『前世で世界経済を支配した大富豪、ド田舎の極貧家族に転生する ~二度目の人生はスローライフを送りたいのに、チート経営知識でうっかり世界を裏支配(フィックス)してしまう』

朧木 光

第1話 資産ゼロからのM&A(敵対的買収)

 ピーーーーーー。

 

 無機質な電子音が、俺の生涯という巨大なプロジェクトの終了(クローズ)を告げた。


 一条(いちじょう)セイジ。享年82歳。

 

 個人資産3兆円。世界経済の血管を握り、国家という臓器すら意のままに操った「金融の怪物」。

 

 それが、俺の前世における最終評価(クレジット)だ。

 

 すべてを手に入れた。

 金で買えぬものなどないと証明するために、愛も、情も、安らぎさえも「不要資産(コスト)」として切り捨ててきた。

 

 だが、その果てにあるのが、この無機質な病室での孤独死とはな。


(……ああ、馬鹿げている)


 薄れゆく意識の淵で、俺は自嘲した。

 もし、次の「会計年度(じんせい)」があるならば。


 もう、数字を積み上げるだけのマネーゲームは降りよう。

 

 次は、陽の当たる場所で、土に触れ、不味いパンを笑いながら食べるような……そんな「スローライフ」を送りたいものだ。

 

 誰にも邪魔されず、誰とも競わず。

 ただ静かに、世界が回るのを傍観するだけの贅沢な時間を。

 

 ――思考が、闇に溶ける。

 


「……寒い」

 

 次に俺の意識を覚醒させたのは、骨の髄まで凍りつくような悪寒と、胃袋が内側から酸で溶かされるような飢餓感だった。

 

 最高級のシルクシーツの感触はない。背中に突き刺さるのは、湿った藁(わら)と、ささくれた木の床。

 

 目を開ける。

 視界に広がったのは、蜘蛛の巣が張った灰色の天井と、隙間だらけの壁。そこから容赦なく吹き込む隙間風が、俺の頬を叩いた。


(……ここは、地獄の再開発地区か?)

 

 体を起こそうとして、強烈な目眩に襲われる。

 視界が揺れる中、俺は自分の「手」を見て目を細めた。


 血管が浮き出るほど痩せこけ、泥と垢にまみれた、小さな掌(てのひら)。

 

 枯れ木のような腕。

 感覚的にわかる。俺の体は、せいぜい6歳児のものになっている。


「……うぅ……アルド……?」

 

 隣から聞こえたのは、枯れ葉が擦れるような掠れた声だった。

 ボロ布の山に埋もれるようにして、一人の女性が倒れている。

 

 金色の髪は油と泥で汚れ、美しい顔立ちは土気色に染まっている。

 その瞬間、脳髄に焼き付くような頭痛と共に、この体の記憶――少年「アルド」の6年間のログが、俺の意識に雪崩れ込んできた。


 【現状分析(デューデリジェンス)完了】

 ・氏名:アルド(6歳)。


 ・保護者:母エルナ(24歳・未亡人・過労により重篤な衰弱状 態)。

 

 ・現在地:ガーネット辺境伯領、最果ての開拓村「オーレン」。


 ・資産状況:完全なる債務超過。食料在庫ゼロ。現金ゼロ。


 ・直近の脅威:本日午後、徴税官の訪問あり。

「……ほう」


 俺の口から、子供らしからぬ低い吐息が漏れた。

 

 スローライフ? 隠居生活?

 

 冗談ではない。ここは戦場だ。それも、武器も弾薬もない状態で最前線に放り出されたに等しい。

 

 普通の子供なら、絶望して泣き喚くだろう。

 だが、俺の中に宿る「怪物」は、むしろ口角を釣り上げた。


「面白い。底値(ボトム)からのスタートか」

 

 俺は一条セイジだ。

 焼け野原となった戦後の闇市から、たった一代で世界の金融街を支配した男だ。

 

 ゼロからのスタート? 望むところだ。

 マイナスが大きければ大きいほど、V字回復(ターンアラウンド)させた時の利幅(リターン)は大きい。


「……母さん」

 

 俺は、エルナの冷え切った手を、小さな両手で包み込んだ。

 驚くほど冷たい。だが、脈はまだある。彼女は、夫を亡くした後も、女手一つで泥にまみれながら、この俺を生かそうとしてきたのだ。

 

 前世で俺が切り捨てた「無償の愛」という不合理なものが、ここにはある。


(守るか。この、小さなポートフォリオを)

 

 俺は決めた。

 この極貧の泥沼から這い上がり、母を救い、そして誰にも邪魔されない「絶対的な安息」を手に入れる。

 

 そのためには――この世界の「理(ルール)」を俺が握る必要がある。

 

 王も、勇者も、魔王も。すべてを俺の掌の上で管理し、俺の平穏を脅かす因子(リスク)を徹底的に排除する。

 

 グゥゥゥ……。

 

 腹の虫が、俺の決意に対するファンファーレのように鳴り響いた。

 

 

 それから数時間後。

 

 俺は小屋の中をくまなく探索(監査)し、いくつかの「武器」を確保していた。

 

 武器と言っても、剣や魔法の杖ではない。

 ボロボロの羊皮紙の切れ端、木炭、そして「情報」だ。

 

 ガラガラガラ……ッ!

 不快な車輪の音と共に、一台の派手な馬車が小屋の前で停止した。

 

 馬のいななき。そして、乱暴な足音。

「おいエルナァ! 居留守を使ってんじゃねぇぞ!」

 

 ドガンッ!

