ふたりの筋肉図鑑
祥花
放課後の生体模型
理科室の空気は、いつもよりひんやりとして感じられた。放課後の校舎に西日が差し込み、埃がキラキラと舞っている。
「……ねえ、寒くない?」
そう声をかけてきたのは、保健係の真理子だ。彼女は今、いつもの制服姿ではない。白の半袖シャツに濃紺のブルマー姿で、直立不動の姿勢をとっている。
対する僕は、白い半袖シャツに短パンという、季節外れの体操服姿だ。
「少し寒いけど、動いたらシールが剥がれちゃうからな」
僕は苦笑いしながら答える。
僕たちがこんな格好で理科室に立っているのには、ある重大な(そして少し不可解な)理由があった。それは、明日の「健康週間」に向けた特別展示の準備のためだ。
『見て学ぼう! 人の身体の動きと筋肉の仕組み』
そんなスローガンのもと、保健係の発案で「生きた人間をモデルにして、筋肉の収縮や関節の動きをリアルタイムで解説する」という企画が通ってしまったのだ。真理子はその責任者として、そして僕はそのサポート役(兼、男子モデル)として、今ここに立っている。
「本当に、私たちがやる必要あったのかな……」
真理子が恥ずかしそうに頬を赤らめ、ブルマーの裾を少し気にするようにモジモジとした。
「先生いわく、『美術室の骨格標本じゃ筋肉の動きはわからん! 若い君たちの躍動する筋肉こそが教材だ』だってさ」
「もう、先生ったら……」
真理子はため息をついたが、すぐに表情を引き締めた。彼女は根っからの真面目な性格だ。一度引き受けたからには、完璧にやり遂げたいという意志が瞳にある。
「よし。じゃあ、予行演習はじめるわよ」
真理子が号令をかける。
彼女は自分の二の腕や太腿、そしてふくらはぎに、筋肉の名称が書かれたカラーシールを貼っていた。「上腕二頭筋」「大腿四頭筋」「ヒラメ筋」。それらが、彼女が動くたびに伸縮する様子は、確かに教科書を見るより分かりやすいかもしれない。
「まずは屈伸運動。膝関節と連動する筋肉の動きを見てください」
誰もいない理科室に向かって、真理子がアナウンサーのような声で解説を始める。
彼女が膝を曲げると、ブルマーから伸びる健康的な太腿の筋肉がグッと引き締まった。
「次は、君の番よ。腕立て伏せの姿勢で、上腕三頭筋の緊張を見せて」
「了解」
僕は言われるがまま床に手をつき、腕立て伏せの体勢をとる。半袖短パン姿の自分が、教材として観察されていると思うと妙な緊張感があったが、真理子の真剣な眼差しを見ると手を抜くわけにはいかない。
「うん、いい感じ。その角度だと、肩甲骨の動きもよく見えるわ」
真理子は僕の背中に回り込み、赤いマジックで「僧帽筋」と書かれたシールをぺたりと貼った。その指先が背中に触れ、少しドキッとする。
「ねえ、真理子」
「なに?」
「明日の本番、全校生徒が見に来るんだよね」
「……そうね」
「この格好で、ずっと解説するんだよね」
真理子は一瞬言葉を詰まらせ、自分のブルマー姿と僕の短パン姿を見比べた。そして、耳まで真っ赤にして言った。
「そ、そうよ! 人の身体を知るための、神聖な学習なんだから! 恥ずかしがってたら、保健係の名が廃るわ!」
そう言いながらも、彼女は無意識に腕を組んで身を守るようなポーズをとっている。
その強がりと、ひたむきな使命感。
「わかったよ。僕も覚悟を決める」
「ふふ、頼りにしてるわよ、相棒」
夕暮れの理科室。
白シャツに濃紺のブルマーと、半袖短パン。
奇妙な格好の二人は、明日の「生きた授業」のために、再びポーズの練習を始めた。生徒たちが人体の不思議を正しく学べるように、僕たちは最高のマネキンにならなければならないのだから。
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