魔王の名のもとに、この錆びついた空に祝福を

ネフヤ

【第零章:天使】


「いいか、よく聞け。これは父さんがまだ、お前くらいの歳だった頃の話だ……」


 薄暗い部屋で、父さんは静かに語り始めた。

 それは、彼がまだ地上の光を知っていた頃の、遠い記憶――。


「それは、鉛色の空から冷たい雨がシトシトと降り注ぐ日だった」


「キキキキキキキ――!!」


 虫の音ではない。無数の金属関節が擦れ合い、狂ったように噛み合う音。

 それは、死神リーパーたちの哄笑そのものだった。


「ボーッとしてんじゃねぇ! 左だ! 左から『収穫者ハーベスター』が来るぞ!!」


 怒号と共に乱暴に突き飛ばされ、俺は瓦礫と化したコンクリートの遮蔽物の裏へと転がり込んだ。

 あの日、俺はまだ十歳だった。

 この煉獄のような戦場で、俺はパニックに陥ったネズミのように、手足をばたつかせて地底へと続く真っ暗な穴へ這いずり込もうとしていた。


 次の瞬間、赤黒い高出力レーザーが、俺がさっきまで立っていた場所を薙ぎ払った。厚さ半メートルもある防壁がまるで溶けたバターのように切断され、その断面からドロドロに熱せられた気泡が噴き出す。


 俺は肩で息をしながら、空を見上げた。

 視界の限り、かつて青かったはずの空は、厚い雨雲に覆われてもう見えない。

 燃え上がる炎と黒煙が、その灰色の空にさらに絶望的な『黒』を塗り重ねていく。


 太陽を遮る無尽蔵の黒煙。そしてその煙の下には、津波のように押し寄せる銀白色の鋼鉄の群れ。


 奴らに恐怖はなく、痛みもない。破壊された同胞のパーツを踏み砕き、俺たちの戦友の死体を踏み越え、一歩、また一歩と圧力をかけてくる。


 前線が、崩壊した。


「もう……だめだ……」


 巨大な蜘蛛型の機甲種が跳躍してくるのが見えた。

 回転するブレードが、逃げ遅れた生存者をいとも容易く肉片へと変える。生温かい鮮血が俺の顔に飛び散った。

 俺は腰が抜け、瓦礫の山にへたり込んだ。


 機甲種が首を回し、その赤い電子眼が俺を捉える。

 死を確信した、その時だった。


「――天炎ディバイン・フレイム!!」


 目も眩むような黄金の火柱が、側面から轟音と共に炸裂した。


 それは火薬の爆発なんかじゃない。もっと純粋で、神々しく、すべての罪悪を焼き尽くすかのような金色の烈火。

 冷酷な殺戮兵器だった蜘蛛型機甲種は、その金色の奔流の中で悲鳴を上げる間もなく溶解し、ただの青白い煙を上げる鉄屑へと変わった。


 俺は呆然と顔を向けた。

 そこに、「彼女」がいた。


 舞い上がる黒煙と飛び散るオイルの中で、彼女は凛と立っていた。

 見たこともない、古の伝説に出てくるような銀の鎧。手にした長剣は半ばから折れていたが、それでも直視できないほどの輝きを放っている。

 腰回りの装甲は血と油で汚れていたが、その背中は、厚い雲に消えた太陽よりも遥かに眩しかった。


「行け! 穴の中へ走れ!!」


 その天使は、わずかに残った生存者たちに向けて叫んだ。

 女騎士は俺たち難民を背中に庇うようにして、前へと一歩踏み出す。彼女は振り返らない。ただ絶望的な数の敵軍を見据え、折れた剣を構えた。


 俺はあの光景を一生忘れないだろう。

 背景には燃える地平線と機械の軍勢。その手前で、異界から来た女騎士の姿が目に焼き付いている。


 ドォォォン!!


 彼女が再び折れた剣を振るう。金色の魔力が、行く手を塞ぐ残骸を切り裂き、一筋の活路をこじ開けた。


 俺は人の波に揉まれ、傍らにいた片足を失ったおじさんに背中の重そうな鉄箱ごと掴み上げられ、地底への入り口へと放り込まれた。


「入れ! 振り返るな!」


 おじさんが叫ぶ。だが、彼自身は続いて飛び込もうとはしなかった。

 彼は背負っていた重い鉄箱を解くと、退がってきた女騎士の懐へと強引に押し付けたのだ。


 外では再び激しい爆発音が轟く――あれは最後に残った大人たちが、この通路を封鎖するために支柱を爆破している音だ。

 自らの命を、代償にして。


 入り口が瓦礫で塞がれる最後の瞬間。

 俺は隙間から見た。

 あの金色の天使が、箱を抱えてよろめきながら闇の中へ転がり込んでくるのを。

 そして彼女の背後で、おじさんの小さな背中が、爆炎と鋼鉄の波に完全に飲み込まれていくのを……。


 俺は隙間から、もはや人類のものではなくなった世界を最後に一瞥した。


「……それが、あの時起こったことのすべてだ」


 物語を語り終え、親父は薄暗い明かりの下で、手にしていた配管修理用の工具を置いた。

 タコだらけの分厚い手が俺の頭を撫でる。その瞳には、当時の幼い俺にはまだ理解できない深みと、懐かしさが宿っていた。


「あのおじさんたちが命を懸けて、この地下での生活を勝ち取ってくれたんだ。そして、あの片足のおじさんが託した箱……それが今、俺たちが食べている食料や、飲んでいる水を生み出してくれる『種』になった」

「それから、あの騎士様も……。彼女が箱を守ってくれなかったら、今の俺たちはいない」


「彼女は死んだと言う奴もいる。だが父さんは信じてるよ。彼女はただ、本来いるべき場所へ帰っただけだ――本当の太陽がある場所へな」


 俺は分かったような分からないような顔で、手の中にある乾いて硬い菌床きんしょうビスケットを握りしめていた。

 話に出てきた光景を想像しようとするけれど、この地下で生まれた俺には、天井の岩盤の向こう側がどうなっているのか分からない。


「じゃあ……上には本当に太陽があるの? それってどんな形をしてるの?」


 親父は笑った。

 それは少し苦しげで、でもどこか優しい笑顔だった。


「あるさ。とても大きくて、明るくて、温かい火の玉だ。あの騎士様の炎のようにな」


 彼は立ち上がり、再び修理道具を手に取ると、錆びついた鉄の扉へと歩き出した。

 岩盤をくり抜いただけのこの狭い部屋から、外へと続く唯一の出口だ。


「お前が大人になった頃、もし……人類にまだチャンスがあれば……お前が俺の代わりに、見に行けるかもしれないな」


 その時の俺は、まだ知らなかった。

 この話が、俺の一生を縛る呪いとなり、そして祝福になることを。

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