 

 腐りかけたドアが蹴りつけられ、蝶番が悲鳴を上げる。

 現れたのは、でっぷりと太った男。

 安っぽいベルベットの服に、指には趣味の悪い金の指輪。この地域を担当する徴税官、ボリスだ。


「今月分の税金、金貨3枚だ! 払えねぇなら、家財道具も、そのガキも、全部差し押さえるからな!」

 

 ボリスが唾を飛ばしながら怒鳴る。

 俺は、ゆっくりとベッドから降り、ボリスの前に立った。

 

 身長差は倍以上。体重差は5倍以上。

 だが、俺は怯えない。むしろ、慈悲深い瞳で彼を見上げた。


 これから「破滅」する哀れな男を見る目で。


「こんにちは、徴税官殿」

「あぁ? なんだテメェは。クソガキ、そこをどけ!」

「母は病床に伏せっている。大声を出さないでいただきたい。……業務の『妨げ』になる」

 

 6歳の子供から発せられた理知的な響きに、ボリスが眉をひそめる。

 俺は構わず、手に持っていた羊皮紙――先ほど木炭で書きなぐったメモを、ヒラヒラと振ってみせた。


「単刀直入に言おう。あなたの帳簿には、重大な『欠陥(バグ)』がある」

「はぁ? 何を言って……」

「この村の去年の収穫量と、今年の予想収穫量。それに領主様が定めている税率を掛け合わせた計算式さ」

 

 俺は羊皮紙を彼の目の前に突きつける。


「おかしいんだ。あなたが領主様に報告している納税額と、実際に村から回収している額。……どう計算しても、『34%』の乖離がある。この差額は、どこへ消えたのかな?」

 

 ボリスの顔色が、瞬時に土気色へと変わった。

 横領(スキミング)。

 教育を受けていない村人たちは計算ができず、領主も辺境の村になど興味がない。その盲点を突いた、あまりにも古典的で杜撰な手口。


「き、貴様……デタラメを言うな!」

「デタラメかな? ならば、もう一つ面白い話をしよう」

 

 俺はニッコリと笑い、外に停めてある馬車を指差した。


「あの馬車。右の後輪だけ、軸が0.5度ほど歪んでいる。……積載バランスが悪い証拠だ。人が乗る座席の下に、鉛のように重たい『二重底』でも作っていない限り、ああはならない」

 

 ハッタリではない。

 

 俺の目は、企業のバランスシートの粉飾を1円単位で見抜いてきた眼だ。物理的なバランスの狂いなど、痛々しいほどに鮮明に見える。


「……ッ!?」

「沈み込み具合から見て、重さは金貨にして約500枚分……といったところか。領主様の監査官が見たら、さぞかし喜ぶだろうな。即日、鉱山送りの切符が手に入る」


 図星だ。

 ボリスの瞳孔が開き、脂汗が滝のように流れ落ちる。

 完全に「詰んだ」顔だ。


「殺す……! ここで貴様を殺せば……!」


 ボリスが腰の剣に手をかけた。

 暴力による証拠隠滅。短絡的で、愚かだ。

 俺はため息をつきたい衝動を抑え、冷徹な瞳で彼を射抜いた。


「やめておけ。リスク対効果(ROI)が合わない」


 俺は一歩も引かず、淡々と告げる。


「僕が死んだら、明日の朝一番で、領主様の執務室に『告発状』が届く手はずになっている。あなたの裏帳簿の完全な再現データと、隠し財産の隠し場所を記した地図を添えてね」

 

 もちろん、真っ赤な嘘(ブラフ)だ。

 だが、恐怖に支配された人間に、それを疑う余地はない。


「な……な……」

「さあ、どうする? 賢明なビジネスマンなら、ここで『損切り』を選ぶべきだと思うが?」

 

 沈黙。

 やがて、カラン……と乾いた音がした。

 ボリスが剣から手を離し、膝から崩れ落ちた音だ。


「……な、何を、望む……」

 

 完全降伏(サレンダー)。

 俺は内心で勝利を確信しつつ、表面上はビジネスパートナーに向けるような穏やかな笑みを浮かべた。


「交渉成立だ。条件は3つ」

 

 俺は指を立てる。


「1つ。我が家の税金は、今後『永久免除』とする。書類上は『不作による特例措置』で処理しろ」

「……わ、わかった」

「2つ。その馬車に積んである保存食、それから回復薬(ポーション)。ありったけ置いていけ。母の治療に必要だ」

「くっ……!」

「3つ。今後、僕が呼んだらすぐに飛んでくること。……あなたは今日から、僕の『専属運送業者(ロジスティクス)』だ」

 

 ボリスは屈辱に顔を歪めながらも、無言で頷いた。

 彼は懐から高価なポーションの瓶を取り出し、馬車からは食料の袋を引きずり出した。


「……これで文句ねぇな! 二度と俺を脅すんじゃねぇ!」


 捨て台詞を残し、ボリスは逃げるように去っていった。

 その背中には、目に見えない「首輪」がしっかりとかかっている。


(……ふぅ。まずはこんなものか)

 

 俺は戦利品を拾い上げ、母エルナのもとへ歩み寄った。

 ポーションを飲ませると、彼女の顔に赤みが戻る。とりあえず、最悪の事態は回避した。

 

 俺は窓の外、広がる荒野を見つめた。

 何もない、不毛の大地。

 だが、俺の目には、そこに築かれる未来の光景が見えていた。

 

 広大な農園、唸りを上げる工場、そして世界中から富が集まる「経済特区」。

 その中心で、俺は最高級の椅子に座り、昼寝をするのだ。


「……長い道のりだが、やるしかないな」

 

 真のスローライフを手に入れるために。

 

 元・金融王アルドによる、世界征服(という名の環境整備)が、今ここから始まった。

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