
「えっ、でも、いいんですか?」
お母さんは申し訳なさそうな顔をする。
「ええ、俺はまたここに来たときに買うつもりなので大丈夫ですよ」
「お兄ちゃんありがと!」
さきほどまでの顔が嘘みたいに晴れ、男の子は元気いっぱいにそう答えた。
「おう、またね」
男の子に別れを告げると、もうその場には東雲さんの姿はなかった。
もう少しゆっくり話せたらよかったんだがな。
そう思いつつその辺にあったクロワッサンを無造作に取り会計へと向かった。
◇
しかし外に出ると天使が、いや違う、東雲さんが待ってくれていた。
待っている姿ですら華になる。
そして俺と目が合うとゆっくり近づいてくる。
「これは私からです」
東雲さんはパン屋の紙袋を一つ俺へと差し出す。
「これは?」
「ここのパン屋さんの名物は甘くて美味しいこのメロンパンなんです。木場さんには本当に食べてほしくて、よければあげます」
どうやら中身はメロンパンらしい。
「本当にいいんですか?」
「素直に受け取ってくれないなら、さっき年上認定したこと一生恨みますよ」
ひえっ。
「あ、ありがとうございます」
東雲さんっておっかないのかもな。
ありがたく受け取ったメロンパンは、ほんのり温かくて袋越しでも美味しそうに感じる。
「では行きましょうか。私たちの学校はお互い近いですし」
「えっ?」
「木場さんは制服を見るに下凪高校の生徒さんですよね。私の通う凪端女子高の近くですから知っていましたよ」
にこにことしながら答える。
「あっはい、行きましょうか」
東雲さんってあの名門お嬢様学校の凪端女子だったのか。どおりでどこかで見たことがあるような制服をしていると思った。
対して俺は下凪高校、偏差値も評判も普通の高校である。
「どうしました?」
「ええ、まぁ。いつも電車でここまで来ていたのでこうして歩いて向かうのは新鮮で」
格差に絶望していたなんてここで言えるもなく、咄嗟にそうごまかす。
「ここは都心には珍しく、木々も豊かですからね」
「この川沿いの景色は綺麗ですね」
「ここは私のオススメポイントなんです」
ふふ、と互いに顔を見合わせて笑う。
いやいや穏やかな通学すぎるだろ、これデートってやつじゃん。
いいのかこんなことがあっても、こんな幸せな思いをしてもいいのだろうか。
「響さんのお兄さまとはこうして初めてお話し致しましたけれど、とても穏やかでお優しい方なのですね」
「えっ、は、初めて?」
「はい。こうして木場さんとお話するのは、今この瞬間が初めましてですよ」
東雲さんは無邪気に笑う。
「昨日ベランダ越しに話しましたよね? あのパン屋さんを教えてくれたのも東雲さんでしたよ」
「本当にごめんなさい覚えがないです。パン屋さんの話をしたのは響さんとなので」
東雲さんは心底不思議そうな顔をしている。
「それに響さんにあなたの写真を見せてもらっていたので、お顔は知っていたんです。それで今こうしてお声をかけたんですよ?」
彼女が嘘をついているようには見えない。
じゃああのときベランダで話した『東雲薫』は一体何者なんだろうか?
俺にパン屋を勧めてくれたあの人、少し大人びていて、隣人として頼もしくて、優しい声音で。
あの東雲薫は目の前にいる東雲薫ではないのか?
俺の頭の中は『東雲薫』で一杯になってしまった。
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