【第十八章:無機質の狩り場】


 狩りが始まった。

 だが、狩人は俺たちではない。


 一見無人に見えるこの通りは、実は伏兵で埋め尽くされていたのだ。

 俺たちは壁沿いに高速移動した。目標は二ブロック先の回収車だ。


「左、ゴミ箱」


 蜂鳥の声が落ちるのと同時だった。

 路肩にあった何の変哲もない金属製のゴミ箱が炸裂した。


 爆発ではない、変形だ。

 金属の外殻が花弁のように捲れ上がり、中からゴミではなく、銀色の虫のような機体が飛び出したのだ。咆哮もなく、八本の鋭利な脚が通りがかった俺を無音で突き刺そうとする。


 ドゴッ。


 鈍い打撃音。

 銀色の機械虫がバランスを崩す。体勢を立て直そうとした瞬間、すでに蜂鳥のナイフがそのメインプロセッサを貫いていた。

 無駄な火花一つ散らさない、洗練された殺傷技術だ。


「止まるな、走れ」


 俺たちはまるで無音の障害物競走をしているようだった。

 倒れ込んできて俺たちを圧殺しようとした電子看板――蚊が支柱を切断した。

 路肩に止まっていたのに自動加速して突っ込んできた自転車――俺が前輪を蹴り飛ばした。


 これら全てが、罠だ。

 背景に溶け込み、死んだフリをして、獲物が通り過ぎるその瞬間だけ牙を剥く。


 交差点に差し掛かろうとした時だった。

 横断歩道の向こう側に、小さな女の子が立っていた。

 赤いワンピースを着て、ボロボロのテディベアを抱きしめ、心細げに泣いている。


「うえぇぇ……ママがいないよぉ……」


 泣き声はあまりにリアルだった。震える肩も、頬を伝う涙の反射さえも、完璧だった。

 蚊が足を止め、無意識にナイフを握りしめた手が迷うように緩んだ。


「あれ……本物?」


 彼女は躊躇した。

 この地獄でも、稀に迷い込んだ生存者がいることはある。あの極限の無力感は、あまりに人間らしすぎた。


 だが、俺は見た。

 その女の子が抱きしめているテディベア。その綿の中に、彼女の指が深々と食い込んでいるのを。あれは子供の握力じゃない。


「伏せろ!!」


 俺は叫んだ。

 ほぼ同時に、「女の子」の顔が裂けた。


 その泣き叫んでいた小さな口から放たれたのは声ではなく、極細の高圧単分子ワイヤーだった。

 その線は無音で雨幕を切り裂き、街灯を両断し、蚊の首へと直進した。


 バンッ!


 乾いた銃声。

 遥か遠方から放たれた弾丸が、音よりも早く到達した。


「女の子」の頭部がスイカのように破裂した。

 中から回路基板と青い冷却液が撒き散らされる。

 必殺の単分子ワイヤーは、蚊の喉元数センチのところで力を失い、だらりと垂れ下がった。


『ほら、しっかりしろ! ボサっとするな』


 イヤーモニターから蜻蛉の冷たい叱咤が飛ぶ。


『そっちにもっと大量の反応が近づいてる。早く車に戻れ』


 蚊は自分の首をさすり、顔面蒼白になったかと思うと、次は獰猛な怒りを露わにした。


「危うく死ぬとこだったじゃんか……! テメェら全員スクラップにしてやる!!」


 だが、彼女は突撃しなかった。

 周囲の霧の中から、無数の赤い目が灯り始めたからだ。


 地面に転がっていた「死体」、ショーウィンドウの中の「マネキン」、そして道端の「郵便ポスト」までもが、今まさに不快な変形音を立てて動き出そうとしていた。


 奴らは偽装をかなぐり捨てた。

 奴らはこの都市の白血球となり、俺たちというウイルスを排除しにかかっている。


「お兄さん、その残骸を拾って!」


 蜂鳥が先ほど頭を吹き飛ばされた「女の子」の機体を指差した。


「は?」


「コアはまだ生きてる! 高純度の青い血ブルー・ブラッドよ!」


 俺は歯を食いしばり、まだ漏電しているその残骸をひっ掴んだ。

 重く、冷たく、そして……吐き気を催すような甘い香水の匂いが残っていた。


「走れ! 逃げるぞ!!」


 俺たちは死寂の通りを全力で疾走した。

 背後には、音もなく押し寄せる金属の波が迫っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る