幸せ探し
増田朋美
幸せ探し
もう今年も今日で終わり。残念というべきか、嬉しいというべきなのか判断に迷う日々が続いている。そんなわけでなかなか幸せだなという雰囲気を感じ取れない。そんな人間のしていることとは裏腹に、時間というものは過ぎていってしまうのである。
その日、一人の女性が製鉄所へやってきた。お正月でどこにも行けないのでこちらへ来たいと言うのである。実は、こういう依頼は珍しいものではなかった。精神障害を持っているひとには、お正月に、親戚などがやってくることが、苦痛で居場所がないと訴えるひとは多い。働いていないからとか、親といるのが嫌だとか、理由は様々なものがあるが、いずれにしても、自宅には居辛いというひとは、多いのである。
「えーと、赤城花代さんですね。住所はえーと、函南町ですか。どうも遠くから来られましたね。電車など大変じゃないですか?」
製鉄所を管理しているジョチさんこと曾我正輝さんが、驚いて言ったのであるが、
「そのほうが、私のことを知っているひとも少ないでしょうから。それに遠方からでは、来てはいけませんか?」
と、花代さんは言った。
「そんなことはございません。どこからでも大丈夫です。しかし、こちらでは何をする目的で来たのでしょうか?それを教えてもらわないと、こちらとしても困ります。」
ジョチさんがそう言うと、
「はい。それが、具体的に何をしようかとか、そういうことはわからなくて。ここでしたらワケアリの女性が、いっぱいいると聞いたものですから。」
と、彼女は答えた。
「それでは困りますね。なにか目的があって来てくれるならありがたいのですが、ただいるだけでは困ります。」
ジョチさんはそういったのであるが、すこし考え直して、
「なにかわけがあって、こちらに来られたのなら、その理由を話してもらえませんか?」
と、彼女、赤城花代さんに聞いた。
「はい。私は、小さい頃から優秀で、可愛くてよくできた子であったのに、なんでこうしてこんなにうまくいかなかったのだろうって。」
赤城さんは、話し始めた。こういうときに、大事なことは大きな悩みであろうと、小さな悩みであろうと、相手の話を否定したり相手を批判したりしないことである。それをしてしまったら、信頼関係がめちゃくちゃになる。
「そうなんですね。周りの人からそう言われてきたのですか?」
ジョチさんはそれだけ言った。
「だから私は、一人で何でもできると思ってたんです。でも、そうではなかったんです。」
「具体的に何がですか?」
そういう彼女にジョチさんは聞いた。
「はい。会社に勤め始めて、始めて上司の男性とお付き合いを始めたんですけど、相手の方が、もう付き合えないって言ってきて。私は何も悪いことしていないのに。」
と、彼女は涙を見せていった。
「そうですか。それであなたは会社内に居場所をなくしてしまったと言うことですか?」
「はい。そうなんです。もう会社もやめてしまって、何もやる気が無くなってしまって、そうなったら、家の中にいても疲れるだけですし。」
赤城さんは、そういうのであった。
「わかりました。そういうことでしたら、なにか新しいことを始めるのが一番だと思います。新しい仕事でも、新しい会社でもいいです。多分きっと、全然違うタイプの会社に入って、ぜんぜん違う仕事をしたほうが早く何とかなると思います。」
ジョチさんはそう赤城さんにアドバイスした。
「そんな、できることと言ったら、日本史の教材作るしかなくて、今の会社に入ってやっと働けたから、新しい仕事なんてできませんよ。」
赤城さんはそういうのであるが、
「いえ、何もないということは、新しいことを取り入れられるということですから、大丈夫です。」
と、ジョチさんは言った。
「新しい仕事ができないといいますが、それだってその気になれば十分やることはできます。大丈夫ですよ。」
「でも私、日本史以外何もできることないのに。」
「それは学校にいたときのあなたでしょう。そんなもの、何も役にはたちはしませんよ。あなたが今まで、働けなかったこともそれを証明しているじゃありませんか。そういうことなら、今の仕事ではなくて、新しい生き方を見つけてください。」
ジョチさんは、そう赤城花代さんに言った。花代さんは、そうですかと小さい声で言ってなにか考え込むように黙ってしまった。
すると、玄関の引き戸がガラッと開いて、
「こんにちは。竹村です。クリスタルボウルのセッションに参りました。」
