海に触れる

峰さそり

1.波

 凍える指先で貝殻を拾う。絵美は腰をかがめたまま、湿った砂にまみれた貝殻を見つめる。どこにも欠けたところのない、小さくて真ん中に切れ目のある貝だ。うっすらとピンクがかった艶のある表面を撫でると微かな凹凸を感じられる。生きていると絵美は思う。それと同時に、生きていたとも思う。

 波打ち際に寄って貝殻を洗っていると、海風がいっそう強く吹いて視界を遮るものがなくなった。顔を上げた時、目の前には高い波があった。覆い被さるように、やけに遅く流れてきた。絵美は不思議と何も思わなかった。自身の足元を濡らして引き返してしまっても、波を見ていた。正確に引かれた水平線の下、白い飛沫が上がっている、起伏を描いて濃くうねっている、海を見ていた。

「絵美さん!」

 砂を踏みしめる音を聞き、絵美は振り返った。その時になって、ようやく冷たさの感覚を取り戻して砂浜に戻った。ブーツは海水が染み込んで重たく、中のタイツまでも濡らしていた。絵美はぼんやりしてただけなのと言い訳のように呟いた。紗里は気をつけないと、と言ってしばらく黙った。絵美は曖昧な微笑みを浮かべながら、ふと右手に握っている貝殻のことを思い出した。

「これはなんていう貝?」

 貝殻はアーモンド型をしていて、白くてつるりとしているせいか何かの幼虫のように見える。裏返すと、ちょうど真ん中にギザギザとした亀裂が入っている。貝殻を受け取った紗里は、ものの数秒で「タカラガイですね」と言い、絵美に返した。

 絵美は再び貝殻を、今度はタカラガイとして見つめた。足元で砕けている破片とは違う頑丈さがあった。真珠を薄めたような光沢は、まるで曇った空模様を映し出しているようだ。

「宝物のような貝だからタカラガイ?」

 と尋ねると、

「そうだったら安直すぎて面白いですね」

 と朗らかに笑った。

 絵美はふと、二週間が経ったのだと思う。その短い時間を思うと、まだあの人が死んでたったそれだけしか経っていないのだということが、どうにも不思議に思われてくる。

 まるですべてが夢みたい。絵美は海がある方を向いて、タカラガイを投げ入れてみたい衝動に駆られた。波音が鳴る、それ以上に海風が耳を塞ぐように激しく吹いている。砂浜には打ち上げられた海藻やペットボトル、ビニール袋などのゴミが散乱し、寄せては返す紺色の波の合間に生臭い命の匂いがある。でも、そのどれもが本当ではないような気がした。吐き出した息の白さも、寒さに抗う体の震えも、隣で集めた貝殻を点検している紗里の存在ですら、本当のことはどこにもないような気がしていた。

「この中は空洞なのかな」 

 絵美はそう言いながら、もう一度タカラガイを見た。紗里は少し考えてから、きっとそうですねと言った。だって、もし中に入っていたら、怖いもの。そう言って笑ったのを聞いて、絵美はタカラガイを砂浜に落とした。低い波が押し寄せてきて、絵美にはその情景がやけにもの寂しく見えた。

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