ノー・ヴァージン
黒周ダイスケ
ブラッディ・ファウンテン(前)
「結局、いくらになったんだよ、ロブ兄」
「三万五千」
「やっぱり額面通りか。せっかくの“バニラ”のガキだってのに。これが引き渡しの時には八万か九万くらいまでタグが付くんだろ?」
「誰に売るか、どう売るか、そういう交渉が連中の仕事だからな」
「気にくわねえ。右から左に仕事を流すだけで倍になるってか。こっちだって身体を張ったんだ。もっと吹っ掛けられなかったのかよ」
「止めとけ。今回の依頼主にはバックに鉄錆党が絡んでる。いらないゴタゴタを起こしてみろ。僕達まで釘だらけにされちまう」
「わかってるよ、ンなことは。ただ言ってみただけだ」
「じゃあ、この話は終わりにしよう。誰かに聞かれていたらマズいからな」
某日。午前四時。郊外のモーテルに隣接する無人バーにて。
仕事帰りの男が二人。
テーブルの上には、ロンググラスに入ったアルコールドリンクが二つ。
「と言っても、誰もいねえじゃねえか」
一八〇センチを超すガタイの良い男『ロイ』があたりを見回す。尻の位置を動かすたびに安いビニール張りのソファが悲鳴をあげる。
「壁に耳あり、ショージに目ありだ」
対面に座る痩身の男『ロブ』は、指でメガネのテンプルをなぞりながら古い諺を口にする。ロイはそれを聞いて「ショージって何だ?」と返し、手元にあったロンググラスの中身を一気に呷る。
「とりあえず後は報告すれば今回の仕事は完了ってこったな。ロブ兄はMODを追加するんだろ?」
「ああ。それに一万貰う」
「また副腎系か?」
「今度は眼だ。エプシロン製の義眼が一月前にマイナーチェンジしてな。今はその前のモデルが安くなった。狙い目のタイミングなんだ」
「これでメガネをかけてるロブ兄も見納めだな。目だけに」
「もう一万はお前の分。たまには女ばかりじゃなくてMODの強化でもしたらどうだ」
「これ以上入れてもなあ……考えとくぜ。でもどうせ、またパーッと使っちまうんだろうけど」
「まあ、お前のカネだ。好きに使えよ。で、残りの一万五千は次の仕事代に回す」
「おうよ」
この手の仕事はフリーランスの傭兵同士、その場限りのチームを組むことがほとんどである。だから分け前で揉めることも多く、そのせいで大半のグループが長続きすることはない。その点、ロブとロイは兄弟であり、報酬分配もマネジメントもいたって堅実であった。
テーブルの上にあったアラームが鳴る。
『あとじゅっぷんです。つぎがラストオーダーとなります』
『おじかんをえんちょうされるばあいは、おてもとのトークンにおかねを――』
ロイは大きな手でアラームのスイッチを力強く押し、自動アナウンスを黙らせる。
「俺ァもう一杯取ってくるぜ」
「僕の分も頼む。同じ“マラカイト・ソーダ”でいい。ソーダは少なめで」
―――
無人バー。この世界にあっては珍しくもない飲食店の一形態である。その名の通り店員はおらず、客は手にした物理トークンに一定の料金を入れ、プラスチックグラスを受け取り、店内にあるファウンテンスペースのディスペンサーから飲料を注ぐ。
ディスペンサーにはアルコールとノンアルコールのタイプがあるが、ほとんどの客はアルコールを選択する。代謝系のMODは基本中の基本であり、それを入れていない人間などほとんどいないからだ。もしいるとすれば――。
(……なんだあいつ)
兄の分のマラカイトリキュールとソーダ(約7:3の割合)をロンググラスになみなみと注ぎながら、ロイは怪訝な顔を浮かべる。ロイの前にはクタクタに使い潰されたアルコール用ディスペンサーがあり、その横には対照的にほぼ新品同様のノンアルコール用ディスペンサーがある。
彼が注意を引いたのは、滅多に使われないはずのそこに一人の客がいたからだ。いつの間に現れたのか、砂塵を防ぐポンチョとフードを被った小柄な客が一人、ノンアルコール用ディスペンサーから緑色の液体とソーダを注いでいる。
フードの左右から伸びる黒髪。丈の長いポンチョから生える細い素足。シルエットから見ておそらく女。大柄なロイと並ぶとその小ささはより際立つ。先ほどロイが周囲を見渡した時には気付かなかったが、おそらくずっと店内にいたのだろう。なのに視界にも入らなかった。というより……まったく気配がなかった。
ロイは一瞥し、視線を元に戻す。因縁をつけられたなら話は別だが、こちらも迂闊な騒ぎを起こすつもりもない。じょぼぼぼぼぼと下品な音が響き、自分の分のグラスに人工メスカルが注がれていくのを見る。そうしてわけもなく不穏な気分を引きずったまま、二つのグラスを持って兄の待つテーブルに向かう。
「どうした」
どすんとソファに沈み込んだロイに、ロブが声をかける。
注意深い兄のことだ。不安などすぐに見抜かれたのだろう。