と言いながら、竹村優紀さんが、製鉄所へ入ってきた。台車の上に、白色の風呂桶みたいな形をしたクリスタルボウルと呼ばれる楽器を7つ乗せて、部屋に入ってきた。
「どうもすみません。いつも来てくださいまして。」
布団に寝ていた水穂さんは、よいしょと、布団の上に起きた。
「いや、大丈夫ですよ。クリスタルボウルの音を求めている人がいれば、どこへでも行きますよ。」
竹村さんは、縁側にクリスタルボウルを7つおいた。
「じゃあ、演奏いたします。のんびりと聞いていてください。穏やかな音なので、ゆっくりのんびり聞いてくれればそれでいいです。」
竹村さんは、マレットを取って、クリスタルボウルの縁を叩き始めた。ゴーンガーンギーン、柔らかく優しい音である。なんだか少しずつ、余分な力が抜けていったような音である。あっという間に、45分間の演奏時間は終了した。
「ありがとうございます。良い音でした。気持ちがとても楽になりました。」
水穂さんはそう言って、竹村さんにお金を渡した。ありがとうございますと言って、竹村さんはそれを受け取った。そして、クリスタルボウルを台車の上に片付け始めた。
「こんな重いものをわざわざ持ってきてくださってありがとうございます。大変だったのではないですか?」
水穂さんは、クリスタルボウルを片付けている竹村さんに言った。
「あはははは。何も大したことありませんよ。僕らは癒やしてあげたいだけです。それは何か科学的にどうのではありません。ただ、生きたい人が、そうやって求めているだけで。」
竹村さんはにこやかに答えた。
「あの、竹村さんとおっしゃってましたよね。その、風呂桶のようなもので、癒やしの仕事になるんですか?」
不意にどこからかやってきた、赤城花代さんが、竹村さんに聞いた。
「仕事っていうか、人のことを癒やしてあげてるんだと思いますね。癒やされるということは、お金とはまた違うのではないかと思います。」
竹村さんがそう答えると、
「そうなんですか。その風呂桶みたいなものを叩くだけであれば、私でもできるでしょうか?そういうことなら、私もできる気がして。」
と、赤城花代さんが言うと、
「いやあ、頑張らなくてもいいんです。大事なのは相手がどれくらい癒やされるかですからね。それなら、ちょっと、セッションを見学してみませんか?」
竹村さんはにこやかに言った。
「お願いします。あたしも新しいことしてみたいと思ったのです。」
赤城花代さんは言った。とりあえず花代さんは、竹村さんにクリスタルボウルの叩き方を学びながら、セッションに参加することになった。
それから数日後。竹村さんは、再び製鉄所へやってきて、クリスタルボウルのセッションを行った。水穂さんの前へクリスタルボウルを7つおき、マレットを取って、縁を叩き始める。ゴーンガーンギーン、とても美しい音である。水穂さんたちは、気持ちよさそうに聞いているのであるが、花代さんは、それを美しいとは思えず、なんだか気持ち悪いなという気がしてしまうのであった。
「竹村さん今日もありがとうございました。お収めください。」
水穂さんは竹村さんにお金を渡した。竹村さんはありがとうございますと言ってまた受け取った。
「ありがとうございます。また次回もお願いします。」
水穂さんはそう言って竹村さんに頭を下げる。
「はい。次回はいつにしましょうかね?いつでも呼び出してください。」
竹村さんはにこやかに言った。こんなことで、人を癒やすということになるのだろうか?花代さんは疑問に思った。
「一体これでどうして癒やしということになるんでしょうかね。ただ、ガーンガーンと風呂桶みたいなものを叩くなんて。」
花代さんは思わず言ってしまう。
「そうかも知れませんね。」
と、竹村さんは言った。
「でも、大事なこともあるんです。そのあたりは、続けてみればわかりますよ。」
「そうなんでしょうか。具体的に体調が良くなるとか、そういうわけではないんでしょう?」
花代さんはそう返した竹村さんにそういうのであるが、
「そのうち分かると思います。」
と、竹村さんは言った。水穂さんは、竹村さんにあらためて頭を下げて、玄関先まで送り出した。どうしてそんなことまでするのかと花代さんは思うのであった。
花代さんは、水穂さんに聞いてみる。
「どうしてあんな意味のない音を聞いて、あんなに丁寧にお金まで払うんですか。何も意味ないじゃないですか?」
「そうかも知れませんね。」
水穂さんはそういった。
「でも竹村さんは、一生懸命やっておられました。それを、否定してはいけませんよ。それに意味がないわけ無いでしょう?」