「なあロブ兄」
「なんだ」
ロイは店内を見回すように視線を遣る。ポンチョ姿の女はどこにもいない。
「追っ手か?」
「いや……」
人工メスカルに口を付ける。香料まじりのアガベ臭が鼻を刺激する。
(なんてことねえ。ありゃ、ただの客だ。だが――)
『ねーえ』
その瞬間、静かな無人バーに、声がひとつ。
いつの間に現れたのか。いつの間に“目の前まで”来たのか。やはり一切の気配もなく、メロンソーダが注がれたグラスを持った女がそこに立っていた。
突然の闖入者に、二人は咄嗟に腰の武器へと手を掛ける。
『おにーさん達。さっきの話、もーちょっと詳しく聞かせてくれないかな?』
しかし彼女は微塵も臆さずに話す。いや、実際に話しているわけではない。フードの下から垣間見える薄桃色の小さな唇はまったく動いていない。その声は、彼女の首元、ポンチョに隠された胸元あたりから聞こえていた。
「なんだテメェ」
「待て、ロイ」
『あっ、そうか。あの、あのね。違うの。違うんだ。あー、えーとね、実は私、ここでお父さん達を探しててぇ。それで、おにーさん達なら何か知らないかなーって思ってぇ』
人を舐めきったような声であった。甘ったるく耳障りで、高圧的かと思えば突然しなをつくったかのように媚びた声へと変わる。とにかく一言一言が喧しかった。一応“そこにいる女が喋っている”という体裁なのだろうが、一方の女はこちらを見据えたまま無の表情を湛えている。口パクをする気すらもないらしい。
「……なあ君。もしお喋りがしたいなら街のカフェにでも行くといい。治安は悪いかもしれないが、結局ここもあまり変わらない」
ロブは右手の指でまたメガネのテンプルをなぞり、なるべく穏やかな口調で続ける。
『えー、こんな可愛い女の子を放っておくんですかぁ?』
(声帯MODか?)
(いや)
『おにーさん達、すっごく強そうだからぁ。一緒にお父さんのこと探してくれません? 昨日から“鉄錆党”のところにいくって言ったっきり、いなくなっちゃってぇ。それで私、昨日からもう何も食べてなくて、へとへとになりながらここまで辿り着いたんですぅ』
鉄錆党。その言葉を聞いた瞬間、二人は視線を合わせる。
「おいロブ兄」
「いいかいお嬢さん。世の中には危険なことがたくさんある。でも大抵の場合は首を突っ込まなければケガをしない。そういう風に出来てるんだ。だから僕達も今の言葉は聞かなかったことに」
『聞いてるのはこっちなんだよ。さっきからメガネばっかクイクイしてスカしたフリしやがって。何を早口になってんだ、童貞かテメェ』
「……」
『あっ、いっけない♡』
「……」
『おにーさん達、大人なんでしょ? まさか怖くなったんじゃないですよね? 見た目強そうなのに? 女の子一人も助けられない、腰抜け大人♡』
きわめて挑発的な物言いを受けつつも、しかしロブは平静を保つ。
「だから何だ。どこから来たのか知らないけど、奴らはここらじゃ有名な一党だ。お父さんがいるなら君だって聞いたことがあ――」
『にゅうきんがかくにんされませんでした。ごたいしゅつのよういをおねがいします』
テーブルに置かれたトークンが言葉を切る。その瞬間、ロブはテーブルの下で構えていた消音器付きの10ミリ拳銃を撃った。構えることもなく、集中させた指先の感覚だけで正確に、女の腹を狙って撃つ。
ぷすん、と気の抜けた音と共に放たれた不意の一射。
それによって突然の闖入者はその場に倒れ――。
……ることなく。
『ざぁこ♡』
彼女は銃撃を回避し、テーブルの上に飛び乗っていた。
―――
時間にしてみればほんの一瞬のこと。
導入された副腎系強化MODによって身体中に興奮物質が急速に分泌される。故にロブは自分に起こったことを一つずつ冷静に見据えることができた。
まずロブは下から女を見上げた。彼女が纏ったポンチョの下にあるものを見た。そこには膝上まで丈を詰めた袴があった。ロブはその中をきっちりと見た。
次に視線がいったのは腰だった。そこには一本の刀がやや落とし気味に差してあった。黒漆の鞘が艶を帯びていた。それから女は腰を引き、柄と鯉口に手をかけた。ポンチョがふわりと舞って、傘のようにロブを覆った。
そして鞘から刃が伸びるのを見た。ロブはテーブルの下にあった拳銃を引き抜き、女に銃口を向けた。その時には、既に刃は鞘から抜かれきっていた。
女の手から投げられたロンググラスが宙を舞う。
空中で、緑色の液体がゆっくりと放たれていく。
最後に、だん、と強い音がした。
何が起きたのかを見ることはできなかった。
ただ顔と左腕に強い痛みがあった。
その途端に、ロブの視界は真っ暗になった。
―――
一方で、ロイはそれを反対側から見ていた。