「そうなんですね。私は、とてもそんなこと感じられませんでしたけど、、、。」
花代さんは、変な顔をした。水穂さんは、その花代さんの顔を見て、
「大丈夫ですよ。」
とだけ言って、自分の部屋へ戻っていった。水穂さんは、本当に美しい顔で、それを眺めていたほうが、癒やされるように見える。やがて、水穂さんが、部屋でピアノを弾いているのが聞こえてきた。ヤマハとかカワイなどのありふれたメーカーではなくて、グロトリアンという高級なピアノである。弾いている曲は、何の曲なのかわからなかったが、水穂さんの演奏は、本当に美しかった。タイトルはわからなくても、とてもきれいで、静かな曲であった。花代さんは、水穂さんの部屋へ行ってしまった。
「すごく素敵な曲ですね。なんていう曲なんですか?」
思わず声をかけてしまう。水穂さんが、ドビュッシーのアラベスク一番だとこたえると、
「そうなんですか。あたしは、音楽のことは全然わからないですけど、でも、美しい曲だと思いました。本当に上手ですね。」
と、花代さんは言った。
「ええ、確かにこの作曲家の曲は、すごく穏やかで、静かな曲だと思うんですけどね。月の光とか、亜麻色の髪の乙女とか、似たような曲だと思うのですが、でも、こういう激しい曲もあるのです。」
水穂さんはそう言って、西風の見たものという曲を弾いた。
「すごい。そんな激しいものもあるんだ!」
花代さんはそう言うと、
「ええ、あるいは、こういう曲もございます。」
水穂さんは、花火を弾いた。花代さんは、嬉しいという顔をして拍手をした。
「あるいは、こういう荘厳な曲もございます。」
水穂さんは、沈める寺を弾いた。本当にそういう伝説的なすごい曲であった。寺と言うのは、日本の寺院とはまた違うのだろう。日本の寺にある侘び寂びの雰囲気とはまた違う気がする。
「そうなんですか。一人の人間が、美しい曲も書いて、花火みたいな、派手な曲も書くと思ったら、こんな厳かなものもかけるなんて。」
花代さんは、そういうのである。
「水穂さんは、お上手なんですね。誰かピアノの先生にでも習ってたんですか?」
「ああ、それはね。一応、これでも音大に行きましたからね。」
水穂さんは静かに言った。
「すごい!どこですか?」
花代さんはそういうのである。
「桐朋。いわゆるきりともですよ。」
水穂さんがそう言うと、
「そうなんですか!そんなすごいところに行っていたんだ。そういうことなら、何でも弾けちゃうわけですよね。なんだか、癒やすということよりも、あたしたちに、押し付けとか、聞かせてやってるっていうか、そんな気がしてならないんです。」
と、花代さんは言った。
「どうして、そういうふうに曲がってしまう考え方をするんですか?素直に美しいと答えを言ったらいいのではありませんか?何も無理して気取ったり、緊張したりする必要はないんですよ。」
水穂さんがそう言うが、
「でも、あたしには、なんだかそういうひとは、偉すぎるというか、自分の技量を人に見せびらかして、なんか格好つけているだけのような気がします。」
と、花代さんは言った。
「いいえ、僕達も、おんなじように悩んだりするもんですよ。そうやって曲がっていたら、あなたも苦しいでしょう。それなら、素直に、感じ取って感想を言えるように、なにか訂正してもらったらどうですか?」
水穂さんがそう言うと、
「よく人に言われるんですけど。ですが、なんだかそうやって癒やしてくれる人を、信じることができなくて。過去のことが原因かもしれないですけど、それも、なんとかしようっていう気持ちになれないんです。どうしたらいいものか。」
と、花代さんは言うのであった。
「そういうことなら、なにかセッションをしてもらうことをおすすめします。人のことを、そうやって信じることができない間違った思い込みを修正していくセッションは、いろんなものがあります。そういうことなら、気軽にやれるセッションから始めて、自分自身を癒やしてあげることが必要だと思います。」
水穂さんは、静かに言った。
「本当は、そういう偉そうに言ってくる人でなくて、水穂さんのような優しい方に、あたしの話を聞いてくれればと思うんですけど、それは無理なことですか?」
と、花代さんはいう。
「そうなら、何度でも話してくれて構いません。あなたが傷ついてきたこと、それは、ちゃんと話をして、頭を空っぽにするのが大事なんです。」
と、水穂さんは言った。そういう発言ができる人は、水穂さんだけかもしれない。
「そうなんですね。別に具体的になにかあったわけではありません。だけど、辛かったんです。学校にいるのが。学校で、みんなで勉強して、みんなで一緒に絵を書いて、みんなで一緒に何処かへ出かけるのが、本当に辛かった。だって、修学旅行の時もそうだったんですよ。道路を歩いていたら雨が降ってきて、みんな傘をさせるのに、私だけ一人傘がさせないで、ずぶ濡れになって歩くしかなかった。それなのに、先生も他の生徒さんも、みんな楽しそうにしている。なんでなんでって思いました。それのせいで、あたしはノロマとかバカとか、そういうことを言われるようになってしまって、もう他の生徒も偉い人たちも信じられなくなってしまったんです。」
水穂さんは、それを黙って聞いていた。
「そうですか。それはわかりました。そういうことであれば、何度でも何度でも何度でも、あなたが本当に頭が空っぽになるまでそのつらい気持ちを、書き出すなり、誰かに話すなりしてください。そうすれば、次へ進めます。」
「でも誰も私の話なんて聞いてくれないですよ。」
花代さんがそう言うと、
「それなら、書けばいいじゃありませんか。紙に書くだけではないですよ。ウェブサイトとか、アプリとか、人に聞いてもらう手段は色々あるでしょう。それを駆使して、全部さらけ出してしまってください。幸い、ここには、話を聞いてくれる職業の人もいますし、癒やしてくれる人もいる。だから、そういうひとに、ぶつかっていくようなつもりで話してもいいのではないでしょうか。」
水穂さんはそういうのであった。そうですか、と花代さんは言った。
「でも、今水穂さんに聞いてもらったほうがよほど楽になったと思うのですが、、、。」
花代さんがそう言うと、水穂さんは、その場に座り込んで咳き込んでしまった。花代さんが大丈夫ですかと言っても咳き込んだままだった。こうなったら、誰かひとを呼んでくるしかないと思った花代さんは、思わず、誰か、誰か!と声を荒げていった。すぐに、ジョチさんがやってきて、水穂さんを無理やり立たせ、背中を擦りながら布団に寝かせてやった。枕元にあった水のみの中身を飲ませると、水穂さんは、やっと楽になったらしく、静かに眠りだしてしまった。
「本当にすみません。私、水穂さんが、こんな大変なの知らなくて。でも、ありがとうございました。今まで詰まっていたことを、初めて聞いていただけたんです。」
と、花代さんは、ジョチさんに言って、申し訳ないように座礼した。
「いえいいんですよ。なぜ、水穂さんのことを、助けられたかわかりますか?」
ジョチさんは謎掛けのように言う。花代さんはわからないと答えると、
「それはね、あなたも癒やされたからなんじゃないですかね?」
ジョチさんはそういった。
「やっぱり、竹村さんのクリスタルボウルで、かなり楽になれたからだと思いますよ。」
花代さんは、そうなのかと自分で考えてみた。ただ、クリスタルボウルの音を聞いただけで、体に何も変化が起きたとか、そういう劇的な効果はなかったわけだけど、なにか、変われるような音だったのかもしれない。それを聞かせてもらったので、やはり嬉しいことだったのだ。
「そうか。癒やされるとは、こういうことなんだ。」
花代さんは、そう考えるように言った。そしてしばらく、黙っていたが、でも、なにか思いついた。それが大きな決断のような感じで、花代さんに取っては嬉しいことなのかもしれなかった。
「そういうことができる人間になりたいな。」
やっと、人生というか生きることとはこういうことなんだと思える気がした。
「ええ、自分が何をしたいかを、しっかり考えることが重要なんですよ。だから、勉強ができなかったなんて、どうってことないんです。それに気付いていただくことを、こちらでは、目標として、掲げています。」
ジョチさんが花代さんにそう言うと、
「そうですね。あたしもう、30超えて、おばさんではあるんですけど、まだまだこれからですね。」
と、花代さんは嬉しそうに言った。
「まだまだこれからです。」
ジョチさんは静かに言った。それと同時に、製鉄所に設置されていたテレビで、仕事初めのニュースを放映しはじめた。明日から、長く厳しい日常生活が、本格的に始まるのだった。正月は、休むだけではなく、気付くためにあるのかもしれない。
幸せ探し 増田朋美 @masubuchi4996
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