ロイの目の前には女の白い素足と厚底サンダルがあった。
足の爪には何か塗っているのか、控えめなピンク色に艶めいていた。
次に女は身体と腰をひねり、右足をテーブルの上で強く踏み込んだ。
と同時に、対面にいるロブに向かって何かが下薙ぎに払われた。
両足の間から、ロイはそれを見た。
「があっ」
静まりかえった無人バーに悲鳴が響く。
一瞬の間の後、ロブは右手で顔を押さえていた。痛みに呻きながらソファから転げ落ち、反射的に拳銃を女に向ける。だが持っていたはずの拳銃はそこになく、素早い抜き打ちによって左手の指ごと切り落とされていた。無いはずの拳銃のトリガーを引こうとしているのか、びくん、びくんと左手が痙攣し、そのたびに切断された指元から鮮血が溢れ出た。そして顔を押さえていた右手の指からも同様に激しく出血していた。足元に落ちたグラスからメロンソーダがこぼれ、血と混じり合って濁っていく。
ロイの頭にかっと血が昇る。兄の名を呼ぶより前に、彼はすぐさま女の左足首へと太い腕を伸ばした。しかし掌は虚しく宙を掴む。こちらを見てもいないのに、女は最低限の摺り足で引きかわしてみせた。まるで背中に目があるかのように。まるで殺気を察知したかのように。
『まもなくしゅうりょうのおじかんです』
女はテーブルの上のトークンを蹴り飛ばしながら跳躍し、再び床へと着地した。
『ごたいしゅつのよういを――』
痛みに悶絶するロブの首に、鋭く光る刀の切っ先が向けられる。
『いきなり女の子の足を掴もうとするなんてひどーい。後ろから襲うことしかできない、よわよわ大人♡』
着地のはずみでフードが取れ、女の素性が露わになった。後ろに一つ纏めにした長い黒髪。顔立ちは幼さの残る――少女と言うべきか。そこにあどけなさは無く、柔らかな薄桃色の瞳はしかし氷のような鋭さでロイを正確に貫いている。
そして、その顔には未だ何の表情もあらわれない。
『シャーリー。こいつらがどれくらい情けなーいカオしてるのか、ちょっと見せて♡』
首元から再び挑発的な甲高い女の声が聞こえる。シャーリーと呼ばれた少女は脇差を持たないほうの手を胸元に差し込み、ペンダントのように首にかけられた小型デバイスを露わにしてみせる。デバイスには集音装置とマイク、そして小さなカメラが付いていた。
『ロブ&ロイ。最近よく名前を聞くフリーランスの“攫い屋”。でもダメ。情けなーいカオしてる。ダメダメ♡ どれだけMODを入れててもそんなんじゃ全然ダ――』
ロイはテーブルに残っていた人工メスカルのグラスを投げつける。シャーリーは微動だにすることなくグラスを払い落とす。アルコールの飛沫がポンチョにかかるのを見て、彼女は一瞬だけ不快そうに眉をひそめる。
「……何でだ?」
今の隙に怯んだら、その瞬間に殺してやろうと思った。だが隙は見えなかった。ロイはシャーリーを睨み付けつつ、ソファから立ち上がり、腰に下げていた大型ブラスナックルを両手に装着する。
『何でって、抵抗したからじゃない。ほら、このままだとこの雑魚おにーさんの首が飛んでっちゃう♡ 殺されたくなかったら、早く今回の依頼主のことを教えて♡』
「そこのクソガキには聞いてねえ。俺はテメェに聞いてる。わざわざ俺の前でノンアルコールのドリンクを飲むなんて――そんな“バニラ”みてえなフリして、そんだけ嘘ついておいて一体何がしてえんだ。単に油断させたかったのか」
攫い屋を生業とする関係上、どうしても揉め事や荒事は避けて通れない。そのためにロイは身体を鍛え上げ、副腎系を中心にMODを入れ、兄が不得意とする近接格闘を専門とした。力強さと素早さ、それをコントロールする筋肉もすべて一級品。そんなロイが女の足首一つも掴めないはずなどない。ましてMODも入れていないような人間にそんな真似はできない……はずなのに。
「あたしは“バニラ”だよ。嘘なんか吐けねえし」
少女がようやく口を開く。ロイの放った“嘘”というワードに反応したのか、デバイスの向こうから聞こえる喧しい声に比べれば、その声色は落ち着いていて、空気中に通るような純粋さと透明感があった。
『本当だよ。シャーリーはバニラだ』
「冗談じゃねえ」
『この子ってさ、ぜったいウソつけないの。無愛想でブキヨー♡ だから私がこうして可愛く交渉してるってワケ♡』
「あれが交渉だと? ナメやがる」
「……」
「シャーリーだかショージだかしらねえが」
ロイが拳を構える。
「ガキにナメられたら、この仕事は終わりなんだよ」
シャーリーもまた刀の切っ先をロブからロイに移し、正眼に構える。
『あ、シャーリー。どっちかでいいから残しておいてね。話、聞けなくなっちゃうし』
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